11. 魔導品
「よしっ、これで竜弥君も僕の友だな!」
元気一杯のスマイルで、エイド・ダッグマンは言った。愛すべき友人がまた一人増え、つやつやと満足そうな表情のエイドの傍らで、
「うぁぁ……うぁぁぁぁ」
地面に四つん這いになり、白目を剥いて、今起こった惨状を嘆くのは竜弥。ただの挨拶のハグなら良かった。海外ではハグは当たり前だし、シャイな日本人である竜弥にもその辺の感覚は理解できる。だが、エイド・ダッグマンのハグ――いや、抱擁は愛する相手にするように、熱く濃厚で長いものだった。竜弥は背中を執拗にさすられた。
それもそのはず、エイドが世界の皆を愛するというのは言葉の綾ではなく、本当の意味で「愛して」いるのだから、ハグだって挨拶程度で済むわけはないのだ。
「安心して、竜弥。わたしも初めて会った時にやられたわ」
冷たい声色でユリファが言う。
「……それはなんか、もう事件じゃないか?」
ユリファの幼い身体を両手で抱き締め、全身をまさぐり、頬を紅潮させて「やめてっ」と叫ぶ彼女のことを、エイドは強い力で押さえつけてハグを続ける。……想像してみると、確実に警察出動レベルの事案だった。
「翌日、王国魔術師長はロリコンという噂が王都を駆け巡ったわ」
「うわあ……」
目の前にいる正義のヒーローの殻を被ったアホな変態のせいで、王国魔術師という存在自体、ひいてはリーセア王国さえも、株が下がってしまっているのではないかと心配になってしまう。
本当はロリコンを隠すためだけに、全人類を愛するとか言っているんじゃないか、と竜弥は邪推するが、真相は闇の中だ。
「なんと言われようと構わないさ! 僕は正義を愛し、全人類を愛する正真正銘の正義のヒー! ロー! なのだから!」
「話噛み合わないのな、お前……」
どんなに叩かれてもへこたれないというのは、人間の長所にもなり得る要素だが、何事も度が過ぎると、そのメリットの部分が消え、ただの危険な存在になる。エイド・ダッグマンはその象徴とも言えるべき人間だった。
「まあまあ、いいじゃないか! そう邪険にしなくても。僕は君たちに朗報を持ってきたのだよ?」
辺りに漂う白けた空気を払拭するように、エイドが無駄に大きな声を張り上げた。彼はきらりんっと目を光らせると、むふふ、と含み笑いをしてみせる。何かを企んでいる悪戯っ子のような仕草だ。竜弥とユリファは心底嫌そうな表情を浮かべたが、もちろん彼は気にしない。
「ユリファ様たちはリディガル大水源に行きたいのですよね?」
「そうよ。でも、リディガル大水源がこちらの世界に転移されているのかどうかもわからないから、途方に暮れていたのよ」
ユリファはお手上げといった様子で、両手をひらひらと振った。そんな彼女を見て、エイドは再度もったいぶって笑みを浮かべると、
「――そのお悩み、このエイド・ダッグマンが解決して差し上げましょう! こう見えても僕は、リーセア王国魔術師軍のトップ。ですから、王国所有の魔導品を使用することができるのですよ」
自信満々にエイドはそう言い放った。竜弥にはなんのことやらわからないが、彼の提案にユリファは苦い顔を浮かべた。
「……確かに王国所有の魔導品を貸してもらうことは考えたわ。上手くすれば、リディガル大水源の魔魂反応を掴めるかもしれない。けど、できればしたくないのよね」
「その魔導品ってのはなんなんだ?」
なんとか話についていこうと竜弥が疑問を投げかけると、エイドが彼に向き直って簡単な説明を始める。
「魔導品というのは、魔魂を使って起動する品物でね。その機能は多岐にわたる。明かりを点けることもできるし、通信をすることもできる。魔魂の流れを探知する魔導品を使えば、リディガル大水源特有の魔魂の流れを探ることだって可能なんだよ」
「なるほど、電気の代わりに魔魂を使う機械みたいなもんか……。そんな便利なものがあるなら使わせてもらおうぜ、ユリファ」
そう言って竜弥がユリファを見やると、彼女はうーむと小さな獣のように唸って、何やら悩んでいる様子だった。
「どうしたんだよ?」
「竜弥、あなた忘れてない? 王国所有の魔導品を使うってことは、王城に戻らないといけないってことよ? ……あの辺りには、リーノがいる」
重い空気を纏った言葉がユリファの口から吐き出された。未だ謎に包まれている少女リーノ。あの場にいたということは、王城関係者なのだろうと竜弥は予想しているが、詳細な素性は明らかになっていない。王城に行ったところで、気をつけていれば、一人の少女に会わないようにするのは簡単なんじゃ、と竜弥は思ったのだが。
「ユリファ様は王女殿下にはお会いになりたくないのですか?」
何の溜めもなく、エイドが竜弥にとって衝撃的な発言を口にした。
「は?」
「どうしたんだい、竜弥君。妙な顔をしているね。今の言葉のどこに驚く要素があったんだい?」
「王女殿下……?」
どこに驚く要素があったも何も、驚く要素しかなかった。
ユリファがリーノに会いたくないというのは、竜弥も既知の事実。
そして今、エイドが口にした言葉はユリファが王女殿下に会いたくないというもの。つまり、その二つの言葉を方程式のように組み合わせると、答えは出る。
「リーノって、王女だったのか……?」
「そうだよ、リーノ・リンド・リーセア。リーセア王国の王女殿下のことをユリファ様は避けたいと思っているという話をしているのだろう?」
「マジかよ……」
新たに解禁された事実に竜弥は強烈なショックを受けたがしかし、それで色々と得心が行った。確かにリーノがリーセア王国の王女であるのなら、竜弥たちが王城に向かえば、王城の人間がリーノに連絡を入れるだろう。ましてや、王国所有の魔導品を貸してくれと頼みに行くなど、向こうがこちらのことを今も探しているとしたら、自殺行為でしかない。
「……リーノとのことは、問題が解決するまであまり詳しく知られたくなかったんだけどね。まあ、そういうことよ。だから、王国の力を借りるのは難しいかも」
ユリファは目を丸くして驚いた竜弥を見て、ため息をつきながら投げやりに言った。
「でも、その理屈なら、ここでエイドと出会ったのもまずいんじゃ……」
エイド・ダッグマン。王国魔術師軍の長。完全な王城関係者である。このままだと、ユリファがここにいるということがリーノに報告される、いや、もしかしたら、すでに報告済みで彼女がこちらに向かっているということも考えられる。
今更ながらに、現在の状況を正しく把握した竜弥が顔を青くすると、
「いや、こいつは問題ないわよ。きっと」
ユリファはまた心底嫌そうに片側の頬を歪めて、
「そうでしょ、エイド・ダッグマン」
と、王国魔術師軍トップの魔術師に声を投げかける。それを受けた彼はにやりと笑って、それまでとは打って変わった冷静な眼差しをユリファに向けた。
それは全てを見透かした目。相手の心の底を容易く見通すような、そんな恐怖すら感じる視線。
「ええ。もう大方の事態は把握しています。ユリファ様と王女殿下の現在の関係も、貴女が王国襲撃に手を貸した目的も、ね」
息が詰まる。おちゃらけている時とはまるで違う、無言の威圧感が木造の廃屋内を満たす。水を打ったように静かになった室内。その中心でエイドは、不気味なまでに鋭い眼光を爛々と輝かせていた。
この姿こそが、王国魔術師長エイド・ダッグマンの本質なのかもしれない。
「……いつもそうやって何でも先回りされる。だから嫌なのよ、あんたは」
ユリファがまた一つ大きなため息を吐くと、静寂に包まれた室内にその吐息の音が微かに響いた。