16. 東玉線線路上進行1
池袋。
それは、埼玉の大都市――と大体の埼玉県民は思っているが、実際の区分では東京都にあたり、「池袋は埼玉だ!」と主張すると池袋住民から怒られる場所でもある。埼玉県民が集合する時に一番集まりやすいということが、「池袋もはや埼玉説」に繋がっているのだろう。
池袋の位置にリディガル大水源が転移してきたということは、埼玉県民お馴染みの集合場所は異世界に飛んで行ってしまったということだ。
埼玉県民が集まりやすい理由の一つにいくつかの路線が池袋に連絡していることが挙げられるが、裏を返せば、池袋がリディガル大水源に置き換わってしまった現在、周辺の交通網は想像を超える大打撃に見舞われているということでもあった。
「うーん、色々と調べてみたけど、旧池袋、現リディガル大水源に至るまでの道のりのあちこちにアールラインの土地が転移してきているわね。普通に向かうと足止めを食らいそう……魔物なんかもいるだろうし」
地球儀型魔導品を抱え込んだまま、保管庫の床にちょこんと座り込んだユリファは難しい顔をして考え込む。地球儀型魔導品は念じることによって、高低差などを反映した地形も魔魂の光で表示することができるらしい。地形を3D表示にして、山や谷を回避できるルートをじっと探していたユリファは、
「ねえ、竜弥。これってなに?」
と、怪訝な表情で地形表示内のあるものを指さした。
それは地上よりも少し高いところにあり、大宮から池袋まで時折うねりながら続いている道のようなもの。光で表されたそれは、一目見ただけではなんだかわからず、竜弥は最初首を捻ったが、脳内で想像してみて気付く。
「それは電車の高架線路だな。大宮から池袋までを一本で繋いでいる東玉線のやつだ」
大宮、赤羽、板橋などを経て池袋まで行くことができる東玉線は、埼玉県の人の行き来を支える重要な交通手段である。
「電車? っていうのは?」
異世界人であるユリファは、竜弥の世界のことには詳しくない。そのため、竜弥にとっては常識である電車のことを教える必要があった。
「電車っていうのは電気で動く乗り物のことだよ。地面に敷かれた線路の上を進むんだ」
「ふむふむ。何となくは想像できたわ。その線路なんだけど、池袋までの間は二、三箇所程度しかアールラインの土地が転移してきてないのよ。それも飛び越えられる程度の小規模。つまりその線路上を進めば、ほとんど足止めを食らわずに済むってこと」
「せ、線路上……。なかなかの無茶ぶりだな……。普通に暮らしてたら、まず入らない場所だし。怒られそうだけど……」
竜弥の中にある常識人の思考が、ユリファの発想に抵抗を示す。が、彼女はこんな時に何を言っているんだと呆れた顔をした。
「その線路だって少ないとは言え、二、三箇所は断裂しているのよ? 使い物にならないだろうから、電車は動いてないんじゃないかしら?」
「それはそうだが……」
「それに――」
あまり気乗りしない竜弥に対して、ユリファは厳しい視線を向けて。
「もしかしたら、そんなことを気にする暇もないほど、この世界は混乱しているかもしれないわよ?」
彼女が言ったその意味。それを竜弥が計りかねていると、ユリファは補足するように続けた。
「思ったよりも、多くの地域がアールラインと入れ替わってる。ということはそれだけ、アールラインの土地に生息していた魔物たちが日本の街を襲っている可能性が高いってこと」
「……」
確かにユリファは木造の廃屋でもそのようなことを言っていた。魔物が街を襲う。現代日本は高度な技術力を持っているが、それが逆に原始的な獣に命を狙われるという状況をなくしてしまった。そうして、命のやりとりをしたことがない一般人が獣に襲われた際、どうなるかなど想像するまでもない。
「……わかったよ、緊急事態だ。東玉線の線路上を行こう。そうなると、駅から侵入するのが手っ取り早そうだな」
王都から一番近くて、無事が確認できている駅。それは大宮駅である。
異世界転移後も王都から見えていた埼玉の都市、大宮。
現在は規模こそ不明だが、きっと混乱に包まれていることだろう。正直、知っている街がそんな風になっているところを竜弥は見たくなかった。
それでも、行かなければならない。
なんとしても旧池袋に辿り着き、転移魔法を使える人物を見つけ出す。
そして、アールラインに転移してしまった自宅を元に戻すのだ。
それこそが平穏な日常を取り戻すことと同義なのだから。
「案内よろしくね、竜弥」
地球儀型魔導品を置いて、竜弥の瞳を真剣に見つめてくるユリファとしっかり目を合わせて、竜弥は強く頷いた。
百貨店や家電量販店が入っているたくさんの大型ビルを横目に、竜弥とユリファは徒歩で大宮駅を目指していた。
王都のメインストリートを大宮方面に歩いていくと、一般市民の居住区が多く存在する王都外周区画へと出る。さらにその末端まで移動した頃、ようやく大宮との境目を見つけた。現在はそこをちょうど越えたところである。
王都外周区画を通り抜けたとき、煉瓦造りではなく木造の家も多く目についたので、竜弥はますます過去にタイムスリップしたような気分になった。それでも魔法の存在によって、ある程度の生活レベルは確保されているようである。
魔法が高度化することによって、住宅の強度を気にしなくて良くなったのかもしれなかった。
家の外壁を魔法によって守れるのであれば、木材の家に住むかコンクリートの家に住むかは好みの問題だし、自然に囲まれたいという理由で木材を選択することもあるだろう。
リーセアの一般人たちが本当にそのような思考を辿ったかのは不明だが、そう考えると工夫次第ではさらに色々な生活モデルを選択できそうで竜弥は一人、心の中でワクワクしていた。
大宮の市街地に入り、駅に近づくにつれ、ちらほらと喧騒が聞こえるようになってきた。だんだんと大きくなっているということは、喧騒の中心は西口駅前の辺りだろう。サイレンを鳴らし、赤い警光灯を光らせた警察車両が次々と駅前に向かって走っていく。
「やっぱりパニックが起きてるな……」
大宮の西口駅前の地上部分はバスロータリーになっており、その上をペデストリアンデッキが通っている。デッキは各大型ビルに繋がっていて、たくさんの人が行き来できるようになっていた。
竜弥はそんなデッキの至る所に人々が群がっているのを遠目に確認して、正直怯えてしまう。
「ニュースを見た感じだと、ユリファの予想通り、線路がちぎれているから東玉線は運休してるらしい。恐らく、昨日の異世界転移後からずっとだな。緊急ニュースのこともあって、大混乱状態かつ立ち往生で駅前は人でごった返しているってわけか」
「へー、ここが竜弥たちの世界の街なのね」
ユリファは混乱状態の街にビビる竜弥をよそに、現代建造物がどこまでも続く都市風景を物珍しげに見回していた。
リーセア王都が襲撃された時も、そこまで取り乱す様子はなかったし、三大魔祖であるユリファは竜弥の想像もできないほどの修羅場を何度も潜ってきているのかもしれない。
「うーん、今のところは魔物による被害はなさそうね。まあ、時間の問題だと思うけど、この街は王都から近い分、防衛用の王国騎士の派遣も早いだろうし、そこまで心配しなくていいかも」
「ひとまずは妙な怪物が街を根こそぎ破壊してなくて、本当によかったよ」
現在の駅前は混乱しているものの、何かしらの災害が起こった際に見られる状況と大して変わらない。死体が当たり前に転がっているような風景じゃないだけ、安心するべきだろう。
「さて、じゃあ、この混乱に乗じて構内に侵入しましょう」
ユリファは物怖じすることなく、見知らぬ世界の見知らぬ街中を堂々と歩いていく。
「駅員さんとかが百パー止めてくると思うけど、その辺はどう考えてんだ?」
竜弥が当然の疑問を口にすると、振り返ったユリファは何を言っているんだと可愛らしく小首を傾げてみせた。
「ん? そんなの、簡単じゃない?」