聖域での"攻勢作戦"
「来た! 先行ボア三、十時、七十五、スパロ三、十一時二、百二十、二時一、百三十、フロック三、二時合流、八十!」
聖域での攻勢作戦が開始されて既に六時間が経過していた。
順調に魔物の駆逐に成功し、戦果は今回のを合わせて七十を超える数となった。
今回の作戦において、今まで噂されていたミレイが持つ索敵能力の高さを、冒険者を含む多くの者が改めて知ることとなった。それは優秀などというどころの能力ではない。これはもはや今回の作戦全体の中核となってしまうだろう。
ミレイ頼みとなってしまうところに他の冒険者は思うところもあるが、それ以上に魔物の多さに引いてしまうほどの連戦を強いられている。
そして何よりも"眷属"による凶暴化の影響が冒険者を苦しめていた。
普段の魔物よりも強く硬く鋭い攻撃に、作戦当初は一戦毎にパーティーの後退を迫られており、かなりの苦戦を強いられていた。
現在はその強さにも対応出来た冒険者が順調に狩る事が出来ているようだった。流石はシルバーランク以上の洗練された冒険者だと言えるだろう。
それでも何回かの戦闘で疲弊したと思われた時点で、即時別の冒険者パーティー達へと引き継がれ、狩り続けるという作戦を取らざるを得ないのだが。
前線で活躍している冒険者は、大きく分けて三つの編成で構成されている。
最前線での戦闘を担当するパーティー達と、突発的な何かが起こった際にすぐに動き、最前線を補助するパーティー達。そして休憩を取り、次に備えるパーティー達の三種類にそれぞれ三チームずつの編成をし、作戦に当たっている。
更に後ろには"眷属"が現れても動けるように、ギルドから選ばれたゴールドランク冒険者六名と、プラチナランクであるロット、ヴァンが待機している。当然彼らはその時に備え戦うことは出来ないが、いつでも行動出来るように集中していた。
勿論それぞれのやり方で、ではあるのだが。
そして聖域を挟んで両脇の草原近くに、前線に出られなかったブロンズランク含む斥候達が、魔物の動向を監視していた。こちらにもそれぞれ三チーム作り、一チームずつ同じように交代制で常に目を光らせている。もし何かが起こればすぐに伝令が早馬で、聖域とフィルベルグへ送られる手筈となっている。
だが問題なのは、この作戦にミレイが外せないという点だ。
替えなど利かない存在なのだから仕方がないとは言え、現在まで六時間もの長い時間を作戦に参加し続けていた。もちろん休憩時間も、スタミナポーションによる回復もしているが、精神的な疲労は薬での回復が出来ないため、徐々に蓄積されていく。ましてや鋭い聴覚を使っての索敵は、必要以上に疲労度が溜まってしまう。
更にはこれだけ狩り続けていても、未だに大森林の中腹まで届かないという程の魔物の多さである。その疲れは想像出来ないほど、彼女の中にまるで錘のように重く鈍い疲労として溜まっていった。
そんなミレイは弱音や泣き言一つ口に出す事は無く、作戦を淡々と続けていく。
「先行スパロ四! 十一時二、百十、二時一、百二十、三時一、百三十、ボア二、三時合流、七十!」
この言い方は冒険者同士の遣り取りとして扱われているものだ。
以前、古代遺跡でイリス達がスパロホゥクと遭遇した際の言い方と多少異なる。あの時は初心者三人がいた為、分かりやすく言っていたが、今回の作戦にそれは必要ない。寧ろ要らない言葉が多過ぎるため、余計な混乱を招く事もあるので、もっと少ない言葉で言う必要が出てくる。
つまり、先行してスパロホゥクが四匹接近中で、二匹は十一時の方向の距離百十メートラ、一匹は二時方向から百二十メートラ、続いて三時方向から一匹、距離百三十メートラで接近中であり、先程魔物を釣った時に接近中であったボアも二匹、三時方向のスパロホゥクと合流するように同じタイミングでこちらと接触する、と言う意味となる。
まず敵の詳細、続いて数、方向と、距離の近い順から伝える、と言うのが冒険者の基本となっている。
時計は一般的に出回らない高級品であるが、方向を示すのに非常に役に立つため、その遣り取りを学ぶ事は熟練冒険者達に必須とされている技能の一つである。
これが把握出来るか出来ないかで、冒険者の質が全くと言って良いほど違ってくる。この言い方を理解して行動出来ないとパーティー全体を危険に晒す事になる。
それはつまるところ、命にも直結してしまうという意味にもなるのだから。
倒し終えた魔物は、聖域に待機してある空の馬車に積み、血を零さない様にしながら浅い森の先、草原を抜けて王国の城壁辺りで捌いた後、素材をギルドへと運んでいく。馬車を何台も使い、人員も多く使う事となるが、これには前線で参加していない力のある冒険者達や運搬専門を生業としている者達に参加して貰っている。
当然、別口の依頼として、報酬もしっかりと用意されていた。
馬車を所有している商人達もこれに参加をしており、その数は現在魔物を減らす攻勢作戦をしている前線の冒険者の数を優に越えており、安定した循環を作り上げていた。むしろ準備待ちの馬車が出てしまうような状況ではあるが、馬にも人にも良くないので、休憩をしっかりと挟んだ上で作戦行動をしているようだ。
釣っては狩り、運び、捌き、また運ぶ。
これをひたすらこなして早六時間となってしまう頃、流石にミレイの疲労が目に見えて出て来たため、一時間の休憩となった。
ミレイは聖域に作られた簡易ベッドに横になりながら、濡らしたタオルで額を冷やしながら、荒い呼吸を整え回復に努めていた。他の冒険者はミレイの回復を邪魔しないように話しかける事は無く、兎人の凄まじい聴覚に驚かされていた。
もしミレイがいなければ、それはとんでもない事となっていた事は明白である。恐らく目視の敵を弓で当てないように気づかせながら釣り、魔物を捌いていく事となるだろう。
それは大変な危険を伴う行為でもある。もし、間違えて魔物に矢が当たってしまった場合、その傷から溢れる血の匂いに釣られ、その魔物に誘導されるように大量のアドヴァクが押し寄せてくるだろう。そうなれば大量の魔物が一定方向へ突き進む事となり、最悪の場合スタンピードの発生にも繋がってしまうかもしれない。
早期にそれを起こしてしまうと、作戦自体を揺るがしかねない事となる。
何よりも目視する前に魔物に気づかれる可能性が格段に高くなり、今のような戦い方は絶対に出来ないだろう。それはスタンピードの発生も跳ね上がる事になってしまう。どの道ミレイがいなければ、早期の段階で総力戦となっていた。
魔物の血に関しては当然、倒した魔物を捌く場所にも関係してくる。
倒したその場で捌くと、確実にアドヴァクが襲ってくる事になるだろう。
となれば、草原を抜ける場所まで馬車で運び、確実に安全圏である城壁寄りの壁に捌く場所を作り、そこで素材に分けられた物をギルドまで別の馬車で運んでいく。それぞれ一度動かした馬を休ませこれを繰り返す、という手順で進めていた。
こうする事で馬と人に休息を与える事が出来、安定して事を運べている様だ。
ちなみに聖域で倒した魔物を捌くなど論外である。
あの美しい場所を血で穢すなど、あってはならない。
女神アルウェナへの背信行為となるだろう。
そして現在、浅い森入り口の草原にて、別の作戦が進行中である。
これは第一回作戦会議の際に話し合われた後、すぐに行動を開始したものだ。そして最終的な作戦に必要となるであろう草原での戦いも視野に行動されている。これには多少時間がかかってしまうため、なるべく時間をかけて魔物を徐々に減らしていく事が必要となる。
当然、時間をかけ過ぎればどんな状況になるかの予測が付かないため、出来るだけ早期解決を求められてはいるが、それでもある程度の時間を必要としていた。
現在は第一次防衛線となる草原入り口に、土塁と馬防柵が準備されている。だが未だ完成まで後三割といったところらしく、もう少し時間を稼いで欲しいと防衛線から派遣された伝令から言われていた。
早朝の攻勢作戦開始から六時間を経過した時点で、魔物の討伐数は八十匹まで到達しそうな勢いとなっていた。これは予測されていた魔物の総量のおよそ四割にも届きそうな程の数となる。十分な戦果とも言えるだろう。
だが油断など出来ない。今まで狩って来たものは、殆どが弱いとされる魔物だ。問題は大森林中腹より先の領域にいる大型の魔物が、未だその姿を見せていない。
その不気味としか言えないような重い空気に包まれる冒険者達は、各々休憩を取りながらその事を考えていた。
休憩の後、再び作戦を再開する一同は、その後四時間ほどをかけて魔物を減らしていった。徐々に釣れそうな魔物が減っていき、その討伐数は休憩前ほど狩る事は出来なかったが、それでも一日で百匹ほどの魔物を駆除する事が出来た。
これは作戦前の会議では想像していないほどの戦果となる。
暗くなり日が落ちると、作戦自体が進められなくなる。草原で作業をしている兵士や土木作業を生業にしている者達は、戦うことが出来ない。護衛をつけたとしても、敵の数が数だけに確実な安全性は保障しかねる問題となる。
今後の作戦や非戦闘員の安全の為に、一時的に中断せざるを得ないのが現状だ。
最低限の斥候と、早馬を用意して警戒に当たるのが関の山だろう。
こればかりはどうしようもない事とはいえ、歯痒い気持ちになってしまう作業員達であったが、ミレイやそれを知る冒険者達は、しっかりと休めることに安堵していた。根を詰めても良い事は無いのだから。
始まったばかりの戦いは翌日へと向かっていった。
1センルは1センチ、1メートラは1メートル、1リログラルは1キログラムの事です。
[ 今回登場した魔物図鑑 ]
◆ボア。または、ボーア
ここではオレストボーアのことを指す。猪型の魔物。
主にフィルベルグ王国周辺にある浅い森に生息。ボア種と呼称する事が多い。
大きいものになると体長が約3メートラにもなる大猪で、その体重は300リログラムにもなるという。大昔の文献によると450リログラムを越える大物も出現した事があるらしい。平均的には150センル程度に体重120リログラム程度だそうだが、それでも油断など出来ない。最大時速40リロメートラで走るとも言われており、その体重で突進をされるとゴールドランク冒険者でも跳ね飛ばされてしまい、打ち所によっては大怪我をしてしまう。
オスの場合には緩やかな曲線を描き鋭く伸びた大牙が生えており、その場で鼻先をしゃくりあげるようにして大牙を用いた攻撃をしてくる。これが何よりも危険とされている。そもそもここは森である為、全力疾走で襲ってくる事はありえない。
故にその最大速度を気にする必要はないのだが、問題は大牙のほうが危険視されている。巨体から繰り出される攻撃は並みの冒険者を弾き飛ばすほどの力がある。
メスの場合は大牙はなく小さ目の牙になっており攻撃力は低くなった。変わりに大きな顎で噛み付いて攻撃してくるらしい。その強靭な顎に噛まれるとただではすまないほどの威力がある為、オスだろうがメスだろうが危険である事に変わりはない魔物とされている。
◆スパロホゥク
古代遺跡周辺にある浅い森に生息。
体長約50センルの小さな鳥型の魔物だが、翼を広げると1メートラは優にある。オスは背面が灰色、腹面に栗褐色の横縞がある。メスは背面が灰褐色に腹面の横縞が細かくなっている。そしてメスの体長は65センルを軽く超えるものも少なくない。その巨体で空からの奇襲に長けた攻撃を繰り出してくるので、空に注意が必要となる。
攻撃方法は空からの嘴を突き立てる様にしながらの体当たりと、滑空からの強靭な爪での攻撃が主となる。嘴も爪も危険だが、何よりもその移動速度がかなり早いため、危険な魔物とも言われる。だが、耐久力が低く攻撃も単調である為、初心者冒険者が狩る事ができる魔物とされている。
◆フロック
ここではケイブフロックのことを指す。主に洞窟などの湿気の多い場所に生息。
フィルベルグ王国周辺では、エルグス鉱山を主な生息域とされている。
体長40センル程の小さなカエル型の魔物で、灰褐色のカエル型魔物。重さ50リログラルとかなりの重量で、2メートラを跳ぶ脅威の跳躍力から繰り出される体当たりが厄介。時たま舌を伸ばして攻撃してくるが、こちらは大した威力は無い。問題は舌を絡めて引き寄せ、噛み砕くことにある。本来カエルには持ち合わせていない凶悪とも言える鋭い牙を持っており、これが大変危険。
耐久力はそれほど高くはないが、打撃攻撃が効き難いようで、槌などの攻撃を跳ね返してしまう事もある。変わりに斬撃にはとても弱く、軽く攻撃しても切る事ができるのだが、近づくと危険なのでなるべく遠距離で攻撃するのが良いとされている。
◆アドヴァク。
ここではオレストアドヴァクのことを指す。
主にフィルベルグ王国周辺にある浅い森に生息。
全長100から160センルほど、肩高60から65センルで尾長が45から70センルの豚のような魔物。
全身は淡灰色の体毛で覆われている魔物で、門歯や犬歯はなく、歯根のない臼歯があり、耳介は大きく長細い形状をしている。蹄が発達しており強靭な脚力での突進を主にしてくる。
脅威という意味ではボーア種の方が遥かに危険ではあるものの、アドヴァクよりも攻撃力で勝るホーンラビットよりも危険とされている理由として言われるのがその耐久性である。硬く攻撃をまるで弾くかのような鎧を纏っている錯覚すら覚えさせる強靭な革で守られており、優れた聴覚も持ち合わせている。
また嗅覚も鋭いために血の匂いにとても敏感で、遠くから嗅ぎつけてやってくる厄介な存在。周囲にアドヴァク種が存在していると多数での闘いになることもある為に、ホーンラビットよりも遥かに危険視されている。
オレストとはこの世界の言葉で森を意味する言葉で、そこに生息しているから付く名前となっている。




