07. これは僕の役目だから
「どういう風の吹き回しだ? エイド・ダッグマン」
呆れかえった竜弥の声が、木造空き家の中に鈍く響いた。ユリファたちからもため息が上がる中、何も気にしない自称正義のヒー! ロー! 魔術師は、そのイケメンフェイスに微笑を浮かべたまま、目元まで垂れ下がる前髪をキザにかき上げる。
「どうも何も、キミたちを助けるためにやってきたのさ! 大方、渋谷に張られた魔魂結界に手を焼いているといったところだろう?」
相変わらず、舐め切った態度のくせに察しだけはいい。すっとぼけた態度ではあるが、竜弥の目の前にいる男は、腐っても王国魔術師軍の長なのであった。
「でも、エイドには王国再建のための仕事が山積みのはずでしょう? だから、私たちやリトルアンガーみたいな傭兵まで雇ったんじゃないわけ?」
竜弥が横を見ると、ユリファは苛立たしげな顔をして納得がいっていないようだった。彼女はエイドと対面するといつも同じような表情をする。信頼していないわけではないだろうが、あの余裕綽々なイケメン面が好みではないらしい。
「そのつもりだったんだけどね。少し状況が変わったんだ。あ、よければ、お茶をもらえるかな?」
エイドは微妙に歓迎されていない空気もお構いなしに、室内に上がってくると、手頃な椅子に座ってそう言った。
お茶くみを頼まれたハイリは、マイペースな王国魔術師長に対し、嫌な素振りを見せることはなく、にこにことした笑顔で「はい、少々お待ちを」と言った。ハイリのことはまだよく知らないが、純粋ないい子のようである。猫少女も「手伝うよおー」と言って、女の子二人は奥の部屋へと入っていった。
「状況が変わったってのは、どういうことだい。エイドの旦那? クライアントに直々に出張られたんじゃ、傭兵としての立場がないんだが?」
「それは済まないと思っているよ、ラディカルヒット。だけど、渋谷結界の件、これだけは僕が片付けなきゃいけない問題でね」
エイドの説明はどうにも納得できないものだった。竜弥はもどかしさを感じて、彼を問い詰める。
「どういうことかちゃんと説明してくれ。エイド、お前は何をしにきたんだ」
すると、エイドはようやく茶化すことを止める気になったのか、陽気な笑顔をどこかにしまうと、眼光鋭く竜弥たちを見回した。その表情から読み取れる感情は無、だ。
怒りでもなく、悲しみでもなく、その鋭い双眸はただただ虚無の色を浮かべて、竜弥たちを凝視する。以前、王城に侵入する際も同じような表情をしていた。いつもの陽気なエイドと、冷酷で寒気のするような虚無の瞳を持つエイド。
どちらが本当の彼なのか、未だに竜弥にはわからない。
「……端的に言えば、僕は渋谷に張られた結界を破壊しにきたということになるね。もっと詳しく言えば、渋谷に結界を張っている三人の魔術師を殺しにきた」
彼の口から告げられた言葉は、木造空き家の空気を一瞬にして掌握した。その場にいる全員が、彼の身体から発せられる殺気を感じて、動くことすらできなかった。
強大な力を持つユリファやラディカルヒットさえも圧倒する、強烈な殺気。そんなものをなぜ、エイド・ダッグマンが結界を張っている魔術師に抱いているのか。それには、恐らく理由があるはずだった。
「……聞いてもいいか? エイドは何をそんなに怒っているんだ」
おそるおそる口を開いた竜弥に対し、エイドは優しげな笑みを浮かべてみせた。その仕草にもう虚無は宿っていない。殺気は一瞬にして霧散し、元の空気が戻ってきた。
「竜弥くんたちとリディガルードで別れた後、僕は一度、リーセア王城に戻ったんだ。そこである事実を知った。王国魔術師軍と関わる事務職員の一人が、『ミーム』に精神を汚染されているという事実をね」
「やっぱり、わたしたちの推論は間違っていなかったのね……」
ユリファは苦々しげに呟く。『ミーム』の狂信者が国内に紛れ込んでいるという推論。それは現実になってしまったらしい。その人物が竜弥たちの再転移計画を渋谷の教団へと伝えたのだろう。
「だけどね、おかしなことがあった。その男の周辺には、竜弥くんたちのことを教団へと伝えた形跡があった。でも、彼くらいの地位では竜弥くんたちの秘密作戦情報を閲覧できるわけがなかったんだ」
「ちょっと待て。それじゃ筋が通らないぞ? 情報を流したのに、その情報を閲覧できる地位にはない? ならどうやって――」
混乱する竜弥を眺めて、もう一度、エイドは口元を小さく歪めて笑った。だが、その笑みは今までの明るいものではなく、後ろ向きな感情の入った自虐的な笑みだった。
「そう。僕もそう思って調べたんだ。そうしたら、他に内通者の存在が見つかった。作戦情報にアクセス可能な王国魔術師軍小隊長クラスの人間が三人。事務職の男に対し、作戦情報を秘密裏に閲覧する方法を教えていた」
「なるほど、話が見えてきたぜ。旦那」
いつの間にか、ラディカルヒットは煙草を持ち出して、景気よくふかしていた。しかし、その顔は曇っている。
「王国魔術師軍の小隊長クラス――それって、エイドの旦那の直接の部下ってことだろ?」
ラディカルヒットの苦々しげな吐息に、竜弥もようやくその意味を悟った。つまりは、エイドは直属の部下に裏切られたということになるのだ。
「そうだよ。わかってもらえたかな? しかも、その三人はとっくの昔に死んでしまったと思っていた子たちだった――過去の『ミーム』討伐作戦においてね」
竜弥の背中に寒気が走る。ようやく全てが繋がった。エイドがあれほどの怒りを蓄えている理由、そしてその三人という人数は恐らく。
「事務職の男が所持していた魔導品の通信記録には、僕の可愛い三人の部下の痕跡が残っていた。彼らは『ミーム』によって精神汚染を受け、『ミーム』の思うままに、作戦情報奪取の手駒とされた。そして、通信記録を解析するに、僕が愛する三人の部下は……」
エイドの瞳はほんの少しだけ、潤んでいるような気がした。
「今も、渋谷の結界を張るための幹部信者とされているんだ……!」
竜弥は一つ、間違えていた。
先程のエイド・ダッグマンの強烈な殺気、それは結界を張る魔術師たちに向けられたものではない。
その殺気の矛先は、愛する部下たちを操り人形にしている巨大なモンスター、『ミーム』に向けられていた。
「……これは、僕の役目だから」
エイドはぽつり、と零す。
「だから、手出しは無用だ。竜弥くん」
そう言った彼の眼差しには、確かな闘志が宿っていた。