"急襲"
ギルアム。ギルド討伐指定危険種とされている最悪の存在。
体長約三メートラはあるだろうかというその見た目は、大型のウォルフのような輪郭をしているが、その姿はウォルフなどとはとてもではないが呼べないほどの、明らかに異質な姿を見せる。
逆立つような真っ白な毛並みに、目視しただけで戦意を失いそうになる凄まじい牙。その場に居合わせるだけで巨大な体躯から放たれるような圧力を感じる風体。何よりもどす黒く鈍く光る禍々しい眼は、災厄を振りまく存在であると一瞬で理解出来る。
そんな恐ろしい眼で、明確な殺意を対峙した者へと向ける。
その威圧感を目の当たりにしただけで、睨まれた者は心が軽々とへし折られ、精神的に圧倒されたまま、行動を起こす前にその命を刈り取られる者がとても多い。
五年から十年単位で目撃され、出現の度に多くの冒険者が犠牲となっている。
凶悪かつ凶暴。攻撃力、耐久力、瞬発力、持続力共に、他の魔物とは明らかに逸脱した、並みの冒険者では手の付けられない強さを持つ。
どれを取っても魔物どころか、魔物と定義していいのかですら分からない途轍もない存在で、強靭な爪と牙に加え、跳躍力も凄まじく、四メートラを軽々と越える高さに飛び上がり、その巨体の重量と鋭い爪や牙で襲い掛かる。
瞬発力、持続力がとても高く、運悪く出会ってしまったら、もはや逃げる事は不可能と言われるほどの速度で襲ってくる存在だ。その点を考えると、以前ネヴィアを聖域近くで襲った"グルーム"の方が、遥かに危険性が少ないと言われるほどの怪物だ。
この辺りの知識は、冒険に出る前に学習済みのイリス達三人。ヴァンとロットに関しては、世界を旅する冒険者の知識のひとつとして既に学んでいる。逃げることなど決して叶わない事も。
ならば、するべき事は決まっている。
イリスは本気で魔力を込めて真の言の葉を発動させていく。
「"全体保護"!!」
エステルにかけたものと同じ力のものを、仲間達へ一斉にかけていく。
ここで手を抜くことなど出来ない。妥協をすれば命に関わるのだから、今出来る最大のものを発動したイリス。
眼前まで迫るギルアムは止まる事無く、イリス達を蹴散らすように中央へと向かって飛び上がっていく。四メートラの跳躍力を見せる巨躯に、一同は驚愕しながらも冷静にそれを回避するが、その巨体が着地するだけで大地が揺れ、その振動で行動に制限をかけられてしまった。
振り向きざまに、息を吸い込む様な動作を見せるギルアムを確認したロットが叫ぶ。
「共鳴波だ!!」
警告も空しくイリスの防御魔法が間に合わず、耳鳴りがするような甲高い音を含んだその衝撃で、三メートラも吹き飛ばされてしまうイリス達。だが焦る事無く落ち着いて体勢を立て直し正面に敵を捉えるも、ギルアムはイリスへ追撃を仕掛けていた。
合金ですら軽々と噛み砕くであろう鋭い牙がイリスを襲う。
強化型魔法盾で回避するイリスは、冷静に力の流れを読み取り、受け流しながらすれ違いざまに盾を弾き飛ばし、ギルアムを豪快に転がしていく。
三回転ほど地面を回りながら、何事も無かったかのように体勢を立て直したギルアムは、追撃しようと近くにまで寄っていたシルヴィアに襲い掛かかる。
その立ち直りの速さと攻撃に転ずるまでの迅速さに気を呑まれそうになるが、スイッチが入ったように表情を落ち着かせていくシルヴィアは、ギルアムの右腕から繰り出された鋭い爪撃を左に回避し、強化型魔法剣をすれ違いざま切り上げるように叩き込む。
あまりの衝撃に倒れこむギルアムを微笑む事無く一瞥するシルヴィアは、とても美しく勇ましい表情をしていた。それはあの勇猛で端麗な母を彷彿とするものを感じ、ヴァンとロットは彼女と重ねるようにその姿を想い起こしていた。
普段のシルヴィアはとても明るいチームのムードメーカーのような存在だが、こと戦闘となると、その姿は一変するような冷静さを見せながら戦うことの出来る剣士だ。
「ギルド討伐指定危険種が出る事も想定済みですわ。その程度の事で揺らぐ覚悟など、強くなると誓ったあの日に棄てております」
冷静に言葉にするシルヴィア。
ギルアムが立ち上がる前に行動に起こすネヴィア。
「シュート! 水よ!!」
ミスリルロッドの先端から形成されるように出現する水の槍が、勢い良くギルアムの腹を捉える。
それは嘗ての魔獣に放った戦友の攻撃を更に高めたものであり、真面目な彼女の性格をとても良く表しているかのようなその槍の形は、美しくも磨き鍛え上げられたミスリルランスのようにも見えた。形状だけではなく、とても良く似ている魔法の放ち方に、しっかりと師の教えが伝わっている事を感じていたヴァンとロットだった。
強烈な痛みを感じたのであろうギルアムは、怒りにも似た咆哮を周囲に轟かせる。
並みの冒険者であればその咆哮は、凄まじい攻撃と同義だろう。
たったの一撃で戦意を失い、その隙に蹂躙する。これはそういった凶悪なものだ。
だが、この場にいる者達は違う。
その程度では目線を逸らす者ですら、ここにはいない。
あの穏やかなネヴィアでさえ、眉を軽く顰める程度だ。
ギルアムが吠えている間に態勢を立て直す仲間達。
前衛ヴァン、イリス、中衛ロット、シルヴィア、後衛ネヴィア。
ロットが防御する事の出来る範囲を中心として陣形を組んだ、防御主体のチームの構えだ。
ギルアム飛び上がり、中央にいるロットを踏み潰すように攻撃を繰り出す。
それぞれ散るように回避行動に移すイリス達。
ロットは回避を最小限に留め、右に避けながら着地時の衝撃を交わすように軽く飛び上がり、強化型魔法盾を発動させ、地面に叩きつけるように盾でギルアムの背中を殴りつけた。
あまりの衝撃で地面に亀裂が入り、凄まじい打撃音が周囲へと響いていく。
あの時のように魔力を込め過ぎるとミスリルシールドですらへこむ事を知ったロットは、その限界領域を見極めながら充填法を使う努力をし続けてきた。
威力はあの魔獣戦の時よりも抑えたものではあるが、並みの魔物であればその一撃で事足りるほどの威力を手にしている。流石にこの一撃ではギルアムは倒せない様子だったが、それでも相当の時間と隙を作ることは出来たようだ。
大きな隙を見せている相手をみすみす見逃すつもりなど毛頭無い。悶絶するように地面に転がり続けるギルアムに、続けてヴァンが強化型魔法剣の戦斧による大技を放つ。
身体を一回転させながら地面を踏みしめ、力を溜めながら放つ。嘗ての戦友が使っていた大技だ。この技の威力は凄まじいが、同時に大きな隙を作り出す危険性を孕む、使いどころの難しい技でもあった。人種の彼が使ってもあれだけ凄まじい威力を見せるのだから、獣人であるヴァンが使えばその威力は見当も付かないほどの技となる。
未だにどれほどの威力を持つのか、本人でさえも確かめようの無いほどの技へと昇華してしまったが、繰り出した攻撃がギルアムの腹を貫き、地面に深々と戦斧が刺さってしまった今でも、その威力が判断出来そうには無かったようだ。
怯む事無くイリスが追撃を試みようとするも、ギルアムは大きく息を吸い込む様子を見せ、足を止めたイリスは瞬時に魔法を発動していく。
「保護結界!!」
優しく輝く黄蘗色の魔力が、仲間達を半球状に覆っていく。
共鳴波を繰り出すも、イリスによって完全防御された。
衝撃も、音ですらも、必要以上に強い力全てを通すことが無い、完全な防御結界。
真の言の葉によって作り上げられたこの魔法を貫くなど、並大抵の事では出来ない、まさに鉄壁の守りとなっている。
ギルアムの咆哮が切れるタイミングを逃す事無く、イリスは魔法を続けて放つ。
「反響!!」
まるで爆発するような衝撃が当たりに轟きながらギルアムを吹き飛ばすが、保護結界により、その強烈な衝撃と音がそのまま仲間達に伝わることは無かった。
共鳴波を返されるとは思いもしなかったのだろう。
ギルアムは地面に力を入れる様子を見せることも無く、後方に十メートラほど飛ばされ、回転するように激しく転がりながら地面に叩きつけられていった。
「風よ、纏え――」
ふわりとした風が周囲を優しく包んでいく。
まるで春の風をイリスが出しているかのような暖かな風だった。
数歩仲間達から先行し、セレスティアを両手で持ち、右横に構えながらギルアムを視線の先に捉え、足に力を込めていく。そして次の瞬間、彼女は完全にその姿を消した。
あの日、訓練場で見せた卒業試験の比ではない速度で動いた彼女は、ヴァンやロットの瞳にすら映ることはなかった。
イリスのいた場所に残された小さな土煙と、ギルアムの奥にいつの間にか辿り着いていた彼女の様子に、嘗ての戦友の姿が完全に重なる。
横になったまま赤い雫を噴出すギルアム。
イリスが手にしたものは、身体能力を何十年と鍛えても、決して手に入れる事のないもの。それは魔力による身体能力強化が成した、凄まじいものだ。
だとしても、速度に特化した獣人である彼女の領域にまで、人種であるイリスが到達出来た事に、彼らは驚きを隠せなかった。
強化型身体能力強化魔法で瞬時に仲間達の元へと戻って来たイリスは、油断することも、喜ぶことも無くギルアムを見つめていく。
その油断が命取りになる事を実戦経験の少ないイリスは、魔物と呼ばれる存在と初めて対峙したあの時から既に身に付けている。
索敵を使い確かめるイリスは、暫く調べた後、ふうっと小さく息を付きながら仲間達に報告していく。
「大丈夫のようです。討伐しました」
セレスティアを鞘に収めたイリスのその言葉に、安心する一同。
仲間達の安否を確認するも、無事に事なきを得たようだ。
エステルの元へと向かう仲間達に、彼女は近付きながらイリスに顔を寄せる。
流石にギルアムの存在は衝撃的に思えたようで怖かったのだと感じたイリスは、エステルを抱き寄せて優しく撫でながら安心させるように言葉にしていく。
「大丈夫だよ。ごめんね、怖かったよね? もう大丈夫だからね」
イリスの優しい言葉に安心するように、エステルは彼女に身を預けていった。
 




