"凶報"
「……落ち着きましたか?」
「はい、すみません。取り乱して」
落ち着きを取り戻したイリスは、アルエナが出してくれたティーテーブルの上に置かれたお茶を頂いていた。香りがとても清々しいアールグレイだ。
「まずは貴女を含め、多くの方を欺いていた事に謝罪を」
アルエナの存在に驚くという事は、今現在も自身が神格化されたままで安心する彼女だったが、多くの、いや世界中の人々を騙している事には違いがない。
だがイリスは頭を下げようとする彼女を制し、言葉を返した。
「いいえ、そんな事はありません。必ず理由があっての事だと理解しているつもりです。私が取り乱したのは、私自身の問題なのですから、どうか謝らないで下さい」
イリスはこの世界のどこかで、女神アルウェナに必ず逢えると信じていた。
それは自身が大切なひとと再会をしたいが為の、身勝手な理由である事だった。
冷静に考えれば、彼女と会えた事が、あのひとと会えない理由にはならない。
女神アルウェナという存在と逢えないだけ。ただそれだけの事だ。
それをまるで、全ての望みが絶たれたように感じた、イリスがいけないのだ。
そこにアルエナが謝罪する必要などない。何故そうなったのかも知らず、一方的に彼女を責めるなどあってはならない。
気持ちを落ち着けていくイリスは、同時に自分の軽率な行動を恥じた。
アルエナとしっかりと向き直り、自己紹介から始めていくイリスだった。
「申し遅れました。私はイリスと申します」
笑顔で言葉にするイリスが平常心を取り戻した事に微笑むアルエナは、自己紹介を改めてし直すと、今がどれほど時間が経っているのかをイリスに尋ねていった。
「今がどのくらいの時代か分かりますか?」
「今年は、聖王暦八百十二年になります」
「……そんなに時が経ってしまっているのですか」
目を丸くするアルエナ。レティシアもそうだったが、どうやら思っていた以上に時が過ぎ去ってしまっているようだ。
そして彼女はすぐさま、とても難しい顔をしてしまった。
「……アルエナ様?」
イリスの言葉に気が付くように、意識と視線を彼女へと向けるアルエナ。
「すみません、少々考え事を。……さて、何からお話していいのやら。
……石碑を尋ねられたのは、ここが初めてでしょうか?」
「いいえ。エデルベルグに安置された石碑にいらっしゃる、レティシア様とお逢いしています」
「そう、レティと逢っているのね。では、様々な知識を得ていると解釈してもいいのでしょうか?」
イリスはレティシアから授けて貰った知識の数々と、彼女が話した事についての詳細を話していく。エデルベルグが今現在どうなっているのかと、彼女が興したフィルベルグについても。
その内容に驚き、安堵し、微笑み、悲しむ、数々の感情を見せるアルエナ。
一頻り話し終えたイリスへ、アルエナは言葉にする。
「……なるほど。そうですね……。それでは私の事からお話しましょう。
大凡は推察しているでしょうが、私とレティはとても親しい友人関係になります。
この石碑を作り出した事も黄蘗色の魔力も、イリスさんが思っている通りの事と思います。私もまた"想いの力"を持つ者であり、彼女に力を託された者でもあります。
貴女が言う所の真の言の葉も扱う事が出来る者であり、故あってこの石碑に存在する者です」
「アルエナ様は、何故この場所にいらっしゃるのでしょうか」
「その話もしなければなりませんね。それにはまず、眷属についてのお話をしなければなりません」
そう言葉にして話し始めるアルエナ。
嘗て起こった惨劇と、その周りに居る者達の話を。
眷属が出現してたったの一月で、大きな国が三つ、大きな街が四つ、小さな街が三つ潰されてしまった。
当時、世界最大の魔法軍事国家であったエデルベルグ王国が消失するという事件に始まる、眷属による最悪の出来事。
大陸中央に存在していた世界最大の人口数を誇っていたヴェルグラド帝国と、その周囲にある街々を数日とかからず焦土と化していく忌まわしき災厄。
眷属出現前まで、大陸中央に人口が密集していた事が仇となったと思われた。
「あれの攻撃を受けても尚、建造物の原形を留めていたのは、エデルベルグのみです。それも当時レティが研究していた、想いの力と言の葉を組み合わせた新技術によるものです。その力を使わねば、とてもではありませんが眷族の攻撃を防ぐ事等出来ません。
全ては彼女の功績によるものです。眷族の攻撃を退けたのも、そして眷属を斃す事が出来たのも。彼女無くしてそれが出来たとは思えません。それほどの画期的な魔法技術でした。
同時に、その力の使い方次第で世界が終焉するほどの危険性を秘めてはいましたが、彼女自身が正しい心を持った者であった為、必要以上に使える者はいませんでした。
彼女が認め、彼女が託してもいいと判断した者にのみ、その技術が渡った事は、イリスさんもレティから伺っていると思います」
当然、レティシアはこの力を渡す時、制限を加えたものを仲間達へ渡していた。
彼女が抑止力となる為の保険として制限をかけたものではあるが、それを悪用する事無く、各々が正しく使っていたようだ。
そもそも"想いの力"なくしてそれを扱えない。"想いの力"を持つ者は、野心や野望といったものとは程遠い存在が手にする例が殆どだと、アルエナの目から見ても感じられたようだ。
だがたとえ、正しい心を持っている者に力を託したとしても、強大な力を手にした瞬間に変わってしまう危険性すらあると、レティシアは言葉にしていたそうだ。
「レティは眷属による被害を二十五万人と伝えたそうですが、正確には違うのです。
二十五万人とは、あくまで"戦える者達"であり、それ以外を含めるとその被害総数は最低でも六十万人にも及びます。眷族の攻撃で更地にされてしまっているので、正確な被害総数は分かりません。この数字は、それぞれ残った街の情報や資料を照らし合わせて出したものとなります」
あまりの事に絶句してしまうイリス。
人の数が多過ぎて、最早見当も付かない。
それだけの被害が出てしまった最悪の出来事と、それだけ栄えていた時代であった事が伺えるが、あまりにも現実離れした数字に、流石のイリスも言葉にならなかった。
「私は当時、大陸北東にあるレグレス王国と呼ばれる国にいました。あくまでも滞在していただけで、所属していた訳ではありませんが。
続々と決戦の準備が整う中、私も自由騎士として参加し、眷属と相見えましたが、私はあれほどの恐怖を未だ嘗て味わった事がありません。
眷族が見せた途轍もない魔力の奔流に、多くの同志達が斃されてしまい、態勢を崩された私は、偶然ではありますがレティ達と合流する事が出来、部隊を再編成し直して眷属へと向かって行きました。
ですが多くの人命と国を奪いながら勇士達を次々と屠った忌まわしき眷属は、遂にレグレス王国にまで到達していたのです。
私達が王国を目視出来る距離まで辿り着いた時には、眷属が無慈悲な光を放った瞬間で、レグレス王国は三つ目の亡国とされてしまいました。
呆然と立ち尽くす私達の耳に入ったのは、凄まじい速度で移動し、別の場所で蹂躙をし続けている眷属が放つ衝撃音でした。
縦横無尽に駆け回る無慈悲な存在に怒りでどうにかなってしまいそうだった時、最悪の一報がレティへと知らされる事となります」
『エデルベルグ王、危篤』
たった一言で世界が歪み、レティシアを取り乱す事態となったその凶報を聞いた時、既に眷属とはかなりの距離を離されてしまっていた。
冷静な判断が出来ず取り乱す彼女を、フェルディナンの元へと送っていくアルエナ達だったが、辿り着いた時にはもう手の施しようもない状態だった。
「フェルディナン王は私も良く存じておりました。レティとの関係やお腹の子を含め心から祝福し、自分の事のように喜んだのを、昨日の事のように覚えています。
知らせを聞いたのは、三匹の魔獣を斃したレティ達と合流し、情報交換をしながら態勢を立て直していた時の事になります。
急ぎ彼の元へと向かった私達でしたが、彼にはもう時間が残されていませんでした。
彼はレティの頬に触れながら、たったの二言を発し、静かに眠りに就いたのです」
凍り付いてしまったその時間を破壊したのも眷属だった。
遠くから聞こえる凄まじい爆裂音が、彼の眠るテントをびりびりと揺らした。
レティシアはフェルディナンの額に唇をあて、立ち上がりながら言葉にする。
『まだ終わっていないわ』と、明確な覚悟が伺える強く輝く瞳で。
「魔獣の存在は確かに厄介ではあります。周囲にいる魔物を呼び寄せ、まるで従わせるようにこちらへ向けてくる存在。こんなものを放置しては、戦えない者などひとたまりもありません。倒す優先順位は確かに高いと言えるでしょう。
……ですが、魔獣など放置しておけば良かったと思えてしまうほどの事態が、あの時起こっていたのです」
アルエナはそれについてイリスに話していくが、その表情は辛く、悔しさの余り唇を噛んでしまう。
そして彼女は語る。
それはイリスにとって、最悪とも言える内容だった。
「眷属が魔獣を生み出す事さえ知っていれば、被害を最小限に出来ていた筈です。
想いの力と言の葉を組み合わせた技術を扱えた者達で、最初から眷属と戦っていれば、これほどまで甚大な被害を出す事など、絶対にありませんでした」
そう言葉にするアルエナの表情は、泣きそうなほどの悲痛さを見せていた。
ここで書きました自由騎士とは、傭兵とはちょっと違います。
これにつきましては活動報告にて書かせて頂こうと思います。




