30. 反吐が出る哄笑 side:ユリファ
「なるほど。ちょっとずつ見えてきたわね」
ユリファ・グレガリアスはリディガルード外周、一般市民たちが生活するエリアにいた。朝から聞き込みを続け、ようやく情報が揃ってきた。
都市長であるカリアがいつ頃から姿を現さなくなったのか。
テリアがだるいと言って、外に出なくなったのはいつか。
そしてこの都市に降り立ってからずっと気になっている、あること。
その三点が主な調査対象だった。グレガリアスの黒翼は依然として背中に顕現しており、市民に声をかけると、畏怖と共に逃げられることも多い。しかし、子供たちはまだ三大魔祖の恐怖を知らない、または理解できない子も多いようで、親切に答えてくれることも多かった。
初めにわかったのは、このリディガルードがおかしくなったのは、全てリーセアの大規模転移術式が発動した後だということだ。ユリファとしては気が重い話である。自分が招いた事象が、遠く離れたこの地にこのような変化を与えてしまった。
今更、後悔しても遅いことはわかっている。だが、実際にこうして引き起こした結果を突きつけられると、後悔せずにはいられない。
得られた情報からユリファが立てた仮説。その内容はあまり良い内容ではなかった。もし、この仮説が当たっているのなら、すぐにでも中央管理塔へ行き、カリア・オルトベイルの居る最上階に力づくでも押しかけるべきだ。
ユリファがそう思った矢先のことだった。
同時刻、別地点にて竜弥たちを襲った衝撃が、彼女のもとにも訪れた。
空が邪悪に淀んで、忌々しい白色の魔法陣が出現した。間違いない。
あの白色の魔魂は、王都を襲った魔術師集団『存在しない結社』のものだ。王都襲撃を率いていたリー・ダンガスを潰したことで少しは時間を稼げると思ったが、どうやらその残党は思っていたよりもまだ元気らしい。
ユリファが苦く顔をしかめた時、懐かしい声がかけられた。
「あれえ~? ユリファ様じゃないですかあ?」
目の前には、結社の象徴でもあるスーツ姿の若い男が立っていた。歳は二十代くらい。慇懃無礼なニュアンスの言葉。にやついた表情はやけに整った顔立ち故に、余計に見た者を苛立たせる。
「……どっかで会ったっけ?」
「酷いですね。覚えててくださいよ。ちょっと前、あの王都襲撃の時、リーセア王城のバルコニーから俺のことを叩き落としてくれたじゃないですかあ!」
目の前の男は丁寧な言葉で喋るが、彼の目には憎悪が宿っていた。無論、ユリファは覚えている。
薄闇に光る金杖片手ににやける目の前の男は、竜弥と初めて会った時に対峙した格下の魔術師だった。
「あー、あの時の。で、雑魚が何の用かしら?」
「雑魚って酷いですよ。ダンガスさまが死んでしまって、仕方がないから、今は俺が残党を率いているんです」
そう言って、慇懃無礼な雑魚魔術師は、へへへ、と不気味に笑った。
「残念ね。リー・ダンガスは強かったけれど、あんたがリーダーじゃもう残党部隊に脅威は感じないわ」
できる限りの皮肉を込めて、ユリファは吐き捨てるように言う。
「そう! それが悩みだったんですよ。俺には独特魔術もないし、あのイカレっぷりも持ち合わせていない! 決定的なインパクト不足!」
自らを蔑むユリファの侮蔑的な発言に、雑魚魔術師は下卑た哄笑で返した。
ユリファ・グレガリアスはその様子を見て、警戒を最大レベルにまで高める。
雑魚に限って、時折、思いもよらない足掻きを見せることがあるからだ。
雑魚魔術師は不遜に微笑む。金杖の柄を地面に叩きつけて、一際大きな音を出した。
「――だからぁ? 今回はインパクトを演出してみたんですよっ!!」
彼の声色に残虐の匂いが交じる。それと同時、リディガルードの外縁部を囲む高い塀の上にたくさんの敵魔術師が現れたのが見えた。
全員が全員、金杖を持っている。
一つだけでも国宝級の代物だ。それを数十、下手すれば百を超える数の敵魔術師たちが持っていた。確かに金杖は一点ものというわけではなく、金さえつぎ込めば作り出せるものではある。だが、それには国家予算並みの莫大な資金が必要なはずだ。
――予想はしていたけど、リーセア王国と対立する周辺諸国が『存在しない結社』に資金援助をしているのは確定みたいね。
ユリファは依然として、目の前の雑魚魔術師から目を離さない。
リディガルードを包囲する敵魔術師たち。その光景は派手ではあるが、竜弥の魔魂を喰らえば、ユリファの敵ではない。そのことは敵の親玉だったリー・ダンガスを倒した時点で、敵も百の承知のはずなのだ。
だが、雑魚魔術師から焦りを感じられない。人間は自分の手札に最強の役が揃っている時、目の前の男のような態度を取る。すなわち、まだ切り札は切られていないのだ。
「あれ? 驚かないですね? ここで驚いたら、この後もっと驚愕すると思って楽しみにしていたんですが」
残念そうな表情をわざとらしく浮かべた雑魚魔術師は、金杖を高く振り上げた。そして、それと同時。
先ほどとは違う縦方向の揺れを感じた。何か超重量のものを落下させたような、そんな大きな衝撃だ。それはあらゆる方向から。いくつもいくつも、何か大きなものが投げ落とされているようだった。どこから? とユリファが辺りを見回すと、それはすぐに判明した。
リディガルード外周。敵魔術師たちが並ぶ、高い塀の上。
そこに、この前対峙したばかりの化け物の姿を見た。
しかも、一体ではない。その数は二十を超えている。
化け物たちが島都市を完全に包囲していた。
それらが筋肉質の巨大な両脚で跳躍、次々と都市内部へと侵入してくる。衝撃はその際に生じたものだった。
「『箱』と呼ばれているからといって、別に屋内である必要はないんですよ。運用を現実的に考えると、屋外では大量の魔魂を供給することが難しいから使われないだけで。だから予め、魔魂供給に特化した金杖を持っていれば――」
雑魚魔術師の声が遠くなっていく。
ユリファを襲う圧倒的な絶望と、化け物に蹂躙される人々の姿が、彼女の集中力を奪っていった。
その化け物は彼女の目の前にも落下してくる。地面が大きくへこみ、その衝撃波でユリファと雑魚魔術師は互いに距離を取る形になった。二人の間に、悪夢が具現化した化け物は醜い二本足で立っていた。
「キャキャ! ウルゥ! ウルゥウルゥ!!」
横に長い長方体の胴体。そこから隆起する形で生えた、巨人のような筋肉の脚。胴体からは浮かび上がる形で、不出来な顔面が恨みでも持っているかのように歪んで存在している。
「……『無邪気な箱』、なの……?」
それは拠点防衛型の魔導兵器――のはずだった。凶悪な攻撃性と引き換えに、閉所でなければ使用できないという欠点を持ち合わせた兵器。動力源を断てば、決して勝てない相手ではなかったそれが今、完全無欠となった状態でユリファの前に立ち塞がっていた。
リディガルードへの攻撃の第一段階。白色の光が全方位から浴びせられたことを思い出す。今考えれば、あれは単なる攻撃ではなかったことがわかる。あくまで陽動。そして、同時に島都市全体に、『無邪気な箱』化の術式がかけられたと見るべきだ。あのリーセア魔導品保管庫の二階と同じく、島都市全土が魔導兵器と化した可能性がある。
ということは。
ユリファがある可能性に思い至ったのと、ほぼ同時。
地面が建物が花壇が屋台が街灯が看板が塀が魔魂主砲の外壁が、一斉に隆起した。
そこから生み出されたのは、太すぎる悪魔の腕。無数の腕が近くの人間たちを握り潰し、跳ね飛ばし、町を破壊する。瓦礫が飛び散り、血液が飛び散り、この街は一瞬で地獄の様相を呈した。
「そ、そんな……」
ユリファの口から諦めの呟きが漏れる。
金杖を全て破壊すれば、『無邪気な箱』は停止するだろう。その弱点は変わらない。だが、今回魔魂を供給しているのは、動かないステンドグラスとは違う。あれほどの人数の魔術師たちに金杖を持って逃げ回られれば、敵を殲滅する前に街が壊滅する。
ユリファ・グレガリアスは、何も考えることができなかった。
最強にして、誰からも恐れられる三大魔祖が一人。だが、彼女にも不得意なことがある。
それは自分以外を守ること、だ。
『無邪気な箱』が束になろうと、そう簡単にユリファがやられることはないだろう。だが、それはあくまで自分自身に限った話。全てが終わった時、リディガルードの土地に立っているのは自分だけかもしれない。生きているのは自分だけかもしれない。
最強が故に一人で生きてきたユリファにとって、一番苦手な状況が目の前にあった。
「そうだ、竜弥……」
竜弥を探さなければ。
よろよろ、と何も考えられない三大魔祖の幼女は、敵に背中を向けて歩き出した。だが、そうして逃げ出すことは叶わない。
「ギャギャギャ! ギィ!!」
『無邪気な箱』の金属製胴体部、それがユリファの正面に回り込む。
そして、朦朧とした幼女を踏み潰そうとその大きな脚を上げた。