10
デュリオは豪華に縁どられた窓枠から外を眺めながら、大きくため息を吐いた。
背後では音もなく扉が開き、誰かがそっと入ってくる気配がする。
ノックもなく人の部屋に入ってくるのは、デュリオの知る限り一人しかおらず、振り向くことすらしない。
「何だ、デュリオ。たそがれて、恋煩いか?」
「ええ、その通りです」
「それはやはり、我が国の〝花〟に対してではないんだろうな?」
「当然です。私などが王女殿下に懸想するなどと、畏れ多いことをするわけがないでしょう?」
「なぜだろうな、慇懃に失礼なことを言われた気がするのは」
「ああ、申し訳ございませんでした。仮にもあなたの妹君でしたね」
「仮じゃなくて、本物のな。まあ、そう言わず、もう少しだけあいつの我が儘に付き合ってやってくれ」
「……このメイアウト王国は陛下の御代で素晴らしい発展を遂げています。私は陛下をはじめとした要職の方々に直接お会いし、お話しできたことは非常に光栄に思っておりますが、そろそろ解放していただきたい」
「最後ははっきり言ったな」
デュリオの言葉に笑いながら、ルシアーノはベルでメイドを呼び、我が物顔でソファに座った。
そして、すぐにやって来たメイドに、お茶の用意を申し付ける。
「夕食前ですよ」
「お茶の一杯くらいで腹は膨らまんだろう」
やれやれといった様子でデュリオもルシアーノの向かいに座った。
無事に学院を卒業したデュリオは今、ルシアーノの招きで王城に滞在している。
世間ではデュリオはマリエラ王女の婿候補として、国王陛下が見定めるために滞在をさせているのだと噂されていた。
実情も似たようなもので、デュリオの才能を見抜いた国王が無理を承知で、爵位を授けるのでメイアウトに留まらないかと持ちかけているのだ。
もちろん王女付きで。
いくら才能があってもさすがに他国の人間を簡単に懐深くに入れることはできない。
そのため王女と結婚させれば、国に根付いてくれるだろうとの思惑があった。
何よりマリエラ王女はかなり乗り気なのだ。
しかし、破格の待遇での栄誉ある申し出も、デュリオの両親の言葉を借りて言えば〝くそ食らえ〟である。
当然、口には出さず、穏便にその申し出は断ったので、デュリオとしてはいつまでも王城に――メイアウト王国に滞在していたくはないのだが、どうやらマリエラ王女の手が回ってるのかなかなか出発できないでいた。
毎日、あの手この手でデュリオにかまってくるのだ。
国王としては、友好国の力ある侯爵家の嫡子――しかも婚約者までいるデュリオに対して無理強いをすることはできないので、マリエラの行動をただ静観してる。
「この国には優秀な方たちが大勢いらっしゃる。なぜ私にこだわるのか理解できませんね」
「わかっているくせに」
にやりと笑うルシアーノの言葉に、デュリオは肩を竦めてみせた。
この王子は祖国の友人を――ジェストを思い出させる。
「確かに今の政務官たちは優秀だよ。だが次代となるとどうだろうな……。まだこれといった人材が見つからない。一人でも秀でた者がいれば、自然と周囲も触発されるんだがな。そのせいか、父上は子育てに失敗したことを悔やんでいらっしゃる」
「あなたを見る限り、そうは思えませんがね」
「お? それは褒め言葉と取っておくぞ」
「褒めてますから」
実際、ルシアーノはかなり優秀だ。
ただ、いささか凡庸な兄である王太子のために軽薄さを装い、無駄な継承争いをなくそうとしている。
ルシアーノほどの才能はないが、王太子は実直で勤勉であり、兄弟仲は良い。
下手な火種がない限りはこの国は安泰だろう。
その火種になりかねないのが王女であるマリエラであった。
「父上も俺たちも、早くに母を亡くしたマリエラを不憫に思うあまり、甘やかしすぎた。あれでは他国へ嫁すことはできん。といって、国内の有力貴族に降嫁させるにしても、どこにやるか問題になる。そもそもあの我が儘なやつを制御できる男がこの国にいないんだ。だから、デュリオ。お前がもらってくれないか?」
「寝言は寝てから言ってください」
「冷たいな。お前の婚約者だって、冷たいようだがな」
「ははは。殿下はこのまま遺恨を残した私と決別なさりたいようですね」
「冗談だよ! 本気にするなよ……」
真顔で告げるデュリオの言葉に、ルシアーノは慄いた。
ここまでデュリオが想いを寄せる相手とはどんな女性なのかと、ルシアーノは調べさせたことがある。
得た報告としては、弱小子爵家の末娘で年齢はマリエラと同じ。
容姿は派手な華やかさはないが、楚々とした美しさがあり、控えめでありながら、なぜか存在感があるらしい。
また常に公平で誰にでも優しく、女学院でも成績は優ばかり。
発言すれば皆を納得させるほど説得力があるという。
いったいどこの聖女だという内容ばかりで、ルシアーノは思わず突っ込まずにはいられなかった。
おそらく誇張されてはいるのだろうが、この半分でも本当ならば、デュリオの気持ちもわからないでもない。
正直なところ、ルシアーノだってこれほどの女性ならば結婚してもいいと思う。
第二王子妃として立派にやってくれるだろう。
(でも、なんか人間味がないんだよなあ)
文章だけの報告なので仕方ないのだろうが、ルシアーノとしてはそう感じてしまう。
そもそもデュリオに対して素っ気なさすぎではないのか。
これほどの男が脇目も振らず熱を上げているのに、月に一度の定期的な手紙のみとは薄情である。
ルシアーノなら一途に自分を慕ってくれる相手がいい。――少々馬鹿でも我が儘でも。
目の前で静かにお茶を飲むデュリオをちらりと見て、ルシアーノはカップを置くと姿勢を正した。
「なあ、マリエラだって今からでもどうにか矯正できると思うんだがな」
「それはもちろんそうでしょう。どうかご精進なさってください。陰ながら――いえ、遠くから応援しております」
淀みなく答えたデュリオにはまったく隙がない。
ルシアーノは深いため息を吐いて、立ち上がった。
「お前とこれからずっと過ごせたら楽しいと思ったんだが、残念だよ。近々、城を発てるよう準備しとけよ」
「私にはもったいないお言葉でこざいます。ですが、私は畏れ多くも殿下の友人の一人であると自負しておりますので、傍にいることはできなくても、これが別れだとは思っておりません。格別のお心遣い、ありがとうございます」
デュリオも立ち上がると深々と頭を下げた。
先ほどと同じ慇懃な口調ではあったが、今度ばかりはデュリオの心からのものだとわかり、ルシアーノは何も言わず、照れ隠しにひらひらと手を振って出ていった。
やがて扉が閉められた音が聞こえ、デュリオは頭を上げた。
少々ややこしいことにはなったが、ルシアーノには本当に感謝している。
メイドに茶器を片づけてもらうと、また一人になったデュリオは次に向かう街を地図で確認していた。
予定よりもかなり出発が遅くなったため、ひょっとしたらジステモ教授はもう街にいないかもしれない。
その心配はあったが、ひとまずは手に入れた情報通りに向かわなければ、次の情報も手に入らないだろう。
教授の行動パターンは今までの動きからだいたい把握しているので、予想はできる。
今の季節なら山に入っているだろうから下山を待つことになるかもしれない。
地図を見ながら考えていたデュリオは、ふと顔を上げた。
扉の向こう側に人の気配がする――と思った瞬間、ノックもなしに開かれた。
「デュリオ! ここを出るって本当なの!?」
「……マリエラ殿下、わざわざお越しくださらなくても、お呼びくだされば私から伺いましたのに」
立ち上がって出迎えたデュリオは感情のない笑顔で、暗にマリエラを窘めた。
たとえ王城内でも前触れもなく男性の部屋に訪れるものではない。
しかもデュリオはルシアーノに招かれている客なのだ。
お付きの女性は恐縮してしまっているが、マリエラには通じなかったらしい。
「だって、デュリオが城を発つからって、ルシ兄様がお父様に話しているのを聞いたんだもの! 行かないで、デュリオ!」
「マリエラ殿下、盗み聞きとはお行儀が悪いですよ」
「今はそんなこと関係ないわ! ねえ、どうして出ていくの? このまま私と結婚してここに住めばいいじゃない」
「私は、国王陛下をはじめ、王太子殿下、ルシアーノ殿下など多くの方にお世話になり、大変感謝しております。このメイアウト王国では学ぶことがとても多くありました。ですが、私はケインスタイン王国のアンドール侯爵家の嫡子として、祖国のためにもっと見聞を広めたいのです。ですから、このままこの国に留まることはできません。何より、私のためにと努力を続けながら待っていてくれる婚約者のために、私も大手を振って国へ帰ることができるようになりたいのです」
「な、何よ、あなたの婚約者って――」
「マリエラ! お前、またデュリオの邪魔をしてたのか!」
マリエラが何か言いかけたところで、ルシアーノが勢いよく扉を開けて入ってきた。
その姿を見てデュリオはほっと安堵の息を吐く。
今までの言葉はただの我が儘として聞き流せたが、もしオリヴィアのことを少しでも悪く言われたなら我慢できなかったかもしれない。
そうなれば大手を振って帰るどころか、デュリオは幽閉され国同士の争いに発展しかねなかった。
(まあ、国王陛下も王女殿下に甘くはあるが、そこまで愚かな方ではないから、大丈夫だろうが……)
それでもかなりお世話になったのだから、気持ちよくこの国を去りたい。
目の前で始まった兄妹ゲンカを静観しながらデュリオは早々に発つべきだと決断していた。
そしてこの時から二日後、ルシアーノが立てていた計画をかなり早めて、デュリオはメイアウト王国を発ち、ジステモ教授が滞在しているという国へと向かったのだった。