22. 決心
今日は二話連続投稿!
「う、うーん……」
島都市リディガルードにある宿屋の一室。
ベッドで寝ているのは、リディガルード上陸の際に意識を失ったユリファだった。彼女は幼い身体を丸まらせて、背中から生えた大きな黒翼がその小さな身体を守るように包み込んでいた。悪夢を見ているのか、ユリファは苦悶の表情を浮かべている。
魔魂誘導砲の砲火を受けたあの日から、丸一日が経過していた。
竜弥を抱えたまま、リディガルードの外周部に着地したユリファは、そのまま、その場に倒れ込んで動かなかった。動揺した竜弥が彼女を揺り起こそうとしていると、中央管理塔の職員と名乗った数人の男女が現れ、竜弥たちを取り囲んだ。
捕まって牢屋にでも入れられるのでは、と心配した竜弥だったが、実際はそんなことはなく、中央管理塔の最上階にいるリディガルード都市長の命令で、竜弥たちを丁重に迎えに来たと彼らは言い、ユリファを宿屋へと運んでくれたのだった。
中央管理塔の人間たちが連れてきた医者によると、ユリファに大事はないらしい。ずっとうなされてはいるが、あと少しすれば、無事に目を覚ますだろうとのことだった。
竜弥はユリファが寝ているベッド脇の椅子にじっと座ったまま、看病を続けていた。
どこかで楽観的に考えていたのだ。
三大魔祖ユリファ・グレガリアス。驚異的な能力を持ち、今までの戦闘でも勝利を収めてきた彼女が倒れるはずがない、と。
自分が無尽蔵の魔魂を与え続けていれば、彼女は負けない、と。
だから、碧竜相手にも呑気な態度を取っていたし、大宮を出発してからは文字通り彼女におんぶにだっこだった。
竜弥は苦しそうに歪んだユリファの寝顔をぼんやりと眺める。汗ばんだ幼い首元、管理塔の女性に着替えさせられた白いフリル付きのパジャマも、大量の汗で重くなっている。
こうしてみれば、ユリファは風邪か何かでうなされている小さな女の子にしか見えなかった。竜弥は乾いたタオルで彼女の汗をそっと拭ってやる。すると、少しだけユリファの表情が和らいだ。
彼女の小さな手がタオルを持つ竜弥の手に重ねられた。弱々しい握力で、それでも、離してしまわないようにぎゅっと握ってくる。
「竜、弥……」
意識を取り戻したのかと思ったが、ユリファは目を閉じたままだった。ただのうわ言。だが、竜弥は胸が苦しくなる。
彼の中に、一つの思いが生まれていた。
――彼女に頼りっ放しでは、いけない。
自らが戦えるようになれば、ユリファの負担は減るし、こんなに傷つかなくても済むだろう。
竜弥にとって、ユリファは自身を守ってくれる存在ではない。パートナーなのだ。
ただのお荷物ではダメで、このままだとこの先、決定的な破綻が生じるだろう。竜弥が死ぬか、ユリファが死ぬか。それとも二人とも死ぬか。
なんにせよ、転移術式によって日本を元に戻し、平穏な日常を取り戻すためには竜弥が変わる必要がある。一人でも戦えるようにならなければいけないのだ。
ユリファ・グレガリアスがこのままいつまでも、自分のそばにいてくれるとは限らないのだから。
だから、竜弥は戦う術を身に着ける必要があった。幸い、魔魂はいくらでもある。それすらも、全能神エギア・ネクロガルドからの借り物に過ぎないが、今は利用させてもらおう。
問題はどうやって、その身に余る魔魂を使用するかだ。魔導品も上手く使えなかった自分が魔魂を使用するにはどうすればいいか、その答えはまだ出なかった。
「う、う……ん」
ユリファがもぞもぞと寝相を変える。火照って紅潮した彼女の頬が、なんだかやけに艶やかに見えてドキッとしてしまう。
「……まあ、戦闘については今後の課題か」
宿屋の室内でいくら考えたところで答えが出るはずもない。ユリファが元気になってから、リディガルードを見て回る時にヒントになりそうなものを探そうと竜弥は思った。
「……で、二日間ずっと、乙女の寝顔をじっと見てたわけ?」
「確かにそういう言い方もできるけど、もっとなんか良い言い方はないもんかな!?」
リディガルードを訪れてから丸二日。
竜弥はベッドから身を起こしたユリファにジト目で睨まれていた。黒い翼が彼女の身体を抱くように、小さな身体に巻き付いている。
「……なんてね。冗談よ。心配してくれたんでしょ? その……ありがとう」
照れているのか、ユリファはそう言って赤くなった顔を背けた。どうやら、ただの照れ隠しだったようだ。
「素直じゃねえな、お前は」
「う、うるさいわね」
口元をつんと可愛らしく尖らせて、彼女はベッドから立ち上がる。そうして初めて、自分が白いフリルのパジャマを着せられていることに気付いたようで、ユリファは再び、顔をかあっと赤面させた。
「なっ、なにこれ! もしかして、竜弥が着せたの――」
「――いやいや、違うから! 中央管理塔の連中が来て、その中の人の良さそうなお姉さんがお前を着替えさせてくれたんだよ!」
「そ、そうなの……。それにしても、このデザインはなんなの。白は……白はダメなの、なんだか恥ずかしい……」
顔を俯かせて、その場でもじもじとするユリファ。
「でも、翼も生えてるし、天使っぽく見えていいんじゃないか?」
「な、何言ってんのっ! やだ、劣情を感じるわ!」
「劣情なんかねえよ!」
ユリファと普通のやりとりができることに、竜弥は密かに喜びを感じていた。が、そんな素振りは決して彼女には見せない。どんなことを言われておちょくられるか、わかったもんじゃないからだ。
「……で、中央管理塔の人間が来たのね。婆さんは? 来てた?」
「婆さん……って呼ぶような年齢の奴はいなかったな。二、三十代くらいの男女が数人だった」
「ふむ、変ね……こういう時は直々に出向くのが好きな婆さんなのに。『自らの足で街を守ることこそが都市長の務めというものなのさ!』ってよく言ってたわ」
ユリファは、後ろ向いてて、と強めに言って、竜弥が後ろを向いたのをきちんと確認してから、白のパジャマを脱ぎ始めた。前ボタンを外していく衣擦れの音が聞こえる。着ていた黒のワンピースがクリーニングされた状態で壁にかかっているのを見つけたようで、彼女の足音は壁際へと近寄っていった。
「その婆さんっていうのが、リディガルードの都市長なのか?」
「そう。リディガルードの最高権力者にして、リーセアで指折りの大魔術師。それこそがあの婆さん、カリア・オルトベイルなのよ」
「大魔術師?」
「リディガルード上空でわたしたちは対空攻撃を受けたでしょ。あの全ての魔魂を一人で供給しているのがカリアよ。人間の中では化け物級の存在。魔魂の量だけで言えば、一部の有形高位存在を凌駕するとさえ言われてるわ」
ユリファが脱いだ白のパジャマをベッドに投げ捨てる音がした。下着姿の彼女がすぐ後ろにいると思うと、どうにも落ち着かない。
「……想像してないでしょうね」
「いいから、早く着替え終えてくれよ……」
竜弥はそう懇願するが、そんなことお構いなしにユリファは優雅に着替えを続ける。
「カリアはいい都市長よ。あの対空兵器の数々の運用も、街の皆を守るために自分から買って出た。おかげで魔物がリディガルードに侵入したことは、カリアの代では一度もない。リディガルードは島都市と言えば聞こえはいいけど、実際は孤立した土地だからね。碧竜みたいな高位存在や魔物に、空や水中から襲われでもしたら、救援は見込めないのよ。実際、カリアの前の代までには、かなりの被害を出したこともあったみたい」
「魔物による被害、か。俺の世界じゃ考えられないことだな」
「だから。わたしたちが砲撃の的になったことも恨むのは筋違いなのよね。まあ確かに、婆さんは見境なく攻撃するタイプじゃないから、碧竜さえいなくなれば見逃してもらえると思っていたのも事実なんだけど」
何か焦ってるのかしら、とユリファは呟く。
「転移の影響か?」
「それもあるかもしれないわね。どうせこの後、中央管理塔に向かうつもりだったし、直接会って聞いてみましょ」
ユリファのその言葉で、竜弥は当初の目的を思い出す。
「そうだ、この街には転移魔術を使える人間を捜しに来たんだよな。もしかして、大魔術師だっていう都市長が捜してた人間なのか?」
「うーん、惜しいわね」
突然、ユリファの声が背後から近づいてきたかと思うと、次の瞬間、着替え途中のはずの彼女が、竜弥の目の前に躍り出てきた。
「うわっ、え、なんだ? 下着見せつける趣味の人!?」
「……何言ってんの」
竜弥が手で必死に目を覆っていると、呆れた声がかけられた。おそるおそる手を外すと、そこには見慣れた黒衣を着たユリファが、可哀想な物を見る目で竜弥のことを見ていた。
「あ、着替え終わったんだな……」
ほっと息をつく竜弥と反対に、ユリファはある一点に視線を向けて真面目な表情になった。
「……その手、どうしたの。深く切れちゃってる」
彼女が注視していたのは、竜弥の右手の平だった。そこには、碧竜の鱗を受け止めた時にできた横一閃の裂傷が大きく存在した。
「ああ、これか。飛んできた碧竜の鱗の欠片が思ったより鋭くてさ。切っちまったんだ。でも、もう塞がりかかってるし、問題ないよ」
「……ごめんなさい」
「なんでお前が謝るんだ?」
「だって、わたしが竜弥を守り切れなかったから」
その彼女の言葉に、竜弥は目を見開いた。彼女の中でも、竜弥は一緒に戦うべき仲間ではなく守るべき存在なのだ。その事実が彼の胸をさらに締め付ける。
「お前が謝る必要なんてねえよ……」
竜弥が自分の心中を隠すように小さくそう呟くと、
「――そう? じゃ、そろそろ中央管理塔に行きましょうか」
と、ユリファはころりと表情を変えて笑顔になった。それは、ただ気持ちの切り替えが早いだけなのか、それとも竜弥の隠したい心中を察したからなのか。
それは竜弥にはわからなかったが、彼は空気を一新するために、彼女の言葉に頷いた。
「さっきの、わたしが捜していた人物が婆さんだっていう予想、あれって当たらずとも遠からずよ? わたしが捜してるのも、オルトベイルの名を持つ人間だから」
部屋の扉を開けて、ユリファはこちらを振り返った。
「それってつまり?」
「わたしが捜していたのは高度な魔術に詳しい最高位魔術師、テリア・オルトベイル。大魔術師カリア・オルトベイルの血を受け継いだ、婆さんの孫よ」
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