"告白"
ネヴィア達と見張りを交代したイリス達は、休息を取っていった。
城壁にもたれ掛かったイリスだったが、すぐに瞼が重くなり、静かに寝息を立てていった。シルヴィアも慣れない事に身体が付いていかなかったようで、うとうととしていた。
既に眠ってしまったイリスを見て、ネヴィアがヴァンに話していった。
「よっぽど疲れていたのですね」
「うむ。あまりにも多くの事を知って疲れたのだろう」
ヴァンはネヴィアに魔物の索敵について教えていった。
木々や木の葉の揺らぎ、魔物特有の足音や、見え難い場所からの襲撃も含めて。基本的に見通しの良い場所で野営する事が望まれるが、中々そういった場所が見付からない場合もある。
最善と思われる場所でも危険である事に変わりが無いのだから、常に最悪と思われる事も想定した上で、対処をしていった方が良いとヴァンはネヴィアに教えていった。
「そうすれば急な襲撃にも冷静に対処が出来るようになると思う。勿論これは我流でもあるし、全てを真似る必要もない。その先はネヴィア自身がどうすればいいかを考え、行動していくと良い」
「ヴァン様の考えに私も賛成です。急な魔物が出られてはきっと対処出来なかったですから、心構えも持っておくのは必要だと思えます」
何よりも最悪を想定しておけば、急な襲撃を受けたとしても、冷静に対処が出来るとネヴィアは思っていた。勿論考え過ぎは良くないと分かった上で彼女は答えている。
そんな心情がヴァンにも伝わってきた。
正直惜しいと思ってしまうほどの逸材だ。
見かけとは裏腹に、その冷静さ、思慮深さをしっかりと持ち合わせていた。
これを持っていない者は、長い時間をかけて培っていくようなものだ。
それを新人である冒険者が持ち合わせているようなものでは無いだろう。
極稀にそういった人物が出てくると聞いた事はあるが、その者は確実に実績を積んでいき、かなりの高みにまで上り詰めると言われていた。
ヴァンの知り合いで例えるなら、一番近いのはリーサだろう。彼女は攻撃魔法こそ最近まで使えず、防御魔法しか使えなかったが、その冷静な判断力、分析力で、パーティーの要となる重要な存在だった。
「どうかされましたか?」
ネヴィアを見ていたヴァンはその言葉に気が付き、すまないと先に言いながら言葉を続けていく。
「ネヴィアが共に戦った戦友と姿が重なってな。つい考えながら見てしまっていた」
「もしかして、リーサ先生の事ですか?」
「む? リーサを知っているのか? ……先生?」
ヴァンは驚くも、それで大凡察しが付く事が出来た。
ネヴィアの冷静さもそうだが、彼女と属性が同じ水であり、戦いに関しても豊富な知識を保有している。彼女に師事しているのならば、納得出来てしまった。
「なるほど。大凡見当が付いた。確かにネヴィアには最適の師匠だと思う」
「ふふっ。リーサ先生とは、まるで昔から知り合っていたかのような、とても不思議なご縁を感じました」
話に聞くと、彼女と会った瞬間から不思議な感覚を感じていたそうだ。
元々は一年間の魔法教官としてエリーザベトが依頼したのだが、まるで姉妹のようにすぐ仲が良くなれたようで、活き活きとしながら魔法について学んでいったそうだ。
ある意味真逆とも言えるエリーザベトの訓練とは対象的なリーサの訓練は、まるで疲れる事が無いように感じながら魔法修練をしていたそうだ。
その後もヴァンとネヴィアは周囲を警戒を続け、注意すべき点やヴァンが冒険者として体験して来た様々な事を話しながら真剣に、時には楽しく四アワールを過ごしていった。
イリス達が目覚めた頃、辺りは徐々に白み始めていた。
今度は2アワールの時間をヴァンとネヴィアに休息して貰い、その後フィルベルグへと戻る予定となっていった。
幾らエデルベルグ城と離れているとは言っても、強固な壁に守られたこの場所は安全に過ごせる場所のようで、これ以降も魔物が出る事は無く、無事に野営訓練を終える事が出来た。
そのまま一行はフィルベルグへと戻って行くが、やはりと言うべきか、街を歩くと相当目立ってしまうようだ。噴水広場にいた小さな女の子がぽかんと口を開けながら、姫様達を見つめていたのがとても印象的だった。
やはり姫様二人を連れて歩くこと自体、まだフィルベルグでは受け入れがたい事なのは仕方が無い。その内引いていくだろうと諦めるしかないねと、ロットが苦笑いをしながら話していた。
フィルベルグ城へとやって来たイリス達は、そのまま女王が居ると思われる執務室へと向かっていった。執務室には女王と国王の両陛下、ルイーゼが居るようだった。どうやらそろそろかと彼女達を待っていたそうだ。
「ただいま戻りましたわ、母様」
シルヴィアの言葉を皮切りに、それぞれ挨拶をしていく一同と、それに返していく女王達だった。挨拶が落ち着いた所で、女王は室内に居るメイドたちを全て下がらせ、言葉にしていった。
「さて、イリスさん。あの時話す事が出来なかった話をさせて頂こうと思います」
そう言ってイリスの目の前に来て話し始めるエリーザベト。
その内容は、イリス達が思っていた通りの事のようだった。
女王の話の端々に含まれる優しく心配する温かい言葉に、イリスは思わず瞳を閉じて聞き入ってしまった。エリーザベトの話し方は、もはや娘の友人にするものでも、愛弟子にするものでもない。これは一人の娘に言い聞かせるような、とても温かな言葉だった。
そしてエリーザベトはこの言葉で話を終えていく。
「イリスさんはもう、私達の大切な三人目の娘のような方です。だからどうか、その力を大切にゆっくりと育てていって下さい。私達に出来る事なら、何でも最善を尽くすとお約束します。ですのでどうか、無理をなさらないで下さい」
優しい言葉に涙が込み上げて零れ落ちてしまったイリスは、目の前に居るエリーザベトに抱きつきながら、言葉にしていった。
その小さくも震えた声は静かに、そして確かに室内へと響いていった。
「……ありがとう、もうひとりのおかあさん……」
イリスの言葉に、思わず瞳を閉じて抱きしめてしまうエリーザベト。
そしてイリスは大切な話をしていく。言うべき事は沢山ある。伝えなければいけない事も、伝えたい事も、たくさん。
だが、その前に話さなければならない事が出来てしまった。信じて貰えるかは分からないが、それでも母に隠し事をしてはいけないとイリスは感じていた。
イリスはエリーザベトから離れ、話始めていった。
「……皆さんに大切なお話があります。ですがまずは、私の事を聞いて下さい」
そう言ってイリスは、自身の話を始めていく。
イリスが暮らしていた温かく優しい、思いやりに溢れた世界の事を。
今はもう会えない、会う事が出来ない大切な人たちの話を。
「私は、この世界の住人ではありません。別の世界からこの世界にやって来た者です。平和で温かく、思いやりに溢れて、重い病気をする事無く天寿を全うする事が出来る、とても優しい光に溢れた世界でした。
その世界には沢山の神様達が存在していました。世界にある九つの街に、それぞれ一柱ずつの神様が人々と同じ様に暮らし、見守り、重い病気を治し、人が天寿を全うすると、その魂を神様達が管理している"天上の世界"へと導いて下さる、そんな世界です。
私はその中の一柱である女神様に、とても懇意にされながら成長してきました。その方と魂で深く繋がっている、"祝福された子"と呼ばれる存在で、互いが互いを思いやり、ただ傍にいるだけで幸せになれるような間柄で、姉のような、また母のような大切なひとでした。
温かく、幸せな日々が続き、いつまでもそんな幸せな暮らしが続くと、私は信じていました」
ですが、そうはなりませんでした。そうイリスは続けていく。
その時の記憶は未だに曖昧で、何故そうなったのかも詳しくは聞いていないし、理解も出来ない。だが、ひとつだけ思い出した事がある。それは丁度レティシアに力を授けて貰った時に感じていた事ではあるが、野営して静かに夜を越えていた時に、その考えに辿り着いてしまっていた。
恐らくはそうであろうという曖昧なものではあるし、正確な答えなんて知る事は無いだろうが、それでもイリスはそれが確かなものとして理解し、また納得してしまっていた。
「今まで私は、前の世界で何があったのか、自身に何が起こって、何故世界を渡る事になったのかを理解する事が出来ませんでした。ですが、ようやく分かったような気がします」
イリスはその存在について話していく。
様々な知識や技術を手にしたイリスであっても、未だその存在を理解する事は出来ない。恐らく人には余る存在である事は間違いないだろう。"場所が裂ける"ような事など、到底人に出来ることではない。
だがイリスは、ひとつだけ理解出来た事があった。あの時の気持ち。あの時何を思い、誰を想い、どう願ったのか。そしてその直後の温かな陽だまりのようなものを思い出していた。それは"想いの力"に良く似た、でもそれとは違う不思議な感覚。
だが確かにあの時強く、強く願った。『大切なひとを守りたい』と。
「その世界では魔物と呼ばれる脅威もいませんでした。嘗て大昔に悲しい事が起こり、それ以降は神様方が地上に顕現し、人々をとても近くで見守って下さっていたそうです。この理由も、今の私になら分かる気がします」
恐らくではありますが、そう言葉を挟みながらイリスは伝えていった。
それは人同士の戦争が起きたのだろう。人同士で争い、命を奪い合っていった恐ろしい出来事。だからこそ、それを悲しまれた神様達は地上に顕現し、人々を見守る事で世界を平和に導いていった。
「この世界に来て、始めて魔物を見た時、あまりの恐怖で身体が凍り付いたのを今でも覚えています。それは"あの時"感じた、大切なひとを襲おうとしていた存在を見た時の感覚と同じでした。
確かにこの世界の魔物の瞳は尋常ならざる色をしています。ですが、私が凍り付いた原因はそれだけでは無かったと、今なら理解出来ます。それが私の心の傷として色濃く残っていたのでしょう」
そしてイリスは、一呼吸置いてから話を続けていく。
「大切な両親と別れ、大切なひととも別れた私は、直ぐにレスティさんに出会う事が出来ました。まだこの世界に来てからたったの二年ですが、それでも私は多くの事を学び、大切な友人にも恵まれました。両親や大切なひととは会えなくなってしまいましたが、それでも私は、私を大切にして下さる人に囲まれてここまで来る事が出来ました」
そんな私なんです。そうイリスは話を終えていった。
エリーザベトはしっかりとイリスの話を聞いた後、優しく、そして強くイリスを抱きしめながら静かに応えていく。
「私は本当の親になる事は出来ないけれど、"母"にならばなる事が出来ます。これからは遠慮する事無く甘えてくれていいのですよ、イリス」
娘と同じ様に呼びかけながら、愛おしそうに抱きしめるエリーザベト。
イリスが告げた事全てを理解するのはとても難しいだろう。突飛もない話であり、今まで聞いた事すらない話だ。まるで物語のように感じてしまうのが当たり前なのかもしれない。
それでもエリーザベトは、その全てを理解したかのようにイリスを受け入れ、優しく抱きしめていた。
その姿に思わず涙ぐむシルヴィアとネヴィアは、続くようにイリスを抱きしめていった。微笑ましく見つめるロードグランツとロット、ヴァンであったが、ただ一人ルイーゼだけは、滝のような涙で顔をくしゃくしゃにしていた。