"天を衝く"咆哮
悠然と立ちはだかる三人は、真っ直ぐ自分が成すべき事を見据えながら眷族を見つめていく。その姿は強い決意と覚悟を表した、とても美しい佇まいをしていた。
ミレイはマナポーションを取り出し、先程の攻撃で消費したマナを完全に回復させていく。ようやく立ち上がった眷族は彼女達に睨みを利かせるも、その膝は笑っていた。その弱々しい姿は本当にもうぎりぎりのように思えるが、彼女達が手心を加えるつもりなど一切無かった。一気に叩き、終わらせる。ただそれだけだ。
眷属は忌まわしく彼女達に声を上げながら突進するが、既にその勢いは見る影もなかった。途中で自慢の突進ですら止まりそうになるほど、もう満身創痍の状態だった。それ程の攻撃だったとも言い換えられるが、だからこそ彼女達は手加減をしない。
この場にいる誰もが、甚振って悦に入るような性格などではない。
一気に、そして確実に眷属を斃そうと行動に移していった。
ロットが先行し、前に出て盾を構えていく。
勢いのない突進を返すことなど、彼にとっては最早造作もないことだった。
眷属は残された一本の牙を繰り出そうとするも、その力のない攻撃は軽々と身体を回転させられ、地面に返されてしまう。
そこへリーサが魔法を放ち、その鋭い水槍は眷属の腹を向こう側まで貫通した。すかさずミレイが姿を消し、鋭くそして深く二度斬り付けていく。瞬く暇も無いうちに眷属の左側と右側に刻み込んだ斬撃に、痛々しい叫びと共に血が噴き出すも、彼女達が容赦をすることはなかった。
リーサの近くまで戻って来たミレイはマナポーションを飲みながら、一息ついていく。その合間を使い、リーサが追撃をしていく。彼女から放たれた強靭で鋭い槍は、眷族の首を狙うも少々弾かれたようだ。
軽くダメージがあるようで、未だ強化型ブーストは健在だと判断出来る。
だからといって今更もう障害にはならない。
止めを刺すのは彼女ではないのだから、首など貫けなくていい。
リーサの魔法攻撃で止めを刺すつもりなどなかった。想定通りだ。
失ったマナを回復したミレイは、再び見えない攻撃を繰り出していく。
正直こんな速さで攻撃を繰り出されたら、避ける事など誰にも出来ないだろう。
更に深く抉り込むように傷をつけていき、リーサ達の元へ戻って来たミレイ。
彼女の斬撃に続くように、ロットが眷属へと一気に距離を詰めていった。
「はあああ!!」
ロットは充填法を使った赤く光り輝く盾で、渾身の一撃を眷属へ向けて豪快に殴りつけていった。その衝撃音は周囲をびりびりと震わせそうなほど凄まじく、眷属の右牙を砕折させながら、巨体であるにも関わらず地面に倒れ込んでいた眷属を、後方三メートラまで叩き飛ばしてしまった。
眷属は後方へと転がりながらも力無くうつ伏せになりながら、小さな呻き声をあげていく。
鋭い瞳になりながら杖を構えたリーサは、渾身の一撃を繰り出そうと持ち得るありったけの魔力を込めた水の槍を放っていく。
あまりの衝撃に耐え切れず、鉄製の杖は拉げてしまった。彼女自身は重い眩暈で留まり、意識を刈り取られずにその場にへたり込む程度で済んだようだ。
眷属の肩から腰にかけて貫いていく槍は、突き刺さる事無く通り抜けていった。
水の槍が当たったのを目視して、ミレイは最後の二連撃を繰り出す。
瞬時にリーサの近くへ戻って来たミレイは三本目のマナポーションを飲み干し、一息ついた後、ロットに向けて言葉を投げていった。
「ロット! お願い!」
「! わかった!」
一瞬で理解したロットはミレイと共に眷属へと向かって走り出し、ミレイに向けて盾を斜めに構えていく。それを足場に空へと高く飛び上がったミレイは、勢いが止まる最高点に到達すると誰にも聞こえないような小さな声で、だがはっきりと言葉にしていった。
「眷属がいるだけで、うちの妹が怖がるんだ。だから――」
ミレイは眷族の首元に落下し、その頭に赤く輝く魔法銀製の短剣を頭に突き刺しながら言葉を続けていく。
「――もう眠れ」
その表情は白くさらさらとした美しい髪に隠れて見えなかったが、その声はどこか切なそうに響き、誰にも聞かれることなく風に攫われていった。
凄まじい悲鳴と共にゆっくりと頭が上がり、天を仰ぎ見ながらも徐々に声の勢いが無くなるまで、大地を揺るがすような巨大な音は止まる事がなかった。
その数リロメートラまで届くかのような凄まじい咆哮は次第に収まっていき、眷属はそのまま力なくゆっくりと地面に沈んでいった。
ミレイは眷属から短剣を抜き、その血を払った後、腰にある鞘へと静かに収めていった。
小鳥の囀りすら聞こえない浅い森に、静寂が戻っていく。
終わってみれば、最後は完全に圧倒していた。
リーサにはもう負ける要素など微塵も感じていなかった。
だからこそ悠長に話をしていたくらいなのだから。
この戦いは空しさや寂しさ、虚無感とも言えるような気持ちで包まれてしまう様なものだった。これ程の絶大とも言える力があれば、例え何十匹の魔物が襲来しても退けることは容易だろう。それこそ一人の力で何百と言う戦果を上げることが、現実的に可能となってしまう。
だからこそ思う。この力の凄まじさを。
だからこそフィルベルグ王家は秘匿し続けて来た。
これこそが歴代の王族がひた隠しにし続けて来た事だと確信が持てた。
こんな力があれば碌な事にならないと十二分に理解した上で何十年も、いや、何百年も隠し続けて来たのだろう。
そしてミレイやリーサ、ロットもそれに至ってしまった。この力は確実にプラチナランクなどではない。これはプラチナランクの先、英雄の領域とまで呼ばれたミスリルランクに相当するだろう。
彼女達は嘗ての英雄、伝説のミスリルランク冒険者の一人である魔術師メルン・オリヴァーの領域に足を踏み入れてしまった。恐らく彼女もこの力に至っていたのだろう。数々の伝説を成し遂げた彼女は、十中八九この力を所持していた筈だ。
これまでは彼女の偉業を誇張して後世に残されたのだと思っていた。だがそれは間違いだったと今ならば断言出来る。ミレイ達には彼女の偉業の裏付けと呼べるものがやっと出来た気がした。これはそれだけの、超絶とも呼ばれる技能だろう。
だが、そんなことはもういい。
もうミレイには関係のないことだ。
ミレイはゆっくりと空を見上げていき、瞳を閉じた。
これでやっとイリスのところへ帰れる。
長かった。本当に長かった戦いが、やっと終わった。
眷属の脅威が去った今、イリスを脅かす存在はもういない。
胸を張って、大切な妹の元へ帰ることが出来る。
辺りは怖いくらいの静寂に包まれていた。
今までの激戦がまるで嘘のような静けさだった。
これで思い残す事無く、冒険者を辞める事が出来る。
そしてこれからはイリスと一緒に暮らし、イリスと共に生きる事が出来る。
今のミレイに手に入れることが出来た、新しい目標だ。
そして冒険者として生きていく意義を無くしてしまった。
でもそれでいい。
冒険者なんて危険な職業は、続ける必要など無いのだから。
可能であれば薬屋の売り子をしてもいい。ギルドでお酒を運んだっていい。
これからはイリスとずっと一緒に居られるのだから、どんな職だっていい。
命の危険がなければ、どんな職業だって。
いっそのことレスティさんの所で無償でお手伝いをしたって構わない。お金を貰えなくたってやっていける。その先の事はイリスが大人になってからでも決められる事だ。
イリスがなりたいものを見つけ、なりたいものを目指した時、あたしはそれを支えればいい。それが薬屋であるのなら共に働き、素材を手に入れる必要に応じて出かければいい。それが冒険者であるのなら、再びあたしも戻ればいい。時間はたっぷりある。もう日課になってしまった自己鍛錬も続けていくだろうし、多少のブランクがあったって、イリスと一緒に成長していけばいい。
……でも、今はただ、イリスの傍に居たい。
他には何も望まない。イリスさえ傍に居てくれるなら。
ミレイはそんな想いを巡らせていた。
既に日は傾き、オレンジ色の優しい光が辺りを包み込んでいた。
フィルベルグに着く頃は夜になっているだろう。
瞳を閉じているミレイの頬に、秋の涼しげな風が優しく触れていった。
しばらくすれば寒さが強くなり、冬に季節は移り変わっていくだろう。
イリスは雪を見たことがあるのだろうか。
このフィルベルグは温暖な気候なため、あまり雪は降らないと言われている。
ミレイはここへ来て二年足らずだが、フィルベルグで雪を見たことが無かった。
もしイリスが雪を見たことが無いのなら、見せてあげたいと思っていた。
行きたい所、見たいもの、知りたいこと、食べたい物、教えてあげたいこと、一緒に新しいものを感じること。やりたいことが沢山出来た。
イリスが望むのなら何でも叶えてあげたい。
でも、まずはイリスに逢いに、新しい家に帰ろう。
きっと二人はそれを望んで、今も待ち続けているだろうから。
ミレイはゆっくりと瞳を開け、オレンジ色の空に流れる雲を見上げたまま、とても透き通った美しい声で、はっきりと言葉にしていった。
「帰ろう。イリスの元へ」
リロメートラ、キロメートルの事です。
プラチナランクの上にあるミスリルランクとは、世界最高峰の冒険者の事ですが、その領域へと到達した者はたったの数名と現在では言われております。その全ての人物が途轍もない偉業を成した伝説の存在と、今も尚語り継がれております。
その偉業と存在は、子供向けの書籍にもなっているくらいで、この世界の多くの子供達が親から聞かされ、それを聞いた子供たちが憧れ続けてきた、最もポピュラーな英雄譚の一つとなっております。