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婚約破棄のために淑女になる方法。  作者: もり
婚約破棄を回避するために紳士になる方法。
14/29

 

「ねえ、母さん。エリカの体調はどう? 風邪をひいたりしていない?」

「ありがとう、デュリオ。最近のエリカはずいぶん調子がいいわ。ベッドから出ることができる日も、ずいぶん増えたのは知っているでしょう?」

「じゃあ、母さんが少しくらいお出かけしても大丈夫かな?」

「あら、どこか行きたい所があるの? 母さんの付き添いが必要ってことは、どこかのお屋敷かしら?」


 しっかり目的を見抜かれていたデュリオは、ほんのり顔を赤くしながらも、母の隣に腰をかけた。

 妹のエリカは体が弱く、ベッドからあまり出ることができないのだ。


「僕はエリカのことがとても大切だよ」

「わかっているわ。だからこそ、お願いの前に、エリカの心配をしてくれたのでしょう? それで、どちらへ行きたいの?」


 自分の望みを滅多に言わないデュリオの願いなのだから、絶対に叶えてあげなければと思った侯爵夫人は優しく問い直した。

 本当は抱きしめて頭を撫でたいくらいだが、このたび王立学院の正等科への入学を控えたデュリオは年頃のせいかそういうことを嫌がる。


「カルヴェス子爵家なんだ。あそこの庭はとても……面白かったから」

「まあ、そうなの?」


 侯爵夫人は優しく答えながらも困惑を隠した。

 できれば、カルヴェス子爵夫人とは付き合いたくはない。

 だが、可愛い息子のためと思い直し、にっこり微笑んだ。


「では、子爵夫人に訪問のお伺いをしてみるわ。今の季節ならお庭も特に素晴らしいでしょうね?」

「は、はい!」


 ほんの少し後ろめたそうにしながらも、嬉しそうに頷いたデュリオを見て、侯爵夫人は自分の選択を褒めた。

 いつも我慢してばかりの長男がこうして喜んでくれるなら、子爵夫人とお茶を飲むくらいどうってことはない。

 夫である侯爵はカルヴェス子爵を〝取るに足りない存在〟と判断しているが、それならばむしろ都合がいいではないかとも思う。

 少々うるさくはなるが、害にもならないということなのだから。


「では、さっそく手紙を書くわ。だけど、理由はあなたがそちらのお庭を気に入ったとしっかり書きますからね? でないと、またこの間のようになったらと、お庭を見せていただけないかもしれないのですから」

「……はい、わかりました」


 今度はほんの少し恥ずかしそうにしながらも頷いた息子に、侯爵夫人は笑いを堪えた。

 デュリオが子爵家から汚れた格好で帰ってきたときには驚いたものの、顔には出さずにただ夫を睨んだ。

 夫は白いウサギのことを隠していたので知らないふりをしていたが、社交界の重鎮である夫人の耳に入らないわけがない。

 あとで何があったのか夫を問い詰め聞いたことと、侯爵夫人としての情報網で得た内容を照らし合わせれば、デュリオはおそらく子爵家の末の子供であるオリヴィア嬢に庭で出会ったのだろう。


 手紙を書くために立ち上がる夫人に、デュリオが紳士らしく手を差し出す。

 あと一年もすれば、自分の背を追い越してしまうだろう息子に、夫人はかすかな寂しさを感じながらも優しく微笑んだ。


「ありがとう、デュリオ。また訪問日が決まったら教えるわ」

「わかった。ありがとう、母さん」


 デュリオは母が味方についてくれたことにほっとして、ゆっくりと自室に戻る夫人を見送った。

 あの日から、ずっと胸の中にもやもやしたものが残っていて、何となく気持ちが悪いのだ。

 やはりオリヴィアに名前を偽ったままのせいだろう。

 しかし、あの時の雰囲気から、オリヴィアに会いたいと子爵夫人にお願いするわけにはいかないことはわかった。


 だからまた訪問すれば、今度はきちんと紹介されるかもしれない。

 もし、それが叶わなくても、庭に行けば会える気がする。

 オリヴィアにもう一度会えたら嘘を吐いたことを謝ろう。

 そう考えたデュリオは一人でにっこり笑った。

 ずっと胸の奥に詰まっていたものが取れたような気がしたのだ。


 それから母である侯爵夫人が子爵家へ手紙を出してすぐに、大歓迎の旨の返事が届いた。

 そして、デュリオは意気込んで子爵家に訪れたのだが、オリヴィアに紹介されることはなかった。

 さらに庭に出る時には、案内役として庭師頭のアントンという男が呼ばれ、傍から離れようとしない。

 子爵夫人としては、侯爵子息に怪我をさせてはいけないという心配だったのだろうが、アントンにとっては、また庭を荒らされてはかなわないという心配のようだった。

 あれは濡れ衣だと、デュリオとしては言いたいところだがぐっと堪える。

 ロンが――ウサギが食い荒らしたなんて言い訳は紳士らしくない。

 そのため、植物にも庭の造形にも興味のないデュリオは、オリヴィアだけを捜して歩いた。


「何かをお探しですか? ご案内いたしますが」

「いや、あの……そういえば、前にここに来た時にはオリヴィアって子に会ったんだけど、今日はいないのかな?」


 きょろきょろするデュリオに、アントンは何かを探していると察したようだ。

 当然の問いかけに、デュリオは焦った。

 花の名前などバラくらいしか知らず、バラは先ほど通った場所に綺麗に咲いていた。

 どうにか話を逸らそうとしたデュリオは、我ながらいい話題を振ったと思ったが、アントンは日に焼けたしわだらけの顔をかすかにしかめて言いよどむ。


「お嬢様は……いや、その……私にはわかりません」

「それじゃ……」


 デュリオはもっと詳しく訊こうとして、思いとどまった。

 アントンの反応を見るに、あまり触れていい話題ではないらしい。

 そもそも使用人が屋敷の主人たちに対してあれこれ話題にするのはご法度である。

 もちろん、主人のいない場所――使用人たちの部屋では盛り上がっているようだが。

 無理に訊き出せないこともないだろうが、アントンとは別に従僕が傍に控えているため、デュリオがあまり興味を持ちすぎると子爵夫人に伝わりかねない。


「……もうそろそろ戻るよ。ありがとう、アントン」

「いえ、めっそうもないです」


 結局、デュリオは切り上げることにした。

 前回はロンを探すことに夢中で、ほとんど庭を見ていなかったが、実際に目にすると確かに他の貴族の屋敷の庭とは少々違う趣である。

 次はもう少し植物について勉強してくれば、もっと時間が稼げるかもしれないと考えて母の許に戻った。

 子爵夫人は身なりが整ったままで帰ってきたデュリオを見てほっとしたようだ。


「それでは、あまり長居もできませんので、これで失礼いたします。子爵夫人、とても楽しい時間をありがとう」

「いいえ、そのような……。ぜひ、またお越しくださいませ!」

「――ええ、きっとお言葉に甘えさせていただくわ。どうやら息子はこちらのお庭をかなり気に入ったようですから」


 侯爵夫人は息子の様子を一目見るなり、全てを察したようだった。

 自然に話を切り上げると、すばやく別れの挨拶を口にする。

 しかし、デュリオから見て母の顔にはうんざりといった気持ちが覗いているにもかかわらず、次の約束を断ることはなかった。


「母さん、ごめんなさい」

「まあ、デュリオ。何を謝るの? お目当てのお花は咲いていなかったのでしょう? 次にまた捜せばいいと思うわ」

「ですが……」

「ただ、少しばかりの下調べは必要かもしれないわね」

「下調べ?」

「ええ。でもお花のことは母さんのほうが詳しいから、任せておきなさい」


 帰りの馬車の中で、落ち込むデュリオを励ます母の笑みは優しかった。

 だが、その言葉は間違いなくアンドール侯爵夫人としてのものである。

 いつもはおっとりして見える母だが、厳しい社交界においてその身分だけでなく重要人物とされるのは、やはりそれだけの力があるのだ。

 デュリオは改めて母を尊敬するとともに、感謝した。


「ありがとう、母さん。僕は……父さんと母さんの子供に生まれることができて、本当に幸せだよ」

「デュリオ、私こそありがとう。親として、これほどに嬉しい言葉はないわ」


 揺れを最小限に押さえられた車内で微笑む母の隣で、デュリオは照れくさそうに笑った。

 この後、侯爵夫人がどんな手を使ったのかはわからない。

 ただある日、入学したばかりの正等科で出された課題をしていたデュリオの許に、母である侯爵夫人がやって来た。


「デュリオ、明日は学院がお休みだけど、何か用事はある?」

「いいえ、特にはないですが?」

「では、またカルヴェス子爵家へ遊びに行きましょう? 今は春のお花と初夏のお花が咲き乱れていてとても綺麗だとか。時間は午後のお茶の時間の少し前。とても可愛らしいお花も咲いているそうよ。一日一限だけなんですって」

「……うん? わかった。ありがとう、母さん」


 デュリオは了解したものの、母の言葉の意味が本当にわかったのは、子爵家に行ってからだった。

 またアントンと従僕がつけられたが、従僕には東屋で待っているようにとお願いして、アントンとだけ庭の散策をする。

 従僕も退屈な庭の散策に付き合うくらいなら、東屋でのんびりしているほうがいいと思ったのか、アントンがいるから大丈夫だと思ったのか、未来の侯爵の言葉に素直に従った。

 そして、庭の奥まった場所まで進んでいくと、屈んで草を抜いているらしい小さな背中を見つけたのだ。

 なぜか前回よりも重装備だったが。


「ここからは、僕一人で行くよ」


 それは問いかけでなく宣言だったが、アントンはわずかにためらった後に諦めたようだった。

 ただ一言だけ忠告される。


「私たちの大切な花を傷付けないでくださいよ」


 その言葉だけで、アントンたち庭師から彼女がどれほど大切にされているのかがわかった。

 どきどきしながら近づいて、デュリオは自分の存在に未だに気付かない彼女に後ろからそっと声をかける。


「僕も手伝うよ」


 驚いて振り返った彼女は、大きなつばの帽子をリボンで押さえつけて顎の下で結んでいて、本当に花のようだった。

 その可愛らしさにデュリオは思わず笑ってしまったが、傷ついた彼女の顔を見て慌てて謝罪する。

 紳士として、女性を笑うなんて最低だった。


 デュリオが謝罪しても、オリヴィアはむうっと頬を膨らませ、ぷいっと顔を逸らし、また草を抜き出す。

 だからデュリオも隣に屈んで同じように草を抜いた。

 植物については前回からしっかり勉強したので、今の季節に咲く花の名前も覚えている。

 ただ、芽などはまだわからないので、オリヴィアと同じ種類のものしか抜かなかった。


(その怒った顔が可愛いって言ったら、また怒るかな?)


 続く沈黙の中でそんなことを考えていると、オリヴィアのほうが先に口を開いた。

 沈黙に耐えられなかったらしい。


「お仕事はいいの?」

「え?」

「それともトムは見習いだから、わたしを手伝うように言われたの?」

「えっと……」


 オリヴィアにすっかり庭師見習いと勘違いされているデュリオは、何と答えればいいのかわからなかった。

 思わず自分を見下ろして、真っ白なシャツと仕立てのいいズボン、ぴかぴかに磨かれた靴を確認する。

 そこで初対面の時の自分のボロボロの姿を思い出し、あれでは勘違いされても仕方ないと思った。

 デュリオ自身、初めはオリヴィアのことを庭師の娘だと思っていたのだから。


「あの、オリヴィア、実は……」

「わたしね、トムにお願いがあるの」

「……お願い?」

「わたしがいない時もね、この植物たちを――アントンたちが抜いて捨てちゃうような草花たちをわたしの花壇に移してほしいの」

「この雑草を?」


 嘘を吐いたことを謝罪して、本当のことを打ち明けようとしていたデュリオは、オリヴィアの言葉に驚いてしまった。

 しかし、オリヴィアは先ほどよりも怒ったようで、立ち上がってデュリオを睨みつける。


「雑草なんかじゃないわ! そりゃ、人間たちに好まれる草花じゃないかもしれないけど、ちゃんと植物の本にも名前が載っているの! トムは庭師になろうっていうのに、そんなことも知らないの!?」

「……ごめん」


 勢いに押されて謝ったデュリオに、今度は満足したのか、オリヴィアはふんっと一度だけ鼻を鳴らしてまた隣に屈んだ。


「まあ、この子たちだって、それは運命だと受け入れているんだけどね。だから今を精一杯生きているんだって」

「まるで植物の声が聞こえているみたいに言うんだね」

「……聞こえるもの」

「何が?」

「わたし、この子たちの声が聞こえるの! みんなみんな嘘だって言うけど、嘘なんて言わない! 幻聴でもないもの!」


 小さな体で両手を大きく広げ、庭全体を示すようにして訴えるオリヴィアはとても嘘を言っているようには見えなかった。

 そんなことよりも、植物を守ろうかとするようなオリヴィアの強い眼差しに、デュリオはただ見惚れてしまっていたのだ。

 何も言わないデュリオに、オリヴィアは一瞬泣きそうになり、それでもまた強気な表情になって抜いた雑草を――草花を抱えて走り去ってしまった。

 そこで我に返ったデュリオは慌てて後を追う。


「待って! オリヴィア、待って!」


 呼び止めながら走っても、なかなかオリヴィアは止まってくれない。

 それどころか、相手は重装備のスカートなのに、なぜこんなに速いのかと思うほどに、デュリオは追いつけなかった。

 このままだと逃げられてしまう。

 なぜかそんなことを考えたデュリオだったが、オリヴィアはようやく足を止めた。

 デュリオはほっとしたものの、この場所が元々の目的地だったからオリヴィアは止まったのだと気付く。

 そこは初めてオリヴィアと出会った場所だった。


「ここがわたしの花壇なの。アントンにお願いして、お母様に見つからないように造ってくれたのよ」


 言いながら、オリヴィアは抱えていた草花を地面に下ろして、どうにか植え替える場所を探す。

 デュリオはなぜかもやもやした気持ちをまた抱えながら、それでも紳士としてオリヴィアを手伝った。


「信じるよ」

「え?」

「オリヴィアが植物の声を聞くことができるって」

「……本当に?」

「うん。だって、世の中には不思議なことがいっぱいあるんだ。魔法石だって、どんどん新しいものが発見されている。だとしたら、オリヴィアのその力は新しい魔法の力なんじゃないかな?」

「新しい魔法の力?」

「そうだよ。まだ発見されていない魔法ってこと。たとえば光魔石だって、数十年前までは炎魔石だけとしか思われていなかった。目の前に見えていても気付かないことってよくあるよね? だから、オリヴィアはその新しい魔法の研究をしてみたらどうかな?」


 実は炎魔石が光魔石だと発見したのは研究者ではなく、冒険者――デュリオの祖母だった。

 もちろん公にはされていない。

 デュリオは新しい魔法の発見かもと興奮するあまり、その時のオリヴィアが困ったような顔をしていることには気付かなかった。

 ただオリヴィアはいきなり立ち上がり、デュリオを見下ろす。


「ありがとう、トム。わたし、もう時間だから行くわね」

「時間?」

「そう。庭仕事は一限だけって決められているの。ちょっと前までは禁止されていたんだけど、最近になって家庭教師の先生が特別に許してくれたから……時間はちゃんと守らないと。さっきの話……魔法の話は面白かったわ。でも、やっぱり秘密にしていてね。じゃあ、またね!」

「オリヴィア!」


 デュリオの声に、オリヴィアは走りながら振り返ることなく手を振った。

 やはり重装備にも関わらずとても速い。

 デュリオはまた追いかけたかったが、自分もそろそろ戻らなければならず諦めた。

 そして、名前を偽っていることを打ち明けていないことを思い出して、頭を抱えたのだった。




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― 新着の感想 ―
ずっと植物が好きだった主人公が、花言葉の意味を知らないのは ちょっと残念・・・
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