"命はひとつ"
「さて。これで話すべき内容も、話したい事も終わりました。他に何か聞きたい事はありますか?」
優しく微笑みながら言葉にするレティシアに、イリスはお礼を言いながら大丈夫ですと答えていった。知りたい事、聞きたい事は沢山ある。だが彼女に言われたように、恐らく今これを知る事は出来ないとイリスは感じていた。
「沢山のお話、本当にありがとうございました」
「いいえ、こちらこそありがとうございました」
席を立つイリスを確認し、ティーテーブルと紅茶セットを片付けていくレティシア。一体どういった原理で消えたり出たりしているのだろうかと気になるも、これについては知ってもこの世界でしか使えないと思われるので、イリスは聞くことを控えた。
さて、と前置きをしてレティシアは話を終わらせていった。
「これからイリスさんには様々な苦難が待っているかもしれません。それは世界に出れば必ずと言っていいほど訪れる困難なのかもしれません。ですがイリスさんには頼もしい仲間も、そして力と知恵もあります。その力はとても強大です。どんな困難であっても仲間と己を信じ、力を使えば乗り越えられると思っています。
しかし、ご自身と大切な者を守る為にその力を使う事を躊躇わぬよう祈っております。生命はひとつです。どんな強大な力を手にしても、その理を覆す事は出来ません。どうか後悔の無い様、この力を使って下さい」
そう説明するレティシアはとても美しく綺麗で、優しく穏やかに話しているのにどこか寂しげに思えた。そんな彼女にイリスは、その想いを感じる事が出来た。
レティシアは大切な人を目の前で旅立たせてしまっている。それは嘗てのイリスと同じような事なのだろう。彼女もまた、自分が無力でちっぽけな存在だと思い知らされてしまった。
これ程の強大な力を手にしても、人の命を救う事が出来なかった。
そんなことはきっと、神様にしか出来ないのかもしれない。
それでもイリスは思う。大切な誰かが失われる前に、何かが出来る可能性が失われた訳ではないと。真の言の葉を使っても救えない命。この力は強大であっても、万能ではない。それこそ人の身で、そんな事が可能になるとは思えない。
でも、それでも可能性がゼロだと自分で辿り着いた訳ではないのだから、もしかしたら何か救える方法があるかもしれない。
そんな前向きな美しい瞳をしたイリスを優しく見つめるレティシア。
どうやらイリスに力を渡した事は間違いではなかったようだ。これでも人を見る目は確かだと、レティシアは自負していた。それは力を渡した友人達が、悪用する事には一切使わなかった事からも伺える事だろう。
この力は世界を滅ぼしかねないほど強大で、悪用すれば大変な事になる。渡した友人達の殆どは、一定以上の力を使うことはなく過ごし、他の者は更なる力の追求を研究していった者や、全く力を使わずに生きていた者もいた。かくいうレティシアも、始めはただの知識欲の一環だった。
次第に研究していって、その汎用性から人々を救えないかと考えていくが、力が強大すぎて魔物を倒すことや、言の葉を強化して使うくらいしか、その存在意義を見出せなかったほどの力だった。
「託された力、大切に使わせて頂きます」
その全てを理解してくれたかのようなイリスの言葉に、レティシアは瞳を瞑りながら再びお礼を告げていく。
そしてレティシアは、イリスへひとつ助言をしていった。もし石碑がアルリオンの中枢にあり、近づけないような状況だった場合の対処方を教えて貰えたのだが、イリスには何故そんな事まで知っているのかと不思議に思ってしまう。
そんな様子もはっきりと伝わってしまったようで、レティシアはイリスに伝えてくれた。
「私もアルリオン建国時に立ち会っています。その五年後の春頃から、フィルベルグが王国と呼ばれるようになりましたので、あちらの方が国としては少しだけ先なのですよ。詳しい時期は定かではありませんが」
「もしかしたらアルリオンに、フィルベルグの文献も残っているのでしょうか?」
もしそうだとすれば、フィルベルグ建国の正確な時期も分かるはず。
そう期待してしまっていたイリスに、レティシアは言い難そうに告げていく。
「正直な所、あちらはあちらで大変だったと思いますので、残っているかは分かりませんよ?」
だがイリスは、それでもいいと答えていった。もしあれば、という期待で彼女にとっては十分のようだ。何よりも現在のフィルベルグに、そのはじまりが伝わっていない以上、恐らくはアルリオンになければもう判断が出来ないかもしれない。
フィルベルグですら、はじまりの歴史の詳細が記されていないのだから。
「もしかしたらそう伝えれば、良い様に事が運ぶかもしれません。彼女の性格とアルリオンが今も尚存在し続けているのなら、想いも伝わる可能性があります」
ありがとうございますと笑顔で伝えていくイリス。
正直な所、石碑が他にも存在していた事に驚いていたくらいだ。
実際にアルリオンへと行ってみないと、恐らくは分からないことだろう。
そんなイリスへとレティシアは、眩しいほどの笑顔で言葉にしていった。
「それではイリスさん。再びお目にかかれる日を、私は楽しみにしております」
「はい。レティシア様もどうかお元気で、という表現はちょっと違うのかな」
思わぬイリスの言葉にレティシアはイリスと笑い合ってしまった。
そしてレティシアは力を使い、イリスの身体に黄蘗色の美しくも優しい光に包み込んでいった。
* *
光が徐々に収まっていくと、目の前に石碑が見えてきた。
どうやら石碑に手を触れた時の場所だったようだ。
「イリスちゃん!」
背後から呼ぶ声に振り返ってみると、仲間たちが心配そうな表情でイリスを見つめていた。一体どれくらいの時間が経ったのだろうかとイリスは聞いてみるも、どうやら十ミィルほどしか経っていないらしい。レティシアの言っていた時間の流れが違うという事も、体感する事が出来たようだ。
最後まで心配そうに見つめていたネヴィアは、元気そうなイリスの姿にホッとしたように胸を撫で下ろし、言葉にしていった。
「おかえりなさい、イリスちゃん」
「ただいま戻りました」
続けてロットとヴァンがイリスに話していく。
「行き成り居なくなって、びっくりしたよ」
「うむ。それで、声の主とは会えたのか?」
「はい。皆さんにお伝えしなければいけない事が、沢山出来てしまいました」
ならば野営の練習も兼ねて、今日はここで一泊しようかとのロットの提案に、一同は賛成をしていった。
問題は食料なのだが、幸いこの浅い森は果物も豊富らしい。魔物は一切手を出さないので、本来であれば動物達が食すものなのだが、魔物が居る森で生きる事は難しいため、基本的には動物も森では見かけないという。
なら動物はどこにいるのか、という話にもなるのだが、話したい事がたくさんある為に、そちらを優先していくことにしたイリスだった。
まずは辺りが暗くなる前に森へと移動し、果物を必要分手に入れ、再びこの場所に戻って来た一行。幸い飲み水は持っているため、一晩夜を越すくらいは問題ないと思われた。
遅めの昼食がてら、甘酸っぱい大きなりんごを美味しそうに頬張りながら、イリスはふと気になる事が出て来てしまったようだ。
それについて彼女達へと言葉をかけていった。
「…………シルヴィアさんもネヴィアさんも、随分ワイルドになりましたね」
大きなりんごをイリスと同じように頬張っていた彼女達に、思わずイリスが尋ねてしまっていた。以前の彼女達からは想像も出来ないその姿に違和感を持つが、どうにも抵抗なく噛り付いているその姿は、なんというか"様になっている"、といった表現が正しいだろうか。
どうやらこれも修練のひとつとして、母に教え込まれた知識なのだそうだ。
エリーザベト曰く、『まさか貴女達、冒険中も食事はテーブルでナイフとフォークを使って優雅に、だなどと思ってはいませんよね?』と、笑顔で言われたそうだ。
そして丁度良い所にあったりんごを疲れ切った二人に投げ渡し、休憩がてらそういった訓練もして来たそうだ。このエリーザベトの様子には同じ場所で訓練をしていた騎士達も、顔を真っ青にしてなるべく見ない様にしていたとシルヴィアは語った。
「やっぱりお姫様のイメージが崩れてしまうという事でしょうか?」
「いえ、恐らくは違いますわね。呟く様に『おいたわしや』と言ってましたので」
シャリシャリと良い音を響かせながら食べるシルヴィアの姿は、りんごを丸かじりしているのにも拘らず、やはりどこか優雅に見えた。
続けて『私も最近ではこちらの方が、りんごが食べやすく思えて来ましたわ』と告げていくが、流石にそれには同意しかねたイリスだった。
魔物は果物を食べません。食すのは動物です。
そしてそこに、人も含まれてしまいます。




