06. パタァーンの猛威
上空に出現した十数個の白光魔法陣が同時に回転を始めた。魔法陣が内包する白光はみるみるうちに強くなり、臨界に達した魔法陣から順に、竜弥たちへ光の奔流を解き放つ。
「竜弥!」
ユリファに突き飛ばされる形で、竜弥は攻撃の範囲外へと転がった。そのせいで逃げ遅れたユリファは高速で流れ落ちてくる白光の雨を注視し、身を捻ってその全てを回避する。攻撃が途切れると同時に、ユリファは弾け飛ぶように竜弥へと抱きついた。
「力をもらうわ!」
ユリファの小さくて柔らかい身体の感触と体温。それを竜弥が感じた数秒間に、ユリファは彼の身体に流れる『魔魂』を喰らう。
虹色の光が竜弥の身体から溢れ出し、その全てがユリファの纏う黒光に吸い込まれていく。
再びユリファが敵の魔術師リー・ダンガスに向き直った時、彼女の両眼は紅く染まり、肌には幾何学的な紋様が浮かび上がっていた。
「あれを避けるとは、さすがは三大魔祖。称賛に値するなぁ!」
リー・ダンガスは左手で金杖を弄びながら、ふふっとくぐもった笑みを零す。余裕の態度。竜弥たちを強敵だと思っている様子はない。
「――手加減はしない」
突如、風塵が舞う。と、次の瞬間、ユリファの身体はリー・ダンガスの目と鼻の先にあった。容赦なく突き出されるのは、黒光で強化した右腕。その暗黒の鉄槌がリー・ダンガスの顔めがけて放たれるが、
「はい、それもパタァァァァーン! NO.478『自らが対応できない速度で現れた敵が、術式・またはそれに類する方法で強化した右腕で顔面を攻撃してきた時』ぃぃぃ!」
反撃まで一秒未満の速すぎる速度で差し出された金杖が、ユリファの腹へと酷くめり込んだ。彼女の身体が大きく折れ、口から唾液が飛ぶ。
「うぁ……!」
涙ぐんだユリファのことを、リー・ダンガスは老いた身体のどこにそんな力があるのかと疑うほどの強力な回し蹴りで容赦なく蹴り飛ばした。小さな彼女の身体は抵抗することもできず、後方へと吹き飛ぶと、地面を何度か高速でバウンドしたあとで仰向けに地面に倒れる。
「ユリファ! ……くそっ! てめえええええ!」
その様子を目の当たりにし、気が動転した竜弥が策もなく突っ込むと、
「あ、それもパタァーン。NO.3『どうでもいい雑魚が馬鹿正直に突っ込んできた時』」
急にテンションを下げたリー・ダンガスは、竜弥が振り下ろ右拳をさっと避けて、彼の背中を金杖でバシィ! と殴打し、
「こんなよくあるパタァーンは、なんだかテンションが下がるのだが……」
と、嘆くようにぼやいた。
「ふざけんなッ!」
すぐさま振り返った竜弥は、リー・ダンガスの右側面から覆いかぶさるように飛びかかる。だが、リー・ダンガスは動じない。
「パタァーンNO.553『敵が斜め左79度の角度から、跳躍をしてこちらに襲い掛かってきた場合』ぃ!」
彼が高い声色で喚くと、竜弥の両手足首に枷のような中央の空いた円環状の魔法陣が出現した。
「そのまま、ねじ切れるがいい! 小僧ぉ!」
手足に纏わりつく魔法陣が、リー・ダンガスの号令で高速回転を始めた。竜弥の全身に冷汗が伝る。これをこのまま放っておいたらどうなるのか、それは想像に難くない。
全力で手足を振り回し、魔法陣をどうにか振りほどこうとするが、魔法陣は腕輪、足輪のようにどれだけ振り回しても固定されていた。
「くっそおおおお! 放しやがれええええ!」
魔法陣が数ミリずつ肌へと食い込み、耐えきれなくなった皮が破れて少量の血液がはじけ飛ぶ。鋭い痛みが走り、脳内を混乱が満たす。
「やめろ! やめろぉぉぉ!」
目を剥き、絶叫する竜弥の横を人影が光の速さで駆け抜けていく。それは体勢を立て直したユリファだった。彼女は竜弥に気を取られていたリー・ダンガスの懐に潜り込み、黒光の雷撃を放つ。
「ちぃ! まだ起き上がるのかぁ、三大魔祖よ!」
ほぼ反射的に展開された白光魔法陣によって、ユリファの一撃を辛うじて防いだリー・ダンガスだったが、それでも衝撃を抑えきれずに、足は地面で踏ん張ったままの状態で十メートルほど後ろまで後退させられていた。初めて相手に与えた有効打である。
「ぐっ……ワタシが押し込まれるなど……。パタァーンNO.5『不意打ちを受け、反撃に転ずることができない場合』、またNO.7『強烈な衝撃により、全身にわたって自らの骨が砕けた場合』の二つが適応され、得られた対処法は……パタァーンNO.2――『回復』」
リー・ダンガスは激痛で歪めた顔を隠すように右手で覆いながら呻き、金杖を大きく振った。それに呼応して攻撃の際とは違った、陽の光のような優しい輝きが彼を包み込む。
その輝きが消えた時には、すでにリー・ダンガスは元の不敵な笑みを漏らして、竜弥たちを見ていた。
回復魔法。ゲームなどではお馴染みの魔法だが、実際に対峙してみると反則技に近い。竜弥は城の敷地を出る前、ユリファから魔法についての簡単なレクチャーも受けていた。
それによると、回復魔法は負傷直後の傷にしか効果がないらしい。つまり、相手を負傷させた後、一定時間魔法を行使させなければ、ダメージを与えることも可能なのだ。
問題はそれを実行できるかどうか、なのだが。
「もうずいぶんと『回復』などしていなかったが……やはり、三大魔祖の異能はその一部であっても、強大なのだなぁ……だが! 完全体でもない、ユリファ・グレガリアスなど、恐るるに足らん! ワタシにはそこらの魔術師とは違う、パタァーンの実行に恵まれた『才能』があるのだから!」
「くっ、仕留めたと思ったのに、これでもダメなの……?」
竜弥の『魔魂』を取り込んだ状態のユリファ、その不意打ちの攻撃であっても、リー・ダンガスに致命傷を与えることができなかった。その事実は竜弥たちにとって、絶望を呼び寄せるものでもある。
「他の魔術師たちはパタァーンを覚えきれず、それ故にパタァーンを使役できない! しかし、ワタシには『才能』がある! 『才能』が! あるのだ!」
狂ったように右手を顔に押し付け、リー・ダンガスは咆える。彼は右手の指の間から、竜弥たちをぎょろり、と覗くと、両目を気持ちの悪いほど大きく見開いた。
「さぁ! そろそろデッドエンドだ、ガキ共!」
金杖をブンブンと振り回したリー・ダンガスは甲高い笑い声と共に、彼の背後に次々と魔法陣を出現させる。通りには魔法陣が密集して、その全てが竜弥たちを狙っていた。
ユリファはその様子を目にして、ギリッと悔しさに歯噛みする。
「このままじゃ、やられるわ――後退しましょう」
「おい! やられっ放しのまま、逃げるのかよ!」
「逃げるんじゃないわ、打開策を見つけるまでの時間稼ぎ」
手も足も出ないまま逃げ出すことに、納得がいかない竜弥の手を取ったユリファは、テラスから彼を投げ落とした時と同様に、黒光によって瞬間的に細腕を強化する。そして、竜弥の身体を軽々と持ち上げたユリファは横道へと彼のことをぶん投げ、自身もその場を離脱した。
「うぉぉぉぉっ!」
手加減なく投げられ、猛スピードで変化する風景に竜弥が絶叫するのと同時、無数の白光の弾が元いた場所に着弾する。爆発。霧散。その後には塵さえも残らず。
あの場所にまだ自分が立っていたらと考えて、
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」
さらに竜弥の絶叫は大きくなった。
「ちょこまかと動くなぁ! 所詮、パタァーンから逃げられはしないのだ!」
リー・ダンガスは遭遇当初の緩慢な動きから想像もできない速さで、二人が逃げ込んだ路地の入口に陣取ると、右手を仰々しく天に掲げ、怒鳴った。
「さ、早く起きて!」
衝撃を殺しきれず、地面に転がった竜弥は差し出されたユリファの小さな手を掴んで、起き上がる。全身が経験したことのない痛みに軋んで、よろめいてしまった。
「ほんと、これが夢見てたファンタジーの世界だと思うと、怖気が走るぜ……」
「何言ってんの、走るわよ!」
可愛い幼女に急かされ、自分の命を狙う敵の魔術師から逃走する。
クーラーの効いた部屋の中で、寝転がって読むラノベの世界の話なら、魅力的な展開かもしれないが、実際に砂埃に塗れた城下町の中を自分の足で逃げるのは、何一つとして魅力的ではなかった。
いくつかの路地をジグザグに必死で走り抜け、息を切らしながら背後を振り返るといつの間にか、リー・ダンガスの姿はなくなっていた。立ち止まったユリファに追いついて、やっと撒くことができたか――と、竜弥が一瞬息をついたのも束の間。
「――ほらぁ! どこだ! そこか、あそこか!」
不本意ながら、もう聞き慣れてしまった甲高い声がどこか遠くから聞こえたかと思うと。
突如、頭上に複数の魔法陣が出現した。
「まず――っ!」
竜弥が全身で危険を感じ、逃げ出そうとして。
「…………」
虚を突かれたユリファが呆然と魔法陣を見つめていることに気付いた。
無数の白い光弾が嵐のように降り注いだ。
無差別な範囲攻撃。激しい衝撃が周囲一帯を襲う。竜弥は咄嗟にユリファの華奢な身体を守るように抱きかかえて、地面に転がっていた。
地面に転がることが多い日だと思った。
恐らく、今までの人生の中で一番転がっただろう。
だが、誰かを守るために転がるのなら本望というものだ。
「うぅ……ん。竜弥、大丈夫……?」
朦朧としたような、ユリファの声。
大丈夫だ、と声を上げようとして、竜弥はなぜか思うように声が出ないことに気付いた。声を発しようとして、しかし自分の耳に届くのは呻き声のような、言葉にならない空気の抜ける音だけ。
自分の身体の下の地面で、赤い何かがぬらり、と光っていた。
ぼんやりとかすみ始めた視界でも、それがなんだかはわかる。
血液だ。
それは、紛れもなく、竜弥の。
「りゅう、や……? 竜弥ッ!」
ユリファが驚愕に目を見開いて、竜弥の顔を覗き込んでくる。その瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。そんなに心配するほどじゃない、と言いたかったが、あいにく竜弥は声を上げることができない。すまない、と心の中で思った。
見ると、竜弥が着ていた制服の白シャツの胸元は真っ赤に染まっていた。クリーニングに出しても、どうにもならなさそうだと考えて、竜弥はまだ自分が愛すべき平和ボケの思考から抜け切れていないことに気付く。そして、力なく笑みを浮かべた。
「竜弥、ダメ! 意識を保って!」
ファンタジーを題材にしたRPGなどでは、二種類の終わり方がある。ハッピーエンドを迎えるか――プレイヤーが死んでしまうか。
そしてその後者が今、竜弥の身に訪れるのだと、彼は悟った。