"生きて帰ろう"
ヴィオラがリーサ達へと指示を出してからどれ位の時間が経ったのだろうか。
二十ミィルか三十ミィルか、もう定かではないほど時間が経っている様にも思えるし、まだ十ミィルも経っていないのかもしれない。
時間経過の感覚が分からないほどに、彼女らは疲労困憊していた。
だが、ここへ来て急激な変化が訪れているようだ。
眷族の動きが極端に鈍っていた。既に数多の傷から、立っている事すら理解出来ないほどの重傷を負っているはず。
それでも立ち続け攻撃を仕掛けてくる様は、怪物以外の何物でもなかった。
本当に生物ですらないのかもしれないと思えるほどに。
足に力を込め、勢い良く飛び出す眷族。
既にその勢いはかつてのそれは無く、明らかに先が見えた動きとなっている。
直線上にいたヴァンは動きを最小限で回避行動を取り、突進を避けながらも体勢を整えて攻撃へと移っていく。
身体を捻るように繰り出された戦斧は、片手で美しい曲線を描きながら鋭く眷族へと迫り、激しく斬り付けていった。その衝撃に大きな悲鳴を上げていく眷族は、その一撃で地面に横たえていくも、すぐさま起き上がっていく。
明らかにダメージは蓄積されている。
されてはいるが、それでも尚立ち上がるその姿に驚愕の表情を隠しきれない。
一体どれだけの強大な体力を持っているのか、見当すらも付かない。
「ご自慢の突進も使えなくなったな、猪」
ヴィオラが強気な言葉を発するが、その顔色はとても悪い。
彼女自身も限界が直ぐ近くにまで迫ってきてしまっている。
いつ倒れてもおかしくないほどの疲労感が彼女を襲っていた。
どちらも満身創痍での戦いとなっている。
尤も、ヴィオラ達に大きな傷は見られないが、身体が言う事を聞かなくなって来ている今では、どちらも決定打に欠けた状態と言えた。
いや、あれほどの突進が出来ない状態であったとしても、その威力を直に受けてしまえばただでは済まないだろう。こちらの分が悪いと言わざるを得ない状況かもしれない。
「さて、どうするかね」
独り言を呟くように大槌を構えるラウル。
「どうもこうもないだろ。アタシらはひたすらアイツを斬ってりゃいい」
「うむ。異論は無いな」
「問題ない。勝機が見えている以上、負ける事など願い下げだ」
ヴィオラの言葉に同意していくヴァンとブレンドン。
だが、強気な発言に頼もしく思う者はもういなかった。
* *
アルフレートは少女を馬に乗せ、戦闘区域を回りこむようにしながらラーネ村へと向かっていた。その足取りは少女に負担がかからないように多少遅めではあるが、確実に村へと近づいている。
正直なところ、アルフレートは焦っていた。
今この瞬間にも、戦況が大きく変化する可能性があるからだ。
自分がいれば戦況は大きく変わる、などと自惚れた事を言うつもりはない。
自分の力量も、何が出来るのかをもアルフレートは十分理解している。
それでも気持ちが急いていた。
自分が戦線に復帰出来れば、ある程度仲間の負担を軽減出来るからだ。
焦っても仕方が無い事とは言っても、気持ちを落ち着ける事が出来ずにいた。
「せめて捜索隊の斥候と合流できれば……」
そんな想いが彼を焦らせているようだ。
少女を抱えた状態で馬を思い切り走らせる訳にも行かない。
気持ちを落ち着かせながら、アルフは浅い森をゆっくりと馬を走らせていた。
「……ん……ぅ……」
暫く馬を走らせていると、少女の意識が戻って来たようだ。
恐らく眷属の放つ殺気を受けてしまい、意識を完全に刈り取られていたようだ。
思えば駆けつけた時も、この少女はうつ伏せで倒れ込んでしまっていた。
あれ程の殺気を受けてしまうと、その精神に何かしらの影響を受けてしまうのではないだろうかとアルフレートは恐れたが、どうやらそういった事も無いようなので安心する事が出来た。
意識を取り戻した少女は頭を上げ、現状を把握しようとしていた。
アルフレートは出来るだけ穏やかに、優しい声で少女に話しかけていく。
「気が付きましたか?」
「……ここは」
「僕達は今、ラーネ村へと向かっています。僕の名はアルフレート。アルフレート・フォルスターといいます」
少女は視線をアルフレートへと向け、その優しく微笑みながら話す仕草に、思わず顔を赤らめて正面へと視線を戻してしまった。
だがすぐさま少女は、目的だった物を探す仕草をする。
腰に付けていた袋に目的の薬草を見つけ、ホッとする少女。
「……よかった。やくそうも持ってた」
「大丈夫ですよ。大切な物ですからね」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「もうすぐ村に着きます。少しだけ早く走りますね?」
「うんっ」
アルフレートには見えないが、少女の顔は紅潮しているようだった。
暫く馬を速歩で走らせていると、左前方に人影が見え、アルフレートは急いでそちらに馬を向かわせていった。
* *
倒れ込む眷族を睨みつけながら、ヴィオラは憎たらしげに言葉を出していった。
「……これで、何度目、だよ」
肩から息をしているヴィオラは眷属へと追い討ちが出来ずに立ったままでいた。
疾うに体力の限界を超えている。立っているのがやっととも言えるような状態だが、それは彼女だけではない。ここにいる全員が、横たえる眷属へと追撃を仕掛けられずに立ち竦んでしまっていた。
これほどの状態になってしまうと、重量武器と言われる彼らの装備が仇となってしまっている。その威力はとても高い武器ではあるが、振り下ろすだけでも体力を消耗してしまう武器でもある。
その中でもロットは武器も防具も軽いため、未だに動けると思われがちだが、彼も既に限界を超えつつあった。今現在、軽い眩暈まで起こしている状況だ。
これだけ魔力を込めて盾を殴りつけていたのだから仕方のない事ではあるが、それでもロットは自分にまだ何か出来る事が無いかを模索しながら、眷属から視線を離さずに立ち続けていた。
ここまでの苦戦を強いられる事になるとは、この場にいる誰もが想像だにしていない事だ。ベア以上の魔物程度としか思っていなかったが、蓋を開けてみればとんでもないバケモノだった。
こんな凄まじい存在がいたとは正直思いもしなかった。
全てにおいて冒険者を越えている存在として、目の前に君臨している。
「ちと不味いな、これは」
とても稀なヴィオラの放つ弱気な言葉に一同は驚く暇も無く、眷属が無慈悲に立ち上がっていく。眷属の疲労やダメージは相当なものだ。何度斬り付け、突き刺し、叩き付けたかも覚えていない。
それほどのダメージ量を受けて、尚も立ち上がるその姿は、恐怖を通り越して狂気すら感じるほど異常な不快さを感じていた。
なんてバケモノを相手にしちまってんだアタシ達は。
流石に言葉にする事が出来ず頭の中だけで思うヴィオラだったが、この場から見える仲間の様子を見ると、どうやら似たり寄ったりの思いをしているようだった。
勢いは極端に落ちた眷族だったが、それでも攻撃を止めようとはしない様子に、彼らは防戦一方になりつつあった。
既にこちらからは攻撃に移れないほどの極度の疲労感に襲われていた。自身が得意としている武器ですら持ち上げるのが困難になりつつある今、出来ることは限られてくる。
もう少し、あと少しで。
彼女達は耐える。
眷族の猛攻から、自分達の動き難い身体を引きずるように耐えていく。
直線上のヴィオラへと迫る、勢いの無い突進。
それでも今の彼女には、それを避けるだけの体力が厳しくなっている。
強引に身体に力を入れて回避行動へと移っていくヴィオラ。
途中、膝がかくんと落ちてしまった。
その様子に彼女自身が一番驚いているようだ。
ヴィオラの身体は動かない。
まるで鉛にでもなったように動けなくなっている。
迫る眷族が間近に迫る中、ヴィオラの血は一気に引いていく。
威力が落ちたとはいえ、あんなものを直撃すればまず助からないだろう。
目前まで迫る確実な死。
もはや回避は不可能だった。
だが彼女は瞳を瞑らない。
ここで瞳を瞑ってしまえば、それこそ眷属に屈した事になる。
それだけは出来ない。する訳にはいかない。したくもない。
だからこそヴィオラは眷属から目を逸らしもしなかった。
とても美しく気高いヴィオラに迫る、冷酷で無慈悲な塊。
「おおお!!」
凄まじい轟音とともに、ヴィオラの直前で軌道を変え吹き飛ぶ眷属。
奴がヴィオラに触れる瞬間、ロットが赤く輝く盾で強烈に殴りつけていた。
その体勢のまま地面に倒れ込むロットに、足を引き摺りながら近寄るヴィオラ。
「ロット!!」
「だ、だい、じょうぶです……」
「すまん! 助かった! 動けるか!?」
そんなロットの表情は暗い。
強烈な眩暈を起こしてしまっているようだ。
このままじゃ不味い。急いで退避させる必要があった。
眷属の方を見遣ると、地面を軽く抉りながら転がった様な跡が地面に残っていた。その強烈な攻撃力と引き換えに使った魔力量を察し、ヴィオラが言葉にした。
「ば……やろう……」
それは言葉にすらならないような、本当に小さな呟きだった。
ロットはただでさえ眩暈を起こしている状況で、更に強い魔力を使い、ヴィオラを助けた。普段は絶対しないような、まるで自己犠牲とも思える真似までして彼女の命を救った。
「なんて無茶しやがるんだよ、お前は」
思わず泣きそうな顔でロットに呟くヴィオラ。
「俺に、出来る、事を……」
しただけです。
そう続けたように、ヴィオラには聞こえた。
ブレンドンが近寄り、ロットの安否を確認していく。
あまりの衝撃に魔法銀製大盾がへこんでしまっている。
一体どれだけの魔力を込めた一撃だったのだろうか。
半分呆れた様子でブレンドンはロットへ話していく。
そこに普段では出さないような優しい声でヴィオラは答えていった。
「全く。どれだけ力を込めたんだ、お前は」
「ブレンドン、こいつを頼むよ」
「分かった。少々離脱する。大丈夫か?」
「こっちは何とかする。あともう少しだ」
その言葉に頷き、ロットを肩に担いで戦線を離れるブレンドン。
眷属とは逆の後方へと下がっていった。
立ち上がったヴィオラの元へと集う者達。
「さて、そんじゃもう少し頑張るか」
ラウルの言葉にヴィオラが全員に檄を飛ばしていく。
「お前等!! 獣人の誇りを見せ付けてやろうぜ!!」
「「おおお!!」」
気合の入るヴァンとラウル。
そこに少々寂しさを感じる一人の男が呟いていく。
「……あー、俺、一応人種なんだけど?」
「あ? お前獣人じゃなかったのか、マリウス。アタシはてっきり、同類の熊人種かと思ってたよ」
あまりの言葉に、おおうと呟いてしまうマリウス。
盛大に声を上げて一同は笑い、マリウスも釣られて笑ってしまった。
そしてヴィオラは三人に向けて言葉を発していく。
その声はとても清々しく、透き通った声だった。
「人種だろうが獣人だろうが関係ない! アタシらは戦友だ! ここにいる奴も、いられない奴も、みんな同じ大切な仲間だ! みんなで生きて帰ろうぜ!!」
「「「おおお!!」」」
疲労感は抜けず、武器すらも扱うのが困難だった一同は、不思議な感覚を感じていた。今まで感じていた身体の重さが消えている。だが本当に消えた訳でも、ましてや回復した訳でもない。精神が疲労を凌駕してしまっているだけだろうことは、口になんて出さなくても十分に分かっていた。
そしてこのまま戦い続ければ、とても近いうちに肉体が動かなくなるのも目に見えている。
だとしても、彼らにはそれで十分だった。
何よりも今動ける自分達が出来る事をするだけでいい。
そうすれば、必ず――。
「みなさん!! お待たせしました!!」
浅い森から現れた一人の男。
その声に思わず笑顔を向けながら、ヴィオラは叫んでしまった。
「来たか!! アルフレート!!」




