"古城"へ
草原を浅い森まで歩いてみても、ホーンラビットの姿は見えなかった。
元々そんなに多い魔物ではなかったので深く気にする事もなかったが、浅い森を遺跡手前まで歩いてみても魔物が現れる事がないようだ。それどころか小鳥のさえずりが聞こえていた。これは以前にはなかったことだ。
この件についてロットとヴァンが、遺跡を目指しながら説明を始めていく。
そしてそれを興味深げに聞く三人だった。
「眷属事変以降、この浅い森にも変化があったんだよ」
「うむ。これまで度重なる調査が行われて来たが、しばらくの間、魔物の姿を見たものはいなかったそうだ。ここ四ヶ月ほどで再び少しずつ魔物が出現し出したと、ギルドに報告されたらしい」
ヴァンの言葉を聞いて気になってしまったネヴィアは、ぽつりと言葉を出していく。
「半年も魔物はどうしていたのでしょうね」
「どういう意味ですの、ネヴィア」
「これだけ大きな森なのに、半年近くも魔物はどこにいたのでしょうか、と思ってしまったのですよ、姉様」
「どこにって……」
そのネヴィアの問いにシルヴィアは答えられなかった。
いや、ここにいるメンバーだけではない。
それは魔物学者ですら理解出来ていない現象だ。
そもそも魔物とは、文献にも記されていないほどの大昔から存在していると言われている。魔物学者によっては、人よりも遥か太古から存在していたのではないか、と考える者もいるくらいだ。勿論どんな推察も確証が得られないもので、幾ら議論を重ねても答えなど出ていない。それほどまでに魔物に対しての情報量が少ない。分かるのは存在している魔物を調べることくらいだ。
突如として現れ、人や動物を襲う世界の天敵。
そう言われる存在は、未だに解明されていない世界の謎のひとつとされている。
そして世界の歴史もだ。ある時代からぷっつりと途切れている。
フィルベルグにある図書館は世界最大の蔵書数を誇るが、それが文献の全てではない。世界にはまだどこかにそういった『秘密』が隠されている書物や文献が存在するとエリーザベト考えていた。
王城にある王室図書館は、これから行く古代遺跡でイリス達が見つけたような、一般的に読めない書物を研究する機関なのだそうだ。元々は書物を集める場所として使われていたが、王国図書館が教会近くに出来てからは役割が徐々に変わっていったらしい。
王室図書館にある本は、その全てを複製され王国図書館へと送られており、フィルベルグ王国が認めた身分の者であれば誰でも読む事が出来る。これは世界中にいる商人や冒険者だけではなく、一般者であってもその対象者となる。他所の街から来た一般人でも、その街の身分証さえ確認が出来れば誰でも読む事が出来る。
世界中から集められた蔵書数を誇る図書館を一般的に開放し、どんな者にでも知識を求める者には惜しみなく分け与える。これを成したのはフィルベルグ建国の母であるが、それだけの蔵書数を誇るフィルベルグ王国図書館であっても、魔物の発生に関して書かれた書物の類を見つけることは出来なかった。
イリスは一度、エリーザベトやロードグランツに聞いた事があったが、それは世界の謎のひとつと言われていると教えられた。残念ながら王室図書館には、そういった書物は今現在確認されていないらしい。読む事が出来ない古文書や書物が沢山あるので、もしかしたらと期待は籠められているが、中々進展していないのだそうだ。
この世界には分からない事が多過ぎる。失われてしまった歴史も、魔物という存在も、眷属などと言われるものが何故存在しているのかも、そして魔法というものについても。
一同は立ち止まり、前方に見えている古城の入り口を見つめる。
そう、この目の前に見えている古代遺跡と呼ばれる古城もそのひとつだ。
これについての詳しい詳細は、今現在も解明されていない。イリス達が以前齎した成果である書物の類も、全くと言っていいほど解明されていないという。それさえ分かれば、もしかしたらこの古城の事だけでなく、世界の謎のひとつとされている歴史も少しは分かるかもしれない。残念ながら中々思うように進まないのが現状らしいのだが。
遺跡の中程まで進んだ頃、イリスは仲間達に言葉をかけていった。
「すみません、ちょっとだけお時間を頂けますか?」
「どうしたんだい、イリス」
「私の生い立ちをヴァンさんにもお話したいと思いまして」
「ふむ? 生い立ち?」
「はい」
その言葉の意味するところを把握しきれないヴァンに、そう言ってイリスは説明していく。彼女から発せられる言葉の一つ一つに、ヴァンは目を見開きながらもしっかりと聞いていった。
「――そこでヴァンさんをお会いした、という事なんです」
ヴァンとの出会いまで話したイリスに、思わずヴァンは聞き返してしまった。
「ふむ。何故、それを俺に話したんだ? そういった事はなるべく黙っておくべき事だと、俺には思えるんだが」
「黙っている事が、まるで嘘を付いている様に私には思えるからです。ヴァンさんは大切な仲間で戦友で、私達の頼もしい先輩のひとりです。ならば、こういった事は包み隠さずしっかりと伝えておきたいと、そう思いました」
その言葉を聞き終えたヴァンは『そうか』と小さく呟きながら瞳を閉じ、ゆっくりと言葉にしていった。
「……ありがとう、イリス。とても言い辛い事を話してくれて。ならば俺もそれに応えようと思う。イリスだけではなく、大切なメンバーを守る為に戦うことで」
そう言葉にしながら瞳を開けた彼の目は、とても美しく力強い色をしていた。
「……ありがとうございます。信じてくれて」
イリスはそういうが、信じないという選択肢はヴァンにはなかったようだ。突飛な事ですら疑うことなどなく信じてしまっている自分に驚きはなかった。ただ不思議と納得してしまう自分がそこにいるようだった。
思えば彼は、イリスを初めて見た時から不思議な感覚を感じていた。それが何であるかは今も確かなものは分からないが、もしかしたら別の世界の住人だからという事もあるのかもしれない。
だからといって、そういった存在を見ただけで守りたいとは思わないだろう。彼女に対する庇護欲というものを持ったこと自体は、イリスの持つ人徳の成せる業なのだろうと、ヴァンは思っていた。
「不思議な事に思えるが、『信じない』という選択肢は俺には無かった。ただ、妙に納得してしまった。イリスがこれ程までに努力した事も、その大切なひととの再会を望んでいたという事がそのひとつならば納得が出来る。それほどまでに逢いたいひとがいるイリスを、俺はとても羨ましく思う」
その言葉に姫様達も続いていった。
「……そうですわね。もし私が世界を渡ったとすれば、生きることで精一杯だったと思いますわ。それでも前に進み続けたイリスさんが、まるで光り輝いていように見えてしまいます」
「純粋でひたむきな想い。私には持っていない美しいものだと思います。だからかもしれませんね。イリスちゃんに魅力をとても強く感じるのは」
「わわわ私は普通の人ですからっ。お二人の方がお綺麗ですからっ」
顔を真っ赤にしながら答えるイリスに、思わず微笑んでしまう一同だった。
イリスが落ち着きを取り戻した頃、では行きましょうかとシルヴィアが答え、それに頷いていくパーティーメンバー達。
中庭を進み続け、噴水跡を通過した時、イリスはぽつりと声に出していく。
「……声が……」
その様子にヴァンがどうやらここのようだなと答えていく。
「そのようですね。このまま進むかい? イリス」
「……そう、ですね。行きましょう」
「この辺りは見通しが良くて安全に進めそうですわね」
「そうですね。建物内も以前と同じなら良いのですが」
「あれから何度も初心者冒険者の訓練場所として使われているらしいよ。だからたぶん魔物もいないんじゃないかな。念の為警戒はし続けて慎重に進んでみよう」
「うむ。急に飛び出してくる魔物がいると危険だからな」
エントランスまで来た一行は、その大きな扉を開けていく。
鈍く軋んだ音を鳴らしながら開いていく扉。
その様子に緊張感が増していく三人だった。
扉を開けてする事は、まず安全確認だ。前方、左右を確認し、上方も念の為確認していく。ここは古城のため室内は広く見通しも悪くない。魔物がいればすぐに分かるだろう。
そのまま五人は、目的である石碑まで真っ直ぐ進んでいく。
中央付近の階段を上がっていくと、その中間ほどでイリスは立ち止まって瞳を閉じてしまった。その様子に戸惑いながらも周囲を確認していくメンバー達。
イリスに確認しようとすると、先に答えられてしまった。
「……綺麗な声。この先で間違いなさそうです。行きましょう」
再び進み出す彼女達は、徐々に見えてくる目的地に驚きを隠せなくなっていく。
石碑近くまで訪れた一行はその変化を見ながら、言葉に出せず立ち竦んでいた。
「…………なん、ですの、これは……」
シルヴィアの言葉に誰も答えられない。
今まで見たことも聞いたこともない現象が起こっていた。
大小様々な黄蘗色の光の玉が、石碑の周囲に溢れ出ていた。
中央にある石碑もほんのりと光に包まれており、とても幻想的な姿を見せている。
イリスの方を見ると、彼女はまた瞳を閉じながら何かを感じ取っている様に思えた。
ゆっくりと瞳を開けたイリスは、ちょっと行って来ますねと言いながら石碑に向かって歩き出していく。その姿に思わず全員が大きな声で呼び止めてしまった。
「イリスさん!?」
「イリスちゃん!?」
「イリス!?」
「待てイリス!」
慌てるメンバーに振り向いたイリスは、笑顔で言葉にしていく。
「大丈夫です。必ず戻りますから。その後できっと説明出来ると思います。なので、ちょっと待ってて下さいね」
そういった彼女は石碑に向かって再び歩いていき、そのほんのりと光り輝く石碑に右手をそっと触れていく。次第に光はイリスに集まり、眩く輝きながらイリスはその場から消えていった。
* *
イリスは不思議な感覚を感じていた。
以前どこかで感じたことのあるような、ないような、そんなはっきりとしない曖昧なもの。だけどすごく心が落ち着いていくのは良く分かった。この心が落ち着いていく感覚をどこかに覚えがあるように思えるイリスは、それを感じながらもゆっくりと瞳を開けていった。
そこはあの夢で見た場所だった。
見上げてもあの光は無かったけれど、ここがあの場所だと理解出来た気がする。
真っ白な空間にイリスはぽつんと立っていた。
あの時と違うのは、確かにそこに居るということだ。
両手を胸の高さにまで上げて見てみるイリス。
今度はしっかりと自分を確認できるようだ。
他には特に何も無い空間。
光が溢れる安らぎに満ちた場所。
この感覚は確かに感じた事がある。
――でもどこだったかはっきりしない。
思考に霧がかかったような、そんな不鮮明さを感じる。
もう一度空を見上げても、夢の時のような輝くものは浮かんではいなかった。
その場所でイリスは、声をかけられた。
美しく透き通るような声だった。
今ならはっきりと分かる。これは女性の声だ。
その声を聞くだけで気持ちが落ち着いていくような、とても不思議な声だった。
正確に何と言っているのかは聞き取れないイリスだったが、次の一言はしっかりと聞き取れるものだった。その声の方向を見上げるイリスは、そこできらきらと優しく光る黄蘗色の玉が宙に浮いているのを見つける。
「これは、あの時の――」
呟くイリスは空に浮かぶ光の玉が、徐々に集まっていくのが見えた。
光の玉は周りの玉を吸収するように大きくなっていき、あの時の夢のような大きなものへと変わっていった。そしてその光は段々と中央へと集まり、人の型を象っていく。
光を纏ったようなその人物は、女性の形を取りながらゆっくりと地面に降りていった。まるで降臨するかのようなその姿に神々しさを感じるイリス。その美しさに呆けてしまっていると光が収まっていき、そこにいたのは瞳を閉じた大人の女性だった。
年齢は二十三、四といった所だろうか。とても美しい、まるで女神のようなその姿に、イリスは見蕩れてしまっていた。髪はさらさらと美しい金色で、腰まで真っ直ぐと伸びていた。真っ白で透き通るような肌に、白のエレガントドレスを身に纏ったとても上品な女性だった。すらりと伸びた細い腕と足、少々痩せ型でドレスから見える体のラインがとても美しかった。
女性はゆっくりと瞳を開け、黄金の色をした優しい眼差しをイリスへと向けて微笑んで答えていった。
「――ようやくお会い出来ましたね。初めまして。私の名は、レティシア。レティシア・フェア・フェルディナン。この世界を創り、この世界を訪れる者を待ち続ける者です」