"文字数"
ふと気になったことをイリスはレティシアに聞いてみた。
正直なところ聞きたい事が沢山あり、どれから聞こうか悩んでいたが、時間はたっぷりありますから出来る限りお答えしますよとレティシアに言って貰えた。
「先程、エデルベルグで扱われていた書籍に書かれている文字についてレティシア様が仰っていた事なのですが」
「解読出来るようになったのも"想いの力"ですが、違うとも言えますと言った件ですね?」
あの時レティシアが言ったのは、王族の言葉で書かれた本の数冊を"想いの力"で判読し、それを自身の力で学んでいったものらしい。その使い方の一つが、レティシアから頂いた知識に含まれていた。物の判別や暗号解読などに使える真の言の葉だ。
知識を授けて貰って理解出来たが、レティシアの時代に使われていた言の葉が、更に跳ね上げられるような力でもあるようだ。確かにこんなに凄まじいものを、軽々とレティシアが渡せないと言った理由がはっきりとイリスにも分かった。
「エデルベルグの本が読めるようにと翻訳本も作ったのですが、どうにもどこかで消失してしまったようですね。あの本があれば、恐らく解読出来るようになるはずなのですが、八百年も経っている以上探し出すことは困難でしょうね」
「その翻訳本は読める文字なのですか?」
「ええ。『Alice』と同じ文字なので読めるはずですよ」
その本さえあれば、時間はかかるが全ての本が解読出来るようにと、レティシアが何年もかけて作り上げたものだったそうだ。
流石にその苦労は並大抵のものではなかったらしく、とても残念そうにしていた。
「真の言の葉があるので私がまた解読します。そうすればエデルベルグの事もわかるでしょうし」
「そうは仰いますが、どれがどの本か分からないのですから相当時間がかかりますよ? 流石に求めている本を導き出す魔法なんてありませんし、何より解読本を作るとなるとそれこそひと月はかかると思います」
苦笑いをしてしまうレティシア。
エデルベルグ王城の王の部屋と思われる場所と隠し部屋にあった本棚だけでも、相当数の蔵書が予想される。彼女の話では、王城には書籍を集めた蔵書庫があるらしく、その数は相当を通り越して膨大なものだとレティシアは告げた。
真の言の葉による保存魔法がかけられている為、読むことは問題なく出来ると予想されるが、どれが一体どの本なのかは、レティシアが見てみないと分からないと言われた。
そういえばと前置きしてイリスが言葉にしていく。
「エリーザベト様が十五年ほど前にエデルベルグにある書籍を、フィルベルグ王室図書館へと移したという話をネヴィアさんに聞きました。もしかしたら、更に分かり難くなってしまっているかもしれませんね。でも、保存魔法が効いているはずなのに、フィルベルグ王室図書館へ持ち込んだ理由は何かあるのでしょうか」
「恐らくは八百年も魔法効果が続かなかったのでしょうね。それでもそれだけの長い間、持続していた事に驚きますが」
レティシアは王城を去る時に仲間と魔法を城にかけていったと言っていた。
城ごと魔法をかけた影響が本にも出ているだけとも言えなくはない。本に直接魔法をかけるのと、その影響を受けているもの。このふたつの差は、流石にレティシアの知識には入っていないようだ。
そもそも城にかけた魔法が、本にまで影響を受けている事に驚きを隠せない。レティシアはイリスにその時のことも話してくれた。本とは人と国の歴史そのものなのだからと彼女は語る。
レティシアは何よりも書籍を重要視していた。本とは人の歩んで来た軌跡だ。それは例え絵本のようなものであっても、内容からその時代背景や書いた者の人柄、子供達に何を伝えたいかという教育をどのようにしていたのかなど、様々な事が分かるのだと彼女は言った。それはどんな国の本であっても、歴史に埋もれてはいけない大切なものだとレティシアは続けた。
エデルベルグを去る時、レティシアと仲間達は王城と書物に効果が及ぶように魔法をかけたと言う。暗号で書かれている誰も読めない本であったとしても、決して蔑ろにしてはいけないものだ。
そして保存魔法をしっかりとかけたレティシア達は、新天地である大草原へと向かって行った。
現在使われている保存魔法は、書籍の大きさのもので約五十年程状態を維持出来るとイリスは聞いた事があった。それを八百年も状態を維持出来ているという事は、レティシア達がかけた真の言の葉は単純に十六倍の威力を含んでしまっていた。
当然、込めた魔力次第で激変するので、文字通りの単純計算であり、イリス一人が使ってもそれ程の威力は出ないと思われるが。
それでもこの力はあまりにも強大で、攻撃魔法など闇雲に使えない技術だ。
そんな事をすれば、簡単に大地が抉れてしまうだろう。本気で攻撃すれば、地形が変わってしまうかもしれない。
なるべく使わないようにしなければと思うイリスを、優しく微笑みながら本当に貴女は優しい方ですねと言われてしまった。
恐らく私は数十年単位で学ばなければ、表情に出てしまうのではないだろうかとイリスは思っていた。
半ば諦めかけたイリスを見ながら、それを察した様子で苦笑いしていたレティシアは、ふと昔の事を思い出したようで、イリスに話し始めていった。
「……そういえば昔、真の言の葉の練習をしていた時に、試しに複製して魔力で施錠したものがありましたね。あれも翻訳本なので、見つける事が出来ればお役に立てるとは思うのですが、少々特殊な書籍の為に処分されてしまった可能性も高いですね。私も研究室にほったらかして忘れていたくらいですし、探すのはとても難しそうですが」
「特殊な書籍、ですか? …………まさか、白紙の本だったりしますか?」
「あら。イリスさんもご存知という事は、既に発見されていたという事でしょうか」
思わぬところで手がかりが見付かってしまった。
それは以前、イリスがエデルベルグに訪れた際、隠し部屋にて見つけた書籍だった。
真の言の葉の知識を授けて貰って、あの本がどういったものかは理解していたが、まさか翻訳本の複製だとは思わなかった。それさえあれば何とかなると聞いて、イリスはホッとする様子を見せた。
「白紙の本であれば、現在はフィルベルグ王室図書館に移されたと思います。……隠し部屋にある宝箱の中にありましたけど」
はてと首を傾げるレティシア。そんな場所に入れた覚えはないと言う。
それにあれは魔法の練習として使ったものだから、そもそも保管する用途として作った訳ではないらしい。
「あの場所はフェルディナン様のお部屋だったのですよね? となると、あの暖炉の先にあった場所も、王族の方々の何か重要なお部屋だったのでしょうか」
「そうらしいですね。私も一度見せて貰いましたが、とても暗かったので余り好みませんでした。昔は王族の方の避難場所として作られたとフェルから聞いた事があります。
尤も、私の居た時代のエデルベルグは、世界から見れば最高峰の魔法国家として扱われていたので、攻めてくるような国はいませんでしたが」
さらりと怖いことを言うレティシアだが、そういった事が頻繁に起きる世界だったのだと彼女は先程言っていた。戦争と言われるものは、図書館の本でしか記されていないほどの恐ろしい出来事としてフィルベルグには伝わっている。
詳しく明記はされていないが、数百年は起きていないと書籍にはそう書かれていた。
何とも漠然とした情報だと今なら理解出来るが、大凡その件はレティシアに聞いても今は教えてくれないだろうとイリスは思っていた。
「何かお聞きしたそうですね?」
「いえ。恐らくこれは『世界の事』だと思いますので」
笑顔で答えるイリスに、ありがとうございますとお礼を言ったレティシアだった。
そこには必ず何かしらの意味があると理解出来る。これを知りたいなら他の石碑を目指せばいいと、イリスはそう思っている。ならばここで尋ねるのは逆に失礼に値するだろう。
もっと他の事を聞こうと思ったイリスは、魔法書に書かれている内容について聞いてみる事にした。
「レティシア様が書かれた魔法書は、フィルベルグに残っている魔法書の類の凡そ八割を超えるのですが、その内容はとても表現し辛いものがありました」
「分かり難いとか、意味が分からないとか、そういった表現で構いませんよ」
何とも真っ直ぐな表現で言われてしまったイリスは苦笑いするが、確かにそういった内容だった。回りくどく、内容はほぼ無いようなものだった。おまけに熟練書と思われる表紙の本は、研究結果がどうとか書かれており、あげくは日記のような内容だった。
正直な所、魔法書というものがどういったものかを理解出来たイリスには、大凡の見当は付いていたが、やはり書いた本人がいるのだから、どうしても聞いてみたい衝動に駆られてしまった。
そんな考えすらも読まれてしまったイリスに、レティシアは笑いながら答えてくれた。
「魔法書の役割が果たせれば、正直内容なんてどうでも良かったのですよ。
問題はそれなりの厚さの魔法書として存在させなければ、読まずにその真意を気付かれてしまう可能性もありました。出来るだけ文字を書かねばなりません。でも、書ける内容なんて限られてしまっています。
そんな時、一緒に魔法書を書き上げるはずだったエルとクレスが途中で断念しまして、泣く泣く私が残りの書物を書く事になりました。それなりの書籍数を残さねばならなかったので、本当に苦労しました……」
そう言いながらレティシアは、とても遠くを見つめていた。
魔法書を揃えるのは、三人で分担して書く予定だったそうだ。
魔法について詳しく書く訳にもいかず、それでもある程度形だけでも書き上げなければ、その内容を読むことなく魔法書を放置されることも考えられた。力を込めた文字は読むだけで効果はあるが、それ以前に読んで貰う為には何かを書かねばならなかったと彼女は辛そうに語る。
悪戦苦闘していたレティシアの元に飛び込んで来たのは、エルとクレスが逃げたという驚くべきものだったと彼女は言う。どうにも確認をする為に彼女達を訪れたレティシアだったが、たったの一言を彼女に告げて、物凄い速度で走り去ったのだと言う。
「……な、なんて仰られたのですか?」
「エルは笑顔で『飽きたー!』と。そしてクレスは無表情で『……もう嫌』と」
わざわざ綺麗な顔や声を崩してまで、彼女達を真似たレティシアだった。
それだけでどんな人か、まるで会ったかのようにイリスには分かってしまった。
結局逃げた二人に代わり、殆ど全ての魔法書をアティリータ名義で書き綴っていったのだそうだ。それはそれは大変なことだったらしく、最後の方は本当に何も書く事が無くなってしまい、日記として書いていったのだそうだ。
「文字さえびっしりと書けば、後は力で制限をかけるだけだったのですが、正直な所制限をかける事よりも、文字を揃えていくのが遥かに大変でした……」
どこか遠くを見つめるレティシアの目尻に、きらりと光る雫が見えた気がした。
真の言の葉と名付けたのはイリスです。レティシアさまの時代では"想いの力"と普通に呼んでいました。中身は別物ですが、そもそも"想いの力"を扱える者自体とても稀でした。魔法が栄えていた時代の、魔法国家と呼ばれているエデルベルグにはいましたが、それでも数人だけです。
イリスにも伝わる言い方であり、今現在の言の葉の意味が失われている為に、レティシアさまもこの言葉を使っております。彼女が生きた時代であれば、真の言の葉という言い方も少々違ってきますから。