07. 彼の『才能』
ファンタジーを題材にしたRPGなどでは、二種類の終わり方がある。ハッピーエンドを迎えるか――プレイヤーが死んでしまうか。
そしてその後者が今、竜弥の身に訪れるのだと、彼は悟った。
――だが、あまりにも悔しい。あんな頭のおかしい魔術師相手に、ダメージ一つ与えられず死んでいくなんて。
「くわはははぁっ! またワタシのパタァーンが、『才能』が、勝利してしまったぁ! 今のはパタァーンNO.7345『敵が自らの前から逃走し、王都の路地の間を虫けらのように逃げ続けた場合』に相当するぅ!」
忌々しい魔術師は右手で両目を覆うようにして、路地からふらりと竜弥の前に姿を現した。嘲笑交じりのその言葉には、心底吐き気する。
リー・ダンガスは金杖の柄を地面に叩きつけながら、一歩ずつ竜弥たちのもとへと近寄ってくる。しかし、その途中。
彼の足が何かを踏みつけて止まった。
「ほぉ?」
リー・ダンガスが両目を覆っていた右手をだらりと垂らし、自身の足元に目をやると、そこには先ほど竜弥たちが片付けた魔術師の一人が、意識を失って横たわっていた。
「おおっ、これはこれはワタシの部下の一人じゃあないか! なんとも可哀想な姿だぁ! ええと、名前は何と言ったか……? ううむ、顔には見覚えがあるが、名前が思い出せん! ワタシももう歳であるからして、許してもらいたい!」
と、それきり興味を失くしたリー・ダンガスは、味方の魔術師の手当てをすることもなく、それどころか、その身体を踏み越えて、再び倒れた竜弥とユリファのもとへと歩み始めた。
「イカレてるわ……ほんと」
竜弥のそばに屈んだユリファは頬を歪めて、リー・ダンガスを睨みつける。反撃の策は依然として存在しない。
だが。竜弥は朦朧とした意識の中、リー・ダンガスから目を離さなかった。
――何かが、引っかかったのだ。
「ユリファ……奴の言う『才能』……って、なんだ?」
全身を絞るようにすると、息も絶え絶えながら、微かに声が出た。
「……何? 何を言ってるの、竜弥?」
心が折れかけているのか、ユリファはいつもと違って、自信のない震えた声で問うてくる。竜弥は再度、声を発しようとすると、なぜだかさっきよりも楽に発声が可能になっていた。
「『才能』って……それは、パターンを記憶する才能のことか? 何万通りものパターンを記憶して……実行する……それが――それが、本当にあいつの言っている……『才能』なのか?」
「……何が言いたいの?」
ユリファは困惑したように眉をひそめて訊ねてくる。
「貴様らはもう終わりなのだぁ!」
リー・ダンガスは竜弥たちから少し離れた場所で立ち止まると、金杖を天に掲げた。生み出される魔法陣の数は十、五十と増え、百個に届きそうになる。竜弥たちのいる路地の一角は眩い白光に激しく照らされ、その場所だけ昼のような明るさになる。
「本当にそうだとしたら、あいつは無敵だ……今頃、世界の王になってても……おかしくない。最高位の魔術師とか言ってたが……それでも所詮は敵国を襲う先兵部隊の隊長だ……無敵のはずの人間が……そんな立ち位置で満足しているのはなぜだ?」
「それは……」
「それに、あいつは言った……最近、物覚えが悪い、と……そんな奴がパターンを記憶できるのか? それがどうしても……引っかかったんだ」
「でも、それとこれとは違うのかもっ――」
「――いや、違わないはずだ」
竜弥は断定する。根拠など、本当はない。だが、どのみちここで諦めるくらいなら、反撃を試してから諦めたい。だんだんと円滑になる発声に、竜弥は想いを乗せて、彼女の名前を呼ぶ。
「ユリファ。あいつは――リー・ダンガスは、イカれた野郎か?」
「ええ、もちろんよ。あんな奴、まともじゃない」
竜弥はそう言ったユリファに向かって、ゆっくりと首を横に振った。
「俺の勘が正しければ、あいつのイカれた行動には演技が混じっている。でも、あいつには自分が正真正銘のイカれた野郎だと思い込んでもらう必要があった」
力の入らない竜弥はリー・ダンガスによって作られた眩い光の中、ユリファに笑いかけ、再度、彼女の名を呼んで、
「……ユリファ。あいつは――右手で何を見てる?」
口にしたのは、反撃の糸口を含んだ、言葉。
リー・ダンガスはノータイムで完璧なパターンを導き出す。ユリファが本気で繰り出した三大魔祖渾身の一撃でさえ、致命傷にはなり得なかった。
パーフェクトなパターンを選択し、実行する。それが本当に彼の『才能』なら、竜弥たちは勝つことができないだろう。だが、リー・ダンガスは違和感のある行動をしている。彼のイカレた言動のせいで、隠れてしまった異常な行動。
それが、あの右手の動きだ。初めは狂気を孕んだ意味のない動作かと思った。
だが、リー・ダンガスは「右手だけ」を、「顔の前に出す」動きしかしていない。本当に意味のない動作なら、それこそ、もっといろんなパターンがあって然るべきだと竜弥は思うのだ。左手を使ったり、顔以外の場所に動かしたり。
もし、右手の動きに意味があると仮定すれば、その目的は?
そして、導き出された答えが――――何かを見ている、だ。
「……ユリファ。俺はリー・ダンガスがあの右手で何かを見ている可能性が高いと思う。それがわかれば、戦いに勝つ突破口が開けるかもしれない」
「何かって、パターンに関する何かってこと……?」
「わからない。だが、あの右手が奴に何らかの力を与えている気がするんだ。だから、一点集中で、奴が攻撃を放つことに気を取られている一瞬に、あの右手を貫けないか?」
リー・ダンガスが顕現させた大量の魔法陣、その光は臨界に達そうとしていた。敵の魔術師は咆える。圧倒的優位な状況下で、格下をいたぶる愉悦に浸りながら。
「何をごちゃごちゃと喋っているのか、声が小さくてよく聞こえないなぁ!? まあ、いい。さあ、ワタシの魔術に屈するがよい!」
百以上の魔法陣の白い閃光が目を刺す。眩しくて、目を開けているのも辛い中、ユリファはしっかりと目を開けて竜弥を見つめ、こくりと頷いた。
「わかったわ。竜弥。やってみる」
彼女の右目の虹彩が綺麗に紅く光っていた。細くて小さな身体、それでいて、温かな体温を持ったユリファの身体が竜弥を優しく包み込む。
「もう一度だけ、力をもらうね」
その言葉の少し後、竜弥の全身からユリファの身体へと流れていくものを、彼は確かに感じた。それは、『魔魂』の流れ。敵を倒すための力。
もう、痛みは感じなかった。むしろ、心地よささえ感じていた。ユリファと竜弥の身体に巡る『魔魂』の回路は完全に繋がって、安らかな感覚を与えてくれる。
「ハハハハハァ! 終わりだぁぁぁぁぁ!!」
高笑いしたリー・ダンガスが金杖を思いっきり振りかざそうとした、そのわずかな一瞬。
目で追えないほどのスピードで、一直線にリー・ダンガスへと肉薄する影。
それは黒光を纏った幼女にして、三大魔祖が一人、ユリファ・グレガリアス。
竜弥の『魔魂』を喰らい、その体躯に真紅の紋様を浮かべた彼女が予期せぬタイミングで眼前に迫る。目を剥いたリー・ダンガスは咄嗟に右手に目をやり、左手の金杖を振るって己の身体を守ろうとするが。
ユリファ・グレガリアスが放った一撃は、リー・ダンガスが恐れるような、相手に致死性のダメージを与えるものではなかった。
その代わり、その一撃はどんな防御が展開されたとしても、たった一点だけを貫くため、残った全ての力を凝縮させたものだった。
彼女の手から伸びたのは黒い光の槍。凶悪に輝くその槍がリー・ダンガスの前面に展開された白光の防御壁、その一点のみを突破して。
「取ったッッ!!」
幼女が猛々しく叫ぶ。
鋭く光った黒光の槍の切っ先が、リー・ダンガスの右手を貫通した。
「…………あ?」
何が起こったのかわからないというように、リー・ダンガスは呆けた顔で口を開け、自らの右手を見つめた。
槍が刺さって、切っ先が突き出た右手を。
一瞬、力が抜けて垂れ下がった彼の手の平が竜弥の方に向けられた。そこにあったのは、手の平全体にびっしりと浮かび上がった光の文字。それが状況に応じて、刻一刻と形を変えていくのがわかった。
「…………あ、…………あああああああああああっっ!!!???」
ユリファが軽く念じると、黒光の槍は消滅し、リー・ダンガスの右手には大きな穴が空いた。生々しい鮮やかな血液がだらだらと垂れ、地面に散らばっていく。それと同時に、顕現していた白い魔法陣は全て霧散し、辺りに夜の闇が戻ってきた。
注意が右手に集中したリー・ダンガスの左手からは金杖が落ちて、地面に転がった。
「ああああああああああああああああああああああああああああっっっ!? 右手がッ!! 穴がッ! 血がッ! いや、そんなことはいいッ! そんなことより、ワタシのパタァーンはッ!?」
リー・ダンガスは狂ったような鬼の形相で、右手の穴から流れ出た血液を左手で乱暴に拭う。拭って、拭って、必死に何かを探そうとしている。
左手で跳ね飛ばされたリー・ダンガスの血液が地面に飛散した。その光景は本当にイカレていると表現していいだろう。
「開いた穴のせいでワタシの完璧なパタァーンが手の内から零れていくッ!? そんな、待ってくれッ! ワタシのせっかくの『才能』がッ!!」
混乱して、自らの右手を凝視するリー・ダンガス。
彼が気付かないうちに、ゆらりと立ち上がる人物がいた。
それは、御神竜弥。
さっきまで起き上がることもできないほどの傷を負っていた竜弥が立ったことで、傍らのユリファは驚いて目を見張った。竜弥の致命的ともいえた傷口はすでに塞がっていた。その傷跡の周辺に見慣れた虹色の光が漂っている。負傷した際に、傷口から体内の『魔魂』が溢れ出て、それが傷を修復したのだ。
「竜弥、あなた……」
「いい加減、俺も腹が立ってんだ」
竜弥はぽつり、と呟く。
そして彼は、リー・ダンガスに向けて、一歩ずつゆっくりと進んでいく。
次第にその速度は速くなり、最後には駆け出した。
「なんだ……! なんて書いてあるんだッ! パタァーンNO.38376『――が、×××して、壊滅的な――を受けたとき、――をするため、……、~~で、―――』ッ!! クソッ! 他のパタァーンはッ! パタァーンNO.749023『―――、~~~が、××した時、―――を××することで、事態を~~して、――――』ッ!! ぁああああああああああッ! 読めない、読めないッ、読めないッッッ! パタァーンよッ! 今、ワタシはどうすればいいのだ――――」
リー・ダンガスが悲鳴に近い大声を上げたその時だった。全力で地面を蹴った竜弥の姿が眼前に現れ、
「――素直にやられればいいんだよ、このパターン野郎ッ!」
竜弥の渾身の右拳が、リー・ダンガスの憎らしい頬に深くめり込んだ。そのまま、竜弥は拳を全力で振り抜く。リー・ダンガスの老いた身体が勢いよく後方に吹っ飛び、仰向けに転がってびくびくと痙攣した。
竜弥はそんな無様に倒れ伏した最高位魔術師の姿を冷たい眼で見下ろす。
「今ならわかるよ。お前の『才能』が。それは、『パターンを状況に応じて完璧に使いこなす才能』じゃない。『常に掌にサジェストされるパターン候補から、ノータイムで最善の物を選び、行使する才能』だ」
「う、うぐぁ……ワタシの『才能』が、負けた……?」
最高位魔術師、リー・ダンガス。彼の『才能』は常人離れした反射行動をミスなく行うことができるというもの。常人には決して不可能な、それこそ魔術に近い異能力――彼の言う『才能』には、自身にパターンを教えてくれる存在が潰されると、意味がなくなってしまうという弱点があった。
ユリファは倒れたリー・ダンガスに近寄って屈むと、右手の平を眺める。中央に大きな穴が開き、わずかな部分しか読み取れなくなった光の文字列は依然、主に対して、この状況での対応パターンを表示していたが、その内容はわからない。
彼の敗因は指示されるパターンに固執し過ぎたことだった。パターンを捨て、金杖を拾い、自らの判断で回復魔法を使えば、まだ戦えたはずだ。
だが、リー・ダンガスはそうしなかった。それほどまでに、彼はパターンに頼り過ぎていた。
「この男が最高位魔術師だっていうのは、本当ね。この光の文字列はその道を極めた人間にしか発動できない『独特術式』の一種よ。文字通り、パターンに愛された男。だけど、それはパターンを支配するんじゃなくて、パターンに支配されるという形だったってわけね」
そう言って、立ち上がろうとしたユリファ。
だが。ぞわり、と竜弥は嫌な予感を覚えた。
「ゆ、許さないぃ……!」
突然、狙っていたかのように、リー・ダンガスの骨ばった手がユリファの細い手首をがしりと掴んだ。咄嗟のことで一瞬の動揺を見せたユリファに向かって、リー・ダンガスはぐにゃり、と表情を歪めて、醜い笑みを作り、
「金杖を取り落としても……パタァーンに見放されても……このパタァーンだけは覚えているのだぁ……」
「――!? ユリファ、離れろ!」
「パタァーンNO.0『己が死ぬ時は――敵を道連れに』ッ!」
リー・ダンガスの道連れの叫びと、それに抵抗するようにユリファの黒光を纏った右足による蹴りが放たれたのがほぼ同時。ユリファの強烈な一撃にリー・ダンガスの手が離れ、その瞬間、リー・ダンガスの身体は激しい白光と共に爆発した。
「ユリファ!」
爆煙と粉塵が舞い、竜弥の視界が奪われる。一秒、二秒。何も見えない。
「ユリファ、無事か!?」
ユリファもリー・ダンガスの自爆に巻き込まれたのではないかと心配する竜弥を焦らすように、ゆっくりと視界が開けていく。
そして、再び視界がクリアになった時。
竜弥の目に入ってきたのは、無傷で立っている幼女の姿。
フリルのついた黒いロリータ調のワンピースを着て、金髪のツインテールをふわりと揺らす彼女。日本に転移してきた異世界、アールラインで恐れられているという高位存在であり、三大魔祖が一人、ユリファ・グレガリアス。
彼女は竜弥と目が合うと、
「こういう時は悪役だけやられるのが、お決まりの『パタァーン』でしょ?」
と、悪戯っぽく笑った。