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この青く美しい空の下で  作者: しんた
第五章 天を衝く咆哮
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そして"今日も"日は昇り

 

 遠くから聞こえる美しい鐘の音。

 今日も新しい朝がはじまる。


 いつもとは違う朝が。



 イリスの隣には、夕べには確かにあったその温もりを感じることが出来ず、胸が締め付けられてしまいそうになる。

 そんな気持ちを落ち着つかせてから起き上がり、着替えて顔を洗い、歯を磨いてさっぱりとしたイリスは、キッチンに向かっていった。


「おはよう、おばあちゃん」

「あらイリスおはよう。よく眠っていたようね」

「うん。おなかぺこぺこ」

「うふふ、今用意するから待っててね」


 お手伝いするよとイリスがレスティに言うと、もう終わるから座っててと言われ、その言葉に『うん』と答えてテーブルに座る。

 既に食器も出ているようで、イリスはお言葉に甘えて座ってることにした。


 しばらくするとお鍋を持ったレスティがお鍋を持ってやってきた。


「ずっと何にも食べてなかったから、お腹空いたでしょう? 今日は温かくてお腹に優しいものを作ったわ。さあ、食べましょう」


 よそって貰った温かくて身体に染み渡るようなスープに微笑んでしまい、イリスはゆっくり味わって食べていった。


   *  *   


「そうだ、おばあちゃん。お願いがあるんだけど」


 食後のお茶を飲みながらそう言ったイリスへ『なぁに?』と優しく問い掛け、ティーカップに口を付けていくレスティ。


 イリスの"お願い"はとても珍しかった。

 正直なところ、あまりイリスがレスティにお願いをする事はかなり少ないため、何だか頼られて嬉しく思ってしまうレスティ。


「髪を切ってほしいの」


 イリスから飛び出して来たとんでもない言葉に、お茶が変なところに入って咽返(むせかえ)り、ごほごほと咳き込んでしまうレスティ。危うく盛大にお茶を噴出すところだったレスティは、イリスに『だ、大丈夫?』と少々どもりながら聞かれたが、正直それどころではなかった。


 少々落ち着いたところでイリスに聞き返した。

 どうやらその言葉は聞き間違えたと彼女は判断したようだ。

 その姿は冷静を装っていたが、声は思いきり裏返ってしまった。


「か、髪を……切りたいの?」

「うん。髪を切ってさっぱりしようかなって。なんていうのかな、心の変化っていうか、変わりたいっていうか」


 笑顔で自分の髪の先を触るイリスに、レスティは聞き間違いではないその要望に取り乱しそうになる。口角が引き攣りながら優しく反論するレスティ。


「で、でも折角綺麗な髪なのに勿体無いわ。き、切らなくてもいいんじゃないかしら?」

「ありがとう。でもなんとなく、前に進むためには必要かなって思えたの」


 レスティはそこまで聞いて半分は納得出来た。確かに心機一転するには髪を切るのもいいと思う。とても辛い事を乗り越えたとはいっても、何かをすることで気分を変えたいという気持ちも良くわかる。


 けど、けど! 折角綺麗な髪なのにっ! 折角背中の真ん中まで綺麗に伸ばせたとても美しい髪なのにっ! 切るだなんて、何て勿体無い! 


 ……あら? ……でも。……いえ、待って……。 

 もしかしなくても、切るの私よね? 私なのよね!? 私がイリスの綺麗な髪を切るのよね!? どどどどうしましょう!? 私には無理よ! そんな事出来ないわ! イリスの綺麗な髪を切るだなんて、例えるなら美しい宝石を砕くような愚行だわ!!


 レスティは人生で一番狼狽(うろた)えていたのかもしれない。

 恐らくイリスを知る誰もがそれを一度は反対するだろう。

 それほどに彼女の髪は同性から見ても、とても美しいと言い切れる。


 せめて束ねたりしてもいいんじゃないかしらとレスティは愛用している様々なバレッタを持ってイリスに見せ、切らない方が良いわよと言わんばかりに誘導するが、どうやらイリスの意思は切る事を望んでいるらしい。頭が真っ白になりながら、イリスに調合部屋まで手を引かれ、連れて行かれてしまったレスティ。



 調合部屋の窓側の明るい場所で椅子に座ってケープを掛け、その上に美しく銀色に輝く髪を乗せているイリス。後ろにはハサミを持つ涙目のレスティ。


 必死に状況を打破しようと試みるものの、やはり声は裏返っている。


「じゃ、じゃあ、毛先だけ揃えましょうねっ」

「ばっさりいいよ。短くお願いします」


 ああっ、め、女神様っ! どうか愚かな凶行に走る罪深き私をお赦し下さいっ!


 もはや混乱を通り越して錯乱しつつあるレスティに気付かず、新しい髪形にわくわくしているイリス。なんと対極的な二人であろうか。

 イリスの知り合いが聞いたら恐らく全員一度は止めるであろう行為(つみ)にレスティは今、手を染めようとしていた。


 顔面蒼白になりながらハサミを持つ手がかたかたと振るえ、イリスの髪の真ん中を軽くショキっと音が鳴る。


 切っちゃった! 切っちゃった!! あああっ、女神さまっ!!



 ハサミを通すたび、今まで感じた事も無い途轍もない罪悪感がレスティを襲う。

 新しい髪型似合うかなとわくわくしている少女はそれに気が付く事はなかった。


 全てが終わる頃にはレスティの魂が抜けかけるのであった。




 *  *   




 鏡を見て新しい自分の髪を見つめるイリス。


「わぁ! かわいい! ありがとうおばあちゃん!」


 鏡に映ったのはばっさりと髪を切った、もとい、イリスに切らされた、ふんわりでナチュラルなミディアムボブだった。前髪は眉にちょこっとかかる程度、左目の真ん中くらいから分けて、サイドは耳が隠れ、そして肩に触れる程度の短さとなった、かわいい系ふわナチュボブだ。

 ショートではなくミディアムという所がレスティの最後の抵抗だと思われるが、当の本人にそれが気付かれることはなかったようだ。


 あまりの可愛さにきゃっきゃ喜ぶイリスは、お礼を言おうと後ろを振り向くも、レスティを見た瞬間に目を剥いて叫んだ。


「おばあちゃん!? どどどどうしたの!? なにそれ!? 何そのお口から出てる白くてもちもちしてる丸いやつ!」


 レスティの口からは丸くて白いもちもちしていて、先っぽにレスティの顔が付いたものが出ていた。そしてその顔は、とても幸せそうな満面の笑みを浮かべていた。


「どどどどうすればいいのこれ!? どうしよう! とりあえず押し込むよ!?」


 手をわたわたしながらもイリスは、それ(・・)をぎゅむっぎゅむっとレスティの口の中に押し込んだ。どうやら本能的に身体の中に戻した方がいいと判断したようだ。



 *  *   



 しばらく時間が経ち―――



「はぁ、はぁ、やっと、戻った……。なんだったんだろ、あれ。……おばあちゃん、大丈夫?」

「……えぇ、だいじょうぶよ、ありがとうイリス。一面のお花畑が見えていて、とっても綺麗だったわぁ。そこで私、女神様みたいなとても美しいひとに会ったのよ……」

「なんかまだだめっぽい!?」


 涙目のイリスはおろおろとしつつも、そんなやり取りが続いていった。

 そしてレスティ家には、またいつもと変わらない日常がやってくる。



 そんな遣り取りが一段落した後、今日もお仕事頑張るぞと気合を入れるイリスに、レスティは静かに話していく。


「もう午後だからお客さんも少ないし、今日はこのまま休んでいいわよイリス」


 その言葉に固まってしまうイリスは、思わず聞き返してしまった。


「え……もう午後なの?」

「うん? そうよ? あぁ、そうね、イリスはさっき目が覚めたんだものね。そうよ、今は午後。イリスは丸一日半眠ってたのよ?」

「ま、丸一日半……。そ、そうなんだ、ごめんねおばあちゃん、寝過ごしすぎちゃった」


 そう言うとおばあちゃんは優しい笑顔で言葉を返してくれた。


「だいじょうぶよ、よっぽど疲れてたのよ。そういう時はしっかり眠らないとだめよ?」

「……ありがとう、おばあちゃん」


 午後はお仕事に出るよ、とレスティに無理をいい、お仕事をさせて貰った。

 まだ休んでいた方がいいと判断したレスティだったが、いっぱい寝て元気だし大丈夫だよ、とレスティに伝えるイリスは、そのままお店に出ることにした。


 忙しい時間帯になると、カランカランと扉の鐘の音が聞こえてお客さんが入ってくる。いつもの通りイリスはいらっしゃいませ、と元気な笑顔で言うが、来店したお客さんのほとんどが私の髪を見て狼狽え、おろおろし、どうしたんだと聞かれ、その度に同じ答えを返す。


 そんなこんなで、今日はいつもよりもずっと売り上げが悪くなってしまった。

 お客さんの方が買い物どころじゃなくなった、というのが正しいのだが。


 あまりの売り上げの悪さに、イリスはレスティへ申し訳なさそうに言葉にした。

 そんなイリスへレスティはくすくすと笑いながら、優しくそれに返していく。


「ごめんね、おばあちゃん。私、寝てた方がお薬売れてたかも」

「そうしたら明日の売り上げに響いちゃうわねきっと。そんなことイリスは気にしなくていいの。お客さんにイリスの元気な顔を見せてあげてね。それだけで今は十分なのよ」


 レスティの優しい言葉に包まれながら、温かい気持ちになっていくイリス。

 そんな大切な祖母へ、イリスは心を込めながらありがとうと言葉を紡いでいく。


 今日はそんな温かな日だった。



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