10. 倫理欠損のディナ1
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王国魔術師軍魔術師長、自称正義のヒー! ロー! 魔術師。
常にへらへらと笑い、お茶らけた空気で場を和ませる。
それがエイド・ダッグマンという男だった。
そして、それは表の顔だ。
瓦礫の山が積み上がった渋谷のセンター街。
その通りを高速で駆け抜けていくのは、憤怒に身を任せた修羅の存在だった。
端正な顔立ちは醜く歪み、その瞳孔はただ敵の存在を探し続ける。身体中からは赤色の魔魂が溢れ出し、それは殺気を帯びて街の静寂を切り裂いていく。
ただの優男が軍の魔術師長になれるわけなどない。
エイド・ダッグマンはひとたび戦闘になれば、目的遂行のためには手段を選ばない狡猾かつ残虐な人間だった。
元々はその狂気的な性格が、エイド・ダッグマンの全てだった。幼い時分には、住んでいた地域の住民たちから恐れ、疎まれていた。だが、彼はリーセア国の魔術師軍に入隊することで、少しずつ変わっていったのだ。
そうやって変わっていけたのは、仲間というものの温かさを教えてくれた戦友たちのおかげであり、今も故郷の地で孤立していたのならば、間違いなく悪人に育っていただろう、とエイドは己が境遇を顧みて思う。
そうして、性格を矯正することができた彼は正義のヒー! ロー! 魔術師になると決めたのだ。今まで世間に迷惑をかけた分も、世間を救うことで償う。それが彼の信念だった。
過去の自分のように、どう生きればいいかわからない人間たちのことも愛し、正しい道を教える。そうすれば、世界はどんどんと良くなっていく。
エイドは元々の凶悪な性格を、その信念を貫くためだけに利用すると決めた。
だから、修羅の姿をした彼は放つ殺気とは反して、悪に属する行為はしない。
彼は宣言通りに、ヒー! ロー! である。
だが、その代わり、悪に容赦をする心を持ち合わせていない。
悪に対しては、元来の凶悪な性格が牙を剥き、息の根を止めるまで攻撃することをやめない。
そうして、全ての部下に信頼されながら、全ての部下に恐怖される王国魔術師長は生まれたのだった。
彼の獰猛な瞳は今、何を見ているのだろうか。
渋谷に結界を張る三人の魔術師を見ているのか。
それとも、彼らを使役するモンスター、『ミーム』を見ているのか。
しかし、彼を知るものならば、その答えは簡単にわかるはずだ。
正義のヒー! ロー! は仲間を決して見捨てないし、敵を許さないのだから。
センター街の中央には魔導品が示した通り、透明な魔魂の結界が構築されていた。魔魂結界の特徴は全ての物体を通さず、魔術も跳ね返すところにある。強行突破は不可能。よって、術者を倒すしか先に行く方法はない。
エイドは地面を強く蹴って、上空高くまで跳躍した。
すると、結界近くにある五階建てくらいのビルの屋上に数人の人間たちが集まっているのが確認できた。全員が灰色のローブを頭まで被っている。おそらく、あれが『ミーム』の狂信者たちだろう。
「僕は決して許さないよ、『ミーム』。愛すべき大切な部下を奪った罪、必ず償わせてやる」
滞空したエイドは背後に魔魂の塊を出現させた。そして、それを勢いよく爆発させる。その衝撃を利用して、彼は頭上から狂信者たちを強襲した。
「な、なんだ!?」
何が起こったのかわからず、狂信者たちは狼狽える。
彼が強く念じると、手元に一瞬燃え盛るような赤い魔魂が出現し、次の瞬間には茶色の杖が彼の右手に握られていた。ビルの屋上に着地したのと同時、彼は杖を激しく振り回して、二人の信者を地面へと叩きつけた。手加減なしの一撃は信者の鼻を砕き、コンクリートに派手な血しぶきが散る。
人数は全部で四人。そのうちの二人を片付けたエイドは、近くで動揺する信者の身体へ杖を突き出す。
「ぐはっ……!」
杖の先端は強化術式によって、刃物よりも鋭利にとがっていた。それは狂信者の腹を貫通し、エイドは冷たい目で引き抜く。傷口を押さえるものがなくなり、血液が大量に溢れ出した信者は、痙攣したままその場に崩れ落ちた。
「あと一人」
エイドの声にはほとんど感情がない。だが、次の獲物を仕留めようとした時、彼の瞳に初めて感情が現れた。
彼の目線の先には、フードを外した少女が一人。
「アハハハハ! おっもしろ~~~~~いいいいい!!! 部下ちゃんが死んじゃってるよぉぉ!! そんなに血ぃ出して、なんか楽しいわけ~~~!?!?」
その髪の色には、見覚えがあった。
風になびく綺麗な金色の髪。
それをツインテールにした少女は、大きな人懐っこい瞳に、小振りな鼻と唇。男の部下の中には、彼女に惚れていた者も何人かいたはずだ。
彼女は昔、自身のその髪をずっとコンプレックスに生きていた。
彼女はエイドが初めて持った直属の部下の一人で、とても真面目な優等生。風紀と倫理を名により重んじる、魔術師小隊の中の規律を守る人間だった。
だが、今はどうだ。
彼女の美しい顔は、侮蔑と、歓喜と、悦楽に塗れている。
胸元を大きく開けた淫靡なドレスを身に纏っており、死に逝く部下の姿を見て、下劣な笑みを浮かべていた。
「ああん?? あんたどっかであったことあったあったあったっけ~~~!?!? な~~んか、見覚えあんだけど??」
目の前の女は、エイドに恐怖する素振りも見せず、彼の顔を間近で覗き込んだ。そして、ふひっ! と汚い鼻息を漏らす。
「あたっし、どっかであんたと一夜を共にしてたりする?? こんなになっちまってから、男もとっかえひっかえで覚えてないんだわ~~~?? 正解?? ま、どっちでもいーけどっ! ほっら、もっと部下を殺してEよ! さっきから退屈で困ってたんだわ!」
エイドは悲しみに顔を歪める。
かつて風紀の守護者だった彼女は、倫理観を奪われてしまった。
『ミーム』によって奪われたものは、二度と元には戻らない。
こんな姿、昔の彼女なら羞恥に耐えられないだろう。エイドは救わなければならない。愛する部下の一人である彼女のことを。たとえ、こんな醜い姿になってしまっていても。
だから、エイドは宣言する。
「風紀を愛した小隊長、ディナ! 今から僕はキミを殺すッ! キミを殺して、キミを救ってみせるッ!」