14. 『無邪気な箱』
何話分か短い間隔で更新します。よかったら読んでいってくださいね。
「……『無邪気な箱』?」
ユリファが告げた眼前の魔導兵器の名を聞いて、竜弥は不気味だと思った。
「キュアキュア! クルゥゥゥ!」
『無邪気な箱』の本体と思しき、胴体部が鳴き声を上げる。
横に伸びた長方体のような形の金属の胴体。そこから伸びた四本の太い足。胴体から浮かび上がる顔。四方の壁が隆起するようにして生え出た無数の手。
それが『無邪気な箱』の構成要素だ。まるで理解のできない前衛的な芸術品のような見た目だった。
「幼児程度の知能を持った自立型魔導兵器、それが『無邪気な箱』よ。箱と呼ばれる所以は、この保管庫のように、外部と隔絶された一定の範囲を魔法によってそのまま魔導兵器に変容させて、侵入者を排除するからね」
「攻撃意識を持った部屋ってことか」
「そんなとこ。『無邪気な箱』の厄介な点は、その幼児性と極限まで強化された身体。今のアールラインの技術では、魔導兵器に高度な意思を持たせることはできないの。あの胴体みたいな、不完全な自意識が限界。でもね、その幼児性を生かすため、『無邪気な箱』の発案者たちはこの兵器にもう一つの性質を持たせた。それがあのふっとい腕とか足」
「あれに殴られた時は死んだかと思ったぞ」
苦い顔で竜弥はぼやく。体内にある無尽蔵の魔魂により回復してもなお、背中はズキズキと鈍く痛んでおり、それが『無邪気な箱』の脅威を物語っている。
「幼児って何も考えていないからこそ、行動の予測ができないし、凶暴、残酷でもあるのよ。けれど身体が小さくて被害が少ないから、普段はあまり脅威だと認識されない。だけど、『無邪気な箱』の場合は攻撃能力が極限まで高められている。するとどうなると思う? 攻撃能力の高い身体を幼児のようにぶんぶん振り回したりしたら、それを食らった人間は死ぬ以外に道がないわ」
自立型の弱点を逆手に取った魔導兵器。それこそが『無邪気の箱』であるらしい。しかし、魔導兵器であるのなら、魔魂を使用して動くという前提からは逃れられないはずだ。
そう考えた竜弥は素早く周囲を見回すが、魔魂の供給源らしきものは何も見つからなかった。
「魔導兵器も魔魂を使って動くんだよな?」
彼は焦りながらユリファに確認する。質問を受けた彼女は身に纏った黒光で、『無邪気な箱』の腕を押さえ込みながら、顔をしかめて返答した。
「魔魂を使用しない魔導兵器なんて、もはや世界の原理を超越した存在だし、絶対にありえないわ。でも、目の前の奴には、そもそも動力としての魔魂を受け取る受容器が見当たらないし、近くに大容量の魔魂を直接送り込めそうな魔術師もいない……。他物質――たとえば空気なんかを媒介にして、溶け込ませた魔魂を送り込むこともできるけど、今回の場合はどの供給方法が採用されているのかしら……」
「キィ! キョ! フィイィッ!」
『無邪気な箱』の胴体部がけたたましい奇声を上げる。最初は狂っているのかと思っていたが、詳細を知った今では、赤子が意味のない声を発するのと同じ行為だとわかる。
だからといって、愛らしいと思うことは竜弥には不可能だったが。
「ンギャ!」
『無邪気な箱』の胴体部が突如、竜弥に向かって猛烈な突進を始めた。床が激しく揺れ、蹴り出された胴体部の前脚が竜弥の右頬をかする。
彼は地面すれすれまで屈み、間一髪のところでそれを回避したが、起き上がった彼の眼前には壁から生え出た剛腕が迫っていた。
竜弥が迫る脅威に対して反射的に目を閉じたのと同時、床から出現したユリファの黒光の柱がそれを受け止め、代わりに無数の黒の光弾を至近距離から剛腕へと激しく叩き込む。
「ギャギャッ!」
悲鳴を上げた胴体部は、ふらふらとその場で揺れた後、正気に戻ったのか後ろへと逃げるように後退して、ユリファから距離を取った。
「これじゃ、埒が明かないな。何か攻略法はないのかよ」
「『無邪気の箱』は部屋自体が魔導兵器だから、基本的には相手の魔魂が切れるまで圧倒的に不利な状況が続くわね。敵の体内で戦っているようなものだから。でも、これほどのものを動かすには、やっぱりそれなりの量の魔魂が必要なはずなのに、供給源が見つからない。仮に体内に魔魂を貯めていたとしても、こんなに長くは動けないはずだわ。ほんとなんなのかしら……」
ユリファはそうやって頭を悩ませつつも、攻撃の手を緩めることはなかった。
『無邪気の箱』の胴体部の懐に、疾風のように潜り込んだ彼女は、敵の金属製の腹に黒光で強化した右拳を打ち込む。
周囲に強烈な衝撃波が発生したが、筋肉質の太い脚に支えられた胴体部は微かによろめいただけで、確かに有効なダメージは与えられていないようだった。
「ユリファ、俺は魔魂の供給源を探してみる。しばらく、そいつの相手をしていてくれ!」
竜弥は黒の幼女の背に声をかけると、『無邪気な箱』の胴体部から大きく離れた。
途中、横壁が隆起し、形成された新たな剛腕が彼の足を払おうとしたが、その腕を思いっきり踏みつけて、竜弥は高くジャンプしてそれを乗り越える。
考えろ。
まずは、前提だ。
魔導品保管庫の二階全てが『無邪気な箱』である。そんな魔導兵器に魔魂を供給するにはどんな方法があるだろうか。
思うに、魔魂を受け取っているのはあの奇妙な形の胴体部だ。その他の腕は出現したり消えたりを繰り返していて、安定して魔魂を補給できないからである。
魔魂を受け取った胴体部から魔魂が部屋全体へと広がり、壁を隆起させて形成している多数の腕に供給されるという仮説が有力だろう。
もし、その仮説が正しいなら、床下に配管のようなものを通して魔魂を供給するような方式ではないと言える。胴体部は常に移動しているし、接続された配管、配線の類も見受けられない。
であるなら、あの胴体部が室内を縦横無尽に移動しても、魔魂の供給が途絶えないようにするには、ユリファが言っていたように何かを媒介にして魔魂を送る手段がもっとも有効なはずだ。
部屋のどこにいても受け取れるもの。
一番有力なのは、さっきも話していた空気だ。
それなら送風機のようなもので、室内に送り込むことも十分可能である。魔魂を含んだ空気を特殊な受容機で変換し、体内に取り込む。
十分考えられることだが、だとすると戦闘開始前にあそこまで室内が静かだったのはおかしい。魔魂が溶け込んだ空気を送り込む送風機の音が聞こえてきて然るべきだからだ。
となると、空気の線は否定される。
部屋中に行き届き、なおかつ音がしないもの。他に何かないだろうか。
竜弥が頭を悩ませていたその時だった。
ユリファが胴体部の側面に強化した右足で渾身の回し蹴りを叩き込んだことで、胴体部が派手に横転して音を立てた。相変わらずダメージは入っていないようだったが、そちらに向けられた竜弥の視線はある一点を捉えた。
そして、竜弥は確信する。
――見つけた。あれこそが、逆転の一手。
彼の視線の先。
そこにあるのは横転した『無邪気の箱』胴体部、今まで見えていなかったその上面。
竜弥は『無邪気な箱』の腕が隆起した時に壁から剥がれ落ちて散らばった、拳大のコンクリートの破片を床から拾いあげる。
そうして見上げたのは、天井。
「当たっていてくれよ、俺の勘……!」
真剣な表情を浮かべた竜弥は大きく振りかぶって、手に持ったコンクリートの破片を思い切り真上へと投げつけた。
強い力で直線的に飛んでいった破片はぐんぐんと加速し、勢いを保ったまま目的の場所に直撃して、
ガシャン! と、それが破砕した音が室内に響く。
きらきらと輝きながら降り注ぐ欠片たち。それは晴天の日に降る雨粒のように、光を透き通して眩く揺れる。
落ちてきたのは、天井に設置され、陽の光を取り込んでいたステンドグラスの残骸。一際大きなガラスの欠片が竜弥のすぐ近くに落ちてきて、派手な輝きと共に四方へ砕け散った。
竜弥は間髪入れずに、屋根に配置された全てのステンドグラスにコンクリート片を投げつけていく。次々と破砕音が聞こえて、彼の周囲には金色の雨が降る。
光を反射して輝く細かなガラス片によって演出された神々しい光景が終わった時、二階フロア一面にはガラスの残骸が散らばっていた。
天井のステンドグラスは全て破壊され、陽の光が直接保管庫内に射し込む。
「どうだ……!?」
竜弥はごくり、と固唾を呑んで、『無邪気の箱』の胴体部に目をやる。
「グィゲ! ギィギル!」
胴体部は依然鳴き声を上げ、壁から突き出た六本の腕がユリファを握り潰そうと迫る。間違ったか……! と竜弥の頬に冷汗が伝るが、
「ギ……ギィ」
太い腕がユリファを捉える前に、胴体部の動きが緩慢になった。
ぐらんとバランスを崩し、胴体部は大音声と共に床に崩れ落ちる。それに合わせるように壁から突き出た全ての腕が力を失ってだらんと垂れた。
一秒、二秒……再び動き出す気配はない。
「やった……! お手柄よ、竜弥!」
『無邪気な箱』が沈黙したのを確認して、ユリファがぴょんぴょんと小さく飛び跳ねながら歓喜の声を上げた。竜弥はほっと息をついて天井を見上げる。
部屋中を動き回る『無邪気の箱』の胴体部に魔魂を届けるためには、部屋のどこにいても魔魂を送ることが可能でなければならない。とすれば、何かを媒介にしていると考えるのが自然だという仮説が立ち、そして、それは空気ではなかった。
だとすれば、他に部屋に満ちているもの。
――それは、陽光だった。
部屋の中央を照らし出す自然の光。それが『無邪気な箱』に魔魂を供給していた媒質である。そして、自然の陽光に魔魂を溶け込ませる役割を果たしていたものこそが、あのステンドグラスだと竜弥は踏んだのだった。
大方、あのステンドグラスはただの採光窓のように見せかけて、それ自体も魔導品の一種だったのだと思う。自然の陽光に魔魂を溶かし入れる魔導品。それが『無邪気の箱』の構造の中で、肝の部分であり、弱点でもあったのだ。ステンドグラス型魔導品は建物の一部であるため、そこに魔魂を供給することは裏で上手く隠した配線を繋げば簡単にできるだろう。
竜弥は崩れ落ちた長方形の胴体部に近づくと、目を閉じてもう動かないそれに、軽く蹴りを入れて言った。
「幼児は幼児らしく、おとなしく昼寝でもしてやがれ」