"戦い"が終わって
ミレイは仲間を見ていくと、ヴィオラたちは微笑で返してくれた。
最後の最後で何もする事が出来なかった悔しさは残るが、それでも眷属を仕留められた事に安堵し、ようやく落ち着けるといった表情を一同は見せていた。
そんな彼女達にミレイも微笑み返していった。
「ミレイ!!」
「え?」
だが急激に彼女達の顔色が険しくなっていき、ヴィオラが叫んで警告していく。
状況が掴めないミレイ。
だが特に何か変化があるようには思えなかった。
しかしそれは突然襲って来た。
凄まじい痛みが足に走るミレイは思わず上半身を倒し、眷属から転げ落ちてしまった。訳も分からず思考が混乱していたミレイは、その原因と思われるものに気が付く。
倒した後も尚眷族に纏っていた黒い靄が、ミレイの足に纏わり付いていた。
「なに、これ……」
黒い靄がゆっくりと上へと向かい、戸惑うミレイを覆い始めていく。
あまりのことにミレイは取り乱しながら振り払うが、その靄は払っても払っても彼女に集まるように戻ってきてしまった。
全員がミレイの元へと駆け寄るが、ミレイがそれに気付き、慌てて制止した。
「来ちゃだめだ! これに近付いちゃいけない!」
そんな気がしたミレイは、声を荒げて叫んでしまった。
その言葉に動きを止めるヴィオラたち。
詳しくなんて分かる訳がない。
だがこれには、どす黒い感情を含んでいるのが手に取る様に彼女には分かった。
もしこの黒い靄に触れてしまえば、他の仲間もこれの影響を受けてしまう。
そんなどこか確証染みたものをミレイは感じていた。
徐々に気分が悪く不快な気持ちに包まれてく。おぞましく、吐き気を催すような感覚。彼女を蝕む異物が身体の中で大きくなっていき、ミレイは力なくその場に立ち上がるも、立つのが精一杯のようだった。
どんどん重く暗く、負の感情に支配されていくミレイ。
身体の半分を靄が覆うと、まるで身体が裂けてしまいそうな強烈な激痛がミレイを襲い、小さく叫びながら意識が遠のいていくのを感じた。
空を見上げ、大切な妹の名を心の中で呼びながら、彼女の意識は深い暗闇の中へと落ちていった。
* *
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
激しい足の痛みを感じなくなっていたミレイは、静かにその瞳を開けていった。
目を開けて辺りを見回すと、そこは何もない真っ暗な世界にいるように感じた。
ミレイはヴィオラたちを探そうとするも、この近くには誰も見当たらなかった。
不思議と自分自身を見ることが出来る様で、身体に異常が無いかを調べていく。
まるでそこは闇の空をふわふわと漂う様な、妙な浮遊感をミレイは感じていた。
ミレイの意識がはっきりと戻ってくると、見えない地面のような物を踏みしめた感覚を感じ、ミレイは何も見えない暗闇の世界で、立ち竦んでいた。
身体に痛みも異常も見当たらないのを確認し、世界を見回していくミレイ。
真っ暗な世界。完全な闇。
暗いのではなく、その場所は文字通りの黒で塗りつぶされた世界のようにミレイには思えた。何故か自分だけを視認出来る不思議な世界。
だがその世界には、どす黒い感情が辺り一面に溢れているのを感じ、思わず顔を顰めながら口を手で押さえてしまった。
状況が掴めずに呆然としていると、背後から声をかけられたような気がした。
どこか聞いた事のある様なその声の方向へと振り向くと、そこには頭に白くて長い耳を乗せた少女が俯いたまま立っていた。
先程辺りを見回した時には、そんな少女は立っていなかった。
いつの間に現れたというのだろうか。
その少女の髪は真っ黒い色をしたショートヘアだったが、身なりや顔つきなどその風貌は彼女にとって良く見知った者だった。
「……あた、し……?」
思わず声が漏れてしまったミレイ。少女の髪は黒いし、俯いたままで顔は見えないが、確かに自分だと何故か理解してしまった。
その俯いた少女の唯一見える口元をミレイが見た時、一瞬で血の気が引いてしまった。少女の口がにたぁっと、薄気味悪く少しだけ口を開きながら口角を上げたからだ。
その姿を見たミレイは全身が強張り、心臓が警鐘を鳴らしていった。
これはとても危険な存在だと一瞬で理解出来た。それほどの恐怖を感じた。
姿はとても似ているが、あたしであって、あたしではないと断言出来た。
いや、これは、ヒトの形をした何かだと理解させられた。
思わず距離を取ってしまうミレイだったが、少女はいつの間にか消えていた。
辺りを見てみるも、その姿は忽然と消えてしまった。
「――――ッ!!」
ミレイを凝視する二つの瞳。
後ろに振り向いた瞬間、その少女は間近でミレイを凝視していた。
その距離は十五センルと離れていなかった。
余りの事に悲鳴を上げる所だが、今のミレイはそれが出来ないで固まっていた。
その瞳が尋常ならざる、絶対に人では出せない悍ましいものをしていたからだ。
体から一気に汗が噴き出していくミレイは、その感覚を以前感じた事があった。
その少女はヒトの瞳でありながら、眷属の眼をしていた。
あのおぞましく、傍にいただけで恐怖に駆られた、凄まじく濃密な殺気。
それに耐え、乗り越えたミレイであっても、その眼を見た瞬間思い知らされた。
少女が放つその凄まじいまでの殺気は、眷属のそれを遥かに凌駕していた事に。
向けられた殺気の凄まじさに、歯をかちかちと鳴らしてしまうミレイは、そのおぞましい眼で睨み付けられながら、少女の発した声をはっきりと聞いた。
『――忌々しい』
一瞬、聞き間違いかと思ったミレイ。だが少女は言葉を続けていく。
にたにたと薄気味悪く笑いながら発せられる、その重くとても不快な仄暗い地の底から聞こえて来るかのような低い音は、真っ暗な世界に小さな声で、だが確かにはっきりと周囲に響いていった。
『全ての存在が忌々しくて仕方がない。だからあたしは世界を潰そうと思うんだ』
* *
力無く空を見上げ、立ったまま意識を失っているミレイの安否を確認しようとしていたヴィオラたちは、突如ミレイの周囲から発せられたと思われる凄まじい衝撃に、数メートラ吹き飛ばされてしまった。
近くに居たリーサとロットは、その衝撃を強く受けてしまったためか、ヴィオラたちの近くまで飛ばされても尚、その勢いを止められずに強く飛ばされていた。
ぎりぎりのところでヴァンがロットを、リーサはヴィオラが受け止め、彼女たちは吹き飛ばす力を発現したと思われるミレイの方を見遣る。
空を見上げていたミレイだと思われるそれは、ゆっくりと項垂れていき、だらりと腕を下げながら濃密でおぞましい殺気と共に、黒い靄を全身に纏っていった。
その姿に思わずラウルが叫び出す。
「――んだよこれ! 何なんだよ!!」
この場にいる全員が全く状況を飲み込めずに戸惑う中、ミレイと思われるそれは、先程の衝撃で彼女の後方三メートラほど飛ばされた眷属に向けて、ゆっくりと上げた右手を赤く光らせながら、勢い良く払っていった。
途轍もない衝撃と熱を帯びた熱い風が、凄まじい風圧で眷属だったものに襲いかかっていく。まるで雷鳴が轟いたような轟音と光が辺りを包み込み、ヴィオラたちは堪らず瞳を腕で遮りながら瞑っていった。
暫くして勢いが収まったのを感じ、ヴィオラ達は瞳を開けてみると、眷属がいた後方の浅い森が扇状に削られ、そこには何も無くなった大地だけが広がっていた。
直線距離で凡そ三十メートラ全てが消失しており、その先にある木々はグシャグシャになっているのが見える。
中央に眷族と思われる塊が転がっているが、それは真っ二つに両断されてしまっていた。幾ら強化型ブーストが消失した状況だとしても、有り得ないほどの威力をミレイと思われるそれが体現させてしまった。
あまりの衝撃に、驚愕の表情のまま言葉を発する事なく固まってしまう一同。
* *
何も無い黒い世界でミレイは、あまりの恐怖で口が震えながらも、思わず少女が発したおぞましい言葉に返してしまった。
「……なに、を、いってる、の……?」
『なにって、憎くて忌々しいから潰すんだよー。全て邪魔だから壊すんだ』
恐怖に慄きながらも言葉にしたミレイに向かって、少女はあははと笑いながら返答し、想像もしていなかったおぞましい言葉を続けていく。その表情は先程のにたにたと気持ち悪く不快に笑う様子は微塵も無くなり、まるで世界にいる全ての人を絶望させるかのような途轍もない殺気を、隠すこと無く全面に溢れさせていきながら、おぞましい言葉を続けていった。
『全てが邪魔だ。街も、国も、人も、魔物も、森も、大地も、山も、川も、海も、空でさえも。全ていらない。消えてしまえばいい』
少女は再びにたにたと薄気味悪く笑いながら、ミレイに向けて最悪の言葉を告げていった。
『そうだ。近くにフィルベルグがある。まずはそこを潰そう。大して大きくもないし、あの場所はイリスも居るからね』
その言葉に驚愕しながら瞳を大きく開き、少女を思わず聞き返してしまう。なにを言っているのかと。意味すら理解出来ないそのおぞましい言葉に反応したミレイへ、少女は嘲りながら彼女へと冷酷で非情な言葉を宣告していった。
『あはは、イリスが居るから潰すんだよ。可愛い可愛い妹だからねー。大切に摘み取ってあげないと』
今まで生きた中で聞いた事も無いその恐ろしくおぞましい言葉に、がくがくと足が震え、その場にへたり込んでしまうミレイ。その様子を見た少女はミレイの耳元で睨み付けながら、小さく言葉を発していった。
『安心していい。誰一人として逃がさない。全てあたしが摘み取ってあげるから、安心してお前はここで消えていけ』
そう言いながら、少女の姿をしたそれはミレイの首を掴もうと右手を伸ばしていく。めきめきと鳴らしたその右手がミレイに触れようとした時、彼女は小さな声で呟いていった。
「…………な」
『んー? 何か言った?』
その声に反応した少女は、伸ばしていく右手をぴたりと止めて、ミレイの発した言葉を聞き直していく。
「ふざけるな!!」
ミレイは俯いたその顔を勢い良く上げながらそれへ向けて大きく吼えていった。
「全て邪魔!? 憎い!? 忌々しい!? だから壊す!? イリスが居るから潰す!? 可愛い妹だから摘み取る!? 安心していい!?
ふざけるなよお前!! 寝言は寝てから言え!! そんな事させない!! 絶対にさせない!! そんな事あたしが黙って見てる訳ないだろうが!!
邪魔なのはお前だ!! 消えるのもお前だ!! さっさとあたしから――――」
ミレイは立ち上がり、勢い良くそれの胸倉を掴みながら引き寄せ、おぞましい瞳を直視しながら怒鳴り散らしていった。
* *
「――――あたしから出て行けええ!!!」
ミレイの全身から繰り出される衝撃波。その力強くも優しい、美しく輝く赤い魔力は空を貫くように立ち昇り、ミレイを纏っていたおぞましい黒い靄は次第に霧散していく。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
とても辛そうに激しく呼吸をするミレイ。
黒い靄は完全に空へと消失していった。
ヴィオラたちはその様子を見守っていたが、力なくその場に崩れ落ちたミレイを見て、すぐさま駆け寄っていく。
「ミレイ!!」
ミレイを抱き起こして呼びかけるヴィオラ。だがミレイの表情は疲れ果てた様子だった。血色がとても悪く、髪に艶が失われてしまっている。彼女の言葉にうっすらと開けた瞳には覇気がまるで感じられなくなり、虚ろな目でどこか遠くを見ているように思えた。呼吸は一気にその勢いと強さを失い、徐々にひゅーひゅーと苦しそうな音を小さくあげていった。
既に意識があるのかも判別し難い状態に一同は戸惑いを隠せないが、その明らかな異常に、リーサは冷静に判断していく。
「ヴィオラさん! ポーションはここにありません! 急ぎ街に戻り、ミレイさんをギルドの救護室に運びます!」
10/1更新予定のお話を、諸事情により特殊な時間帯に更新させて頂こうと思います。恐らく0時、3時、6時の3回に分けて一話分を更新すると思われます。楽しみに読んで下さっている方には大変申し訳ございませんが、どうか我侭を通させて下さいますようお願いいたします。




