37. 開花の大詠唱
更新空いて申し訳ないです。
ここからは一章終わりまで短い間隔で投稿します。
「どこ行ってたんだよ、探したんだぞ!」
字面だけを追えば、怒っているようにも聞こえる竜弥の言葉だったが、彼の声色はとても明るかった。上空から己の前に帰還した黒衣の幼女、それは彼にとっては大切な相棒であり、この状況における救世主の如き存在なのだから当然だ。
「ごめんごめん。それなりに収穫もあったし、許してちょうだい。それにまずは、魔魂を喰らわせて。上空を飛んでる時に魔魂誘導砲の起動音がしたから、全力で中央管理塔に突っ込んだのよ。おかげで、体内の魔魂がほとんど尽きたわ」
ふらついた様子のユリファの所作に、いつもの力強さはない。黒く大きな翼はしおれ、顔色も酷く白くなっている。それこそが、魔魂が不足している証拠だろう。
竜弥は彼女の提案に対し、躊躇せず頷く。ユリファに魔魂を与えること。彼の存在意義はそこにある。情けない話だがそれが今の現実であり、最善策だった。
そうして、竜弥は疲弊しきったユリファの小柄な体を腕の中に招き入れようと、両手を伸ばす。彼女の黒衣に手が触れようとしたその時だった。
差し出した両腕が、振り下ろされた巨大な脚に踏み潰された。
顔が地面に激しく叩きつけられ、竜弥は何が起こったのかわからなかった。うつ伏せに倒された自分の身体。鼻血が噴き出した顔をゆっくりと上げると、視界には自分の伸び切った両腕が入る。無意識にその腕の先を辿っていく。
そして腕の先端、通常であれば、二つの手が存在するその場所にあったのは、血溜まり。赤い水溜りに子供が無邪気に飛び込んだかのように、赤い飛沫が四方八方、自分の顔にもびっしゃりと付着していることにようやく気付く。
だが、実際に赤い水溜りを踏みつけているのは子供ではなかった。
ある意味では子供かもしれないが、その図体は子供のそれとは似ても似つかない。その筋肉質の醜い太脚は、楽しそうに、竜弥の手を何度も何度も踏みつける。
血液が飛び散る。肉片が飛び散る。
竜弥の、血液が飛び散る。竜弥の、肉片が飛び散る。
そして、脳が理解した。理解してしまった。ユリファを抱きかかえるために差し出した竜弥の両手は、『無邪気な箱』胴体部に無惨に踏み潰されて。
――原型を留めていなかった。
「う……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!」
ぐちゃり、ぐちゃり、と聞くだけで正気を失わせるような音がフロアに広がる。竜弥の絶叫はそれをかき消すようにどこまでも響いていく。痛みによって弾け飛んだ意識が、狂気となって脳内を埋め尽くす。
――痛い! 痛い! 痛い! 痛い? 痛くない。痛覚とはなんだったか。この状態が痛い? なら、痛い。痛くない。楽しい。あれ、俺、ここで何してるんだ? 明日の学校の時間割なんだっけ。体育はだるいからめんどいな。痛い。でもなんだ痛いか最近、ずっと身体を動か痛いしている気が痛いするんだけど、なん痛いでだっけ? 痛い。痛い? 痛いッ! 痛いッ!! 痛いッッッ!!!!!
※
「竜弥ッ!」
鋭いユリファの言葉も竜弥の意識には届かない。彼は大きく両目を見開いて、がくがくと痙攣した後、大量の涙を流してから白目を剥いて卒倒した。
その様子を見て、酷く愉悦に浸った哄笑を響かせる人間が一人。
「結局、ユリファさまの攻略方法なんて簡単なんですよ。潰せばいいんです。その厄介な少年を」
『無邪気な箱』が破った中央管理塔外壁の大穴から、先ほどユリファが対峙した雑魚魔術師が現れる。それもかなり満悦した表情で。
「魔魂誘導砲のせいで、『存在しない結社』はほぼ壊滅。俺もさすがに肝を冷やしました。ですが、惜しかったですね。金杖の術式と地理的な幸運もあり、俺は攻撃を免れた。そして、最後の抵抗で力を使い果たした中央管理塔は、これから俺に制圧されるんです。反撃能力のない管理塔と魔魂のない三大魔祖相手なら、生き残った少数の人間で制圧は容易い。むしろ、感謝しますよ。仲間の数が減ったことで、制圧の手柄を少ない人数で分け合えるのですから」
仲間が死んだことを悲しまず、それどころか喜んでいる雑魚魔術師の言動に、ユリファは怖気が走った。
「……許さないッ! 竜弥をこんな風にした報いを受けてもらうッ!」
殺意を隠そうともしないユリファは地面を勢いよく蹴り、高速で『無邪気な箱』に接近、その胴体部を吹き飛ばす。怒気を孕んだ一撃に、胴体部は三メートルほど後方の床へと崩れ落ちる。
――このまま、一気に終わらせるッ!
すぐさま方向を変えた彼女は、そのまま雑魚魔術師との距離を詰めるが。
「――その程度じゃ、金杖の敵じゃないですよ」
「……っ!」
雑魚魔術師の盾となる形で、白色の魔法陣が出現。ユリファは後ろにステップを踏んで避ける。白色魔術は三大魔祖に唯一、大きなダメージを与えられる聖なる術式を使ったものである。通常であれば、魔魂消費が激しく連発することはできないのだが、魔魂消費を必要としない金杖を介する場合、その欠点は克服される。
金杖と白色魔術、そして三大魔祖の組み合わせは、ユリファにとって最も忌み嫌うものであり、雑魚魔術師にとって最も有益なものであった。
「魔魂を喰らえないユリファさまなど、ただの幼女じゃないですかぁ! 面白いですね、愉快ですよ、その無様な姿!」
雑魚魔術師の戯言を無視して、ユリファは負傷した竜弥に目をやる。
彼の両手は見るに堪えないレベルで破損しているが、エギア・ネクロガルドの力を持つ彼であれば、十分再生可能な範囲である。だがもちろん、完治には相応の時間はかかるし、起き上がれるようになるだけでも、十分以上はかかるだろう。
恐らく、致命傷部分が癒えるまでは、彼の体内の魔魂は全て修復に使われる。となると、ユリファが魔魂を喰らえるようになるまでには、同じく十分以上がかかるということだ。戦闘において、その十分はあまりにも長い。
打つ手がなく、ユリファが硬直した一瞬。
それは、相手に反撃のチャンスを与えるのに十分な時間だった。
「キュキュア!!」
ユリファの死角から、突如極太の脚が現れた。高速で振り抜かれたそれは、彼女の腹部に突き刺さり、ユリファの意識が白くぼやける。
――まずいっ!
そう感じた時には、もう遅い。
魔魂シールドを破られ、『無邪気な箱』術式の浸食を許した中央管理塔のあらゆる壁から隆起した無数の腕が、ユリファの華奢な身体を握りつぶそうと、猛々しい獣の如く襲い掛かった。
それは絶望の光景。壁面から天井から受付カウンターから突き出された筋肉質の腕。それがユリファの視界を満たす。決定打を与えられず、起き上がった単眼の『無邪気な箱』はその無数の腕の中心で、軽やかなステップを踏む。
彼女を殺すことができる、歓喜に溺れるように。
竜弥は依然卒倒したままだ。敵の魔術師は高笑いをして、ユリファの死に姿を見物しようとしている。もう、この状況をひっくり返す手は――なかった。
「ごめんね、竜弥」
ユリファが巻き込んでしまった、一般人の少年。ユリファが死に際に考えるのは、彼のこと。彼女がリーセアの大規模転移術式を起動しなければ。彼女が彼をこんな旅路に誘わなければ。そんな後悔が溢れてきて、ユリファは涙を一筋だけ流す。
こんな境遇だ。ユリファ・グレガリアスは、いつでも死ぬ準備ができている。強大な力を保持し、人々から恐怖され、上位存在として君臨したその日から、死ぬ準備はできている。
だが、竜弥は違う。彼に死ぬことを強いるのは、耐えがたい苦痛だった。
こんなユリファのことを相棒だと言ってくれた彼。大多数の人々が恐怖する彼女のことを、内心では怖がりながらも、手を取ってくれた彼。そんな彼を守ることができず、ユリファは死んでいくのだ。
ユリファは目をつぶる。全てを諦めて。
無数の腕が迫る。最期の時が迫る。
だが。
「――――やっと、完了した」
冷たい、冷たい、声色。
それが、その空間の絶望を切り裂くように、放たれた。
ユリファの身体に鋭い威圧感が吹きつけられる。息をし辛くなるほどの緊迫感。圧倒的な脅威。殺意が中央管理塔全体に広がる。
ユリファは身動きを取れず、視線だけでその声の主を追う。
「――――全く、あんなに身体が重くなるなんて思わなかったよ。おかげで私は、だらけ姫なんて呼ばれちゃうし」
声の主の周りに、幾重にも重なった魔法陣が出現する。激しく輝く青色の閃光。それは瞬く間に中央管理塔の壁を走り抜け、全体の支配を掌握する。脈動するように明滅を繰り返す青い魔魂の光。それが弾けるように大きく閃光を放つ。
それと同時に、壁から生え出ていた『無邪気な箱』の無数の腕が全て砕け落ちた。全ては石材の破片となり、床へと降り注ぐ。
大きな破片がユリファや竜弥の頭上めがけて落ちてくる。しかし、小型の魔魂シールドが展開され、破片を吹き飛ばした。
その青色の魔魂シールドは街中で見かけたものと同じもの。
カリア・オルトベイルと同じもの。
「な、何が起こってるんだ!? なんだ、この青色の光は!?」
雑魚魔術師は状況が掴めずに混乱していた。ユリファだってまだどうすればいいかわかっていない。
「――――気取られちゃいけなかったとはいえ、ずっとだらけたふりをしてるのは苦痛だったよ。竜弥にも怒られちゃったし。でも、もう我慢する必要はないんだよね」
声の主が一歩、足を踏み出す。
その足を起点に、強烈な魔魂の波動が全方位の地面へと急速に広がっていく。それは中央管理塔に留まらない。リディガルード全域へと波及していった。
一歩、また一歩、彼女は足を踏み出す。その度、水面に水滴を落としたように魔魂の波が波及していく。青色の閃光が街に染みわたって、それは次第に紋章のような形を形成していく。
その様子を見て、ユリファは自分の仮説が正しかったことを知った。
街の上空を飛行していた時に気付いたあること。それは、街全体に流れる微弱な魔魂が、巨大な一つの魔法陣を作り上げていたことだ。
そして今、その魔法陣に溢れ出た魔魂が流れ込んでいく。
「――――『開花の大詠唱』。さすがに私でも疲れたよ。体内のほとんどの魔魂を消費し、脳内でひたすら詠唱による術式構築を行う大規模術式の一つ」
彼女の瞳は青く光る。
それは祖母から受け継いだ、都市長の色だ。
「――――この術式は、術式発動者が魔法陣内で使用する魔術の威力を極限まで高めるもの。これを起動させないと、都市長にはなれないんだってさ。だから、お婆ちゃんの体調が悪くなった日からずっと、私は術式を阻害されないよう、誰にも気づかれずにこの術式の脳内詠唱を続けていた」
単眼の『無邪気な箱』胴体部が彼女に飛びかかる。踏み潰そうとしてくる大きな脚を、彼女は手をかざすだけで真っ二つに切断した。飛び散る謎の液体と共に、青い閃光の刃が見え、それは衝撃波のように空中を切り裂いて、壁に激突した。
「―――――もう、我慢しなくていいんだよね……。大好きなみんなが殺されていくのを黙って見ていなくていいんだよね……! もう、みんなを守っても――いいんだよねッ!!」
青い瞳からは綺麗な透き通った涙が流れる。
それは悔しさと悲しみに満ちた涙だ。目の前で死んでいった大切な人々への弔いの涙だ。
彼女の周囲に溢れ出していた魔魂の光が、暴発するように急激に膨張した。放電に似た現象が起こり、それは彼女の怒りを体現しているかのようだ。
「お、お前、ただの無力な娘ではないのか……?」
雑魚魔術師はようやく気付く。
今、目の前で豹変し、絶対的な脅威となった少女、それが何者であるのかに。
彼は彼女のことをただの邪魔な一般人だと思っていた。だが、正体に気付くまで時間がかかったのは仕方がないことだ。さっきまでの彼女は、今の姿とは大きく違っていたのだから。
彼女は暴力的なまでの魔魂を従え、雑魚魔術師の前に二本の足でしっかりと立っていた。
「お前は……」
呆然とした雑魚魔術師のその問いに彼女は答える。
彼女にはわかっていた。
中央管理塔の最上階で、また一人、大切な人がいなくなってしまったことを。
だから、彼女は大好きな祖母の遺志を継いで叫ぶ。
「私の名はテリア・オルトベイル! リディガルードの――新しい都市長だッ!」
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