34. 最期の魔魂誘導砲 side:カリア・オルトベイル
『都市防衛各システム、稼働率98%を超えました。このままでは、全市民の保護が困難です。最優先で打開策を検索中。都市長、できるだけ持ち堪えてください』
「…………」
『しかし、「存在しない結社」がここまでの攻勢に出るとは想定していませんでした。私が任されている中央塔の管理業務には、防衛案の策定も含まれています。これは私の落ち度ですね。無事に都市を守り切ったら、改善案を作成しなくては――都市長?』
『サポーター』の呼びかけが虚しく響いた。リディガルード中央管理塔、その最上階。都市長カリア・オルトベイルは項垂れて沈黙し、椅子に坐していた。
『都市長、都市長!』
「……なんだい、うるさいね。……聞いてるよ。こっちは限界が近いんだ……。意味もなく話しかけるんじゃないよ……」
『よかったです。てっきり、もうダメかと』
「あたしが……生きてるか死んでるかは……魔魂の供給状況でわかるだろ……くだらない心配をする暇があったら……打開策を出しな」
『了解。そちらに意識のリソースを割り振ります』
いつもは冷静沈着で些細な違和感にも気づく『サポーター』。だが、そんな彼女もさすがに無数の魔魂シールドを操りながら、カリアの決定的な変化に気付くことはできなかった。疲労によって息が途切れがちのようだ、と思っただけで、『サポーター』は打開案の検討を始める。
カリアの掠れた声は途切れ途切れで、いつものような覇気がなかった。空が暗くなったせいで、薄闇に包まれた最上階。
その暗い室内のおかげで、カリアの瞳が――もう何も捉えていないことは誰にも知られない。
二度ほど、血反吐を吐いた。
カリアの体内の魔魂回路はただでさえ、加齢で脆く不安定なものになっていた。そこに、全力を出すことを求められる都市防衛戦。その結果、強大な魔魂の流れに耐えられず、回路から漏れ出た魔魂が己の内臓を容易に破壊していった。
「己の魔魂で死ぬ、か。大魔術師らしくて……笑える最期だね」
『サポーター』に聞こえないように、ほとんど音にせずに呟く。
もう、十分すぎるほどに生きた。十分すぎるほどに愛し、そして愛された。
だから、カリア・オルトベイルはここで死ぬことに抵抗はない。
ただ、グレガリアスにはもう一度顔を合わせて会っておきたかったと彼女は思う。それに、テリアがこれからどう成長していくのかも、自分の目で見たかった。
死ぬことに未練はない。だが、やりたいことはまだ少しだけあった。
だから、カリア・オルトベイルは一筋だけ、涙を流す。彼女が涙したことは暗闇が隠して、彼女以外の誰にも伝わらない。それは強気な都市長として生きてきたカリアにとって、好都合だった。
「あたしが泣いていたなんて知ったら……おそらくみんな幻滅するさねえ……。最期まで、あたしは……強い都市長でなければ……ならない」
そうぼやいたカリアを、強烈な吐き気が襲った。込み上げたものを反射的に、床へと吐き出す。黒い水が辺り一面に広がった。いや、暗いからそう見えるだけで、実際は大量の血液なのだろう。
カリアの焦点の合わない視界が、今度はぼやけ始める。
「ああ……これで、もう愛すべき子供たちの顔を見えないねえ……」
零れ落ちていく。
自分が今まで手に入れてきたものが。
だが、それは特別なことではない。
死とは、生きている間に得たものを手放す行為なのだ。
自分を慕ってくれた大好きな市民のことも、努力して手に入れた大魔術師の力も、実は心地よかった冷たい『サポーター』の声も、溺愛していた孫、テリア・オルトベイルの存在も。
手放して、無になる。それこそが死ぬということだ。
どうせ手放すことになるのなら、己の魔魂を全て誰かのために使うべきだ。それで愛すべき誰かが一人でも助かるのであれば、カリアは都市長として本望である。
だから。『サポーター』に己の状況を気付かれないよう、最期の力を振り絞って、しっかりとした口調で提案する。
「『サポーター』。魔魂誘導砲と、広範囲魔魂シールドの展開準備をしな」
『……魔魂誘導砲、ですか? あれは外部に向けて攻撃するように作られた兵器ですが』
「誰に向かってものを言っているんだい。そんなことは百も承知だよ。射角を最大まで下げて、都市全体を射程に入れるんだ」
『ですが、そんなことをすれば、敵以外も全て吹き飛んでしまいます』
「そのための広範囲魔魂シールドさ。敵以外の全てを魔魂シールドで保護する。このままじゃ埒があかないんだ。やれるね? 『サポーター』」
『ですが、それでは都市長のお身体が』
「あんた、最近ちょっと丸くなったんじゃないかい? 現実的な判断を下す『サポーター』じゃなく、可愛いエリナちゃんに戻っちまってるよ」
『なっ……!』
「思い出すねえ。あたしがあんたと初めて会った時のことをさ。可愛い可愛いエリナちゃんはすっかり変わっちまったと思ってたけど、まだそこにいたんだねえ」
『その発言、撤回してください』
「一丁前に怒っているのかい? なら、まずは自分の役目を果たしな! あたしのことを心配する前に、都市の心配をするんだ。それが『サポーター』の責務だ。わかったかい?」
『……そこまで言うなら、もう知りません。魔魂誘導砲、オンライン。射角修正……都市全域を射程に入れました』
「不機嫌だね、『サポーター』」
『無駄口を叩かないでください。私は「サポーター」。都市長を支援するための存在です。あなたの暇つぶしの相手をするために、私はここにいるのではありません』
「ふん、調子が戻ってきたね。安心したよ。それじゃあ、準備を始めようか――」
カリアの言葉に呼応して、中央管理塔の頂上に設置された魔魂誘導砲が激しく振動を始める。内部機構の回転数が上がり、魔魂エネルギーが極限まで圧縮されていく。砲身を青い光が炎のように包み込み、周囲の空気は急激に熱せられて、水分が弾け飛ぶ。
『魔魂誘導砲、魔魂供給率80%。広範囲魔魂シールド展開準備。保護対象、捕捉済みの敵目標以外の全ての物体。指定完了。砲撃座標を入力。砲身を砲撃中に一回転させることで、全方位への攻撃を実現します。魔魂主砲、および個別の小規模魔魂シールドへの魔魂供給停止準備完了。全ての砲撃前準備が完了しました。いつでもいけます』
「ありがとう、『サポーター』。これであたしは都市長として、最期まで戦える」
『………………最期?』
「魔魂誘導砲、発射まで5,4,3,2――」
『魔魂主砲、および個別の小規模魔魂シールドへの魔魂供給を停止。全防空システム、一時的に解除。魔魂誘導砲、および広範囲魔魂シールドへ全ての魔魂を供給!』
「――あたしは、とってもいい子供たちに恵まれたねえ」
カリア・オルトベイルが自分の血に塗れた顔で、優しく笑って。
最期の魔魂誘導砲が、中央管理塔から全てを消し飛ばすかのように放たれた。