遭遇
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赤い雲のかかった空の下、廃道に近い道を行く大型トラックがあった。
計十数台に及ぶ三色の大型トラックの群だ。
赤、青、緑と三道を走るトラックの行く手にはある光景が霧のように立ちこめる白と黒の煙の中でうっすらと見えていた。
それは、とある島国にある一つの町の残骸。
火の着いた瓦礫があり、元の姿を思い起こさせる程の形情報を残さない残骸もあった。
人という生物を拒む世界。
そこは、日常の中にあった一辺倒の地獄だった。
◆
揺れる一室、小型の蛍光灯一つの明かりは満足にも一室を満たすほどの光量を出していない。だが、事足りるかのように一室の中はそれぞれの動きで満ちていた。
はいどうをいく、三色の中型装甲バスのうち、青の装甲バスは一年A組の車両だ。
左右二席の間に大型通路を挟んで縦八席に列ぶ計三十二シートの空間。
ある者は隣人と駄べり、ある者は携帯を使って、ある者は読書をして、と、どこにでもある学校の光景がそこにはあった。
授業のための移動教室の中である。
だが、この普通は即座に破られることになる。
岩にでも当たったかのように今までよりも揺れが一段と大きくなった。次いで、正面にある十六インチのアナログテレビに映像が映り出す。
そこには、学校の教務員室を背景にジャージ姿の男がいた。男は手に持つバインダーを開き用紙を数枚かめくり、前に向き直った。男はこの教室の担任だ。一室が静寂に包まれる。そうして担任の男が口を開く。
『さあ今日も元気にいってみよー、週番。号令』
一番前に座っていた女生徒が、担任の言葉に口を開いた。騒がしいなかでも通る澄んだ声だ。
「注目。………礼」
御願いします。
全員の声が重なった。朝の学校の光景。週番の生徒の言によって他の生徒はそれに従う。
HR。
担任の声が響いた。
『よし、じゃあ今日は早速だけど、移動教室の真っ最中ってことだけど。留学生付きの護見。今日の授業内容の復唱』
護見、と呼ばれた少年に注目が重なった。
すると、前から二列目左の窓側に座る少年が立ち上がった。紺色のジャージを着た少年は先程から左右上下に揺れるようになった一室の中で馴れた脚捌きで足場を確保しアナログテレビへと視線を向けた。少し緊張の入った様子で少年の横に座る二人の少女が視線と頑張って下さい、と声を掛ける。少年は会釈で応じる。
そして、護見と呼ばれた少年は緊張のほぐしと思考のために深呼吸をした。
早朝、肌寒く感じた教室で担任から聞かされた事を思い出す。
そして、一室全体に聞こえるように意識しながら声を張り上げた。
「前期修業課程のうち、初期に行う小型幻魔の討伐とそれに伴う集団での戦闘訓練です。今回はゲート密集地、旧神楽乃町で鎮静化つつあったゲートが再出現してきたので、授業含みでこの地域が管轄の自分たち特派が討伐隊として現場に向かっています」
『そうだ。君達はこれから授業として幻魔討伐のため旧神楽乃町に行く。一年生は必ず履修しなければならない派遣授業ってことは君達はわかってると思うけど。じゃあ護見。授業に行く事になった原因のひとつ、ゲートについて復唱』
「……えっと。了解、ゲートとは、そのままの意味、世界を繋ぐ門です。旧暦以前から伝承などで確認はされていましたが、近代になって出現が確再認され、存在が立証されました。しかし、何故ゲートが現れたのか、その実態は未だ解明されず世界は困っています。そして、ゲートがもたらしたモノ。幻魔は人類の脅威になりました」
『そうだ。君達は今から人類に害なす幻魔を討伐しに行くわけだが。じゃあなんで、君達のような高校生、しかも、定時制学生が討伐に行くことになっているのか、現状確認ってことで、護見もっかい』
「了解。それは、定時制高校に特別履修生徒派、略して特派が置かれているからです。特派は、全国の定時制高校に設置されており、それぞれに担当地域というものを持っていて、それは、その地域に出現する幻魔の討伐が目的であり、生活圏の防衛、神社の守護が使命とあります。故に特派は、その地域を護る者、サムライと呼ばれています」
復唱を終え護見は席に座る。テレビに映る担任は手に持つバインダーに記帳をして、こちらに向いた。
『的確でした。と、今の護見の言葉で各自改めての覚悟はついたかな?今回は話にもあった通り戦闘授業だ。幻魔について、資料などで各自確認していると思うが、そうだなあ。次は木崎。復唱。今回、お前達はナニと戦う?留学生付きになって浮かれてないんなら。復唱』
◆
木崎、と名指しをされた少年は表情があまりでない顔で、胸の内では心拍数を上げていた。彼にとって立ってする説明というのは馴れていないものだった。
俺かよ。
ふう、と肺の空気を入れ換える。だが、動悸は収まらない。
しかし、ここで黙っていてはなにも進まないし、多分、点数を引かれる可能性がある。特に担任の場合は体育会系というのもあってか、気に食わなければ即座に切り捨てる。担任のバインダーには生徒の評価が事細く記されていた。先の護見は点数ををもらえただろうか。
まあ、いつもどうりやるんだ。木崎はそう自分に言い聞かせた。過去に身に付けた自己暗示。
そうして、ゆっくりとした動きで彼は立ち上がる。
思い出すのは昨夜一夜漬け程度に見たハードカバーの重厚な幻魔の資料だ。その中の一編。あまり動こうとしない口を木崎は動かしていく。
「了解、討伐対象の幻魔とは、ゲートより現出する異世界の生物です。その姿があまりにも小説や漫画に登場する魔物などに似通っていることから、総じて幻魔と呼称される異生物ですが、その実態はゲート同様解明はされていません。そして、我々の主討伐幻魔はオルクスとドランゲルです」
一息を入れ、
「今回は集団戦闘、群れとの戦闘です。危険性は普通にあると思います。単独で出しゃばることはないように、だったと」
オルクスとドランゲル。どちらとも群れを成して行動する群衆生物だ。この二種類の幻魔の場合、オルクスは基本的に長を置いて行動する幻魔ではない。その理由は獰猛な性格だと資料にはある。体格は軽自動車と同等。そして、体格に似合わない俊敏な動きを見せる。
反対にドランゲルは長を置く。ロートドランゲルである。特徴的な二対の赤い触角を伸ばし、体格もドランゲルより一回り大きい。オルクスほどではないが、成人男性並みの体格で俊敏に動く様は脅威だ。司令塔として群れのドランゲルを使役する。正面から戦えば消耗戦となってこちら側が不利になるだろう。
『うん、了解。端的で的を射た説明だったな。だが言うことを言えばいいってもんじゃない、もっと幅を利かせろ。君は経験者の筈だろ?たく、留学生付きになって浮かれてしまったことにしておいてやる』
記帳を終え担任の男は言う。
『よろしいか?
君達はこれから怪我じゃ済まない事をするということをちゃんと確認しておけよ。これは普通の授業とは違う。特派だからこその授業だ。中には、嫌々この授業に参加しているものもいるだろうが、そう思うのなら、今の自分がここにいるのかをもう一度確認してみろ。
学生である期間は短い。三年が四年であろうともだ。
定時制に入ったことを後悔しないためにも初の実戦授業。頑張ってきなさい』
「……」
『健闘を祈ります。ショートはこれでお仕舞いです。では各自、先生に心配を掛けないように成績を上げてください。週番』
週番の女生徒が言う。
「礼」
「有り難う御座いました」
一連の動作が終わりアナログテレビはシャットアウトされる。一室は徐々に元の騒がしさに戻っていった。
◆
◆
元の騒がしさを取り戻した一室。三列目左の窓側に座る少女が周りを見渡していた。
その目には好奇の色が映っている。
「皆スゴいですね。今から戦うっていうのに。なんだか、楽しんでるっていうか。旬君はどうなんですか?」
周りの騒がしいとも言える会話を聞きながら少女は少年、木崎に問いかけていた。驚くほどではないだろうと木崎は思いつつ少女に応える。
「みんな、今までは模擬戦ばっかりで実戦にいくのはこれが最初だからはりきってるですよ。それに、移動授業はテンション上がるものですからね」
「ふふっ、そうですね。みんなで行くことはあまりないですからね。みんな、いつもより元気だ」
由依の言う通り車内の中には若い生命力に溢れた少年少女の活気が満ちていた。まるで、心に少しでも芽生えだした恐怖と疑心と緊張を無くすためにいつも以上に友人と接点を取ろうとしているようにも見える。
「アイドルのコンサート前だってこんな感じでしょ?風見さんだって随分楽しそうじゃん」
「え?う~ん、そんなことないですよ。私は緊張してますよ。だってこれが旬君とパートナーになって初めての授業なんですもん。でも、確かにコンサート前もこんな感じだ」
何気ない遣り取り。普通の仲の良い友達が会話をしている光景。だが、この二人には違いがある。それは、片方はただの一般人で片方は芸能人であることだった。一般人は木崎・旬。芸能人は風見・由依だった。
◆
そして、もう一方にも違いを持った三人がいた。
「違いますよ。まりあの戯言に惑わされないでくださいシン。まりあ、今度シンにいったら」
「あん、はいはいわかってますからみなるん。でも、いちおうウソじゃないよね。だってこの前」
「コラ!まりあ!」
「よして下さいよ二人とも」
取っ組み合いに言い争いをするポニーテイルの少女とツインテイルの少女を止める少年。ポニーテイルの少女はマサムネ大宗・美奈。ツインテイルの少女は尾道・まりあ。そして、止める少年は護見・心。同じように違いを持った三人だ。
三人を見ながら由依は笑いながら言った。
「みなるんとまりあ。もう仲よなってはりますね。護見君がおもろいわ」
「護見は受け身だから。振り回されるだろうな二人に」
あ、言えてはりますねそれ、と由依が応える。
特派の基本年齢は十代後半が多数を占める。その中で彼女達の存在は異質なようで溶け込むことは容易だった。隣で三人を見て笑っている彼女の表情はいつもテレビで見るそれとなんら変わらないものになっている。
この状況を見ながら木崎は思った。
こんな外と隔絶されたような一室で、どこにでもある一教室の騒がしい中で、何故三人もの一般人ではない芸能人それもアイドルがいるのか、と。
企画で来たといっていたか。
まだ、由依達から詳しいことは聞いていない。
だが、分かり切っていることはあった。彼女たちは自分の意志でここに来たということ。これもつい先日聞いたばかりなのだが。
そして木崎と由依はパートナーになった。
留学生付き。
特派系授業では必ず供に行動をしなければならない。悪い事じゃないと木崎は思う。アイドルと会うことなんてそうそうあることじゃない。多分護見も同じ気分なのだろうな。両手に華だし。ファンに見られたら殺されるな。
「ああ、そういえば。風見さん、ヴァルハラ、もう入りました?」
「うん、入りましたよ。登録のところがちょっと面倒やったけど。でも、スゴいですねあんなおっきいチャット場、今まで知りませんでしたよ」
「気に入ってくれましたか。じゃあ一応」
そう言って木崎は黒い携帯を取りだした。
馴れた動きでケータイサイトを開く。
すると、ヴァルハラと書かれたサイト名を中心にSDキャラクターが画面上を漫画の吹き出しに言葉を記しながら縦横無尽に闊歩している光景があった。
ヴァルハラ。特派が運営するチャット場。情報交換の場であり、特派が設置されている学校間のコミュニティツールとして使用されている。
マイルームと表示されたタッチポイントを侍風のキャラクターが刀を使ってタッチした。すると奥行きのある日本庭園が画面に広がった。
隣で見ていた由依が身体を乗り出して木崎の手元を見てきた。
柔らかい感触が腕に当たる。
………平常心、平常心!!
「わあ凄い。マイルーム、こんなんも出来るんですか?私のマイルーム、まだ初期設定のままなんでシンプルなんですよね。……私はどんなのにしようかな」
「……風見さんにも似合うやつはあると思うよ。ところでさ、風見さんはアバター、どういうのにしたの?」
「はい。私はですね」
そう言って由依は赤いケータイを取りだして同じようにヴァルハラに入った。
「この娘です」
自慢の娘を紹介するように、由依は満面の笑顔でケータイを木崎に見せた。
甲冑にも似た赤いドレスを着たポニーテイルのキャラクター。それを見て木崎は気付いた。
自分にとっても思い入れのあるそれは、
「ああ、これって、ラグナロクの」
え、と由依は一瞬驚いた表情を見せると、途端に笑顔を咲かせて、木崎に言った。
「はい!私が選抜になって着た思い出の衣装なので。もしかして見てくれてはったんですか?」
ああうんまあ、と木崎は曖昧に応える。
「ホンマですか?!嬉しい!有り難う御座います!」
語尾の強い由依の京都弁が響く。そして、携帯を操作しながら由依が言った。
「あのこれ。私のアバターのアドレスです。あの、登録してくれはりますか?それと旬君のアドレスも教えて欲しいです」
アバターがアドレスを掲げているのを見て木崎はふっと笑った。
そして、先を越されたなと思いながら、彼女にアドレスを送る。
「送ったから確認よろしく」
はい、と由依は頷いてアドレスを送ってきた。そして登録したのを確認すると由依は柔らかい笑顔で笑って、
「これで私たち、ヴァル友ですね」
そう言った。
「メール、一杯送りますからね」
と、由依がそう言った直後、一室に一際大きい揺れが生じた。
全体に震えるような揺れだった。例えるなら何かが上から飛んできたような揺れ。
「射程圏に入ったか、風見さん。降りる準備しておいて下さい。多分、俺たちが先行していくと思うんで」
「……はい。分かりました」
緊張した顔で由依が頷く。うん、と木崎は由依に頷きを送り、護見にも声を送った。
「護見。行こう」
「……了解。二人も」
その時、また揺れが起きた。今度は連続で三発の揺れ。一室の中にどよめきが起きる。
その中で木崎が声を張り上げた。
「注目!みんな。さっきのはいつも通りの授業のチャイムが鳴ったようなもんだ。焦らず、隣のやつのことを確認して、次のアクションが起きるまで待て」
「俺たち、留学生持ちが先行して行くから、後は今までの授業通り、やるぞ」
一瞬の沈黙の後、誰かがおう!と答えた。続くようにして他の皆が了解と声を上げていく。半年という期間でこのクラスの人間関係は全体が団結するまでに至っていた。
そして五人の男女が動き出した。
先頭として動くのは紺色のジャージを着た長身の少年、護見だ。彼は右手に小さい先端の尖った棒を持って車両の中心に向かっていく。その後に続くのは同じ紺色のジャージを着た長身の眼鏡の少年、木崎だ。彼は右手に黒漆の刀を持って先を行く護見に続いていく。
「よくここまでまとまったなウチのクラス。模擬戦ばっかで実践経験ゼロなのに、叫ぶやつが一人もいない。女子の一人くらい別にいいと思うんだが」
「覚悟を決めた、んだろ」
「これもおまえの指導の成果か?木崎」
「違うさ。元々の心の強さの問題だ。一年の参加は義務だが、休まず戦場に来てるってことは誓いを立てた覚悟があるんだろ」
二人が中央に辿り着いた。その直後、車内の中心部、その上面が開いた。
「よし、行くか。確認だけど、上に上がってまず、刺さってるだろうヤツの排除。そして、先駆けとして先陣を切る」
ハッチが開くことで生まれた風を感じながら木崎は護見に言った。ハッチの先の赤い空を見て護見は言った。
「了解。三発は必ず入った。後続のために俺たちで先陣を切ろうか」
そうだな、と木崎は言ってその場で軽く飛び跳ねだした。そうして、
「先行くぞ」
開けた空に跳んだ。跳躍は音を付属させるのみで後には何も残らない。
残された護見はあとに立っている三人の少女を見て同様に軽く身体を揺すって見せた。
「三人も後に続いて下さい。跳ぶっていうのを意識して跳んでみて」
護見は跳んだ。
「よし。行くよ。みなるん、まりあ」
三人の中で最初に動いたのは由依だった。
そして三人の少女が中心に向かっていく。小走りで行く中、他の生徒たちに声を掛けられた。応援の声は少女たちに力を与える。
がんばれー!
いってらっしゃい!
まけるなよ!
なぜなら、その応援の声がアイドルではなく、クラスメイトの友人に掛ける応援に感じられたからだ。
ただの応援が少女たちに勇気をかける。
「ありがとお!!頑張ってきます!」
少女たちはステップを踏む。まるでダンスをするように三連続の跳躍が空に向かって走った。
赤い空の下、装甲バス甲板上で護見は空を飛ぶ黒い影を見た。黒い影が自分めがけて飛んでくるのを確認し、護見は行動を取る。それは右手に持った先端の尖った棒を鑓へと変形することから始まった。棒の中心部、握りやすいように加工されたグリップを強く握る。
そして、棒が鑓に変わる。
伸縮機構で三倍の長さになった鑓を護見は右手を上に左手を支えのようにして鑓の石突きに添える。
黒の影が護見までの距離を3メートルに詰めた。
「集中」
目を閉じ、深く深呼吸。護見は黒い影の到来をただ待った。そう、ただ待てばいい。攻める必要はない。
「一撃で終わる」
そして、黒い影との距離が2メートルを詰めた時黒い影がその形状を変えた。それは全体を棘状へと変えることだった。一気に黒い影との距離が詰まる。そこで初めて護見は動く。
前方の三体の黒い影を注視しながらも木崎は護見の動きを見ていた。
努めて自分からは前へ出ない。そして自分の射程には入れば即座に仕留める。鑓という武器とその内に秘めた力によるスタイル。
だが一瞬の違いで致命傷を受けかねないのもこのスタイルの特徴だ。
しかし護見からは恐怖というものは微塵にも感じられない。
護見は自信に満ちた眼をしていた。
と、視線を遮るものが現れる。それは前後からのものだった。前からは黒い影が、後ろからは三人の小柄な人影が現れた。
やっぱり、素質はあるということか、と木崎は感嘆し逆に当然かと思う。
三人の少女がその身体には不釣り合いな物を持って立っていた。
一人は少女の上半身程の長さのあるアサルトライフルを持って、
一人は先程と同様の全長を持ったライフルに重厚なオプションを装備した対物ライフルを持って、
そしてもう一人は一本の鉄棒をそのまま加工したようなしかし柔軟なしなりを持って弦を張った大弓を持って。美奈とまりあと由依だ。
由依が木崎に気づき声を掛ける。
「あ、旬君。上手く此処まで来れましたよ」
そしてまりあと美奈も護見に気づき声を掛けた。
「あ、みなるん。シンだ」
「邪魔しちゃ駄目よ」
三人にも緊張が伝わったのだろう黙ったままその場から動こうとしない。その事を何か安心のように感じて木崎は前を見た。
黒い影が距離を詰めていた。そして、沈黙をしたまま刺さる黒い影。
木崎は腰の一刀に手を掛けた。左手で鞘の金属の冷たさを感じて右手を添えるように柄に置く。
「っぅー」
深い深呼吸で肺の空気を全て抜きゆっくりと新しい空気を肺に入れる。五月の空気はまだ寒さを感じる。その寒さを身の引き締めとして木崎は身構える。それはまるで徒競走でもするかのように腰を少し落とした姿勢だった。目を閉じる。感じるのは上空から迫り来る黒い影だ。一定の速度を保ってくる影は二体。平行して迫り来る。後少しで此方と接触するだろう。丁度良いのは中間点。そして、中間点には三体の黒い影。
「……、」
上空と前方の黒い影がその大きさと形状を変えた。
木崎は走り出した。一歩一歩を確かめるように踵から踏んでいく。速さは要らない。ただ少し距離を詰めればいい。護見と違って木崎の戦い方は攻めの一手だった。
そして五歩目、バネのように右足を重心に、
「…!!」
木崎は前に跳んだ。バスに水平な跳躍、黒い影に迫る。その姿はまるで銅鉄のドレスに身を包んだ童子。それが、あらゆる箇所から銅鉄の棘を突き出して童子というイメージを崩している。ドルンレース。幻魔と呼ばれるモンスターの一体だった。
これが両者の最後の邂逅だった。
「…ふっ!」
柄を強く握り鞘を握る手を鍔止めに添わせ鞘から刀を外す。一瞬にして鞘から煙が噴出された。圧縮した空気によって刃を飛ばす。空圧式刃噴出機構。圧縮した空気を爆発の術式によって一気に開放する。
「届け、圧閃!!」
その時、ドルンレースの攻撃も放たれた。三体の棘の雨。当たれば串刺しだ。しかし、
「遅い!」
それよりも先に木崎の剣撃は行った。
甲高い音を立て一閃が棘を砕き、ドルンレースを斬った。
黒い塵となってドルンレースが散る。
そして、木崎は飛んだ。その時、刀を納刀。
もう一度、一閃が行く。
赤い雲の架かった空。前面から来る風に髪を靡かせながら由依は空を見ていた。空には少年がいた。自分よりも少し歳の小さい少年。
木崎・旬。
木崎は今自分よりも高い位置にいる。
「凄い。あんなに高く」
見守る視線上で木崎が黒い影に近付く。息を呑む由依は木崎が放つ閃きを見た。鋭い金属の高い音が鳴る。
「うあ!」
そして同時と言える瞬間にその横で爆発とも言える撃徹音が響いていた。
「うあっ!」
「スゴ!」
美奈とまりあも同じように声を漏らした。
グリップを握る手を護見は軽く緩める。迫る影はもう目の前だ。
「……いくぞ」
高速の動きが始まる。擦るようにして甲板に足場を固定する。踏ん張るようにして固定した足場を重心に護見は身構える。そして射程圏に入った影に護見は第一の射撃を行う。石突きに添わせた手をしょうていの要領で前に押し出す。
「ふっ!」
鑓が直撃する。金属と肉を断つ感覚を得ながら護見は第二の射撃を行う。グリップに手を当てて強く握る。
「射出!!」
声の後に爆発の音が続いた。鎗刃がアンカーのように射出されたのだ。鎗刃がドルンレースを貫くのを確認し、
「戻鑓!!」
直ぐさま声を合図とするように鎗刃が引き戻る。第三の射撃が行われた。三連の射撃。
「払鎗!!」
元の状態に戻った鑓を護見は力任せに振り払う。しなりを得て薙払われた黒い影は両断され宙を舞って散った。そして同時、護見視線上では空を駆ける木崎が二体の黒い影を両断する姿があった。護見の口から笑いが起きた。
「本当、あいつは凄いな」
赤い空の下、刀持ちの少年が降り立つ。
木崎は身に入った力を抜くように深呼吸をした。
赤い空の甲板上、三色の装甲バスは制御を乱された正常とは言えない運行をしている。特に彼の乗る青色の装甲バスとその左を行く赤の装甲バスに乱れは大きく生じていた。理由は木崎にもそして他の四人にも明確に見て取れた。先の東の方から飛んで来たドルンレースが甲板に突き刺さり甲板を制圧しようとしていたのだ。
赤の装甲バスにも先陣が出場してきており、迎撃は始まっていた。
「第二陣来るぞ!!」
護見が叫ぶ。鉄を穿つ音を響かせて装甲を割って刺さったのはバスの先端だった。
「第二陣が来たか」
その時木崎にはある表情が見えた。降り刺さり数秒、低重な男の悲鳴が聞こえたのだ。
「やられたか!」
木崎から悲痛な言葉が漏れた。ドルンレースの落下地点。装甲バスの前部には運転席がある。そこから声が聞こえた。苦悶の声だ。つまりは、いまこのトラックの制御は失われつつある。
ち、と木崎は舌打ちを打つ。
「大丈夫です。旬君」
「え?」
後ろから聞き慣れた声がした。由依の声だった。
由依が木崎の肩に触れる。彼女は肩に触れたまま木崎の隣に立ちその笑顔を彼に見せ、
「次は私達の番です!みなるん、まりあ!」
由依の声を合図に後方から二つの動きが生まれた。最初の動きは美奈だった。彼女は手持ちのライフルを使うのではなくジャージから出した白いフリスビーのような物を出した。
それは重戦機級車両の運行を妨げるために使用される、対戦車爆雷。
「いっきますよー!」
一回転。フリスビーの要領で投擲する。それを合図としてまりあが動いた。瞬発的な動きに木崎は目を奪われた。無駄な動きなくまりあは身を低く固定し彼女の身長と同等のライフルを構える。彼女の目にはオプションとして取り付けてあるスコープ越しに回転する対戦車爆雷が見えている。
「見てて下さいよシン!!」
美奈の手から対戦車爆雷が放たれてから一瞬の出来事だった。彼女たちの瞬発的な動きに護見は目を奪われた。段取りを事前にしていたかのような動き。
対戦車爆雷は軌道をドルンレースに向かっていく。ドルンレースの射程圏ギリギリで射撃音が響いた。まりあのライフルから一発の弾丸が発射され爆雷は爆ぜた雷をドルンレースに落とした。爆風が甲板上を洗う。だが爆風の熱を受けるのはそれを無防備に食らったドルンレースだけだ。木崎たちは爆風を受けることはない。弾丸が発射され爆雷が弾ける直前、由依の手から放たれる物があった。防御の術式を織り込んだ術式布。
「これで大丈夫」
百合の紋様を翼が固定、そして彼女の名、風見・由依と書かれた紋章が中央に展開。布の大きさの紋章は一気に五人を覆う大きさになり翠の色が包む。防御の術式としては中級レベルの防御力。爆炎と爆風は紋章に当たると同時水の流れのように左右へと流れていって空へと昇華される。数秒の後に全ての炎は昇華された。黒く焼け焦げた甲板上には一体のドルンレースの死骸があった。焼けた灰のようにドルンレースが散っていく。
「普通は爆発でも目立ったダメージは与えられない筈、どういう仕掛けを?」
美奈が一歩前に出る。
「簡単ですよ。爆発を増すために爆発連鎖の術式を織り込んだ粘土を爆雷に付けたんです。効果は中級レベルなんで三倍くらいです」
胸を突き出した姿勢は自分の手柄だと主張しているかのようだ。
「でも私たちのアシストが無かったら成立しなかったんですよ?」
そうなんですよと由依が二人に駆け寄る。
「どうでしたか?旬君。これが私達チームまゆなの実力です!」
ふっと三人が笑うのを木崎は見た。互いに支え合い連携し勝ち取った成果があった。
だが喜びを分かち合う三人をその場でじっと見ている暇はなく、またそれにいち早く気付いた護見も同じく動こうとした木崎にもそれは突然だった。獣の咆哮がこだまする。身体を押しつぶすような砲声。例えるならそれは虎に似た叫びだ。
「どういうことだ!?」
護見は疑問した。聞いたことのない音だったからだ。全身をくまなく包み込むように潰しにかかる音の方角を護見は捉える。バスが向かう目的地に一頭の獣がいた。
「ドルドンナーだよなあれ極東にいないはずだろ?」
ドルドンナー。幻魔の中で上位に位置付けられる雷獣と呼ばれる幻魔。主な出現地域は黄州や秦東のはず、だがここは極東だ。
「出現地域の幅が広がったのか、極東じゃせいぜい小物か飛龍くらいだったのに。幻魔の考えることはわからんな」
三人の少女たちから不安の声が聞こえた。頼りにしていた護見から焦燥ともとれる声が漏れたのだ。特にまりあと美奈には大きかった。いつも冷静で時々こちらがふざけたとき困った顔はするけれどのりよく付き合ってくれる少し年下の少年。新しい一面を知れたことに嬉しさは感じるけれど、今の状況への不安の方が大きかった。
「大丈夫だよね?シン」
美奈が言った。
「………」
だが、答えは返ってこない。
「旬君は、大丈夫ですよね?」
由依が堪らずに言った。美奈とまりあと同じように由依にとって木崎は頼りにしているパートナーだ。
由依は聞かずにはいられなかった。
「旬君」
答えは、返ってきた。
「大丈夫ですよ。俺たちなら出来ますよ」
「旬君」
頼るべき木崎の返答。由依は、返ってきたことが嬉しくもあったが、年上として、木崎の言葉に心配を覚えた。頼れることは嬉しいが、ここでの盲信はいけない。
「旬君。どうしてそんなことが言えるんですか?」
「俺は、みんなの力を信じてるんで」
「その言葉で納得するのは、ちょっと無理があるぞ」
「無理でも信じてくれ」
木崎の言葉に皆が黙る。
「ここで停滞していたら、どのみちやられる。先陣を切るのは留学生持ちの仕事だ。ヤツを俺たちで引き付ける」
「……わかった。今は信じる」
「ありがとう。下に連絡した後、ここから離脱するぞ」
「了解」