41. VS三大魔祖ユリファ・グレガリアス
その幼女は、竜弥の相棒だった。
異世界が転移してきて、おかしくなった日常。生死が目の前にある日常。
その中で唯一頼れることができ、命を助けてもらい、そして、竜弥が支えようと決めた相棒。
その彼女が今、リディガルードの上空で竜弥のことを冷たく見下ろしている。
「気分がいいわね! ここまでの力を取り戻したのは、何年ぶりのことか!」
両手を大きく広げ、凶悪な黒光を纏った彼女は哄笑する。
その耳障りな笑い声は、竜弥の両手を潰した雑魚魔術師と大差ない。
その存在自体に殺意を孕み、冷酷な視線を突きつけ、周囲の全てを破壊する。今の彼女はそんな存在だ。
どうしてこんなことになったのか、と思う。
「どうしてそんな風になっちまったんだよっ! ユリファッ!」
竜弥の心の声は、そのまま声になって出ていた。だが、その悲痛な叫びに彼女は全く動じない。ほんの少しだけ、不快に感じたように眉をひそめただけだ。そして、その苛立ちを解消するかのように。
彼女は右手を大きく振り下ろした。
同時、黒光の奔流が街の一角に鋭く降り注ぐ。地表で弾けた魔魂は激しく爆発し、通りに敷かれた煉瓦を巻き上げた。リディガルードの市民たちは目の前の出来事が信じられないというように、身体を恐怖に震わせながら三大魔祖ユリファ・グレガリアスを見上げていた。
碧竜、「存在しない結社」、そして三大魔祖。
次々と襲い来る存在に、市民たちは己の呪われた運命を悲観する。
だが、ユリファはその一切を気にも留めない。酷く攻撃的な声色で彼女は竜弥を射抜く。
「ようやく取り戻したこの三大魔祖の力、みすみす捨てるものか……!」
「ユリファ、今のこの状況に何か理由があるのなら、俺が相談に乗る。だから、まずは話をしよう。俺たちはパートナーだろ?」
その竜弥の言葉に、ユリファは酷く顔を歪めた。次の瞬間には高速で降下し、彼の眼前まで距離を詰め。
「酷く虫唾が走るわ。私たちは対等じゃない。あんたはただの魔魂供給源なの。何を思い上がっているのかしら……?」
ユリファが怒りに任せ、黒光に包まれた右拳を振り抜こうとして。
何かが真横から高速で竜弥を抱きかかえ、ユリファから距離を取った。振り抜かれた彼女の拳は壁を大きく突き破り、支えを失った家屋は激しい音を立てて崩壊する。
それは、決して相棒に向けられるべきものではない。殺意を込めた一撃だ。
「――ふう、間一髪だったね。竜弥くん」
何が起こったのかわからない竜弥は、自分を抱擁する長いしなやかな腕の存在に気付く。どうやら、竜弥は誰かの胸に顔をうずめているようだった。竜弥がもぞもぞと動いて、自分を抱く人物の顔を確認する。そして、
「げえ……」
正直な感想が漏れた。そこにあったのは久しぶりな顔。
流れるような長髪に端正な顔立ちの、優男。
「久しぶりだな、エイド・ダッグマン……」
「なんでそんな不満そうな顔をしているんだい? 愛すべき友よ」
リーセア王国魔術師軍。それを率いる魔術師長エイド・ダッグマンの腕に竜弥は抱かれていた。エイドの存在に気付いたユリファはすぐさま方向を変え、一直線に彼に向かって突撃し、魔魂を帯びた回し蹴りを放った。
だが、エイドが展開した小規模な魔法陣にその蹴りを受け流され、ユリファに一瞬の隙が生じた瞬間に、エイドは竜弥を抱えて跳躍した。そのまま、近くの建物の裏へと滑り込む。
「王女殿下の命令で、『存在しない結社』の足取りを追ってリディガルードに来てみたら、まさかこんなことになっているとはね。さすがのボクもびっくりさ」
呆れた様子で溜め息交じりにそう言うエイドだが、彼の目は全く笑っていない。彼の腕から解放された竜弥は、建物の壁に背中を押し付けて、王国魔術師長に問う。
「エイド、お前は何か知っているのか? ユリファはどう見てもおかしくなっちまってる。ありゃなんなんだ」
「何か知っているのか……と言われれば、知っているね」
エイドは大きく息を吐く。彼は何かを思い出すように目を閉じて言った。
「あれこそが、三大魔祖ユリファ・グレガリアスさ」
「そんなのは知ってる。だから、そのユリファがどうかしちまったって話で――」
「いいや、キミはわかっていない。あれはキミの知っているユリファ様ではない。ユリファ・グレガリアス……有形高位存在にして、三大魔祖として恐れられている化け物だ」
「……は? ちょっと待て。それってどういう……」
「キミは気付かなかったのかい? もし、ユリファ様が元から、あの穏やかな幼女だったら――そもそも、世界の誰からも恐れられるわけがないだろう?」
そのエイドの言葉がさらに竜弥の混乱を招く。理解ができない。
「俺の知ってるユリファと……ユリファ・グレガリアスは別、なのか……?」
「全く同じであり、全く違う存在である、というのが正確な答えかな。竜弥は三大魔祖というものについて、どれほど知っているんだい?」
エイドにそう問われて初めて、竜弥は三大魔祖についてほとんど知らないことに気付いた。ただ、異世界で恐れられている存在としかわからない。守ると決めた相棒のことなのに。
「三大魔祖というのは、人間と同じ見た目をした有形上位存在だ。知能は高く、魔魂保有量は異常なほど高い数値を示す。そして、体内の魔魂を全て失うと死亡する」
「死亡……」
「三大魔祖は強大な力を持つ代わりに、そういった弱点を持っている。存在自体が魔魂と同化しているからね。そのため、魔魂は彼らにとって非常に大事なものなんだ。そして――これが大事なことなんだが」
エイドは、彼らを探して周囲の建物を無差別に破壊し始めたユリファに警戒しつつ、言葉を紡いでいく。
「三大魔祖は非常に凶悪だ。それは元々の性格もあるのだけれど、その大きな理由の一つに――魔魂の保有量の多さが関係していると言われているんだ」
「魔魂の保有量が、存在の凶悪性と関係している……のか?」
「魔魂はとても強力なエネルギーだ。それを体内に蓄えすぎると、自我や思考が変質すると言われている。もっとも、そこまで大量の魔魂を蓄えられるのは三大魔祖くらいなんだけれど。恐らく、ユリファ様は普段以上に魔魂を取り込んでしまったんだ。ほとんど限界まで。それが悲惨な結果を生むことは、彼女自身もわかっていたから、通常は吸収量を抑えていたはずなんだけど……きっと、戦闘の過程で何かがあったんだろうね」
そう言われて、竜弥は思い出す。ユリファが中央管理塔に現れた時、限界まで魔魂を消費したと言っていたことを。魔魂を喰らっている時も、意識が朦朧としていたようだった。
魔魂が枯渇し、生命の危機を感じた彼女は無意識に過剰な魔魂を竜弥から吸い出し、その結果、あのような状態になってしまったのだ。
「でも、元はと言えば、俺から喰らった魔魂だぞ? その理論なら、俺も凶悪化するんじゃないのか?」
それは当然の疑問だった。だが、エイドは即座に首を振って否定する。
「竜弥くんの中に眠るエギア・ネクロガルドは、魔魂を常に作り出している。それは一度に体内に貯めているのとは違うよね? 三大魔祖が魔魂を貯蓄する湖なら、キミはさながら、流れの止まらない河川といったイメージかな」
なるほど、エイドの説明はわかりやすい。頭の中でなんとなくのイメージはできた。
「キミの身体の作りは碧竜なんかに近いかもしれないね。三大魔祖と違って、彼らは体内に危険な量の魔魂を蓄積しない。攻撃を放つ時に大量の魔魂を瞬間的に生成するんだ」
「同じ有形上位存在にも色々いるんだな」
「竜は中でも高度な身体を持っていてね。口からは光弾を吐き、翼には一時的に魔魂を貯めることができるし、鱗は魔魂を通しやすい性質を持っている。鱗に魔魂を流すことで、剣山のように、鋭い魔魂の棘のようなものを突き出して体当たりすることもできる」
そこまでエイドが話した時、大きな振動が竜弥たちを襲った。彼らは戦闘態勢で周囲の様子を窺う。どうやら、上空のユリファが大量の魔魂を放出しているようだ。
「ユリファ様は苦しんでいるようだね。本当は街を破壊したくなんかないんだ。だが、今の彼女は破壊衝動に支配されている。どうにか魔魂を消費して自我を取り戻そうとしているが、追いつかないといったところだろう」
大翼を広げ、苦しみ絞り出すように、魔魂の波動を幾重にも放出する彼女は、ある意味では美しい。見る者に神々しささえ与える、遥かな高みの存在。それが今の彼女だった。
彼女は喚く。叫ぶ。絶叫する。
紅い瞳を苦しげに歪めて、街の上空で咆え続ける。もう彼女はまともな言葉を発していなかった。
そんなもがく彼女を見ていて、竜弥はあることに気付く。
「……もしかして、あいつ、なるべく人を傷つけないようにするために上空へ……?」
「……そうかもしれないね」
リディガルードの上空。そこにいる彼女は竜弥の知っている彼女ではなく、同時によく知っている彼女だった。街の人々は恐怖の視線で彼女を見上げている。さっきまで怖がっていなかった子供たちも一人残らず。
――そんなの、お前は望んでなかっただろ。
竜弥は思う。上空で苦しむ大切な相棒へ、呼びかけるように。
「俺が……助けてみせる。それがパートナーだから」
決意を込めて、竜弥はそう言った。エイドはそんな彼に向かって訊ねる。
「しかし、どうするつもりだい? 彼女の周囲には、闇の防壁が展開している。彼女は自在に闇を操れるから、こちらに容易く触れることができても、こちらから彼女に近づくのは容易ではないよ」
「知恵を貸してくれ。エイド・ダッグマン。お前も最高位魔術師なんだろ? 何かないのか、方法は? どんな無茶な方法でもいい。実行するのは俺だ」
竜弥は真剣な眼差しでエイドを見る。その決意に負けてか、エイドは観念したように両手を広げて首を振った。
「強烈な魔魂による一撃なら、防壁を数秒間霧散させることはできるかもね。そして無防備になった身体に直接、魔魂を放出させる術式を埋め込むんだ。それしか方法はない。だが、失敗すればキミはあの闇の防壁に飲み込まれて、身体は火炎に飲み込まれるだろう」
「具体的にどうすれば、術式を埋め込める?」
「何か得物に術式を付与し、彼女の身体に突き刺すんだ」
その衝撃的な言葉に、竜弥は一瞬言葉を失う。だが、やめようとは思わない。それがただ一つの方法なら、竜弥は遂行する。
それが彼女の相棒としての義務だから。
「近くの店に駆け込めば、剣の一つくらいは手に入るだろう。だが、その代わり、彼女の生命は保証できない。成功確率は50パーセントってところさ。それに、強力な魔魂による一撃をどう準備するかも、考えないと」
「ちくしょう……問題は山積みか……」
竜弥は思わず歯噛みする。自分の無尽蔵の魔魂を武器にする術でも存在すれば、解決する話なのに。エギア・ネクロガルドが生み出す膨大な量の魔魂。それを有効に利用する方法はないのだろうか。
その時、竜弥のズボンのポケットの中で何かが、小さく音を立てた。
彼は何気なくポケットに手を突っ込むと。
そこには、逆転の一手が存在した。