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婚約破棄のために淑女になる方法。  作者: もり
婚約期間を有意義に過ごす方法。

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28/29

後編

 

 教授との救女院訪問はとても有意義なものになった。

 試験農場では教授がいくつもの知識や助言を与え、教授もまた新しい発見を得たようだ。

 そして、教授はケインスタイン王国への長期滞在を決め、侯爵家の後押しもあって王立学院の教授陣に名を連ねることになった。

 それから何度か救女院には、教授と一緒に訪れている。

 時には、デュリオの母であるアンドール侯爵夫人が同行することもあった。


 篤志家で有名な侯爵夫人だが、救女院でも奉仕活動を行っていることはあまり知られていないらしい。

 多くの人たちは救女院の存在を嫌厭しており、アンドール侯爵夫人の活動については、知っていても知らないふりをしているのだとか。

 どうやら侯爵夫人を悪く言うこともできず、触れないのが一番と判断しているようだ。

 またデュリオにはあの数日後に、救女院には先に訪れたことがあると打ち明けたのだが、気にする必要はないと笑ってくれた。


 最近のオリヴィアは、お茶会に何度か、夜会にはデュリオが出席しなければならないものにだけ婚約者として一緒に出席している。

 だが、デュリオがいない場では遠回しに嫌味を言われることがよくあった。

 嫌味の内容はありきたりなものなので、気にしなければいいのだが、なかなか簡単には気持ちを切り替えられない。

 侯爵夫人は、「そのうち慣れるから大丈夫よ」と温かく励ましてくれる。

 何より、オリヴィアが落ち込んでいればデュリオはすぐに気付き、優しく労わり守ってくれるのだ。

 しかし、それではいけないとも思う。

 守られるだけでなく、強くならなければ、と。


 オリヴィアはいつものように重装備で庭へ出ると、またため息を吐いた。

 ここのところ、ため息の数が増えている。

 植物たちは、そんなオリヴィアに「元気を出して」と声をかけてくれるので、笑って「ありがとう」と返しながら、ゆっくりと庭の奥――自分の花壇へと向かった。

 その時、強い風が吹き抜け、ゆらゆらと白い花々が揺れた。


 それはデュリオが子供の頃に好きだと言っていた花の一つ、マーガレットだ。

 花言葉は〝真実の愛〟。

 近くに植えられている青いサルビアの花言葉は〝尊敬〟。

 そして、白いカーネーションの花言葉は〝私の愛は生きています〟。


 あの伯爵家での夜会の後、帰宅してすぐに花言葉を調べたオリヴィアは、嬉しくて恥ずかしくて、一人で赤面して悶えた。

 デュリオはプロポーズで、幼い頃からの変わらない愛を告白してくれ、これからも変わらないと――永遠を誓ってくれたのだ。

 もちろんオリヴィアも永遠を誓える。


(だけど……)


 何かずっと心の中でもやもやしているものがある。

 それが何なのかわからず悩んでいるのだ。

 ローラに相談すれば、マリッジブルーではないかと言われた。

 子爵夫人は盛大な結婚式をと、まだ日取りも決まっていないのに、張り切って計画を立てているのだが、それがオリヴィアの負担になっているのではないかと。

 そのことを思い出し、オリヴィアは周囲に誰もいないことを確認して、すうっと息を吸った。

 そして叫ぶ。


「わたしのことなのに、勝手に決めないで!」


 誰もいない場所で一人、言葉にしてみると、何だか少しだけすっきりしたような気がした。

 もし本当にそんなことを口にすれば、きっと母は卒倒してしまうだろう。

 それから気がついた後は、甲高い声での小言が延々と続くのだ。

 その姿がはっきりと頭に浮かんで、オリヴィアはくすりと笑った。


 そこでふと気付く。

 こんなふうに母の怒りを想像して笑えるようになるなんて思ってもいなかった。

 ほんの少し前なら、怖くて震えていただろう。


(わたしはちゃんと、強くなっている……?)


 胸に手を当てて自分に問えば、不思議と自信が湧いてきた。

 ずっとほしかったのは自信だ。

 確かに、今はまだちょっとした嫌味を言われただけでも気にしてしまうが、それは心の中でだけ。

 表向きは淑女になるためにずっと努力してきた力を総動員して、「どうってことないわ」とばかりに笑って切り抜けている。

 それはまだ上辺だけだけど、いつか本物になるかもしれない。


(そうよね、ブレイズだって言ってたもの。努力を続けてこそ運命になるんだって)


 アンドール侯爵夫人はとても素敵な人だが、何も努力をしてこなかったわけではないはずだ。

 シルー夫人から聞いた話だと、アンドール侯爵とは子供の頃から婚約していたそうだが、侯爵は二十五歳になるまで外国へ行ったきり帰って来なかったとか。

 その間、侯爵夫人は〝婚約者に見捨てられた令嬢〟と揶揄され、笑われていたらしい。

 だが、いつもぴんと背筋を伸ばして堂々としており、それはもう美しかった、とシルー夫人も言っていた。


 その美しさに心を奪われてしまったアンドール侯爵は、今も夫人を崇拝しているそうだ。

 そして、侯爵家では誰も夫人に逆らえないらしい。

 デュリオがそう教えてくれたのは、侯爵邸でアンドール侯爵と久しぶりに顔を合せる直前でのことで、オリヴィアの緊張を解そうと他にもいろいろな話を聞かせてくれた。

 お陰でオリヴィアはそれほど硬くならずに、侯爵と八年ぶりの対面を果たすことができたのだ。


 侯爵は記憶にあった〝とても怖いおじさん〟ではなく、デュリオによく似た穏やかな笑みを浮かべ、「立派に成長したね」と声をかけてくれた。

 その言葉にオリヴィアはほっと安堵したのだが、なぜかデュリオは得意げな笑みを浮かべており、強く印象に残っている。


 オリヴィアは自分の花壇の前に屈みこみ、いくつかの植物を抜きながら、あの時のことを思い出していた。

 あのやり取りはおそらくだが、侯爵がオリヴィアを正式にデュリオの婚約者として認めてくれたということだろう。

 目的は違ったが、努力してきた甲斐があったのだ。

 そのことはとても嬉しいと思うのだが、やはりすっきりしない。


 教授に届けると約束した手の中の植物を見下ろして、オリヴィアはまたため息を吐いた。

 本当はもう答えが出ている。

 ずっと胸の中にあったもやもやの原因。

 それは先ほど言葉にしたことではっきり形になった。


 迷いはある。怖くもある。

 それでもこれから先、後悔しないためにも努力したい。

 自分の決断が多くの人に――デュリオに迷惑をかけてしまうことは確実だった。

 だけどデュリオはきっと優しいから、許してくれるだろう。

 その優しさに甘えてしまってもいいだろうか?


 オリヴィアは勇気が萎えないうちに、そして植物たちが萎えないうちに、勢いよく立ち上がって屋敷へと急いで戻った。

 植物は学院のジステモ教授へ届けてくれるようにと包装して、使いに託す。

 そして出かけるための準備を始めた。


 今日はデュリオが王都外れにある侯爵家の別邸を案内してくれるのだ。

 ご機嫌の母に見送られ、馬車に乗り込んだオリヴィアは、向かいに座るシルー夫人に問いかけた。


「もし、わたしが……デュリオ様と結婚しないと言い出したら、シルー夫人は驚く?」


 突然の質問に、夫人は目を見開いた。

 しかし、しばらくの沈黙の後、ため息交じりに答えてくれる。


「その質問自体には驚くけれど、そうね……ええ、やっぱり驚きますよ。でも応援はします」

「応援? 反対するのではなく?」

「以前も言ったでしょう? 私はオリヴィアの味方だと。あなたがずっと何か悩んでいたことは知っていますよ。もちろんあなたが伯爵をお慕いしていることはわかっているから、結婚しないという選択をしたのなら驚きますがね」

「まさかそんな答えが返ってくるとは思わなかったわ。……ありがとう」

「いいえ、どういたしまして。ですがね、オリヴィア。あなたは甘いわよ」

「甘い?」

「ええ。あなたが何を決断したのかはわからないけれど、そのことを打ち明けても、きっと伯爵は驚かないと思うわ。むしろ、あなたが驚かされるんじゃないかしら? 予言しておくから、覚悟しておきなさい」

「予言?」

「そうですよ。年を取れば取るほどね、賢い女性は予言の力を手に入れるの。私ほどの年になると、魔女って呼ばれるくらいにね」


 くっくと笑うシルー夫人は、車内の薄明りの中で本当に魔女のように一瞬見え、オリヴィアは瞬いた。

 シルー夫人が予言したことに驚けばいいのか、自分を賢いと言ったことに笑えばいいのか、さっぱりわからない。

 ただ、シルー夫人が味方でいてくれる。

 それが今は何よりも心強かった。


 やがて馬車が侯爵家の別邸に入ると、オリヴィアは子爵家よりも立派な屋敷に感嘆していた。

 もちろん本邸はこの別邸よりも大きい。

 デュリオは馬車が敷地内に入ったことで気付いたのか、わざわざ屋敷から出てきて迎えてくれた。

 オリヴィアはデュリオの手を借りて馬車から降りながら、いつもの穏やかな笑みを見つめて胸がちくりと痛んだ。

 これからとんでもない我が儘を言わなければいけないのだ。


 案内の前にと応接間に通されたオリヴィアは、お茶を飲みながら話を切り出す機会を窺っていた。

 デュリオはにこやかにこの別邸の歴史を語ってくれている。


「――それでね、ここ最近でよくこの屋敷に滞在していたのは祖母なんだ。祖母は色々な意味で型破りな人でね、今でも我が家にその影響を大きく残している。父やレオンスはどちらかと言うと祖母似だね。だけど、どうやら私は祖父に似たらしい。いや、祖父のようになれたらと思うよ」

「お祖父様はどのような方だったのですか?」


 今でもこんなに素敵な人なのに、祖父のようになりたいとデュリオに言わせるほどの先代アンドール侯爵はいったいどんな人なのだろう。

 そう思ったオリヴィアが素直に問いかけると、デュリオは少し考え、ゆっくり話し始めた。


「そうだな……。祖父はそこにあるだけで安心するような大木のような人だったよ。暑い時には木陰を作ってくれ、怪我をすればその樹液で癒してくれるような……何事にも動じない人。祖母が風のような――いや、嵐のような人だったからね。そんな嵐にも動じないどころかしっかり受け止め、いつもどっしりと構えていて、私たち家族を支えてくれていたんだ」

「……お祖父様もお祖母様も、素敵な方だったんですね」

「うん、今でも生きていてくれたらと思うよ。そうすれば、きっと祖父は私に心構えを教えてくれただろうし、祖母はオリヴィアの背中を押してくれたはずだ」

「――デュリオ様?」


 祖父母を偲ぶデュリオの話に耳を傾けていたオリヴィアは、突然の言葉に驚いた。

 だが、デュリオは黙り込み、ちらりとシルー夫人に視線を向ける。

 すると夫人はいきなり立ち上がり、「そうそう、馬車に扇を忘れてしまっていたわ」と言って、右手に扇を持ったまま部屋から出ていってしまった。

 もちろんドアは開けたままだが。


「あの……」

「相変わらず、シルー夫人は素敵な方だね?」

「ええ、それはそうですが……」


 思いがけない状況に戸惑うオリヴィアだったが、デュリオは微笑んでシルー夫人を褒めた。

 だがすぐに、笑顔だったデュリオの表情は真剣なものへと変わる。


「だけど、彼女が席を外したってことは、やっぱり何か私に話があるんだね?」


 はっと息を呑んだオリヴィアに対し、デュリオは緊張を解すように大きく息を吐き出した。

 オリヴィアの反応を目にして、自分の予想が間違っていなかったことを悟ったらしい。

 デュリオは顔を上げると、真剣な表情のままオリヴィアを真っ直ぐに見つめた。


「言って、正直に。オリヴィアの悩んでいることを。プロポーズを受けたことを後悔している?」

「違います! 後悔なんてしていません!」


 思わず立ち上がって否定したオリヴィアに、デュリオは目を見開いて驚き、次いで微笑んだ。

 それはいつもよりも感情があらわになった、嬉しそうな笑顔だ。

 オリヴィアは取り乱したことが恥ずかしく、慌てて座り直す。


「よかった。オリヴィアに後悔はしてほしくないんだ。だから、オリヴィアが決めたことなら受け入れるよ」

「ですが……ですが、わたし……すごく、我が儘を言います。ですから、もしダメなら言ってください」

「うん、大丈夫。ダメなら言うよ。安心して?」


 デュリオの優しい言葉を聞いて、オリヴィアは込み上げる涙を堪えるために唇を噛んだ。

 オリヴィアにとってデュリオは昔からずっと、緑の葉をいっぱいに繁らせた大木のような存在だった。

 デュリオがいなければ、オリヴィアは努力することなく拗ねたまま大きくなっただろう。

 両親に怯え、姉兄を妬み、内気なまま社交界にデビューをして、悲惨な結婚生活を送ることになったかもしれない。


 今のオリヴィアがあるのは、デュリオがいてくれたからだ。

 いつもデュリオはそっとオリヴィアの背中を押してくれる。

 だからこそ、甘えてしまう。

 困らせることがわかっていながら、我が儘を言ってしまうのだ。


「わたし……もっと、勉強がしたいんです」

「うん」

「今までのような独学ではなくて、ちゃんと……学院に通って、研究科に進学したいんです」

「うん」

「できれば……救女院の研究にも、参加したいと思っております」

「うん」

「あの、おそらく両親は許してくれないでしょうから、勘当されるかもしれません。ですが、もうすぐ信託財産が自由になるので、それを学費に充てるつもりです。無事に学院に編入できれば入寮できますし、生活にはひとまず困らないのですが……」

「うん?」

「わたしは器用ではないので、結婚生活と学生生活を両立はできません。ですから、この婚約はやはり――」

「ダメ」

「え?」

「絶対にダメ。それ以上は言わせない。婚約は続ける。これだけは譲れないよ」


 今までデュリオは相槌を打って聞いてくれているのだと思っていたので、突然拒否されてオリヴィアは驚いた。

 そんなオリヴィアの隣にデュリオは席を移し、その手を握って微笑んだ。


「オリヴィアなら、学院に編入しなくてもきっと研究科の進級試験を受ければ合格するよ。それに奨学金も一定の成績をクリアすれば人数に制限なくもらえるんだから、申請してはどうかな? もし勘当されてしまったら、この別邸にシルー夫人と住めばいい。ここなら救女院にも近いし、学院へも子爵家から通うのとそれほど時間は変わらないだろう? あ、もちろん私は本邸で暮らすから安心してほしい。でもたまには会いに来ていいかな? オリヴィアが両立できないというなら、思う存分勉強すればいい。私はいつまでも待つから」


 オリヴィアが口にした全ての我が儘を、デュリオは認めてくれるどころか次々に良案を上げていく。

 さらには、いつまでも待つと言ってくれているのだ。

 これだけの我が儘を言ってもなお、受け止めてくれるデュリオの大きさに、オリヴィアは我慢できずに泣きだした。


「わたし……わたし、デュリオ様が好きなんです。すごくすごく。だけど、勉強もしたくて、植物の――みんなのことをたくさん知って、それから……みんなの声が聞けるこの力をもっと役立てたいんです」

「うん」

「それでいて、このままデュリオ様の隣にいたいとも思うんです。だけど、わたしにはそれだけの自信がなくて……。ずっとずっと心の中がもやもやして、みんなに慰められて、デュリオ様が優しくて、大好きなんです」


 もはや自分でも何を言っているのかわからなかった。

 そんなオリヴィアをデュリオはぎゅっと抱きしめ、再び大きく息を吐いた。

 今度は安堵の吐息だとわかる。


「その言葉だけで十分だよ。オリヴィアは思うように生きればいい。私にとってオリヴィアは唯一の存在なんだ。だからいつまでも待てる」

「わたしが……唯一?」

「うん、絶対の唯一だよ。それに心配しなくても大丈夫。ここだけの話、アンドール侯爵家の人間は待つのが得意だからね。先ほども言ったけど、祖母は型破りな人だった。そんな祖母と幼馴染だった祖父は、祖母が落ち着くまでずっと待っていたんだ。周囲から別の女性を勧められても断り続け、ようやく結婚したのは祖父が二十八歳の時だったよ」

「二十八……」

「それに母だって、ずっと父を待っていた。だけどね、父はすぐそばにいた母には気付かずに、運命の相手とやらが現れるのを待っていたんだよ。かなり間抜けだよね?」

「……確かに」


 顔を見ることができなくても、すぐ耳元で聞こえる声から、デュリオが笑っているのがわかる。

 オリヴィアに都合がいいばかりの我が儘を受け入れてくれるデュリオは本当に優しくて甘い。

 これほどに温かくて力強い存在に出会えたことは奇跡だと思う。

 侯爵家の秘密だよと、面白おかしく教えてくれるデュリオの話を笑って聞きながら、オリヴィアはそっとその背に手を回した。

 するとデュリオは黙り込み、しばらく二人は静かに抱き合っていたが、やがてデュリオがわずかに離れ、オリヴィアをじっと見つめる。

 オリヴィアはドキドキしながらデュリオを見つめ返し、頬に触れた大きな手に手を重ね、――盛大な咳払いが聞こえてはっとした。


「やれやれ。ずいぶん遠くの馬車まで扇を取りに行ってきましからね。そろそろ座って休ませてもらってもよろしいでしょう?」


 部屋の入口に立ったシルー夫人は、扇で口元を隠して問いかけた。

 その声は不機嫌そうでありながら、目は楽しそうに輝いている。

 オリヴィアは真っ赤になって慌ててデュリオから離れ、姿勢を正した。

 しかし、デュリオはのんびりとした様子で、またまた大きく息を吐く。


「お年寄りに無理はさせられませんからね。どうぞ?」

「まあ、女性を年寄り扱いするなんて、紳士にあるまじきことね。きっと魔女の呪いが降りかかるわよ。そうね、しばらくは愛する人と二人きりになれない呪いね」


 オリヴィアはデュリオの言い様に驚いたが、シルー夫人の返答には噴き出さずにはいられなかった。

 デュリオは参ったとばかりに手を上げて謝罪する。


「申し訳ありません。今の言葉は撤回します。ですから、どうかその呪いを解いてください」

「そうね。その呪いを解くにはきっと、ベリージャムのタルトを毎回持参することね」

「では、今年は大量にベリージャムを作り置きしてくれるように、料理人に頼まなければ」


 ベリージャムのタルトはシルー夫人の大好物だ。

 二人のやり取りがおかしくて笑うオリヴィアを、デュリオもシルー夫人も温かく見守っていた。

 それから応接間でタルトを食しながら休憩するという夫人を残し、オリヴィアは予定通りデュリオに別邸内を案内してもらった。


「先ほども言ったけど、ここはオリヴィアが自由に使ってくれていいんだ。文句を言う家族はいないから」

「ですが……」

「私の心の平安のためにもそうしてほしい。そもそも今はほとんど誰も使ってないんだから、遠慮しないで。使用人たちも喜ぶよ。この前、久しぶりに寄った時なんて、毎日毎日誰も使わない部屋の掃除をするのはうんざりだって、家政婦に愚痴られてしまったくらいだから」

「……では、両親が許してくれなかった時は、お言葉に甘えます」

「うん」


 先ほど紹介された家政婦はとても明るい人だった。

 もうこの際、素直に甘えることにしたオリヴィアの言葉に、デュリオは満足そうに頷く。

 だが、その後しばらくの沈黙が落ちた。

 そして、デュリオは真剣な口調で切り出した。


「ご両親へ話す時は、私も一緒にいるよ」

「――いいえ、大丈夫です。両親へはわたし一人で話をしたいんです」


 デュリオの優しい言葉に、オリヴィアはまた甘えそうになったが、今度ははっきりと断った。

 今はまだ、たくさんの我が儘を聞いてもらうだけで、デュリオに何も返すことができない。

 だからせめて、少しでも強くなれるように頑張りたい。

 どんなことがあってもしっかりと受け止めてくれるデュリオがいるから、あの両親にも立ち向かえる。

 そんなオリヴィアの決意に気付いてか、デュリオが反対することはなかった。


「わかった。でも、いつ言うつもりなのかは訊いてもいいかな?」

「……明日にしようと思います。明日は両親とも夜には家にいるはずですから」

「そうか……。では、子爵家の敷地のすぐ外に、馬車を待たせておくよ」

「デュリオ様、それは――」

「私は心配性なんだ。だから万が一、オリヴィアが説得できずに勘当されてしまっても、馬車を用意しておけば安心できる。もし、部屋に閉じ込められるようなことがあれば……私が壁をよじ登って部屋まで助け出しに行くよ」


 その姿を想像して、オリヴィアは胸をときめかせながらも笑った。

 デュリオは「本気なのに……」とぼやいて一緒に笑う。

 それでもオリヴィアは、ただの取り越し苦労になりますようにと祈った。

 デュリオが壁をよじ登るなんて危険なことも、馬車を利用することもなく、両親が納得してくれますようにと。


 翌日、珍しく兄も含めて家族四人が揃った夕食の席で、オリヴィアはデザートが出されたタイミングで切り出した。

 王立学院の研究科に進学して勉強をしたいこと。

 救女院での品種改良などの研究に参加し、また奉仕活動もするつもりであること。

 そして、当分はデュリオと結婚しないこと。

 手も声も震えていたが、それでも力を振り絞って自分の思いを言葉にした。


 だがやはり、オリヴィアの宣言に両親は激怒した。

 初めのうちは、父である子爵は理解できなかったのか、ぽかんと口を開けていただけ。

 母である子爵夫人は眉をしかめていたが、救女院と聞いて息を呑み、当分は結婚しないと聞くと悲鳴を上げた。

 その金切り声は屋敷中に響いただろう。


 母は珍しく卒倒することなく、オリヴィアに詰め寄り手を上げようとしたが、ジェストがその手を摑んで止める。

 父は真っ赤になって怒鳴り始め、執事に今すぐ鞭を持ってくるようにと命じた。

 立ち上がったオリヴィアの視界の隅に映ったのは、ためらう執事の横をシルー夫人がゆっくりと通り過ぎる姿。

 ジェストは父を宥めながらも、兄らしく威圧的にオリヴィアに部屋に戻れと言い放った。


 母は未だに金切り声で、オリヴィアがそんなことをすればどれだけ自分が恥をかくかと嘆いている。

 もう多くの人に結婚式へ招待すると約束したのだと。

 しかも救女院などに足を踏み入れたことが知られれば、オリヴィアは社交界から締め出され、自分まで軽蔑されると泣き落としを始めた。


 そんな混乱の中、オリヴィアが急いで部屋に戻ると、シルー夫人が自分とオリヴィアの荷物を用意して待っていた。

 荷物は昨日、念のためだとシルー夫人に言われて、最低限の物を詰めた鞄二つだ。


「さあ、オリヴィア。自由を求めていざ出発よ!」


 こんな状況でもユーモアを忘れないシルー夫人に励まされ、オリヴィアは荷物を持ってそっと階段を下りた。

 食堂からは両親の言い争う声が聞こえる。

 そして、玄関ではジェストが待ち構えていた。


「見直したよ、オリヴィア。お前は本当に強くなった。だからもっと自信を持てよ」

「お兄様……」

「ほら、泣くのは後だ。今は取り敢えず行くぞ。どうせ、デュリオが敷地の外にでも馬車を待たせているんだろう?」


 兄の珍しく優しい言葉に思わず涙ぐむオリヴィアを、ジェストは急かす。

 しかも、何もかもお見通しのようだ。


「お前にとことん甘いデュリオが用意していないわけないだろう? お前はお前で悩んだ末に、馬鹿正直にこのことを打ち明けたんだろうし。お似合いだよ、お前たちは」


 呆れたように呟きながら、ジェストは玄関ドアを開け、シルー夫人の荷物を持って外に出る。

 夫人は紳士なジェストにご満悦だ。


「お兄様、お兄様までお父様たちに怒られてしまいます」

「俺はそんなヘマはしないよ。お前は俺の大切な妹なんだから、ちゃんと馬車に乗るまでの安全は確かめさせろ」

「……ありがとうございます」


 オリヴィアは小声でお礼を言うだけで精一杯だった。

 やがて門を抜けると、静かに馬車が近づいてくる。

 それからオリヴィアたちの目の前で止まると、中からデュリオが降りてきた。


「デュリオ様!?」

「どうして驚くかな? ちゃんと壁を登る準備だってしていたんだよ?」

「ほら、いちゃつくのは後にしろ。いいか、デュリオ……オリヴィアを頼んだぞ」

「任せてくれ」


 わざわざデュリオが待っていてくれたことに驚くオリヴィアに、デュリオは悪戯っぽく笑って丈夫そうな革手袋をはめた両手を上げて見せた。

 そこにジェストが割り込み、シルー夫人の荷物を押し付けると言うだけ言って、さっさと屋敷へ戻っていく。

 オリヴィアには別れの挨拶をする間もなかった。

 涙に滲む目でその背を見送ったオリヴィアは、最後に視線を上げて屋敷をじっと見つめた。


 これは永遠の別れにはならない。

 オリヴィアはそう確信して、静かに待っていてくれたデュリオの手を借りると、馬車へと乗り込んだ。




 その後、貴族女性として始めて研究科生となったオリヴィアは、植物学と魔法薬学の発展に大いに貢献している。

 今では救女院で品種改良された野菜や花が院の運営資金を潤しており、救女院での慈善活動も上流階級の女性たちに受け入れられ始めていた。


 デュリオは約束通りオリヴィアを待ち続けたが、珍しい植物を求めて遠くへ行くことだけは渋った。

 しかし、結局はいつも押し切られてしまっている。


 また社交界の若い女性たちは、姿を見せない〝アンドール侯爵の唯一〟に憧れを抱いているらしい。

 ジェストはその話を聞いて、「もはや、あれは呪いだよ」と友人にぼやいたそうだ。


 そんなジェストが呆れを通り越し、尊敬してしまうほどの月日が流れた頃。

 オリヴィアとデュリオは長い婚約期間をようやく終わらせ、次期アンドール侯爵の結婚式としてはとてもささやかな式を挙げたのだった。







ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

これにて『婚約破棄のために淑女になる方法。』は完結です。

また新たな作品や、連載中の作品にお付き合いくださると嬉しいです。

本当に、ありがとうございました。

もり


※花言葉は諸説あるかと思いますが、この物語ではその中の一つを採用しております。

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