09. 末路
「……痛い」
「ご、ごめんなさい……」
集落出発前。各メンバーは携行する魔導品の調整や地形の把握のため、散り散りになっていた。先に準備の完了した竜弥はハイリと二人、小屋の立ち並ぶ区画を散歩がてら歩いていた。彼の頬はまだ赤く、氷嚢を当てて冷やしているところだ。
「にしても、言われないと普通に人間の村だよな」
竜弥の周囲には、木造小屋が立ち、小さな畑がたくさん広がっている。道はもちろん舗装などされていないが、綺麗に整えられていて歩きやすい。日差し避けの布を頭に巻いて、村人たちが農業に勤しんでいた。みんな、汗をかいているし、食事を取っている者もいる。
魔導人形が人間と変わらないというのは、本当のようだ。
「ええ。でも、私たちは王都では人形として扱われます。人権はありませんし、迫害の対象です」
「酷いな。差別する必要なんてないのに」
「みなさん、怖いんですよ。人間に似た私たちのことが」
暗い話題に、二人とも口を噤んだ時だった。
どこかから、呻くような声が聞こえた。
それは苦悶の念がこもった、酷く嫌悪感を覚える声音だ。
「ハイリ、この声は……?」
「……」
竜弥が立ち止まって訊ねても、ハイリは目を逸らして答えようとしなかった。依然、苦悶の声は続く。竜弥は声をさらに注意深く聞き取ろうとして、そして、気付く。
それには気づかない方が幸せだったかもしれない。
さっきまでのどかに感じていた、村人たちの暮らしの光景。
だが、それは、竜弥が聞き取った呻き声が聞こえてきても、一切変わらなかったのだ。
「おい……どういうことだ、これ?」
古木が軋むような、低い呻き声。
それがこんなに大きく聞こえているのに、誰も彼もが無反応だ。
その光景は普通じゃない。竜弥は一気に恐怖の中に突き落とされた。
「……これも、本当は隠しておきたかったんです」
観念したように、ハイリは呟いた。
そして、彼女はある方向を見つめる。彼女の視線の先は、村の奥の古びた廃屋に注がれていた。彼女は廃屋に向けて歩き出す。竜弥がその後について、ゆっくりと進んでいくと、呻き声はだんだんと大きくなった。
屋根は剥がれかけ、壁にも大穴が空いた廃屋。
そんな誰も住んでいないような、廃屋から声が聞こえる。
そこに何が隠されているのか、竜弥には見当もつかずに身体が小さく震えた。
「どうぞ……私はこれから竜弥さまに同行させてもらう身。隠し事はもうやめます」
ハイリが廃屋の扉を開く。そして、その室内の光景は――竜弥の予想とは正反対だった。
「どうなってんだ、これは」
今にも倒壊しそうな廃屋の内部。
そこには外観とは正反対に、とても綺麗な居間が広がっていた。
木の床は磨きあげられており、埃の一つもない。居間の中央には四角いテーブルが置かれていて、そのそばに革のソファがあった。暖炉も設置されており、冬も快適に過ごすことができるだろう。
だが、竜弥は己の目を本気で疑った。
綺麗な内装なのはいい。
しかし、あまりに外観と違いすぎる。外から見た時、横壁には大穴が空いていたはずだ。なのに、部屋の内部を見回しても、どこにもそんな穴はない。まるで違う場所に転移してしまったかのようだ。
「この家には、幻覚の術式が使われているんです。だから、外から見ると廃屋に見えますが、実際はこの通り、立派な建物です」
困惑する竜弥を助けるように、ハイリは笑顔を浮かべてそう説明してくれた。なるほど、それならば、竜弥の疑問は解消される。しかしその代わり、別の疑問が湧いて出た。
「でも、なんでこの家にだけ、そんな術式を?」
「……それは」
ハイリが答えようとした時。
「ううう……あああああ…………」
竜弥の耳に、先ほど聞こえてきた呻き声が届いた。
今度は近い。同じ部屋の中にいるはずだ。竜弥が辺りを見回すと、部屋の奥の扉から一人の人影が出てきた。よろりと傾いたその影はバランスを崩して、ぐしゃりとその場に倒れ込んだ。
「大丈夫ですか!?」
その様子を見て、ハイリが慌てて人影に駆け寄った。竜弥もその後に続く。
人影のすぐそばに屈んだハイリは膝枕の形で、その人物を抱きかかえた。依然、呻き声は続いている。竜弥が覗き込むと、その人物はどうやら三十代くらいの男性のようだった。
しかし、目の下には大きな隈があり、顔中が皺だらけだ。瞳は脱力し切って、生気の欠片もない。焦点の合わない双眸で、男はただ呻き続けている。
「……私はこの方を、村の人たちから隠しておく役目を持っているんです」
ハイリは暗い声でそう言いながら、男の頭を優しく撫でた。すると、ずっと呻き続けていた男は大人しくなった。
「その人は……なんなんだ? その人も、魔導人形なのか?」
竜弥の問いに、ハイリは一瞬言葉を詰まらせ、そして、苦しそうに言った。
「竜弥さまの仰る通りです。この方は、魔導人形の末路を体現しているんです。彼は壊れた魔導人形。そして私は、この事実を村の人たちに伝えてはならないと思っています」
「どうして?」
「どうしてって、嫌じゃないですか。自分たちも壊れたらこうなる、やっぱり所詮は作り物のまがい物なんだって知ったら。だから、幻影術式を張ってでも、この方をここに閉じ込めておく必要があったんです」
「村の人たちには、さっきの呻き声も聞こえないのか?」
「ええ。本当なら竜弥さまたちにも聞こえないはずでしたけど……大規模転移術式のせいで、幻影術式も弱くなっているんでしょうね。新しく村に来た人々には効かないのかもしれません」
「そう、なのか……」
竜弥は顔をしかめる。それは別に、目の前の生気を失った男の惨状を見たからではない。魔導人形、その複雑な立場の存在について思いを巡らせたからだ。
壊れてしまったら、呻き声を上げるだけの存在になってしまう。そんな脆くて不確かな魔導人形。やはり、彼らは生み出されるべきではなかったではないか、とも思うが、目の前で慈しむような表情で男の頭を撫でるハイリを見ると、その考えも間違っている気がしてしまう。
反逆者バラゴー・フィルデス。
魔導人形の村を作った魔術師。
もう亡くなってしまったという彼は、何を思って魔導人形を作ったのだろうか。
その答えは、いくら考えても出そうになかった。