"もっと自由に"
「これで最後です!」
イリスの鋭い斬撃が、彼女へと迫る魔物に振り下ろされた。
すぐさまイリスは周囲を魔法で確認し、状況確認を仲間達へと促していく。
「敵影なし! 現状報告を!」
「問題ない!」
「こちらもですわ!」
「こっちもだよ!」
「こちらもです!」
無事に戦闘が終わりホッとするイリス。
セレスティアに付いた血を振り払い、鞘に収めていった。
アルリオンを目指し、エルマを旅立ってから五日目となっていた。
ここまで進んでくると、魔物の種類が徐々にではあるが変化して来たようだ。
シルヴィアぽつりと呟く言葉にネヴィアが反応する。
「随分と魔物が変わって来ましたわね」
「そうですね、姉様」
転がる魔物はラクンと呼ばれるタヌキ型の魔物だ。
大きさは五十センル程度。攻撃力も高く多少素早いが、その程度だ。
たまたまではあるが、街道に近付いていた三匹のラクンに襲撃されていたイリス達は、問題なくこれを退ける事が出来たが、周囲の警戒を怠る事は無かった。
タヌキと言えば可愛らしく聞こえるが、地面に転がっているそれは途轍もない異彩を放っている。思わずシルヴィアは剣の切っ先でラクンの口元を開いてみると、鋭くおぞましい牙にゾッとしてしまう。
こんなもので噛まれてしまえば只では済まないだろう。
イリスは周囲を見回すようにしながら言葉にする。
「この辺りはもうアルリオン領なので、魔物も随分と変わって来るのではないでしょうか?」
「そうだね。ここまで来ると、アルリオンは目と鼻の先だから、魔物が変わって来たんだと思うよ」
「うむ。通常通りと言えるだろう。イリス、この辺りの魔物はどういったものがいるか分かるか?」
ヴァンは転がるラクンを捌きながら、アルリオン周辺の魔物についての質問をしていくと、それに答えるようにイリスは姫様達に説明を始めていった。
「はい。アルリオン周辺となると、フォクスやラクン、シヴィット、マルテス、フロック、リザルドなどの、体長が七十センル以下の小さな魔物が多いそうです。
アルリオン北部にある草原を越え、その先の浅い森へと入っていくと、ゴウトやアンテロプなどの少々大きめの魔物が出没し、更に奥の"深き森"と呼ばれた場所にはエーランドやホルス、ベアなどの大型種が出て来るそうです。
中でも危険なのは、通称"ブラックベア"と呼ばれたベア種ですね。
大きさはオレストベアと変わらないそうですが、腕力が相当強いそうです。獰猛な性格で、目視出来る範囲で襲い掛かってくる、とても危険な魔物だそうですよ。
尤も、オレストベアとは違い、領域も幾分か狭いようですし、"深き森"の最奥にいて滅多にその場を動く事は無いそうです。一度だけ浅い森に来たとの報告がギルドにされたらしいので、北部の森に入る時は注意が必要ですね」
イリスの説明に、なるほどと真剣な面持ちで聞き入る姫様達。
相も変わらず魔物に対しての知識が豊富なイリスに、ヴァンとロットが唸っていた。物覚えも良く、真面目で勉強熱心な彼女は、本当に魔物学者になれるのではないだろうかと彼らは思っていた。
続けてイリスは、今挙げた魔物の説明にも入っていく。
フォクスはキツネ型、ラクンはタヌキ型の魔物で、シヴィットはハクビシン型、マルテスはイタチ型、リザルドはトカゲ型の魔物になる。これらはアルリオンの固有種とも言えるらしく、この周辺にしか存在していないと言われている。
リザルド以外のこれらは基本的に然程強くない。当然、ホーンラビットよりは強いのだが、それでもホルスを倒せるのであれば、ヤギ型の魔物ゴウトや、カモシカ型のアンテロプを含んだこれらの魔物を倒せない者はいないと言えるだろう。
勿論それぞれに特色や特性がある事をイリスが説明をするが、今現在の彼女達に勝てない魔物ではないと言えた。
その強さに自惚れる事がない彼女達は、しっかりと魔物の特性をイリスから聞き、出遭った時の為の対処法を頭の中で考えている。
そしてそれこそが冒険者に必要なものの一つになると、先輩達は理解していた。
格下の魔物であっても、ほんの少しの油断や慢心が自身の命だけではなく、パーティー全体に及ぶ事を理解していなければならない。
戦闘に絶対などない。一瞬の間に命を刈り取られる可能性がある以上、これを知っていない者は長く生きられないと言えてしまうだろう。
充填法や強化型身体能力強化魔法という、今現在では世界で最強の力とも言い換えられる技術を習得している彼女達は、その力に溺れる事無く、また慢心する事無く、冒険をする事が出来る者達だった。
それはとても特異的な存在と言えるだろう。
普通は強い力を持てば使ってみたくなるというのが、人間だとも言える。
ましてや彼女達が手にした力は、常軌を逸しているほどの強大なものだ。
それを振り翳す事無く正しく力を扱えるのは、彼女達の性格が影響している。
元々イリスもネヴィアも、戦う事が好きではない。出来る事なら魔物と関わらずに冒険をしていきたいと二人は思っているが、シルヴィアは違っていた。
彼女はどうやら本当によく、母であるエリーザベトに似ているらしく、出来る限り戦いたいと思っているようだ。それは魔物を倒したいという事とは少し違うらしいと、ここに来るまでの旅で話していた。
彼女にとって戦う事とは、憧れた母に近付く為の道のひとつと考えている。
礼儀作法や女王としての仕事にはまるで関係のないことなので、そういった事は身に付かないが、王城にいては絶対に手に入らない強さを、戦いによって身に付けられると信じていた。
フィルベルグの人々から呼ばれている母の通り名"鮮血の戦姫"、いや正確には鮮血の女帝だが、今も尚その生きた伝説のような輝く母にほんの少しでも近付くには、戦い続けることが一番の近道だとシルヴィアは思っているようだ。
それは人々からそう呼ばれたいといった見栄などではなく、己自身の憧れの為に目指しているのだとか。
こと戦闘となるとエリーザベトのような美しさを見せるシルヴィアだったが、それを本人は無自覚で表しているようで、誰よりも憧れの母に近しい存在なのだという事に気付く事は無かった。
イリスやネヴィアは勿論、何度かアルリオンへ訪れた事のあるヴァンやロットでさえも、この旅をとても楽しんではいたが、誰よりも楽しみ、誰よりも冒険者として活き活きとしているのはシルヴィアだった。
忙しい第一王女としての責務のせいか、いずれは女王になるかも知れないという重圧のせいか、それとも王城から滅多に出られないせいかは分からないが、フィルベルグを出立した日と比べても、明らかに輝いた表情を見せながら冒険を堪能している様子だった。
ネヴィアとしても皆と共に冒険をする日々はとても楽しいが、これほどまで目を輝かせた姉を見るのは初めてで、王城でもこんな楽しそうな姿を見た事が無い。
最近になってネヴィアは、姉には冒険者が性に合っているのではないだろうかと思うようになっていた。
それは女王に相応しくないなどという事では決してなく、姉にはもっと自由にして欲しいと思えたからだ。
これだけ楽しそうに過ごすシルヴィアは、王城などに居続けるのではなく、もっと好きに過ごして欲しいと思うようになっていた。
新しい女王を決めるのは両親ではあるが、可能であれば自分が女王となり、姉にはもっと自由な暮らしが出来ればと願いを持ちつつあるネヴィアだった。
「随分とアルリオンも近くなっていると思うぞ。後一日といったところだろうか?」
「そうですね。この辺りに見覚えがありますが、到着までもう少しでしょうね」
「あら、そうなんですの? 割と早く着いてしまうのですね」
「ふふっ。姉様とっても楽しそう」
「勿論ですわ! こんなに楽しい事、他に体験した事などありませんわ!」
「もうすぐアルリオンですね。どんな街なんでしょうか」
イリスの言葉にヴァンもロットも詳細を言葉には出さなかった。
自身が体験したように、誰かに聞くのではなく、自分の目で見て感じて欲しいと思っての事ではあるが、内心では言いたいと思う気持ちも強かったようだ。
ラクンを捌き終えたヴァンが荷台に素材を仕舞い、御者台に乗り込んでいった。
エステルに優しく手綱で合図を送ると、ゆっくりと歩き出していく。
普通はしっかりと鞭を入れるようにしなければ操れない馬も多いが、彼女に限って言えば、ほんの少し合図を送るだけで理解してくれる不思議な子だった。
こんな子は聞いた事がないヴァンとロット。全くいないとは言い切れないが、それでもまるで人の言葉を理解しているかのような反応も見せる彼女は、荷台を引くだけの存在などではなく、大切な仲間としか思えなくなっていた。
イリスと出会ってからは驚く事ばかりが続いているが、これから先もそういった新鮮な気持ちを与えてくれるような気がしてしまう彼らだった。
そろそろ夕刻かといった頃、野営場所を見通しのいい所に作り、食事の支度をしていく女性陣。
最近では中々の包丁捌きを見せて来たシルヴィアとネヴィアは、丁寧に素早く、野菜の皮を剥く事が出来るようになっていた。
流石に味付けはイリスにお任せしているが、そのお蔭もあって、今日も美味しい食事を頂ける事が出来たシルヴィア達だった。
食後の見張りも男性陣と女性陣に別れ、警戒をしていくのが定番となっていた。
それなりに経験を積んだ事もあるが、イリスの魔法の効果により、敵の襲撃をいち早く察知出来るという事の方が大きい。
そして何よりも、今までの冒険の中で彼女に任せても大丈夫だろうと、先輩二人が判断したのが一番の理由だ。
あれから様々な事がエルマを出てから変わったが、中でも劇的な変化が見て取れたのはエステルだろう。彼女は野営の時は自由気ままに好きな場所で眠っていたのだが、エルマを出立した日の夜からその様子に変化が顕著に現れていた。
彼女が眠る時は必ず、イリスの傍に寄り添いながら寝るようになっているようだ。
荷台で眠る時は荷台の傍に、見張りの時は彼女の真横に座るようになっていた。
とても可愛らしく思うイリス達だったが、思えばこれは、エルマで随分と彼女と離れてしまっていた事が原因なのだろうか。
朝と夜には必ず逢いに行っていたが、それでも随分と寂しい思いをさせてしまったようで、彼女にとってはまるで、置いていかれたような気持ちになってしまっていたのかもしれない。
それを証明するかのようにエルマでの朝を思い起こすと、イリスにべったりとくっついて離れなかったのが印象的に見えていた。
どうやらエステルにとってイリスとは、離れ難い、傍にいると居心地の良い存在のようだ。
今も周囲の警戒をし続けるイリスの真横に眠るエステルに微笑みながら、見張りを続ける女性陣だった。
* *
朝食も済ませ、野営の道具も片付けた一行は旅を再開する。
途中、街道を塞ぐように居たフォクスを一匹仕留めたくらいで、特に問題も無くイリス達は大きな街を目視する。
まだまだ小さく見えるその街を見つめ、笑顔になりながら街道を進んでいった。




