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婚約破棄のために淑女になる方法。  作者: もり
婚約破棄を回避するために紳士になる方法。

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24/29

12

 

 ほとんど休むことなく、日中は馬で走らせたせいか、ケインスタイン王国王都へは八日で戻ることができた。

 幸い天気にも恵まれていたことと、夜はしっかり宿で休むようにしたこと、また騎士たちが嫌な顔一つせずに付き合ってくれたお陰だろう。

 午前中に王都に到着したデュリオはそのまま侯爵家の別邸に向かった。

 一刻も早くオリヴィアに会いたかったが、訪問するにはまだ時間が早い。

 だからといって、本邸に戻れば何かと手を取られてしまうことはわかっていたので、ひとまず別邸で旅の埃を落とし、身なりを整えることにしたのだ。


 しかし、デュリオは逸る気持ちを抑えきれず、うっかり訪問伺いの連絡をすることを忘れてしまっていた。

 それは子爵家に到着して驚いた執事の顔を見て気付いたのだが、時すでに遅しである。

 さらには、すぐに応接間に通されることなく玄関ホールでしばらく待たされることに、やはり戻るのが遅かったことを悟った。


 先に来客があるのだ。

 しかもその相手はデュリオに会わせてもいいのか、執事では判断しかねるということだろう。

 落ち込みそうになりながらも座ることなく背筋を伸ばして待っていると、執事が戻ってきて応接間へと案内してくれた。

 そして部屋へと足を踏み入れたデュリオは、それまでの様々な考えが頭から飛んだ。

 二年振りのオリヴィアは、デュリオの想像をはるかに超えて美しく輝いていた。


 自分がどれだけ見惚れていたのかはわからない。

 ドアが閉まる音で我に返ったのだから、おそらくそれほどの時間は経っていないはずだ。

 デュリオはそう自分に言い聞かせ、どうにか口を動かそうとクラバットを直すふりをして喉をつねった。

 思いのほか力が強かったようで、一度咳払いをしてから口を開く。


「オリヴィア、久しぶりだね。このように突然訪問したことを許してくれればいいんだけど」


 よく噛まずに言えたものだとデュリオは自分を褒めた。

 だがオリヴィアの今にも泣きだしそうな、それでも微笑む顔を目にして、デュリオの動悸はさらに激しくなり、息をするのも苦しい。


「……デュリオ様、お久しぶりでございます。ご無事でのお戻り、何より安心いたしました。ですからどうか、お気になさらないでください」


 記憶にあるより少しだけ低くなった、大人の女性らしい耳に心地よい声は少し震えている。

 突然の帰国を、オリヴィアは喜んでくれているのだろうか。

 そんな期待を込めて、オリヴィアの表情を探ろうと真っ直ぐに見つめたのだが、ふっと目を逸らされてしまった。

 以前は恥ずかしがりながらも真っ直ぐに見つめ返してくれたのにと、急激に気持ちが沈んでいく。

 そこに男の声が割り込み、デュリオははっとした。


「やあ、アンドール。久しぶりだね。色々と噂は耳にしていたけど、とにかく無事に戻って僕も嬉しいよ」

「――ああ、ルゼールか。久しぶりだな」


 普通に考えて他に人がいるなど当たり前なのに、すっかり忘れていた。

 デュリオは挨拶に応じながらも、さり気なく室内を見回す。

 オリヴィアの付き添いらしい老齢の女性が一人いるだけで、ルゼールの他に来客はいないようだ。

 その事実が意味することを理解して、デュリオは改めてオリヴィアを見つめた。

 やはりオリヴィアは外出用のドレスを着ている。

 お腹の底がずんと重くなったように気分が悪かったが、デュリオは穏やかな笑みを浮かべてわかりきったことを問いかけていた。


「どうやら私は間の悪い時に来たみたいだね? これから外出かい?」

「え? あ、はい。いえ、あの――」

「君が帰ってくるのに、間の悪い時なんてあるわけないだろう? オリヴィア、公園へはまた今度行こう。今日は久しぶりの再会を楽しむといいよ。僕はこれで失礼するから」

「でもブレイズ――」

「オリヴィア、私をあなたの婚約者に紹介してちょうだい」


 オリビアに訊ねたのに、ルゼールが庇うように答えたことに苛立つ。

 しかし、そんなことがどうでもよくなるほどにデュリオにショックを与えたのは、オリヴィアだった。

 今、オリヴィアはルゼールを「ブレイズ」と呼んだのだ。

 まだデュリオが〝トム〟だった頃のような親しみを込めて。

 そんなオリヴィアの言葉を遮って現れたのは、付き添いらしい女性。

 オリヴィアは女性に促されて気まずそうに笑みを浮かべた。


「デュリオ様、こちらはわたしの付き添いをしてくださっている遠縁のシルー夫人です。夫人、こちらはご存知のようにわたしの婚約者のデュリオ・アンドール伯爵よ」

「はじめまして、シルー夫人」

「はじめまして、伯爵。お噂はかねがね伺っておりますわ。オリヴィアも待ちわびていた方が戻っていらして、喜びのあまりぼうっとしてしまっているようですわ。ね? オリヴィア?」

「え? え、ええ……」


 デュリオとシルー夫人が挨拶を交わしている間、オリヴィアは本当にぼんやりしていたらしい。

 オリヴィアは頷いたものの、呆然としたままデュリオを見つめるだけで、焦れたシルー夫人が席を勧めてくれた。

 だがデュリオは疲れを感じて、一度冷静になるためにもこの場を離れようと決めた。

 このままオリヴィアとルゼールの親しげなやり取りを見ることにも耐えられそうにない。


「いえ、今日は戻ってきたことを伝えたくて、このように非礼を承知でお邪魔したのですから、もう失礼させていただきます。オリヴィア、突然すまなかったね。どうかこのままルゼールと出かけてくれ」

「いや、せっかくなんだから――」

「実はまだ屋敷に帰ってないんだ。先に荷物だけ戻っているだろうから、あまり遅くなると両親が心配すると思う。では、子爵と夫人にはまた改めて挨拶に参りますと伝えてくれるかな、オリヴィア?」

「は、はい」


 デュリオはシルー夫人の勧めを断ると、引こうとしたルゼールを遮り、オリヴィアにまた穏やかに微笑みかけた。

 荷物はまだまだ旅の道中だが、別邸から本宅へ使いが出ているはずなので家族は待っていてくれるだろう。

 きっと子爵家へ向かったことも伝わっているだろうから、そのあたりは大丈夫だろうと考えながら玄関へと向かう。


「デュリオ様!」


 玄関で執事から帽子を受け取っていたデュリオに、オリヴィアから声がかかり振り向いた。

 オリヴィアは真っ赤な顔を伏せ、胸の前で何度も両手を組み直している。

 まるで内気な頃のオリヴィアのようだなと思い、懐かしくてデュリオは微笑んだ。


「オリヴィア?」

「……お、お帰りなさいませ、デュリオ様」


 予想外の言葉に驚いて、デュリオは一瞬目を見開いたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。

 この頓珍漢な言葉こそが偽りのないオリヴィアの本心なのだ。

 そう思うと、沈んでいた心が一気に浮上する。


「うん。ただいま、オリヴィア」


 答える声も嬉しさに弾んだ。

 堪えきれず、デュリオはオリヴィアの柔らかそうな頬に軽く触れ、それから背を向けた。

 どこからでも見える場所で抱きしめなかった自分はよく耐えたと思う。


 久しぶりの我が家――侯爵家の本邸に戻ると、一番に妹のエリカが飛んできた。

 別邸からの知らせを受けて、ずっと玄関前でうろうろしていたらしい。

 やはり早めに帰ってきて正解だったと思いながらエリカを抱き上げる。


「ただいま、エリカ。背が伸びたね」

「それはそうよ。だって、わたしはもう九さいだもの。お帰りなさい、お兄様!」


 抱き上げた時に記憶より重くなっていたことは、言わないでおいた。

 九歳とはいえ、女性に体重のことを言うのはご法度だ。

 デュリオはエリカからの出迎えのキスを頬に何度も受けて笑いながら、従僕が開けてくれた扉から屋敷の中へと入った。

 すると、執事のクレファンスを先頭に、使用人たちがずらりと並んで出迎えてくれる。


「デュリオ様、ご無事でのお戻り、何よりでございます。お帰りなさいませ」


 クレファンスの言葉に合わせて、皆が頭を下げ「お帰りさないませ」と言ってくれる。

 懐かしい面々に、デュリオもやっと帰ってきたとの実感が湧いてきた。


「うん。ありがとう、みんな」


 デュリオの母である侯爵夫人は、玄関広間の中央に静かに立っていた。

 だが、その目は涙に潤んでいる。


「ただいま、母さん」

「――お帰りなさい、デュリオ」


 侯爵夫人はデュリオに歩み寄り、エリカごとぎゅっと抱きしめ、背伸びして頬にキスをした。

 エリカがきゃっきゃっと笑う。

 しかし、夫人はデュリオから離れると、かすかに眉を寄せた。


「デュリオ、あなた……なんだか熱いわ。それに顔色も悪いわよ」

「え?」


 まったく自覚はなかったが、デュリオは慌ててエリカを下ろした。

 もし何かの病気だとすれば、エリカにうつしては大変だと思い、傍に控えていた世話係に目配せで部屋に連れて行くように指示する。

 すると、侯爵夫人はデュリオの額に手を伸ばし、今度は顔をしかめた。


「やっぱり熱があるわ。あなたもすぐに部屋で休みなさい、デュリオ」

「……そうなのかな? ところで、みんなは元気?」


 言われてみれば、体がだるい気がしてきたが、デュリオは父や弟たちのことを訊いた。

 父の侯爵はこの時間ならおそらく王宮だろう。


「ええ、あなたと違って、みんな元気よ。お父様は王宮にいらっしゃっているわ。レオンスはここのところ顔を見ていないけれど、だからこそ元気なんでしょう。ジェラールは学院よ」

「……そうか。よかった」


 レオンスは正等科を卒業した後、騎士訓練所で訓練したのちに騎士になったので、騎士宿舎から帰って来ないのだろう。

 デュリオは階段を上りながら少しふらつくことに気付き、部屋に入って服を脱いだくらいからは記憶が曖昧になっていた。


 ベッドに横になったこと、医師が診察に訪れたことは覚えている。

 だが、起きようと思っても体が動かず、目を開けたくても開けられず、歯がゆい思いをしながらまた眠りにつくという繰り返しだった。

 その中で、白と青のはっきりとした色彩だけが鮮明に頭の中に残る。

 ようやく意識がはっきりとしたのは、室内が朱色に染まる夕方だった。


「――好きな花ばかりだ……」


 目を開けてまず視界に入ったのは、カーネーションやサルビア、マーガレットの花々。

 デュリオが思わず呟くと、すっと母が顔を覗かせた。


「あら、目が覚めたのね?」

「……母さん?」

「ええ、あなたの母親よ。ずっと枕元にいたのに、私よりも先にお花に気付くなんて、さすがね」

「さすが?」

「そうよ。このお花はオリヴィアさんからだもの。お母さんショックだわ。どんなに愛情を注いで育てても、子供の一番でいられるのは一時だけなのねえ。レオンスは剣に夢中だし、ジェラールは書物に夢中で、エリカまでもが〝ギデオン様〟なんだもの。寂しいけれど、子離れしないとね……」


 いつもは目覚めてすぐに働くはずの頭が動かない。

 デュリオには母が何を言っているのか理解するのが難しかったが、飾り棚に飾られている花がオリヴィアから贈られたものだということだけはわかった。


「オリヴィアはいつこの花を?」

「昨日の午前中よ」

「……昨日?」


 ルゼールと出かけた後に手配してくれたのだろうかと思っていたデュリオは、母の言葉に驚いた。

 やっぱり頭がどうかしてしまったらしい。 


「ええ。昨日の朝、訪問伺いがあったのだけれど、あなたは熱を出して寝込んでいたでしょう? その旨を書いてお断りの手紙を使者に預けたの。それですぐに折り返し、オリヴィアさんからお見舞いのこのお花が――」

「ちょっと待って! 私はいったいどれくらい寝ていたんです?」

「あなたが戻ってきてそのまま……丸三日ね」

「三日!? ――っ!」


 予想以上の時間が経っていたことに、思わずデュリオは飛び起きた。

 そして、めまいと体中の痛みに呻く。

 侯爵夫人はデュリオの肩をそっと押してベッドへと戻した。


「七日もずっと馬を走らせてきたんだもの。熱を出すのも、体が痛むのも当然よ。まったく、無理をしすぎだわ」

「で、ですが……オリヴィアにお礼の手紙を――」

「今日はダメです。明日、医師にまた診てもらってからでないと、ベッドから出てはいけません。絶対に。いいわね?」

「……はい」


 普段は優しい母だが、家族の健康については徹底的に厳しい。

 本人が大丈夫だと言っても信用せず、第三者――医師の診断がないと、ベッドから出ることを許してくれないのだ。

 レオンスは怪我をするたびに、よく母の目を盗んでベッドから抜け出していたが、その後が怖かった。


 デュリオはなぜレオンスは懲りることを知らないのかとずっと不思議だったが、今は少しだけ気持ちがわかる。

 やりたいことができないのは非常につらい。

 しかし、今から手紙を書いても、オリヴィアの手に渡るのは明日の午前中になるかもしれないと、デュリオは暮れゆく空を見ながら諦めた。

 きっと今頃は夜会の準備で忙しいだろう。

 色々と悔しいが、こうも体が動かないのでは仕方ない。


「母さん、私はただの旅疲れなんですよね? エリカは大丈夫なんですよね?」

「ええ、大丈夫よ。この三日間、ずっとあなたを心配して部屋の前をうろうろしていたわ」

「そうか……かわいそうなことをしたな……」

「あら、覚悟しておかないとダメよ。いつもは自分が看病される側だけれど、今回は『お兄様が目を覚まされたら、わたしが看病するわ』って意気込んでいるから」

「それは……楽しみだな」


 可愛い妹の看病ならば、どんなことでも受け入れようと答えたデュリオを見て、侯爵夫人は笑った。

 デュリオも一緒になって笑ったが、もう一つだけ気になることを訊ねる。


「母さん、騎士たちは大丈夫かな?」

「ええ、かなり疲れてはいたみたいだけど、次の日に休んでから今はもう復帰しているわよ」

「……情けないな、私だけ寝込むなんて」

「何を言うのよ。彼らは常日頃から鍛えているんだから、違うのは当たり前よ。本当に、馬鹿ね」


 自分の不甲斐なさに落ち込むデュリオの額を軽く叩いて、夫人は立ち上がった。


「さあ、お馬鹿さん。着替えて少し軽い食事をしたら、もう一度眠りなさい。いいわね?」

「……わかりました」

「では、良い子にはご褒美をあげないとね」


 素直に答えた息子に満足して、夫人は花瓶が置かれた飾り棚へと近づき、何かを取り上げた。

 それはすっかり目に馴染んでいる紋章が入った封筒。


「母さん!」

「あら、すぐにわかったのね? お花と一緒に送られてきたオリヴィアさんからの手紙よ。今、代わりに開封しましょうか?」

「お願いします!」


 体中が痛むデュリオがペーパーナイフを持って開けるより、母に頼んだほうが早い。

 すぐさま判断して勢いよく返事したデュリオに、夫人はまたくすくす笑って、用意していたナイフで封を切った。

 そしてデュリオにそのまま渡す。


「しばらくしたら、食事と手伝いを寄こすから、きちんと休むんですよ」


 そう言い残して、夫人は寝室から出ていった。

 デュリオは急ぎ手紙を開いて目を通すと、自然に笑みが浮かんだ。

 手紙には、デュリオが無事に戻って来てくれてどれだけ嬉しいか、早くお体がよくなりますように、と心のこもった文面が綴られていた。

 何度も読み返しているうちに、食事が運ばれてきたので仕方なく手紙をサイドチェストに仕舞う。

 それからデュリオはおとなしく従僕たちに世話をされながらも、頭の中で何度もオリヴィアの言葉を繰り返して満足し、再び深い眠りに落ちたのだった。




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