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デュリオと妹のエリカの年齢差を計算間違いしておりまして、デュリオ視点を6話まで改稿しております。
ストーリー的には何も変化はございませんが、エリカ関連の箇所の変更です。
読者の方には混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。
ひと月ぶりに会うオリヴィアは、前回よりもまた美しくなっていた。
デュリオは複雑な気持ちを隠すように穏やかな笑みを浮かべて、控えめに微笑むオリヴィアを見つめた。
この会えなかった時間が惜しい気もするし、傍にいれば触れずにはいられない衝動が抑えられなくなりそうで安堵もする。
オリヴィアの隣では子爵夫人が毎回の恒例となっている大げさな歓迎の言葉を述べていたが、デュリオの耳には入らなかった。
それから応接間でお茶を飲む間も子爵夫人が口を閉じることはなく、オリヴィアとまともに会話をすることができない。
これもいつものことなので、デュリオは当たり障りない言葉を夫人に返しながら、早くオリヴィアと二人きりになれる庭への散策を心待ちにしていた。
だが、今日は遊学することを話さなければならないのだ。
それを思うと、ずんとお腹のあたりが重くなる。
オリヴィアは寂しがってくれるだろうか?
もし行かないでほしいと言われれば、取りやめにする自信がデュリオにはあった。――あってはいけないが。
ようやく庭へ出ると、オリヴィアの花壇に向かってゆっくりと進む。
やはり前回訪れた時に芽吹いていた植物はすでに花を散らしており、葉と茎だけが残されていた。
やがて茶色くなって枯れていくのだろう。
「色とりどりに咲いたところを見ることができなかったのは残念だけど、葉と茎が全て枯れてしまえば掘り起こして、また来年も花を咲かせることができるんだよね? 他の植物だって種を残して次代へと繋いでいく。植物を見ていると永遠って言葉を信じられるんだ。だからね、オリヴィア……聞いてる?」
「はい?」
庭の散策を楽しんだ後に応接間に戻ったデュリオは、自分でもどうでもいいことを話している自覚はあった。
しかし、オリヴィアはじっとデュリオを見つめながらも別のことを考えていたらしい。
思わず問いかけてしまったデュリオだったが、すぐにかっこ悪い質問をしてしまったと後悔した。
それでもオリヴィアはまだぼんやりしていて、情けないながらもさらに問いかけてしまう。
「どうかしたの? なんだかぼうっとしているようだけど、僕の話は退屈だった?」
「ま、まさか! そんなことはありません。ただ、その……」
はっと我に返ったらしいオリヴィアは、デュリオとはっきり目を合わせた途端、真っ赤になってあたふたし始めた。
これはひょっとしてと、デュリオは期待してしまう。
「うん、何?」
「えっと……デュリオ様が……」
「僕が、何?」
恥ずかしそうに俯くオリヴィアの表情がちゃんと見たくて、デュリオは隣に席を移し、ぐっと顔を近づけて覗き込んだ。
やっぱりオリヴィアは可愛い。
この表情を独り占めしていることが嬉しくて思わず笑みが浮かぶ。
そんなデュリオから、オリヴィアはついと目を逸らした。
「っ、あの、デュリオ様が羨ましくて……」
「羨ましい? 僕が?」
「ええ。だって、高等科では魔法薬学の授業もあるのでしょう? わたしもできれば、勉強したいと……」
デュリオが期待していたものとは違うオリヴィアの言葉。
落胆を隠してまた問えば、返ってきたのは本当にまったく違う答えだった。
「――それなら女学院に入学すればどうかな? あそこも確か、希望すれば薬学の勉強もできたはすだよ」
「ですが、わたしは正等科にも通っておりませんし、そもそも両親が許してくれませんから」
「オリヴィアならそれくらい問題ないよ。子爵には僕から話してみようか?」
半分投げやりで提案した内容は、口にすればいい考えに思えた。
女学院に通えば、世間からは隔離できる。
しかし、オリヴィアは困ったように微笑んで首を横に振った。
「春からは、社交界デビューを前に少しずつお茶会などに出席して慣れていくようにと、母に言われているんです。いきなり社交界にデビューするのは、わたしには難しいだろうからと」
「え? もうデビューするつもりなの?」
「いえ、デビューはもう少しあとみたいですけど……」
デュリオは今聞いた話に衝撃を受けていた。
これでは、自分がいない間にオリヴィアを他の男に攫われてしまう。
だが自分以上の花婿候補はいない自信があるので、子爵夫妻が他の男を認めるわけはないが、世の中にはいくらでも駆け落ちした恋人同士がいる。
ただオリヴィアの性格からして、駆け落ちなどとデュリオに対して不義理をするはずはなく、他に好きな男が出来た場合、正直に打ち明けてくるだろう。
「……まいったな」
「え?」
ぼそりと漏れ出た呟きが聞き取れなかったようで、オリヴィアは顔を上げたが、デュリオの頭の中は目まぐるしく動いていて、いつもの余裕を見せることができなかった。
そして、出た結論は先ほどの案だけ。
デュリオは困ったような笑みを浮かべて、オリヴィアを真っ直ぐに見つめた。
「僕は近々、遊学することになったんだ」
「遊学?」
「うん。ひとまずはメイアウト王国の王立学院に編入するんだ。それからしばらくは……メイアウトに留まるかもしれないし、他の国へ行ってみるかもしれない。そこはまだはっきりしていないんだけど、二年は帰らない予定なんだよ」
「二年……」
「自国内だけでなく、諸外国を見て回ることも必要だというのが、アンドール侯爵家の……家訓というか……。だからオリヴィアには、高等科は無理でも女学院には入学してほしいと思う。子爵にはこれから遊学のことを伝えるから、その時に話してみるよ」
父親であるアンドール侯爵から、暗にオリヴィアとしばらく距離を置くようにと告げられたことを説明するのに、家訓などとありもしないものを持ち出してしまった。
馬鹿なことを言いながらも、デュリオはオリヴィアの反応を窺う。
もし引き止めてくれたなら――。
「寂しくなりますね」
「……そうだね」
「でも……でもきっと、デュリオ様ならどちらにいらっしゃっても、大丈夫ですわ。ただ、お体だけはお大事になさってくださいね」
「うん。ありがとう、オリヴィア」
オリヴィアの様子をじっと見つめていたデュリオは、激しく落ち込みながらも微笑み返した。
自分でもよく笑っていられるなと思う。
おそらくオリヴィアの目が涙で滲んでいたために、ちょっとした満足感を得られたからだろう。
「じゃあ、僕は帰る前に、オリヴィアのお父上にもこのことを伝えるよ。お父上は書斎かな?」
「――はい、おそらく」
どうにかいつもの穏やかな表情に戻して、デュリオは立ち上がると、開けられたままの扉から出ていった。
やはり書斎にいた子爵は、デュリオがノックの後に声をかけて入っていくと、立ち上がって出迎えてくれる。
だが頬についた痕を見るに、どうやら書類の上で居眠りをしていたようだ。
「子爵、実はこれからのことを少しお話したいと思いまして……。お時間をいただけるでしょうか?」
「こ、これからのこと?」
子爵は怯えたように答えながらデュリオに席を勧め、執事を呼ぶためにベルに手をかけた。
しかし、長居をする気のないデュリオは手を上げて制した。
「いえ、それほどお時間は取らせませんので、このままでお願いいたします」
「は、はあ……」
すでに侯爵家がいくつか保有している爵位の中から伯爵位を継いでいるデュリオは、子爵より身分的には上である。
それでも普通ならば、正等科入学前から知っている三十歳も年下相手にもう少し威厳を持ってもいいようなものだが、デュリオを前にするとそれも難しいようだ。
「先ほどオリヴィアにも伝えたのですが、実は近々、僕は遊学するためにしばらくこの国を離れます」
「遊学!? い、いったいどちらへ……?」
「ひとまずはメイアウト王国へ。その後はまだ決まっておりませんが、諸国を周って見聞を広めたいと思っております」
「どれくらいの期間になるのでしょうか? オリヴィアとのことは……」
デュリオの言葉にすっかり青ざめてしまった子爵は、恐る恐るオリヴィアのことについて触れた。
だが、はっきり訊くのが怖いのか、言葉を濁す。
「予定では二年と考えております」
「二年!?」
「はい。ですから、オリヴィアにも僕と同じように見聞を広めてほしいと思っております」
「それは……」
「もちろん、未婚のオリヴィアが諸外国へ向かうことは難しいでしょう。ですが、学院に通い、多くの友人と過ごすことによってオリヴィアの世界は広がるのではないでしょうか? 二年間は長いようで過ぎてしまえばあっという間でしょう。厚かましい願いだとは承知しておりますが、僕が戻るまでオリヴィアには待っていてほしいのです」
「待って……あ、ああ、それはもちろんですとも! 婚約しているのですからな!」
子爵は呆然として話を聞いていたが、デュリオが婚約を破棄する意思がないとわかると、明らかに安堵したようだった。
そこでデュリオは畳みかけるようにオリヴィアにはまだ社交界デビューは早いと納得させ、戻るまで女学院に通うことの利点を上げていった。
「それでは、僕はこれで失礼いたします」
「ああ、少々お待ちください」
今度こそ子爵はベルに手を伸ばし、執事を呼んでデュリオが帰ることを告げた。
執事は馬車の用意とオリヴィアに告げるために、頭を下げて出ていく。
「それで、出発はいつになさるおつもりですかな?」
「十日後を予定しております」
「それはまた急ですな……」
子爵と話しながら書斎を出ると、オリヴィアが急ぎ足で近づいてくるのが見えた。
思わず顔がほころぶ。
しかし、玄関先で見送ってくれるオリヴィアの不安そうな表情を見ると、我慢できなかった。
子爵夫妻が見ているのもかまわず、デュリオはオリヴィアの頬にキスをしたのだ。
するとオリヴィアは一瞬固まり、次いでぼんと音がなるほどに真っ赤になった。
あまりの可愛さにその場で抱きしめてしまいたかったが、どうにか衝動を抑えて呆然としたままのオリヴィアと子爵夫妻に別れの挨拶をして、待たせていた馬車に乗り込んだ。
二年間、離れてしまうのはつらいが、今の自分の行動からしても、オリヴィアがすぐ傍にいて我慢するのもつらい。
デュリオは座席に背を預け、これでよかったのだと自分に言い聞かせて深く息を吐きだしたのだった。




