"疎過ぎる"
エルマを出てすぐ、森へと入っていくイリス達。
恐らく街から彼女達を見ていた警備の者は、さぞかし驚いた事だろう。
ギルアム討伐の一報がされたとはいえ、こんなタイミングで、しかも夜間に森へと向かう者などまずいない。
だが冒険者達である以上は何をしようと自由だ。
この場に留める事など、余程の事でもない限りは出来ない。
「……きっと心配されてますよね」
申し訳なさそうに言葉にしたイリスだったが、それも仕方のない事だとは思っていた。警備の方達に心配させてしまい、心の中で謝るイリスに、仲間達も答えていく。
「ギルアムが討伐されたとの報告を受けていても、未だに張り詰めた空気を感じますわ。止むを得ない事情とはいえ、心配させてしまった事には申し訳なく思いますわね」
「うむ。それもまた冒険者の自由とも言えなくはないが、それでも心配させてしまっている事に違いはない」
「警備の皆さんにもいい報告が出来れば良いのですが」
「そうだね。まずは信じて進もう。いい報告が出来れば、きっとエルマに大きな吉報を届けられる筈だよ」
「そうですわね。まずは私達が信じる所から始めましょう」
警備の者達からは見えなくなった場所まで入ったイリスは、そろそろかなと言葉にしながら立ち止まり、魔法を発動していった。
「"広範囲索敵"!」
聞き慣れない言葉にシルヴィアが言葉にする。
「索敵とは違うんですの?」
「はい。効果は索敵と同じですが、単純に威力と効果範囲が違います」
この魔法は索敵をより強力に、そして広範囲に拡大させた魔法になる。
今まで使っていた魔法の殆どは、言うなれば初歩的な魔法だとイリスは言葉にした。
個別ではなく仲間全体に効果がある強力な防御魔法"保護結界"は、嘗ての言の葉の中でも中級のものに分類されるが、それ以外の使ってきた魔法は全て初級魔法となる。
索敵での索敵範囲は千メートラが限界となるが、それ以上の効果を出すのならば、レティシアの時代で中級魔法と呼ばれていたものを使用しなければならない。
これもそのひとつになる。この魔法であれば、初級魔法以上の広範囲に拡張して展開出来るので、人探しには適しているとイリスは判断した。
そしてその効果範囲は、最大で半径二千五百メートラにもなる。
当然これは真の言の葉による強化がされている為、凄まじい効果を出している訳だが、これだけの索敵範囲を中級程度の魔法で効果を出してしまうこと自体、既に有り得ないほどの性能を見せている。
「ですので、こういった場合には索敵ではなく――」
「――そんなにも凄い魔法なのに、それでもまだ中級なんですの……?」
思わず言葉を挟んでしまうシルヴィア。
そんな彼女にイリスは少しだけ首を傾げるも、答えていった。
「え? はい。そうみたいですね」
「……えっと、もしかしなくても、更に上の魔法とかあったりするんですか? イリスちゃん」
若干引きながら小さく問いかけるネヴィアに、イリスも苦笑いをしながら答えていった。その言葉に半目になりながら、呆れたようにイリスを見つめるシルヴィアだった。
「はい。あるみたいですよ。尤も、ここから先の上級魔法となると、マナの消費が極端に増えるらしいので、レティシア様でも使うのが難しかったそうです。恐らく今の私が使ったら、発動させる事なく意識を失うでしょうね。
特に上級攻撃魔法に関しては、威力が強過ぎて人の持ち得るマナではとても扱えない、というのがレティシア様の研究結果として知識に記されています」
予想を遥かに上回る凄まじさに、思考が止まってしまう仲間達だった。
以前、イリスは言っていた。真の言の葉による攻撃魔法は使えないと。
地形が変わるからとも言っていたが、それは初級魔法ですら、という意味で言葉にしたであろう事がようやく理解出来た。
正直な所、何てものを作り上げてしまったのだレティシア様はと、シルヴィア達は冷や汗をかきながら思っていた。
これ程までに強い力となれば、なるべくなら人に見られないようにした方がいいと思えてしまうが、元より真の言の葉はこの世界ではイリスにしか使えない。
真似ても使える訳ではないので安心ではあるが、それでも気を付けて使った方がいいと仲間達から言われたイリスだった。
使う使わないではなく、そんな力を扱えるという事を知った者が、彼女を利用しかねないのではとシルヴィア達は思っていた。
イリスは真面目で優しく、自身よりも他者を尊重してしまう。
博愛主義と言えば聞こえはいいが、逆に言うのならそういった"人の悪意"に疎過ぎると思えた。
世界は彼女が思っているような優しいものではない。中には危険な思想を持つ者や、過激な事をする者もいる。今まではそういった人物と出会っていなかっただけに過ぎない。
人を傷付けるような存在はいないと思いたいが、私欲や利権に塗れた者は、世界のどこかには必ずいる。世界を旅していればきっといずれ、彼女の前にもそんな存在が現れるだろう。
そんな時、彼女はどういった反応を見せるのか、仲間達には見当も付かなった。
彼女と出逢ってこの方、イリスはあまり"不の感情"を見せた事がないからだ。
強いて言うのならば、深い悲しみを見せたが、それ以外の感情を見た事が無い。
常に笑顔を絶やさず、前向きで明るい女性。
そんなイリスでも、本気で怒る事があるのだろうか。
とても興味深いと思えてしまうが、イリスが怒っている姿など全く想像が付かないシルヴィア達だった。
「周囲に冒険者は確認出来ないようですね」
彼女の言葉に意識を向ける仲間達。
続けてイリスは、不思議と周囲にはウォルフも見えないようですと答えた。
「恐らくだが、ギルアムの影響かもしれないな」
「どうしましょうか?」
ロットによると、今いる浅い森の先は深い森となっているそうだ。
更にその深い森を越えると、一気に海が眼下に広がっていくらしい。
女性陣は海を見た事がないが、今回はそういった場合でもない。
海の手前には浜辺が広がり、見通しがとてもいいそうだ。
となれば隠れる場所もない海へと冒険者が向かうとは考え難い。
そしてそこまで行くには深い森をひたすら進むことになる。
当然深い森には多くのウォルフが存在し、侵入者を拒むだろう。
大量のウォルフを退けながら、奥に行ったとはとても思えない。
「やはりノルン方面だろうな。爪痕や足跡などのギルアムの気配を発見し、隠れている可能性もある。少数のパーティーが、ウォルフで溢れる深い森に入るとも思えない」
「そうですね。エルマの冒険者なら、そこまで遠くには行っていないと俺は思います」
「ではノルン方面に向かいつつ、イリスちゃんに魔法を使って貰う、という事でしょうか」
「そうだね。幸いイリスの魔法は広範囲だからそれがいいと思う。移動しながら彼らの痕跡を見逃さないように進んで行こうか」
「このままノルン方向へと進んだ場合、四百メートラ付近にウォルフが三匹いるようですね。十二時方向になりますので、遭遇すると思います」
「また戦闘斥候かしら。想定しながら進む、という事ですわね」
気を引き締める一同は、ノルン方面へと進んでいく。
ここは浅い森なので、周囲には月の明かりが射しており、見通しもそれほど悪くない。それでも本来であればかなり暗く感じるはずだが、イリスの使った魔法のお蔭でそれも改善されている。索敵も使っている今、奇襲はありえないと思われるが、気を抜かずに警戒をしながら森を進んでいった。
六ミィルほど森を進んだ所で、イリスが仲間達に注意を促していく。
「来ます! ウォルフ三! 十二時! 百六十! ――っ!
左二、右一に分断! 十時と三時! 百二十!」
警戒をしながら武器を構え、呼吸を整えていると、草を揺らす襲撃者の音が辺りに響き、ほぼ同時にウォルフ三匹が挟撃して姿を現し、イリス達に襲いかかる。
それを冷静に肉眼で捉え、ヴァンとイリスが左を、右のウォルフが飛び掛るよりも先に距離を詰めたシルヴィアが、一刺しで眉間を貫いた。
仕留めたのを確認したイリスは直ぐに魔法を発動し、周囲を警戒する。
「……大丈夫のようですね。戦闘斥候でもないようですし、こちらに向かうウォルフもいません」
ホッと安心するイリスに、シルヴィアが素朴な疑問を投げかけてた。
「戦闘斥候かそうでないかは、どうやって見極めているんですの?」
「私は経験が浅いので確かなものでは無いのですが、ウォルフの大きさや戦い方によるそうですよ。今回は大きめのウォルフですし、戦闘斥候の場合は小さい個体が背後から囲うように仕掛けてきます。その対処をしている間に、大きくて強いウォルフが挟撃してくる、と本には書かれていました」
「イリスの言う通りで合っているよ。一般的には戦った経験で少しずつ理解していくものなんだけど、イリスはウォルフの生態にも知識が深いからね。実物を見て判断出来た、という事だと思うよ」
「うむ。本来であればかなりの経験が必要となるが、イリスは実戦でも通用する知識を本だけで得ているようだ」
丸暗記ですけどねと苦笑いするイリスは、続けて言葉にする。
「どうしましょうか、ウォルフ」
転がっている魔物を見つめながらイリスは言葉にするも、ヴァンは流石に剥ぎ取れないなと答えていく。
「例え小さい固体であったとしても、ウォルフとなるとその大きさは無視出来ない。
ここに埋めても掘り起こされるだろう。埋めている時間も無い。先に進むか?」
「そうですね。まずは安否確認を優先しましょう」
ロットの言葉に頷きながら進もうとする仲間達に、ちょっと待って下さいとイリスが止める。
「せめて血の匂いだけでも消しましょう。それでいくらかは魔物を寄せ付け難くする事が出来るかもしれません。街道では人の往来がありますので使えませんでしたが、ここならば問題はないと思います」
「そんな事も出来るんですの?」
「はい。とても限定的な魔法にも思えますが、出来なくはないです。効果は半日程度までは続くと思いますよ」
「血の匂いを消せば、比較的安全かもしれない。街道にも近いし、この件が片付いたら回収に来ようか」
「ならこのまま先に進めそうですわね」
分かりましたと言葉にしながら、イリスは魔法を発動していった。
「"消臭"!」
黄蘗色の魔力がウォルフを覆っていくと、すぐさまその効果を感じ、シルヴィアがウォルフに寄りながら香りを確かめていく。
「……本当に何も匂いませんわね。これは凄いですわ」
「むぅ。俺の鼻にも感じない。これならば魔物も寄らないだろう」
「あくまでも一時凌ぎなので、長期間効果を得られる魔法ではないのが残念ではありますが」
いまいち用途の限定されている魔法の存在に首を傾げるイリス達ではあったが、今はそんな事を考えている時でもない。
ウォルフを一箇所に纏め、浅い森をノルン方面に足を進めていくイリス達だった。
暗視、消臭、そして潜伏。
この魔法が意味する所を理解している者は、今現在の世界には存在しておりません。それだけ平和になった、とも言えるかもしれませんね。




