"最大の感謝を"
リクハルドは涼しい顔のまま答える事は無く、タニヤの方へと鋭く向きを変える二人だったが、当の彼女は落ち着いた様子でテーブルに置いてあるティーカップソーサーを持ち、優雅にお茶を飲みだした。
「あら、何の事かしら。あたしは聞いていないわね」
お茶を一口飲んだタニヤは優雅にカップをソーサーに戻すもカタカタと音を鳴らし、それを半目で見つめるヘルガとトゥロだった。
ベネデットは変わらず落ち着いているようで、リクハルドは彼に尋ねていく。
「……お前は知っていたのか」
「いえ、初耳ではありましたが、私も警備を任されている者の一人ですからね。
只者ではないと思ってはいましたが」
「……何故分かったのかって顔になっているぞ、イリス。本当に分かり易い奴だな、お前は。ギルアム出現の報告がエルマに轟いた直後にお前達が現れ、討伐の報告が入った。この時点で大凡掴める事ではあるだろう」
だがそれだけでは、イリスかどうかまでは確証など得られないはず。
そう思っている彼女にリクハルドは、顔にしっかりと出ているぞと告げながら言葉を続けていく。
「確証を得たのはお前を見た瞬間だ。一目見ただけでお前の強さの片鱗を感じた。
俺は職人区統括を務めてはいるが、本職は鍛冶屋だ。武器と人を見るのには自信を持っている。そんな俺が断言出来るほどの強さをお前が持っている事は直ぐに理解していた。
……まさか未だに黙っているとは思っていなかったが、そういった事は遥か西の方では武勇として語られるそうだぞ」
どうしていいのか分からず、おろおろとしてしまうイリスは、最早リクハルドの言葉を肯定しているとしか思えないほどの戸惑いを見せていた。
それ以前にタニヤが示してしまったようなものではあるのだが。
続けてリクハルドは止めとなる言葉を、イリスに向けて放っていった。
「……まぁ、そんな鎧装備している奴が、こんな危険な場所にいるんだから、その時点でも至る事が出来るがな」
はうっと仰け反りながら、後ろに一歩足を下げてしまうイリス。
まさしく彼の言葉通りだった。
エルマ周辺はウォルフの闊歩する危険地帯だ。そんな場所に初心者冒険者が来るとは思えない。例え来れたとしても、アルリオンを目指すとは考え難い。彼女がフィルベルグから来ている事は、既に自身の口から語っている。
戦う事など出来ない者が、わざわざ安全なフィルベルグからアルリオンを目指す理由も思い付かない。
そもそもイリスの着ているドレスアーマーは、全てが特注品だ。
どこぞの国の噂に名高い女王様でもあるまいし、そんなものを着ている時点でリクハルドには異質な存在だと十分に理解出来た。
おまけに腰に差している立派な剣と、ミスリルダガー。当然ミスリル製と思われる鎧に、ミスリルの剣と短剣。これだけでも明らかに並みの冒険者ではない。
だが一際目立つのは、左腰に差している長剣の方だ。
鞘からまるで光り輝くように異彩を放つ出来栄えの剣。
こんな凄まじい物は、並みの鍛冶師には打つ事など出来ない。
鞘から見えるそれは、リクハルドの目から見ても間違いなく一級品だ。
これは最早、どこぞの金持ちが道楽で持つ領域を遥かに超えている。
更には立ち振る舞い。
移動する姿ひとつをとっても、それが完全に滲み出てしまっている。
ベネデットが只者では無いと思ったのもここにある。
装備は金さえ積めば手に入らなくはない。だが、立ち振る舞いは完全に別だ。
成り立て冒険者と思われるほど若いイリスは、一流冒険者のごく一部が持つその技術を、既に習得しているようだった。
こればかりは多少の訓練などでは絶対に身に付かないものだ。
そして極めつけは、イリスの持つ瞳の奥に宿る輝きだ。
これは絶対に訓練などでは手に入らない色を持っている。
全てを理解した上でリクハルドは、未だにはうっとしているイリスへ言葉にしていった。
「……職業上、色んな冒険者と関わる事が多いが、その中でも全く異質な強さをお前に感じる。並みの冒険者では比較にすらならないほどにな。
何を経験すればそんな強さを持つ事が出来るのかは分からんが、明らかにゴールドランク冒険者のそれどころではない。そういった瞳をお前はしていた」
「私も元ゴールドランク冒険者ですが、イリスさんの強さは肌で感じていました。仕事柄多くの人を見続けて来ましたが、貴女ほど強く美しい方に出逢った事がありません」
美しいという事は関係ないのではとイリスがたどたどしく答えるも、ベネデットは合っていますよと言葉にし、話を続けていった。
「貴女はとても美しい方です。その容姿だけではなく、何よりも内面がとても輝いています。それは瞳の奥からもしっかりと表れていますよ」
「……ギルドマスターとしては言及を避けますが、イリスさんの美しさにはあたしも最初から気が付いていたわ。何て綺麗な人なのかしらって思ったのを、今でもはっきりと憶えています」
「なんだい、本当にお嬢ちゃんは凄い人だったんだね。まさか"神の舌"を持つだけでなく、ギルアムみたいなバケモンを倒しちまうなんてね。驚きを通り越して言葉が出ないよ」
再び固まるイリス。
今ヘルガから、聞いた事も無い言葉が飛び出て来たように聞こえた気がしてならないイリスだった。
いやいや聞き間違いだろうと彼女は思っていたが、どうやらそれも間違っていたようだ。
「……なんだ、その"神の舌"ってのは」
「お嬢ちゃんはね、食べ物の味と香りだけで、隠された調味料ですら言い当てる事が出来るんだよ。しかも調理法まで知っている博識さ。あれは料理も出来なければ答えられない。相当の調理技術も持っていると思うね。それも達人並みの技術をね。
おまけにノルンにいるあのミラベルを、料理勝負で圧倒したそうだよ」
「……ミラベルとはあの、ミラベル・ルエルの事か?」
「き、聞いた事があります! 商店でもその話で持ちきりでした!
勝った人物までは知りませんでしたが、それでもあのミラベルさんに勝てた話なんて聞いた事がありません! 一体どんな人がと、話題が未だに尽きませんよ!」
「私も聞いた事があります。彼女の作る一皿は、まるで天上に住まう女神の如く素晴らしいもので、この世の物とは思えぬほど洗練された至高の一品だと。
仲間も一度は食べてみたいとよく言葉にしていました」
「……ギルアムを倒すほどの"純白銀蒼の戦乙女"に"神の舌"、評議会を呻らせるほどの深謀遠慮に、その歳で莫大な資金を持つ"愛の聖女"か……。イリス、お前本当に何者だ……」
次々と新たな通り名を得てしまうイリスは、最早顔面蒼白で卒倒しかけていた。
一言、人違いですと答えて、全力でこの場から逃げ出したくなってしまうが、それも身体が硬直してしまっている今の状態では、中々に難しそうであった。
そんな中トゥロが、まさか噂のフィルベルグ王女ですかと、勢いよくイリスに尋ねるも、それは連れの二人だろうとリクハルドが答えてしまった。
どうやら遠くからちらりと一目見ただけで、様々な事を彼に理解されているらしい。
イリスそっちのけで会話に花が咲くヘルガ達。
合間合間にリクハルドの補足が入り、完全にイリス達の素性まで知られてしまったようだ。受けた衝撃もそろそろ限界に来ていたイリスは、白いもちもちを口から出しかかった頃、リクハルドは呆れたように言葉にした。
「……まさかとは思うが、あれだけ目立った格好をしておいて隠していた、なんて事はあるまいな? いや、まさかな。流石に無いな。
大方、隠すつもりは無いが、言うつもりも無かった、といった所だろうか。
まぁ何にせよ、あれだけ異彩を放つパーティーでは隠しようも無いな。
噂に聞くロット・オーウェンとヴァン・シュアリエを連れているのだから、格好が普通だったとしても際立つだろうが……」
彼の言葉で再び盛り上がるヘルガとトゥロは、驚きながらも会話が弾む二人。
プラチナランクとは、イリスが思っていた以上に目立つ存在のようで、どこに言っても大体こういった事は言われるぞとリクハルドがぽつりと言葉にする。
「フィルベルグの王女殿下二人に、プラチナランク冒険者の二人と行動を共にする"愛の聖女"……。凄過ぎる……」
「あっははは! お嬢ちゃん、本当に面白い子だねぇ!」
「……なんだ、ベネデット。お前は驚かんのか?」
「いえ、驚いてはいるのですが、私の場合は驚きよりも納得してしまった、と言った方が正しいでしょうか」
「どういう事だ?」
「以前、ドミニクさん達の救出をして頂いたのがイリスさん達なんです。その直後に二匹目のギルアム出現と討伐の一報を受けましたから、もしやとは思っていたのですよ。お連れの方も噂に名高いプラチナランクですからね。
……流石に王女様をお二人もお連れているのには驚きましたが」
「ふむ。まぁ、事情があるのだろう」
「だめよ、みんな。イリスさん達は、なるべく目立たないようにとしていたのに、そんなにずばずばと言葉にしてはいけないわ」
その口振りは確実に知っていたと思える言葉だったが、どうやらタニヤは気付いていた上で黙っていてくれたようだった。
彼女もまた冒険者ギルドを預かる長である。
そんな彼女が、あの有名なプラチナランク冒険者を知らない訳が無い。ましてや彼女自身も、人を見る目があって当たり前と言われてしまうような職に就いている。
ギルアムを二匹も討伐した彼女達の存在が熟練冒険者以上である事も、シルヴィアとネヴィアが明らかに冒険者ではない気品を持つ事も、全てを理解した上で黙ってくれていた。
そんなタニヤの心遣いに喜んでいいのか、気を使わせてしまった事に申し訳なく思えばいいのか、何とも微妙な気持ちになってしまうイリスは、失いそうになる意識を必死に離さないように、彼女は今も尚会話に花が咲く彼らを眺めていた。
こほんと咳払いをするリクハルドに、評議員達は真面目な表情へと戻り、各々イリスへと言葉をかけていった。
「イリス。お前がしてくれた事は、感謝などという言葉ではとても言い表せないほどのものだ。職人区統括責任者として改めて礼を言うと共に、イリス達の冒険の無事を心から願っている」
「飲食街統括責任者として、お嬢ちゃんには多大なる感謝を。いつでもエルマに戻っておいで。必ず美味しい物を用意して待っているからね」
「中央区統括責任者代行としても心からのお礼を。本当にありがとうございました。貴女には感謝してもしきれません」
「住宅区統括責任者としてだけではなく、いちエルマの住民として改めて感謝を。ドミニクさん達だけではなく、ディルク君をも救って下さった事を、私は決して忘れません。本当にありがとうございました」
「エルマ所属冒険者ギルドとして、イリスさん達には感謝してもしきれないほど多くの事をして頂きました。貴女達がエルマを訪れてくれた最高の幸運と、私達だけではなく、エルマに住まう者達の心でさえも動かして下さった貴女へ、心からの感謝と共に、あの子達を必ず幸せに育てると誓います。
本当にありがとう、イリスさん。貴女と廻り逢わせて下さった女神様に心からの感謝を捧げます」
優しさに溢れる言葉の中イリスは瞳を閉じ、胸の鎧に両手を重ね、余韻に浸る。
思わず涙が出そうになってしまう温かな言葉の数々に、イリスは自然と言葉が出てしまっていた。
「こちらこそ、本当にありがとうございます。私に出来る事はここまでになってしまいますが、それでもエルマは必ず幸せに包まれていくと確信しています。
こんなにも沢山の人に愛された、素敵な街なんですから。
私の方こそ皆さんに心からの感謝を。皆さんのご好意とエルマの想いがあれば、これから先もずっとずっと幸せな日々が続いていくと信じています。その大切な、はじまりの切欠を作る事が出来た事に、何よりも嬉しく、また幸せに思います。
皆さんと天使のような子供達、そしてエルマの温かい心に触れさせて頂いたことに、最大の感謝を捧げます」
どこまでも透き通り、静かに広がっていく美しい歌声のような感謝の言葉に、誰もが穏やかな気持ちになっていった。
それはとてもとても不思議な気持ちに包まれていくようで、それはまるでイリスの心が伝わるようで。
高齢であるリクハルドもタニヤも、こんな気持ちを感じたことが無い。
なんて美しく、温かい言葉なのだろうか。
いや、これは言葉がそう思わせているのではない。
彼女が口にしたものはとても優しく尊いものではあるが、それだけでこれほどの気持ちになったりはしないと言えるだろう。
とても不思議な気持ちに包まれるタニヤとリクハルドは、彼女の呼ばれている名をしみじみと考えていた。
彼女は文字通りの"愛の聖女"であったという事に気付かされながら、たゆたうようにイリスの紡いだ言葉に浸っていった。




