"強い女性"
話が落ち着きを取り戻した頃、タニヤはイリス達に話を切り出した。
「それでどうだったかしら、うちの野獣達は」
「ふふっ。とても元気で可愛らしかったですわよ」
「素直で元気があって、楽しそうでしたね」
そう答えるシルヴィアとネヴィアだったが、ヴァンとロットは少々気になる事があった。それはイリスも同じ想いを持っていたようで、タニヤに言葉にしていった。
「あの、タニヤさん。大きな子達はどこにいるのでしょうか?」
孤児院のベッドの数が少々合わなかった。他に部屋もあったようだし、あの孤児院にいた子達はとても小さな子達だけだったと思えた。
ならば、他の子達は今どこにいるのだろうかとイリスは心配していた。
それはヴァンとロットも同じ気持ちだった。だが同時に、それを口に出していいのか悩んでいた。こういった事に、一介の冒険者が口を出すべきなのだろうかとも思えてしまう。
タニヤも同じような想いをしているようだ。
尤も彼女の場合は、そこまで介入して貰えるのかという嬉しさと、自分ではどうしようも出来ない情けなさ、そしてエルマの問題にそこまで考えてくれようとしているイリスに申し訳なさを感じた、とても複雑な想いをタニヤはしている。
それでも自分には何も出来ない。ギルドマスターとなって、もう八年も経つというのに、一向に現状は改善されずにここまで生きてきた。
もう独りではどうしようもないと、半ば諦めつつある。そんな状況だった。
だがこれはエルマの問題だ。
これ以上彼女に辛い想いをさせるような事は、言うべきではないだろう。
それなのに、タニヤは小さく言葉が出てしまっていた。
まるでイリス達に助けを求めるように、切なく、辛そうな声で。
「……大きな子達は、街のどこかに座り込んでいると思うわ。孤児院にいる小さな子とは違って、あの子達には辛い気持ちの方がずっと強いのよ……」
タニヤは辛そうに、ぽつりぽつりと現状を語っていく。
その姿は本当に辛そうだった。
孤児院にいる小さな子達は、両親の顔を知らずに育った子達だ。
物心付く前に両親を亡くした、行く宛てのない子供達なのだそうだ。
親戚も、両親の知り合いもおらず、タニヤが母として面倒を見ている。
だが、大きな子達はそうではない。彼らは両親に何が起こったのかを理解している。
冒険者であったり、樵であったり、商人であったりとそれぞれ事情は違うが、結局は帰って来ることが出来ず、子供達だけが残されてしまった。
それは魔物による被害だけではない。重い病気にかかり、眠りに就いた者もいる。
十五歳という大人であれば話は違ってくるが、残されてしまったのは十二歳以下の子供達だ。なまじ気持ちが大人のように理解出来てしまうが故に、彼らの心を蝕むように暗い気持ちが支配している。
孤独や無気力で満たされた心。戻ってくる事の無い両親。何をしていいのかも分からない思考の中、ただただ街を歩き、座り込む。
どうしたらいいのか、どうするべきなのか。出口の見えない暗い道をひたすらに進み続けるような、そんな辛い日々を送っているように、タニヤには見えていた。
もう二、三年大きければ解決出来ていたかもしれない。
本当にとても難しい年齢の子達なのだと、彼女は辛そうに語った。
そして孤児院で楽しく遊ぶ何も知らない子供達は、明るく過ごしてくれてはいるが、何時かは必ず両親の存在に気が付き、真実を知る事になるだろう。そうなれば、大きな子達と同じような事になるかもしれない。それが一番怖いのだとタニヤは言う。
全てに絶望し、母と慕ってくれている生活が一瞬で壊れる。
そんな日が、何時かは来てしまうのではないだろうかと、彼女は怯えるように夜を過ごしていた。
「街の人たちも心配してくれる人が多いの。中には孤児院で使ってと、食べ物やお金を渡してくれる人もいるのだけれど、それだけではとても孤児院の運営は出来なくてね。あたしのお給金を殆ど注ぎ込んでも足りない上に、孤児は増えていく一方なの。
解決法も分からず、どうしていいのかも最近では分からなくなって来ているわ。
……本当にあたしには、何も出来ないのよ」
とても寂しそうに窓を見つめるタニヤ。
何か切欠があればとも彼女は思っているのだが、子供の心に踏み込む事も最近では怖くなって来ているのだそうだ。下手に踏み込んで、深い傷として残ってしまったらと思うと、怖くて堪らないのだと彼女は言葉にした。
タニヤは優し過ぎる。だからこそ子供達は生きていけているのだが、それも限界になりつつあるのだと彼女はとても辛そうに話した。
今、エルマは大きな転換期を迎えているのだと彼女は語る。
「もう限界になりつつあるの。これはエルマ全体で考えるべき問題なのに、誰もこれに口を出そうとはしてくれない。きっとあたしのように、どんなに頑張っても変えられないと思ってしまっているのかもしれないけれど、それでもあたしは、あの子達を放っておけないのよ」
エルマは大きく分けて五つの大きなコミュニティーで分かれ、その自治権はそれぞれのコミュニティーの長達が持っている。
住宅区、飲食街、中央区、職人区、そして冒険者ギルドの五つが、それぞれ持っているものだ。
その内の一人である、エルマ所属冒険者ギルドマスターのタニヤも発言権を持ってはいるが、彼女一人が訴えても、誰も賛同してくれないのが現状なのだそうだ。
まるで見ないように。蓋をするように。
現状に気付いていない者はおらず、それを何とかしようとは思っているが、中々踏み出せない。そういった人達がエルマには多いと信じたいのだと、タニヤは切なそうに言葉にする。
「だけどあたしにはもう、どうすればいいのかも分からないのよ。
聞く耳を持ってくれない彼らに届く言葉を、あたしは知らない。
あたしに出来るのは、子供達と共に暮らすくらいしか出来ないの……」
あたしは罪悪感から逃げたいだけなのかもしれない。そう彼女は言葉を続ける。
貴重な発言権を持っていても何も出来ない無力な自分が、それでも子供達を救いたいと心から願っているようでも、それはただ自分がそうする事で、救われているような気持ちになっているだけなのかもしれないと。
「そんな事は絶対にありません。
タニヤさんは子供たちの為に苦しみながらも、真剣に考えて下さっています。
それは決して自身が救われたいだなんて事ではありません。タニヤさんは本当に凄い人です。誰もが手を差し伸べる事が出来ない現状で、それでもあの子達の為にと努力し、悩み、苦しみ、考え、救おうと必死になって下さっています。
そして何よりも、あの子達の視線の高さで一緒に生きて、手を差し伸べるのではなく、子供達を抱きしめて下さっている強い女性です。それは誰にでも出来る事ではないと私は思います。きっとそれは、何よりも尊いものなのかもしれません。
だからこそ私は、私に出来る事を考えてみようと思います。タニヤさんが子供達を救おうとしたように。私に出来る、精一杯を考えてみようと思います」
イリスの言葉に大きく目を見開きながら、タニヤは涙を零していった。
彼女達は旅人で、冒険者で、そしてアルリオンを目指すと言っていた。
それなのに、ただ途中で立ち寄っただけの小さな街の事にまで、真剣に考えてくれている。エルマの者でも、その関係者でもない彼女に申し訳なく思いながらも、タニヤはそのイリスの気持ちが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。そして同時に、自分に出来ることなら何でもする決意をした彼女は、イリスに小さく言葉にしていった。
「……ありがとう。イリスさん……」
タニヤの言葉に目を細めた笑顔で答えるイリスの表情は、まるで女神のように美しかった。