"彼女の居場所"
「それにしても、手の込んだ料理をあれだけ答えられると、晴れ晴れとした気持ちになるねぇ」
「お料理を食べて分かった事は、それだけでありませんよ」
思わぬ言葉に、どういう事だいと言葉にするミラベルに、イリスは答えていく。
「ミラベルさんが作られたお料理は、どれもがとても美味しいお料理でした。それもこれは、王都にある一流料理店でもきっと食べられない、とても素晴らしいお料理です。
こんなに美味しいお料理を作れる料理人は、そうはいないと私は思います。
もしかしてミラベルさんは、どこかの宮廷料理人を務められていたのではありませんか?」
その言葉に目を丸くする一同。その中には常連達すらも含まれていた。
だがイリスにはある種の確信に近い何かを感じていた。あれだけの料理は、例え一流と言われた料理人であっても作ることは無いと。
そんなイリスの言葉に大きく笑いながら、ミラベルは答えていった。
「あたしがノルンを離れた事は殆ど無いよ。フィルベルグへは何度か買出しに行ったことくらいはあるけどね」
「そうですか」
「フィルベルグ城に料理人として勤めていたのは母さね!」
「「「え?」」」
小さい声で反応するイリスとシルヴィア、ネヴィアの三人は、同じ顔をしながら驚いていた。
「ミランダ・ルエル。この名はあたしと違って、名の知れた料理人だったそうだよ」
「……その名に聞き覚えがありますわ。確かおばあ様の代の時に、王城に勤めて下さっていた素晴らしい料理人だったと母様が言ってました」
「確かに私も聞きました。ミランダ・ルエル様が作られるお料理の数々はどれもが美味しく、一口食べただけでとても幸せになれる、まるで魔法のようなお料理だったと」
「うん? 王城で母の事を聞いたのかい?」
「……み、ミラベルさん。その方達は、フィルベルグの王女殿下だよ。今の言葉で確信が持てた。何でこんな所にいるのかは分からないけど……」
疑問が浮かぶミラベルにそう言葉にした男性は、イリス達が店を出てから彼女に話そうとして、ミラベルの表情に会話を止めてしまった男性だった。
そんな彼の言葉にミラベルは一瞬だけぴたりと止まり、言葉をかけていった。
「そうかい! それじゃお嬢さんが、あのエリーザベト様の娘さんかい! それなら味が分かるのも納得ってもんさね!」
イリスを見ながら言葉をかけるミランダに、とても言い辛そうに話す男性。
「み、ミラベルさん。その子じゃなくて、もうお二人の方だよ……」
ミラベルはきょとんとした表情を浮かべた後、苦笑いしながらシルヴィア達に謝っていく。二人は間違えられた事に不快な気持ちにならなかったが、少々気になる事が出来たようでミラベルに質問していった。
「母様は味が分かる方だったのですか?」
「あまりそういった素振りもありませんし、聞いた事も無いのですが」
正直な所、二人には想像があまり付かない様子らしく、思わずミラベルへ聞き返してしまったが、彼女自身もエリーザベトとは直接の面識は無いそうだ。
ミラベルの母ミランダがフィルベルグ城で勤務していたのは、凡そ二十七年前にもなるそうだ。その時の話を昔聞いた事があるという程度らしく、そこまで詳しく母は語らなかったと彼女は言う。
「シャーロット様は目を輝かせて微笑みながら美味しいわと言うだけで、正直、あまり作り甲斐を感じなかったらしいよ。
そんなある日、一人娘であるエリーザベト様が、母の料理について興味を示したんだとさ。最初は何にも知らない子で、あれやこれやと尋ねるエリーザベト様に、理解は出来ないだろうけどと思いながらも母は料理について話していたらしい。
エリーザベト様は凄い速さで料理について学び、いつしか料理について尋ね、答え合う仲になっていったそうだよ」
その時の事は本当に至福だったと、ミランダは娘に話していたそうだ。
後に、それに面白さを感じてしまった彼女は宮廷料理人を辞め、世界中を放浪しながらエリーザベトのような味の分かる者を探し、旅をしているのだそうだ。
「今もどこで何やってんだか分かんないけど、あたしもこの店があるから動けないし、母は地味に強いから心配なんてしてないが、せめてどこにいるかは教えて欲しいもんだね」
まぁ、気持ちは分かるんだけどねと彼女は言いながら、大きな声で笑っていた。
どうにも味の分かる人を見つけると、勝負を挑まずにはいられない家系なんだよと言葉にする彼女に、何とも傍迷惑な家系だなと思ってしまうヴァンだった。
「そんな訳で、噂に聞く綺麗な女性と味の分かるという点から、お嬢さんの事をエリーザベト様の娘さんだと思っちまったって事さね」
「あ、申し送れました。私はイリスと言います。フィルベルグにある魔法薬店"森の泉"でお世話になっている者で――」
「フィルベルグの"森の泉"でその名前って、"愛の聖女"様じゃない!!」
店内にいた常連達の女性が、イリスをその名で呼んでしまった。その思わぬ言葉に、はうっと小さく声を出しながら、椅子から転げ落ちそうになるイリス。
その呼び名を知らないミラベルは常連達に尋ね、それを聞いた彼女はイリスにも詳細を尋ねていくと、とても言い難そうにイリスは答えていった。
説明の最後にはしっかりと、そう呼ばれてしまっているだけで、聖女でも何でもないですからと告げていくが、そんなイリスへ大笑いしたミラベルは、尚も笑いを堪えた様子で言葉にしていった。
「いやいや、教会でそれ叫んじゃ、確かに"愛の聖女"だろうさ。くふふふ」
我慢出来なくなったミラベルは、そのままお腹を押さえながら大笑いしてしまう。そんな彼女の姿を見ながらイリスは、何とも言えない微妙な表情で美味しいお菓子を口に運んでいった。
* *
美味しい食後のお茶を頂きながら、ミラベルはイリスに尋ねていく。
「お茶のおかわりは如何かい? 聖女イリス様」
「聖女じゃないですけど、頂きます」
ごめんごめんと謝りながらお茶を注いでいき、仲間達にも尋ね、お茶を淹れていくミラベルに、王女二人がぽつりと言葉にしていった。
「母様には味が分かるというのに、私には味が分からなくて申し訳ありませんわ」
「折角の美味しいお料理でしたのに、上手に答えられないなんて……」
沈みがちになってしまった二人に、ミラベルは優しく声をかけていく。
「いいんだよ、それで。味なんてのは知識だけでどうこう出来るもんじゃ無いんだよ。イリスのように料理にも技術もあり、食べながら学んでいった者でないと味の表現なんて出来ないさね。エリーザベト様は母に教えを受けたんだ。なら、それをとても身近で勉強したあたしが一番それを分かってる。一朝一夕で手に入るもんじゃないさね。
それに味が分かるってのは、学べば誰でも手に入るなんてもんでもない。それはきっと才能と人は呼ぶもんかもしれない。
でもね、正直な所、そんなのは持って無くったっていいんだよ。あたしの作った料理を食べて、笑顔で美味しいって言ってくれる。それだけで十分なんだよ」
本当に味の分かる人だけに料理を作るのなら、ノルンに店を出す必要はない。それこそ王都の一流料理店として店を構えればいいだけだ。それをしないのはノルンの出身という事もあるがと言葉にしながら、ミラベルは話を続けていく。
「あたしはこの街が好きだからね。誰も彼もが一生懸命に生きている。大人も子供も、みんな。自分が気に入った街の人達が、自分の作った料理を食べて、美味しいって笑顔になりながら言ってくれる。そんな世界で生きていけるってのは幸せなもんさね」
常連達から歓声があがる中、彼女はとても楽しそうに彼らを見つめながら笑っていた。そんな彼女を、どこか羨ましそうに見つめるイリス達だった。
* *
宿へと戻りながら、夜空に輝く星を見上げていたイリス。
何とも体験した事の無い怒涛の夜になってしまったと感じながらも、彼女達はミラベルの事を考えていた。
「何とも豪儀な女性だったな」
呟くように言葉にしたヴァンに仲間達が続いていく。
「そうですね。俺には少々羨ましく思えました」
「そうですわね。輝いて見えてしまいましたわね」
「活き活きとして、とても美しい女性でしたね」
ネヴィアの言葉にイリスは考える。
彼女はとても活き活きとしながらこの街で生きていた。
それは羨ましく思える気持ちをイリスも感じている。
この気持ちは一体なんだろうかと考えるも、どうにも答えは出そうで出ないようだった。
そんなイリスは、ふと大切なひとが頭を過ぎり、ぽつりと言葉に出してしまう。
「……そうか。ミラベルさんは、自分の居場所を見付けたんだ」
「居場所、ですの?」
自分の居場所は人によって様々あるだろう。落ち着く家であったり、楽しい職場であったり、気の合う仲間との遊び場であったり、思い出の場所であったり。
きっとそれは、人に聞けば全く違う答えが返ってくるかもしれない。
そんな大切な場所を彼女は見付け、その場所で生きている。
そんな考えを言葉にしながら、イリスはぽつりと独り言のように呟いていく。
「……私の居場所は、どこなんだろう」
その言葉に答えられる者はいなかった。
帰ることの出来る家、優しく迎え入れてくれる祖母、兄と呼べる人や、大切な友人、頼もしい仲間、母と呼べる存在、尊敬している師。大切なものや大切な人はイリスにも沢山ある。
それでも仲間達は、『ここがイリスの居場所だ』と、はっきりとした言葉で答える事が出来なかった。
イリスには逢えなくなってしまった本当の両親がいる。そして何よりも、逢いたいと想い焦がれるほど大切なひとがいる。"再会"というとても大事な約束がある。
この世界ではない、魔物など存在していない、優しく穏やかな世界に。
ここではないどこかを見つめるように星空を見上げるイリスへ、声をかけられない仲間達。寂しいような、切ないような、そんな複雑な表情を浮かべる彼女にシルヴィア達は、それこそが彼女の、彼女がいるべき本当の世界なのではないだろうかという考えを振り払えずにいた。
いつの日にかその想いを遂げて、"本当の世界に帰る日"が来てしまうのかもしれない。きっとそれは喜ばしい事なのだろう。彼女がそう望み、そう願うのならば、仲間としては喜ぶべき事だろう。
なのに、この場にいる誰もが、それを喜ぶような気持ちにはならなかった。
「綺麗な月ですね」
そう言葉にしたイリスは、いつもと同じ優しい顔を見せていた。