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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第九章 未来を創る為に
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"咲き誇る"花の中で

 

 かなりの広さを誇る大広場の中央に、まるで佇むかのようにそのモニュメントは置かれていた。


 高さが五メートラ、横幅は三メートラは軽くあると思えるほどの、巨大な白い金属で出来た直方体のもので、重ねた両手を胸に当てて瞳を閉じる、とても麗しい女性の姿が彫られた純白のレリーフが、金属にはめ込まれるように造られている。

 細部に至るまで丁寧に、そして細かく繊細な細工が施され、言葉にならないほど美しい造りをしているそのレリーフに見蕩れながら、イリス達は見上げていた。


「……これは、アルウェナ様、ですわね」


 ぽつりと呟くように言葉にしたシルヴィアは、レリーフの美しさに見蕩れながらも、どこか寂しげな表情をしていた。


 レリーフに描かれた容姿から、言い伝えられた女神である事が分かるが、それは同時に、このモニュメントが何を意味しているのかを、はっきりと自覚してしまうほどの重みを感じていたイリス達だった。


 周囲には花壇が敷き詰められ、野原に咲き乱れる一面の花のように美しい光景が広がるこの場所は、イリス達にはどこか物悲しく思えてしまっていた。

 大きな樹木は植えられていない為、見通しはとても良く、多くの人々が行き交うのが見えるこの場所は、憩いの場としてもアルリオンの人達から愛された場所のようだ。


 女神が描かれたレリーフを見据えながら、無言になってしまうイリス達。

 傍らには置ききれないほどの花束が、まるで女神を包み込むように、あらゆる方向から置かれていた。


 何も言う事が出来なくなってしまったイリス達に、ロットが静かに言葉にする。


「近くに花屋さんがあってね、そこで献花を買えるんだよ」


 その言葉にずきんと胸が痛くなるイリスは、胸部の鎧に手を当て、こぶしをきゅっと握る。


 この場所に来る前から分かっていた。『とても大切なものだから、見ておくといい』と、ロットが言葉にした時点で理解出来ていた事だ。


 ここはアルリオンなのだから。


 どんなに賑わっていても、どんなに人々が明るく暮らしていても、どんなに高い壁で囲っていても、あれほどの凄惨な過去を忘れる事なんて出来る訳がない。

 それを誰よりも知っているからこそ、この場所には沢山の想いが溢れている。

 花束を添えるという形で。


 正面にもまだ花束が置けるが、周囲を囲うように花で彩られているのにも理由があると思われた。

 一面の花に抱かれているかのようなその場所を見るだけで、本当に沢山の人に愛されているのだと感じられ、イリスは温かな気持ちで一杯になる。


「私達も献花しましょう」


 微笑みながら花束を見つめ、呟くような言葉で発したイリスの提案に、シルヴィアとネヴィアも同意していく。


 ロットが指差し言葉にする方向へと足を進めるイリス達は、一軒のお店に到着する。そこは大広場に面したお店の一つで、沢山の花の香りが溢れた素敵な場所だった。


 "森の泉"の二倍はあろうかという大きな店内に、置き切れないほどの花があるようで、中には店員と思われる二十代の女性が、店の中央で花束を作っていた。


 イリスはその若い女性に声をかけていく。


「すみません、お花を買いたいのですが」

「あら、初めましての方ですね。このお店は慰霊碑への献花しか売っていないのだけど、構いませんか?」

「はい。五人分の献花をお願いします」

「ありがとうございます。少々お待ち下さいね」


 笑顔で答える女性は店に置いてある花束を厳選して花束を五つ選び、イリスに手渡してくれた。


「五百リルになります」

「じゃあ五人分で二千五百リルですね」


 イリスの言葉に、いえいえと言葉を返す女性は、改めて言い直した。


「五人分の献花で五百リルになりますよ」

「……えっと、お安過ぎませんか?」


 あまりの安さに苦笑いをしながら聞き返してしまうイリスだったが、お店の女性は笑顔で答えてくれた。


「これが正規の値段になるんですよ」


 女性は笑顔でイリスに答えると、その説明をしてくれた。

 このアルリオンは嘗て恐ろしい事件に見舞われ、多くの方がその尊い犠牲となってしまった事もしっかりと含めながら。


 こんな恐ろしい出来事を二度と起こすまいと、教会側が街の修復と巨大な壁の建設、そして亡くなられた方の為に慰霊碑を建て、献花の為の資金援助をしているのだと女性は語る。


 花屋に見えるこの店は、正確には教会が運営している献花専門の生花店であり、ここで売られている花も全て教会が花卉(かき)栽培をしているものとなる。

 そしてその献花代や花卉にかかる費用も教会側が出している為、ひとりたったの百リルという破格の値段で献花が売られている。


 この値段にも意味があるんですよと、女性が言葉を続けてイリス達に教えてくれた。


「百リルであれば、子供のお小遣いでも買えます。

 そうする事で、本当に多くの方が献花を捧げる事が出来るようになり、三千七百四十三名もの尊い方達を忘れる事無く、想いを未来に繋げられますから」


 女性の説明に納得したようにイリスがぽつりと言葉にすると、女性はとても嬉しそうな笑顔で返してくれた。


「だからあんなにもお花で溢れていたんですね。だからこんなにも温かな気持ちになれたんだ……」

「そう言って貰えると、この国に住んでいる者として、とても嬉しく思います。

 でもまだ二百五十年しか(・・)経っていません。これからもずっとずっと忘れずに、お花を捧げ続けなければいけませんから」


 素敵な笑顔で言葉にするこの女性は、教会に勤める女性神官(プリエステス)だそうで、通常業務とは別に交代制で献花を作り、売っているそうだ。

 子供の頃から憧れていた神官と、この献花店で勤める事を夢見ていた彼女は、まるで天職のように感じ、毎日がとても楽しいですよと笑顔を絶やす事無く答え、イリス達も彼女に釣られて微笑んでしまった。



 沢山の献花が置かれている場所に花を添えるイリス達。

 ふと慰霊碑の上部を見上げると、丁度アルウェナが描かれたレリーフの真上に文字が刻まれていた。

 

『歩みを止められてしまった尊いアルリオンの子達に、女神の祝福が与えられん事を』


 これは当時の法王様のお言葉だろうか。

 とても優しい言葉の中に明確な意思の強さを感じられる、とても重い言葉に思えたイリス達だった。そして慰霊碑の最下部、溢れる献花で見えなくなっていた部分に、小さな言葉が刻まれていた。


『私達は決して忘れない』と。


 多くの方が犠牲となった忌まわしき災厄。

 例え二百五十年という月日が経ったとしても、色褪せる事無く、悲しみを忘れないアルリオンの人々。これのなんと凄い事なのだろうかとイリスは想っていた。


 そして同時に、フィルベルグもそうあって欲しいと強く願ってしまうのは、彼女の我侭なのかもしれない。


 姉という掛け替えの無い大切な存在を失い、あの事件から一年半がたった今でも、未だに献花を捧げてくれる方は沢山いる。

 ……でもいずれ、彼女が成した事だけではなく、彼女が居た事ですら、人々から忘れられてしまうのではないだろうか。


 人の心は移ろい易いものだと、何かの本に書いてあった。

 人が生きていく上で、それを"忘れたい"と思えてしまうほどの恐怖を感じた、忌まわしき事件。

 犠牲者をたった一人で抑える事が出来た事に安堵し、それでも襲って来た災厄に恐怖した人々は、忘れたいと思われてしまうような恐怖しか残さないのではないだろうか。


 もしそうであるのなら、きっと人々は次第にそれを忘れていき、日々の安寧な暮らしを続けていくのかもしれない。

 いずれは姉の前に献花すら置かれなくなってしまうのではという、言いようの無い不安がイリスを襲う。


 そうあって欲しく無いと想ってしまうのは、我侭で身勝手な事なのだろうか。


 イリスは慰霊碑を見上げるようにアルウェナを見つめながら考えていた。

 彼女を知っている者しか悲しまなくなってしまった世界を。


 人々は姉を忘れ、毎日を生きていく。


 それは決して忘れた人々が悪い訳ではない。

 生きているのだから、様々な考えがあるのは当たり前の事だ。

 ただ、イリスにとって、それがとても悲しいだけだ。


 そんな尊い想いですらも、いずれ無くなってしまうだろう。

 百年どころか五十年ですら保てないような、とても脆く、崩れ易い想いなのかもしれない。


 人の寿命はそれ程長くなどないのだから。



「大丈夫ですわ」


 優しく穏やかな声が、慰霊碑の周りに響いてくる。


 声の方向に向き直るイリスの前には、優しい表情を見せていた仲間達がいた。

 思わず聞き返そうとするも、上手く言葉に出来ないイリスに、シルヴィアとネヴィアが答えてくれた。


「大丈夫ですわ。イリスさんのお姉さんは、私達にとっても大切なお友達です。決して忘れさせたりなんてさせませんわ」

「勿論です。だから安心して下さい。私達がきっと、千年先もその名が残るようにしてみせます」


 そのあまりにも優しく温かな気持ちが篭った言葉に、イリスは思わず抱き付いてしまいたくなるほど嬉しかった。


「……ありがとう、ございます」


 満面の笑みで答えたイリスの声は、ほんの少しだけ震えてしまっていた。




 この慰霊碑がアルリオンを訪れた理由の一つでもあります。

 漸く書く事が出来て、内心では少々ホッとしております。

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