僕と彼女
レンガの小道に、残酷な音が響く。
肉が裂け、血の滴る音。
今夜もまた一人、犠牲者が出た。
閑静な田舎町ロダンで起こる連続猟奇的殺人事件。今日の犠牲者は、この事件に命をかけていた刑事だった。
彼の名はジョンソン・パルコ。妻を流行病で亡くし、十八歳になる息子と二人で暮らしていた。しかし、もう息子の元に帰ることは出来ない。
一体誰が、このような残酷なことをするのだろうか…。
1話 血まみれの親父
俺の家に親父の同僚の刑事がやってきたのは、街が寝静まった頃だった。
突然家の戸を乱暴に叩かれ、俺は警戒しながらロックを外した。
そこには青い顔をしたショーン刑事が立っていた。
「真夜中に申し訳ない。」
ショーン刑事は俺に頭を下げた。俺は目をこすりながら「いいえ」と簡単な返事を返した。しかし、ショーン刑事の次の言葉で、俺の目は覚めきってしまう。
「親父さんがやられた。すぐに来てくれ。」
俺は、顔から血の気が引いていくのが分かった。すぐに俺はコートを羽織、ショーン刑事が乗ってきた車に飛び乗った。
車のエンジン音が、音のない街に異常に響き渡った。
俺は病院ではなく、警察署に案内された。その時点で親父はもう生きてはいないというのが分かった。
警察署の地下に降り、ある寒い部屋へ通される。戸には「死体安置室」の看板が掛かっている。
中には、死体が一体。中央のステンレスの台に寝かされている。死体には青いシートが掛けられていて、その死体が誰の死体かが分からないようになっている。
「親父さんは勇敢に戦った。でも、あまりにも惨すぎてアンに会わせなきゃいけないのに気が引けるんだ。」
ショーン刑事は俺の肩を叩いた。それが合図だと感じた俺は一度大きく頷き、死体の青いシートを取った。
途端に俺の胃から何かがこみ上げてくるのが分かった。口の中に耐えられない苦みが一気に広がる。その瞬間、俺は床に嘔吐していた。
親父は、下半身がなく顔も半分なくなっていた。残った半分の顔は恐怖と痛みで歪んでいる。眼球は見開かれ、自分が逮捕するはずだった犯人を捉えていたのだろうと察しがつく。手には拳銃が握られているが、その拳銃の銃口は不自然に折れ曲がっていた。俺は、親父の最期の姿を直視出来なかった。
「一応、親族に確認をしてもらわなきゃいけないんだ。この方はジョンソン・パルコ刑事で間違いないね?」
ショーン刑事は優しい口調で俺に問いかける。俺は汚れた口元を袖で拭うと、頷いた。言葉を発したら、また今日の夕飯がこみ上げてきそうだったから。
その後俺は、ショーン刑事に家まで送ってもらった。親父が死んでひとりぼっちになってしまった寂しさは、その後から津波のようにやってきた。母さんが死んだとき俺はまだ小さかったから覚えていないが、親父と二人で暮らしていたこの家が、面積の何倍も大きく空っぽに感じられた。
涙は出てこなかった。親父はいつも言っていた。「俺が死んでも一人で生きていけるようにしておくんだ」と。親父は自分の死を覚悟していた。だから俺も親父が死ぬのを心の片隅で覚悟していたんだと思う。
次の日、ショーン刑事が家に来て親父の葬儀の手続きに同行してくれた。
葬儀は警察署と合同で行われ、人情に熱かった親父の最期にはたくさんの人が訪れた。俺は知らない人ばかりだったが俺の顔が親父に似ているせいか、俺を見つけるとみんな俺に声をかけていった。
そして親父は、母さんが眠っている墓の隣で、一生の眠りについた。
葬儀が終わり、参列者も墓から遠ざかりはじめたとき俺は一人の少女を見つけた。その少女は、参列者と同じ真っ黒のワンピースを着て、白いバラを一輪持っている。しかし、親父の墓には近づこうとせず、遠く離れた木の陰に隠れている。
少女は今にも泣き出しそうな表情をしていた。整った顔立ちが、悲痛な悲しみで歪んでいる。俺は居ても立ってもいられなくなり、少女に声を掛けた。
「君も親父と最期の別れをしに来てくれたの?」
俺は少女を怖がらせないよう慎重に言葉を選んだ。少女は一瞬驚いた表情をしたが、すぐに口元をほころばせた。
「私、彼に会う資格なんてないの。」
少女は残念そうに言った。
「でも、親父を見送りに来てくれたんだよね?」
俺は食い下がる。何故か俺はこの少女を見放すことが出来なかった。
「そうよ。でも、彼は私のこと覚えていないだろうし。」
少女は俺の手に白いバラを握らせた。
「私の代わりに彼に渡して頂戴。」
可愛らしい笑みを浮かべ、少女は俺の手を握る。こんな状況なのに俺は顔が火照るのを感じた。
少女は俺に背を向け歩き出す。俺はそんな少女に何故か声を掛けた。
「あの!」
少女は振り向き、小首を傾げる。当然だ。俺が少女に声を掛ける理由なんて本当はあるはずないのだから。
「名前、聞いてもいいかな?」
勢いで俺は尋ねた。そして、自分が名乗っていないことに気づき慌てて言葉を付け足す。
「俺はアイリーン。アイリーン・パルコ。」
すると少女は安心したのか、にっこりと笑った。
「リッシュ・ドロフよ。アイリーン。」
一瞬強い風が吹いた。その風は少女の顔にかかっている長いさらさらの金髪をなびかせる。すると、少女の小さく綺麗な顔立ちには不釣り合いの黒く大きな眼帯があった。
そして少女は今度こそ俺の前から姿を消した。俺は不思議な響きの少女の名前と、あの眼帯の施された顔を頭の中で何回も反芻していた。
「おーい!アン!」
後ろから声を掛けられ、俺は我に帰った。ショーン刑事が大きく手を振っている。
「探したぞ、アン。」
「ごめん、ショーン刑事。」
俺は走ってショーン刑事の所へ向かった。
ショーン刑事に車で送ってもらうことになり、俺はショーン刑事と警察のパトカーに乗り込んだ。
「アン。さっき話してた女の子、知り合いか?」
突然そんなことを聞かれたものだから、俺はあのときの自分を思い出してまた顔が熱くなった。
「いや、親父の見送りに来てくれたみたいなんだけど…。」
そして俺は少女に握らされた白いバラを見つめた。
「親父に渡してくれって。」
ショーン刑事にバラを見せる。ショーン刑事はバラには興味がなさそうにじっと考えこんでいる。
「ショーン刑事?」
心配になって俺が声を掛けると、ショーン刑事は独り言のように呟いた。
「あの子、どこかで見たことあるような…。」
あんなに綺麗な女の子はそうそういない。ショーン刑事はどこであの子を見かけたんだろうと、俺はショーン刑事が考え込んでいる表情をじっと見つめた。