04. 三大魔祖
「ねえ、答えてよ――――――グレガリアス」
桃色の髪をふんわりと揺らしたリーノは、手に持った細剣をユリファの鼻先に突きつけると、しっかりと彼女を見据えて、グレガリアスと呼んだ。
竜弥は何がなんだかわからずに、呆けた顔でユリファのことを見る。
ユリファは数歩後ずさって、竜弥のすぐ近くまで来た。目を少しだけ細めてみせたユリファは、頬をわずかに歪ませる。そこに浮かぶのは、動揺。だが、すぐに取り繕って真顔になった。
「……追いつかれちゃったか」
そうして、無表情を装うユリファの口から発せられたのは、さっきまでの覇気の欠片もない、弱々しい呟きだった。リーノはその小さな声を聞くと、憔悴しきった顔に悲痛な表情を浮かべる。
「王城強襲を成功させるために手を貸したのは、あなたね。グレガリアス」
グレガリアス、というのがユリファのことだということは、傍で話を聞いていた竜弥にもわかった。だが、今のリーノの言葉にはもっと気にかかる内容が含まれていた。
「王城強襲に手を貸した……?」
竜弥がぽつりと呟いた声は、やけに大きくテラスに響いた。
眼下に広がる惨状。その原因の一端が隣に立つ幼女にある、とリーノは言ったのだ。確かに、先ほどの戦闘で目にしたユリファの異能の力を思い出すと、強く否定することはできない。
だがもし、リーノの言っていることが正しいとすると、ユリファが味方であるはずの魔術師と戦闘になったことの説明がつかなかった。
と、そこまで思考して、竜弥は魔術師の男のある台詞を思い出す。
『保険ですよ、ユリファ様。事実、あなたは裏切った』
――裏切った。
それは、一度仲間になっていないと発せられない言葉だ。
「……ユリファ。お前は敵、なのか……?」
竜弥は命を助けてくれた恩人のことを困惑した様子で見た。ユリファはちらり、と彼に一瞥をくれるが、何も答えようとしない。
「グレガリアス、何か言って。三大魔祖である高位存在のあなたが、どうしてこんな襲撃に手を貸したの? もし、あなたがこのまま無言を貫くというのなら、私はこの国の王族として、あなたを討つ責務を果たさなくちゃいけない」
リーノが可愛らしい唇をきつく噛みしめて、細剣を再度ユリファの鼻先に当てた。ユリファに詰め寄るリーノの言葉には引っかかる点が多い。竜弥はまた、さっき聞いた覚えのある単語が彼女の言葉に混じっていることに気付いた。
三大魔祖。異世界アールラインでもっとも恐れられる高位存在。リーノの言うことを信じるのであれば、ユリファこそがその三大魔祖の一人だということになる。
そして、ユリファは自分の口で言ったのだ。三大魔祖に名を連ねる高位存在が、敵に手を貸したのだと。
「……」
突きつけられた剣先が鋭く光っても、ユリファは口を開かない。
「何か言って……何か言いなさい、グレガリアス!」
リーノの叫び。それから数秒の間、沈黙がテラスを満たし。
そして、ユリファが動いた。
虚をつくように、俊敏な動きで身体の軸を回転させた彼女は、一秒に満たない速さで竜弥に向き直ると、まるで放たれた銃弾のような速度で右腕を突き出し、彼の腹にラリアットのような形でめり込ませた。
「ぐはっ!」
竜弥の口から唾が飛び散り、ユリファの金髪の頭上に散ったが彼女は気にしない。ユリファの右腕を瞬時に黒の光が包み込み、それによって彼女の腕力が強化される。彼女はそのまま、身体をくの字に曲げた竜弥の身体を右腕だけで支え、
彼をテラスの外に思いっきり放り投げた。
「――へ?」
痛みも忘れ、目を点にした竜弥の視界に広がるのは、満点の星空。
今、どんな体勢になっているのかは考えるまでもない。彼は仰向けの状態で5~6階の高さはあるテラスから投げ落とされたのだった。
「うわあああああああああっ!!」
混乱して手を振り回すが、空中に縋るものなどあるはずもない。
――やばい、このままじゃ死ぬ!
と竜弥が思ったのとほぼ同時、テラスから素早く飛び降りてきたのは小さな影。
それがユリファだと理解した時には、すでに彼女の小さな手が竜弥の着ていたシャツの首元を掴んでいた。
「……ごめんね、こんなやり方じゃないとあの場から逃げられなかっただろうから」
地面に衝突する寸前、着地地点に黒光が渦巻いて、竜弥たちの落下の衝撃をほとんど吸収した。階段一段分くらいをジャンプして下りた程度のささやかな感触があっただけだ。
「び、びっくりしたぜ……頼むから、今度同じことする時は一言言ってくれよ」
胸を撫で下ろした竜弥は噴き出した冷汗を拭いつつ、ユリファの方を見やる。彼女は顔を上げて、一点を見つめていた。その視線の先には、細剣を投げ捨て、テラスから乗り出すようにして、こちらを見ているリーノの姿がある。
「リーノにわけを説明しても、今はまだわかってくれない」
ユリファはそう言うと、自身を見つめているリーノから視線を逸らした。それに気づいたリーノは悲しそうに唇を噛む。
「どういうことなんだよ、一体」
「あとで、あなたにはちゃんと説明する。でも、今はまず、王都から金杖を持った魔術師たちを追い払わないといけない。そのためには、あなたにも協力してもらわないと……こんな怪しいわたしだけど、今は信じてくれる?」
異世界で恐れられる三大魔祖の一人であるらしい、幼女ユリファ・グレガリアスは、外見相応の幼げな表情で、竜弥を上目遣いに見上げた。こうしている限り、彼女が悪人にはどうしても見えない。
王都に敵を引き入れる手伝いをした幼女。目の前の惨劇を引き起こす一端を担った幼女。だけど、竜弥はユリファを憎むことができなかった。
彼女は竜弥のことを助けてくれたし、なにより、眼前にいる幼女の瞳は心細そうに揺れている。
それに、どういう仕組みだかはよくわかっていないが、彼女は竜弥の存在がないとあの禍々しく強大な力を発揮できないらしい。
だから、彼女は竜弥の存在を欲している。
人間として欲しているのではなく、物として欲しているのだということはわかっている。けれど、竜弥は必要とされているのだ。眼の前のこの惨状を放っておけば、遠くに見えている大宮の街だってどうなるかわからない。
それを阻止するためにできることがあるならば、力を貸そうと思った。
怖いし、痛いのも嫌だけれど、それでも。
「……わかったよ。でも、終わったらちゃんとわけを話せよ」
「ありがとう。……そういえば、あなた、名前は?」
「竜弥。御神竜弥だよ。これからしばらく、俺の命はお前に預けるぞ、ユリファ・グレガリアス」
「任せておいて。竜弥」
「まあ、放っといて、大宮まで潰されたらたまらないしな」
竜弥はそう言って、ユリファに笑顔で親指を立ててみせた。
「じゃあ、段取りを話すね。基本的に、敵の魔術師たちの使う魔術が金杖に記憶されたパターン化術式だっていうのは、さっきわかった通り。自身の持つ『魔魂』じゃなく金杖に頼らないといけないってことは敵の練度はそこまで高くないはずよ。あの金杖には、この作戦の遂行に必要な攻撃、防御、回復、強化、あとは対わたし用の魔法がインプットされていて、本来なら過度な術式使用で枯渇する『魔魂』のことを気にせず無制限に使える。と、いうのが、さっきの戦闘でわかった情報と、わたしの知識を組み合わせて言えることね。無策のまま突っ込めばこっちがやられる」
王城の敷地を抜け、城門の辺りの植え込みに身を隠した竜弥たちは今後の段取りを話し合っていた。リーノが追いかけてきた場合、見つかるのもまずいし、なんの打ち合わせもなく、城下町に飛び出すのも悪手だ。城門を出れば、すぐに城下町。いつ魔術師たちに会うかはわからない。
「『魔魂』っていうのは、さっき俺から吸い取った奴か?」
魔術師とユリファのやり取りの中で何度か出てきたその単語の意味を、竜弥は確認するために訊ねた。
「吸い取るって、なんかその表現やだ……。でも、そう。竜弥の中にある『魔魂』をわたしが喰らうことで、あの力を一時的に引き出せるわ」
「喰らうって表現もなかなかに嫌だぞ……でも、一般人の俺の中にも、そんなに使えるほど『魔魂』ってのがあるものなのか?」
それは竜弥がずっと思っていた疑問である。一般人の竜弥から取り出せるようなものなんて、高位存在などというユリファ・グレガリアスの役に立たなさそうに思える。彼女の方がずっと多くの『魔魂』を持っていそうなものだが。
「……それについても理由があるわ。これが終わったらちゃんと話す。……その義務がわたしにはあるから」
ユリファの表情が一瞬曇る。竜弥はその言葉に妙な不安を感じて眉をひそめたが、ユリファはすぐに表情を元に戻して、「作戦の話に戻るわ」と言った。
「一見、完璧に見えるあっちの作戦計画には、竜弥から生み出される『魔魂』をわたしが喰らった場合のイレギュラーなシチュエーションが想定されていないはずよ。さっき、敵の魔術師が反応できなかったようにね。竜弥の中にある大量の『魔魂』を取り込めば、わたしは一時的に三大魔祖の力の一部を取り戻せる。そして、相手がテンパってる間に――潰す」
物騒な物言いだが、彼女の言っていることはおおむね正しいように思えた。事実、先の戦闘では敵を撃破することに成功しているのだ。異論を挟む余地はないだろう。
竜弥はうんと一回、頷いてから問う。
「で、俺は具体的に何すればいいんだ?」
「敵に捕まらないように逃げつつ、わたしのそばにいてくれるだけでいいわ」
ユリファが可愛らしくウインクして、輝く笑顔を見せる。腰の辺りまで伸びた金髪のツインテールがふわふわと揺れた。
「簡単に言ってるけど、結構難易度高いよな……あと、失敗した時のリスクも大きい」
「戦いでリスクがどうとか言ってたら、何も始まらないわよ。そりゃ、リスクが少ない代替案があるなら別だけど、どのみち、敵と対面する以上はどう頑張ってもリスクを負うことになるわ」
ユリファの言葉はもっともだった。
意識を変えなければいけない、と竜弥は思った。ここはもう、ただの平和な日本ではないのだ。こちらの命を奪おうとする敵が目と鼻の先にいる。いつまでも平和ボケしていることは許されない。
「でも、またあの激痛が来るのか……? あんな痛みの中、走り続けられるか不安だぞ」
「ああ、それはもう大丈夫だと思うよ。わたしが『魔魂』を喰らう際にね、一瞬お互いの身体の『魔魂』が通る回路みたいなのを繋ぐ必要があるの。血管みたいなものをね。それを繋いだ時に、お互いの『魔魂』が拒絶反応を起こしたのが、あの痛みの原因よ。あの時は、わたしも竜弥の『魔魂』が流れ込んできて痛かった。でも、竜弥の『魔魂』を飼い馴らすことにはもう成功したから、だんだん身体の相性も合ってきて、痛みは減っていくはず」
「知らない間に、なんか壮絶なことが起こってたんだな……。まあ、傷まないならいいが。痛みのせいで転倒して、敵に囲まれるなんてごめんだからな」
「じゃあ、そろそろ行きましょ。まだ救える命があるはずだから」
そう言って、ユリファは植え込みから顔だけ出し、城門の向こうに広がる王都を真剣な表情で見つめる。
「よっしゃ、やってやるか!」
竜弥は自らを鼓舞するために叫ぶ。そうでもしないと、身体の震えを抑えられないからだ。
城下町の敵勢力掃討作戦が今、開始される。