40. 異世界の人間たちが畏怖する、絶対的な存在
昨日は二回しか更新できず、すいません。今日も数回更新です。
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――限界だ。
朦朧とする意識の中、ユリファ・グレガリアスは自覚する。
中央管理塔から竜弥を連れて逃げ出した彼女は、地べたに膝をついて荒く息をしていた。
体内の魔魂が尽きかけていた。人間と違い、三大魔祖である彼女は、魔魂を全て失えば、その活動自体が停止する。
つまり、死ぬということだ。
背中から生えていた二つの黒翼も構成要素の魔魂へと分解され、すでに生命維持へと回されている。
途中の戦闘で追った傷を修復するために、彼女の体内の魔魂は使用され、その速度は回復量を上回っていた。だがここで治癒をやめれば、出血により死を迎えるだろう。それでは元も子もない。
意識が薄らいでいく。本能が魔魂を求める。
「竜弥……竜弥、魔魂を……」
ぼやけた視界の中で、竜弥の両手がすでに形を取り戻しているのを確認した。体内の魔魂消費量も安定しているようだ。
「これなら……魔魂を喰らえる……」
ユリファは虚ろな声で力なく呟くと、竜弥へと両手を伸ばした。
※
竜弥は温かい感触を感じて、ゆっくりと目を開いた。
瞬間的に、あの原型を留めていない己の両手を思い出し、パニックを引き起こしそうになる。だが、両手に痛みはなかった。彼はゆっくりと視線を下げていく。
「竜弥……」
地べたに座っている自分の胸元に、ユリファが抱き付いてきていた。一瞬、ドキッとするがすぐに彼女が自分の魔魂を喰らっていることに気付く。そして、彼は一度なくなったはずの自分の両手が無意識に彼女の背中を包み込んでいることを知った。
「そうか……魔魂による治癒で……」
不気味な身体だ。原型を留めなくなっても、自分が意識を失っている間に元に戻っている。ずいぶん人間からかけ離れてしまったものだと思う。
竜弥は周囲を見回して、状況を把握しようとする。
誰かの絶叫はもう聞こえない。
誰かの悲鳴はもう聞こえない。
その代わりに、人々の会話による喧騒は聞こえた。
それが騒動の収束を示しているということは、竜弥にもわかる。
どうやら、この街で起こった全ての惨劇は終わったらしい。
『無邪気な箱』に魔魂を供給する者はいなくなり、力を失った胴体部が両脚を折って地面に伏している。敵か味方かもわからない死体、血液、散らばった瓦礫。残酷な光景。
この街が立ち直るまで、どれほどの時間が必要だろう。
そんなことを考えていた竜弥は、違和感を覚えた。
――長すぎる。
バッと自分の胸元へと視線を向けた。そこには、竜弥の相棒である幼女の姿。
だが、様子がおかしかった。
「魔魂を……喰らわないと……」
突然、身体に激痛が走った。初めてユリファと繋がった時のような、お互いの魔魂回路が一つになる痛みに似ている。だが今回はそれとは違った。
一つになろうとしているのではない。
自分の魔魂回路が彼女に喰い尽くされようとしているのだ。
本能的に、竜弥はユリファを身体から引き剥がそうとした。しかし、強化された彼女の細腕の力が強すぎて剥がせない。痛みは一秒ごとに強烈に増している。
「ユリファ! おい、やめろ! 目を覚ませ!!」
「魔魂を喰い尽くす……全て、全ての魔魂は私の力に……ッ!」
「ぐあああああッ!!」
大量の虹色の魔魂の光が、竜弥から無理やり引きずり出され、それが全てユリファの身体へと喰われていく。
信頼していた相棒の白い肌に赤黒い紋様が浮かび上がっていく。
漆黒に染まる大きな二本の翼が、彼女の背中に顕現する。以前と違うのは、魔魂を喰らいすぎて、翼全体が虹色の放電現象を起こしていることだった。
彼女の双眸が紅く残虐の色に染まる。ぐるり、と眼球が大きく移動して、竜弥を視界に捉えた。瞬き一つせず、大きく瞳を見開いた状態で、ユリファは口角を上げて、皮肉気に笑みを浮かべる。
「おい、ユリファしっかりしろ! 何が起こってんだ!?」
「――」
ユリファは未だに瞬きをしない。紅く染まった虹彩が竜弥を一度見つめ。
そして、魔魂によって強化された右腕で、彼の身体をゴミ屑のように薙ぎ飛ばした。
「え?」
次の瞬間、竜弥は近くの住宅の壁面に叩きつけられていた。瓦礫が飛び散り、彼の胃液も全て吐き出される。
「がはッ!?」
何が起きたのか信じられなかった。竜弥の脳内を激しい混乱が襲う。
「魔魂……喰らえた。おいしかった。でも、もうお腹いっぱい。ゴチソウサマ。――もう、お前は必要ない。……三大魔祖の独特能力、第二段階まで解放」
竜弥の視界の正面で、幼女は黒い黒翼をばさりとはためかせる。完全に顕現したその翼は、周囲の全てを猛烈な突風によって吹き飛ばす。彼女は被虐に満ちた笑みを浮かべて。
「――まだまだいける。第三段階展開」
彼女の言葉と共に、周囲に薄闇が満ちる。せっかく戻った青空は塗り潰され、辺り一面を闇が覆い尽くした。これはただの闇ではない。全包囲から常に誰かに見られているような視線を感じる。
「――第四段階」
彼女の周辺に一際濃い闇が展開される。ちょうどどこからか風に乗って紙切れが飛んできた。それは彼女の闇に触れた途端、激しい魔魂の出力によって焼き切れた。
「――第五段階」
彼女は大きく跳躍すると、黒翼を大きく開き、飛翔した。彼女は紅い瞳を鋭く瞬かせ、それと同時、周囲一帯全ての建造物の窓が粉砕された。
いや、窓だけではない。人間は吹き飛び、電灯のガラスは粉々になった。
それはまるで暴風のようだった。今まで感じた恐怖とは完全に別のもの。
人間には届かない存在だと認識させる圧倒的な恐怖。
「お前は……なんだ……?」
呆然と呟く竜弥の小さな声を、彼女の耳は拾う。中空まで下りてきた彼女は依然として滞空したまま、酷く口元を歪めて鼻を鳴らした。
「あなたはよく知っているでしょ? 私は三大魔祖が一人――ユリファ・グレガリアスよ」