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百夜一夜物語(短編百篇企画)  作者: 矢久 勝基


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007スローライフ

四題

隠居、パンをこねる、世界を滅ぼす脅威、スローライフ

 わたしはいつもパンを作る。

 ボールの中で強力粉を混ぜ、塩に佐藤、ドライイーストを入れて水を足す。

 この時にドライイーストと佐藤が始めに混ざるようにすると、佐藤がドライイーストの発酵を促してくれるので吉。

 そして粉でぼそぼそしたパンの種をこねる、こねる、こねる!!

 途中で塩を混ぜながら、さらにこねる、こねる、こねる!!!

 こねてこねて、丸くて柔らかくなったら今度は台に向かって叩きつける、叩きつける、叩きつける!!

 そして、いくつかにちぎって皿に盛り、引きこもってるじーさんの部屋に行っておもむろにドアを開け、じーさんに向かって投げる、投げる、投げつける!!

「うぉーーーー!!」

 じーさん叫んでる。ちょっとウケる。


 わたしはまたパンを作る。

 ボールの中で強力粉を混ぜ、塩に佐藤、ドライイーストを入れて水を足す。

 この時にドライイーストと佐藤が始めに混ざるようにすると、佐藤がドライイーストの発酵を促してくれるので吉。

 そして粉でぼそぼそしたパンの種をこねる、こねる、こねる!!

 途中で塩を混ぜながら、さらにこねる、こねる、こねる!!!

 こねてこねて、丸くて柔らかくなったら今度は台に向かって叩きつける、叩きつける、叩きつける!!

 そして、いくつかにちぎって皿に盛り、別の部屋で引きこもってるばーさんのところに行っておもむろにドアを開け、それをまた投げる、投げる、投げつける!!

「うぁーーーーん!!」

 ばーさん叫んでる。よほどうれしいらしい。


 そういう、平穏な日々を過ごしている。

 そんなわたしの元に、ある日訪ねてきた人がいた。刑事のようで、玄関を開けるなりこれ見よがしに警察手帳を見せてくる。

「少しお話を伺ってもよろしいですか」

「はい、なんでしょう」

 いかつい顔の刑事だ。すべての嘘を見抜く目をこちらに向けて、わたしをスキャンするように眼球をうえ、した、うえと動かすと、「最近、何か変わったことはありませんか」と言った。

「特にないです」

「なにか……こう、変な声とか聞いたりしませんか?」

「なにかあったんですか?」

「いや、お宅だけじゃなくて、この界隈で聞きまわっているんです。昼夜問わず、変な声が聞こえてくるとかで……」

「変な声?」

「うぉーーとかうぁーーんとか、なんかそんな声みたいなんですけど、聞いたことありませんか?」

「聞いてません」

「そうですか。お邪魔しました」

 素直に引き下がる刑事。わたしは微々、いやな気持になる。この平穏な日々を侵す魔の手がわたしの首筋に触れたような……。それが胸の辺りでもやもやとわだかまって心臓を揺らすような感覚にとらわれる。

 ため息一つ……それで気を取り直したわたしは鍵をきっちりと閉め、またキッチンへと向かう。苛立ちがよぎる時はパンを作るに限る。パンをこねていると、いろんなことを忘れることができるのだ。

 こねて、こねて、こねて……一心不乱にこねていると、いやなこともすべて……こねるほどに消えていく粉に交じって消えていく感じがする。

 徹底的にこねると、始めは「うわーーー!」とか言ってた佐藤もおとなしくなっていくのだから、彼も癒されているのだと思う。

 そして、できた種をいくつかにちぎって皿に盛り、引きこもってるじーさんの部屋に行って、おもむろにドアを開け、じーさんに向かって投げる、投げる、投げつける!!

「うぉーーーー!!」


 再びチャイムの音がした。開けると先ほどの刑事だ。

「やはり、変な声がしませんか?」

「いえ、特に聞こえません」

「おかしいなぁ……。なんかねぇ、この周辺を歩いてるとなんか僕の耳にすら聞こえるような気がするんですよね」

「わたしは聞こえません」

「そうですか。いや、たびたびすみません。お邪魔をいたしました」

 またおとなしく引き下がる。全く訳が分からない。いいから闇の奥底に消えてほしい。

 とにかく、わたしの、この平穏で穏やかで慎ましい生活のリズムを崩さないでほしいのだ。最近はそれでなくとも闇バイトとかが無理やり民家に押し入って強盗を働くという。ウチのようななんの防衛力もない世帯にとって、そういう事実があるだけでもストレスだというのに、またぞろ訳の分からない件で訳の分からない刑事にうろうろされると、それだけでもやもやしてしまう。

 とりあえずパンをこねて落ち着こうと思い、強力粉をボウルに入れた。

 そういえば佐藤が足りなくなってきた気もする。まぁ、世の中で一番多いのは佐藤だから、足りなくなればまたどこかで探せばいいのだが、あまり蓄えが多いと虫が湧くかなとも思ったり。……難しいところだ。

 ピンポーーン

 チャイムが鳴った。今日はどうしてこんなに鳴るのか。

 理由は明白だった。

「また来てしまいました。すみません」

 ピンポン押してるのが同じ人物だからだ。いい加減、苛立ちを表現してもいいと思う。

「あなた、ストーカーですか?」

「いやすみません。これも仕事でして……」

「ピンポン押すのが仕事ですか?」

「いやいやいやいや、一応僕警察なんで」

「それで、まだ何か」

「伺い忘れたことがあるんですが」

「なんでしょう」

「佐藤和己さんという方はご存じですか?」

「いえ、聞いたことはないです」

 即答できるくらい、知らない名だ。

「でしたか」

「その人に何かあったんですか?」

「実は数日前から失踪しておりまして……」

「それがわたしと関係ある……と?」

「あーいえいえ、そういうわけではないんですが、これも仕事でして……皆に聞きまわっている次第です」

「そうですか。でもわたしには関係ありません」

 すると刑事は懐から名刺を一枚とって差し出した。

「なにか気づいたことなどがあればいつでも連絡してください」

「わかりました」

 受け取ると、名前は佐藤省吾と書いてある。ちょうどいい。

 とりあえず見送って、わたしはキッチンに戻る。今日はあの刑事に邪魔されて時間を取られまくってる。これはもう、こねる前のこなこなのパンの種に謝るしかない。ごめんね。

 もやもやしたまま、これに水を足してまぜてまぜて、こねてこねてこねまくる。いやなことがある時はパンをこねるに限るのだ。何もかもから解き放たれて、激しい動作で身体が温まれば、気持ちも温かくなってくる。

 それをいくつかにちぎって皿に盛り、部屋で引きこもってるばーさんのところに行っておもむろにドアを開け、それをさらに強く投げる、投げる、投げつける!!

「うぁーーーーん!!」

 ……とても気持ちがいい。


 還暦を迎えて早数年。社会から隠居して第二の人生でじーさんばーさんを引き取った。

 四人兄弟の中でわたしだけが独り身だし、実家もらって家賃フリーとなれば、自由気ままのスローライフが営めるというものだ。

 じーさんもばーさんも部屋に引きこもったまま出てこないので、わたしの生活は特に干渉されることもなく、とても楽。パンをこねて焼きもしないでじーさんばーさんに投げつけていればストレスもすっ飛んでいくのだからこれほど気ままな老後もない。

 こねて、こねて、こねて!!

 投げる、投げる、投げつける!!

 もっともっと強く! もっともっともっと強く!!

「うぉーーーー!!」

「うあーーーーん!!」

 ピンポーン

「あの、申し訳ないんですが、一度お宅に上がらせていただくことはできないでしょうか」

「わたし、何か疑われてるんですか?」

「いえ、そういうわけではありません。ただ、気になることがありまして……」

 刑事はあくまで腰を低くして言った。

「もちろん任意です。断っていただいて結構なんですが、気になることがありまして……」

「気になること……?」

「いや、どうしてもこの家から声が聞こえるような気がするんですよ」

「はぁ。そりゃ生存者の存在する家ですから、声くらいは聞こえるでしょう」

「上がってもよろしいですか?」

「困ります」

「なぜですか」

「それは……」

 わたしは言いよどむ。刑事はその表情の変化を見逃さない。

「今は任意ですが、令状を取ってくることも可能ではあります。いらない容疑を晴らすためにも、ご協力いただければ幸いです」

「……」

 わたしの目が泳ぐ。警察にじーさんとばーさんの部屋を見られたら、どう思われるだろう。

 ……目の前で、わたしのスローライフが崩れていく気がして、暗澹たる気持ちとなった。


 刑事はわたしの沈黙に自信を深めたらしい。

「佐藤和己さんの失踪の件もあります。ぜひともご協力をお願いできませんでしょうか」

「そんな人知らないです」

「はい、まぁそれは……こちらが判断します。上がってもよろしいでしょうか」

 しつこい。これは本当に、無視しても令状を引っ提げて戻ってきそうな雰囲気だ。

 わたしは葛藤した。一度追い返してじーさんばーさんを何とかすべきか。

 しかしそれはさすがに困難だし、一度かわせば終わり……とも限らない。それならば、逆にこの人に……分かってもらうしかない。

「あの……」わたしは不鮮明に呟いた。

「ひとつだけ、約束してもらえませんか」

「なんでしょう」

「部屋を見ても……びっくりしないでください」

「それはどういう意味ですか?」

「部屋を見ても……誰にも何も言わないと約束してください」

「……それは……」

 場合によりますという言葉を飲み込んだことはすぐに分かった。それはそうだろう。でも……

「それを約束してくれるなら、……どうぞ」

 わたしは身を半分引いて玄関を通れるようにした。こうなったらイチかバチかだ。わたしは別に悪いことをしてるわけではない。じーさんとばーさんに焼いてもいないパンをひたすら投げつけているだけなのだ。

 刑事は、わたしの意外な申し入れに対し、しばらく躊躇していた様子だった。それでも覚悟を決めたらしい。「では……」と一礼して、家に足を踏み入れる。わたしも警察などを招き入れるのは初めてだったから心臓が高鳴った。

「ご案内いたしましょうか?」

「大丈夫です。必要な時は、つど伺います」

 刑事は廊下からリビング、そしてキッチンを見て回る。

「パンを焼こうとされてました?」

「はい。パンを焼くのが趣味でして」

「いいですね。僕もパンは好きです」

「焼くんですか?」

「いやぁ、食べる専属ですが」

「一つ食べてみます?」

「いいんですか? ……いやぁ、実は腹も減っていたんですよ」

「ではおかけになってお待ちください」

 じーさんばーさんに投げてるものは焼いてもいないけれど、自分が食べる分はしっかり焼いてある。理由は焼いた方がおいしいからだ。

 それを少々温めて、マグカップに紅茶を注ぐ。

 家宅捜索中(?)にこんな人いるのかしら……と自分で誘っておいて思う。ただ、この人にパンを食べてもらうことはわたしにとっても都合がよかったので、職務怠慢(?)にとやかくは言わない。それに……

 わたしは気づいている。コノヒトはわたしがキッチンに立っている間、わたしが視界から消えないかをずっと見ていた。ここで一服入れることも、十分に職務の中なのかもしれない。

 コノヒトにとっては、わたしはなにかのヨーギシャなのだ。それが分かるから気疲れするし、本心を言えば帰ってほしい。

 ……そんなことを思いつつ、白い皿に盛ったバターロールをテーブルに置いた。

「おいしそうだ」

「どうぞ」

 彼はまるまると膨らんだバターロールを手に取って頬張った。その顔がすぐにほころぶ。

「ああ、おいしいですね」

「よかった。隠居以来の趣味でして……」

「いい趣味ですよ」

 マグカップに口を近づけて一口すすり……。そしてしばらく、無言の時間が訪れた。

 わたしは何か聞きたいけれど、へんなこと言うとさらに怪しまれそうで何となく口が開けないでいる。コノヒトのくつろぎ具合に反比例して、わたしは落ち着かない。というか……

 逆に、その様を彼は窺っているようにも思える。変な目の動きはないか。しぐさに不自然な点はないか……。

「ずっとお一人ですか?」

「ええ……まぁ……」

「一人だと大変なことはありませんか」

 わたしは上を見上げ、

「蛍光灯が切れると、困ります」

「ああ、そうでしょうね」

「刑事さんは何の捜査ですか?」

 すると「ホントはあまり明かしちゃいけないんですが……」と笑い、

「先ほど述べた佐藤和己さんが失踪した件について、事件と想定して追っています」

「事件……」

「ただの家出ではなく、誘拐や監禁、殺害も視野に入れているということです」

「どうしてそう思うんですか?」

「捜査上の細かいことは言えない決まりになってるんで……スミマセン」

「あ、すみません。……でもわたしはこの通り、ただのおばさんですけど、そんなことができると思いますか?」

「そうですねぇ……」

「定年後の隠居生活を慎ましく生きているだけです。……刑事さんとかが来たりすると……やはり怖いです」

「それは本当に申し訳ないです。ただ、僕たちも可能性をすべて潰していかないとならないんですよ。事件って、海岸に埋もれた砂の一粒を見つけるようなものなんです。申し訳ありませんが、ご協力ください」

「……」

 結局、帰る気はないらしい。わたしも覚悟を決め、ティータイムを終えた彼を二階へと案内した。じーさんばーさんの部屋のある、二階へ……。

 わたしは彼を背中に感じながら階段を昇る。二階は短い廊下の左右と奥にドアが一つずつついている。

「こちらは……?」

「……」

 わたしが言い淀むと、刑事はすかさず「開けますね」と言い放った。

 左の部屋、じーさんのいる部屋のドアを開け放ち……

 ……刑事は、案の定、絶句する。

「これ……は……」

「お約束したはずです。びっくりしないでくださいと」

「どういうことですか?」

「わたしが引き取ったんです」

「……」

 刑事、そのまま立ちすくみ、部屋に入ることもままならない。

「なん……ですか? これは……」

「実はわたしも〝じーさん〟という名前しか聞いてないんです」

 それは、壁一面を覆うほどに巨大な毛むくじゃらの何かだった。

「このまま何をするでもなく、引きこもりっぱなしで大口を開けています」

「生活には何の支障もないのですか……?」

「はい。いるだけですから」

「……」

 目をぱちくりさせたまま、セサミストリートに出てくるクッキーモンスターみたいな青い毛むくじゃらを呆然と見上げている刑事。

「あの……誰から引き取ったんです?」

「ネットで、引き取り先を探してたんですよ」

 わたしはバスケットボールくらいの大きさを両手で作って、

「始めはこれくらいだったんですけど、食べさせたらこんなに大きくなっちゃって」

「で、これはなんなんですか」

「わたしも分かりません」

 G-3、B-3という何かの型番みたいな名前がついてたので、わたしはそれをそれぞれじーさん、ばーさんと呼ぶことにしている。と説明すると、

「……てか、それはジースリー、ビースリーと読むのでは……?」

「どう読むかまではわたしの勝手だと思います」

「まぁ確かに……」

 刑事はいかにも畑違いだという顔をして言った。

「……G-3とB-3っていうことは……これが二匹いるんですか……?」

「もう一人は向こうの部屋です」

「……」

 刑事、絶句。やや顔をひきつらせたまま、

「えっと……こんなモンスター……いえいえ、ペット……? ……何かの研究機関とかに、調査を依頼されようとは思わないんですか……?」

「そんなの駄目です!」

 わたしはつい、語気を強めてしまった。刑事は意外だったのだろう。わたしを見下ろして次の言葉を待っている。

 でもわたしにとって、ここが勝負所だ。じーさんを視界に入れたまま、言った。

「刑事さん。先ほども言いましたけど、この子のことは誰にも言わないでもらえませんか」

「え……」

「言いますか? だから……部屋を見せたくなかったんです……」

「スミマセン……」

 なんとなく謝ってきた刑事。そのスミマセンは意味が分からない。しかしなんとしても説得しなければならない。

「こんな動物……いないでしょう?」

「そうですね」

「ヘタに誰かに言ったら、いろんな理由をつけて連れていかれてしまうでしょう」

「確かに……」

 確かに……としか言いようがないイキモノだと、刑事も納得してくれた。

「定年してからの隠居生活……この子たちの他に何も楽しいことなんてないんです。別にわたしに対しても無害ですし、誰にも迷惑はかけていないと思います。だから、見逃してほしいんです」

「もしかして変な声というのは」

「変な声……?」

「『うぉーーー』とか『うぁーーーん』とか……」

「ああ……」

 わたしは一呼吸おいて、それに答える。

「鳴き声です」

「なぜ先ほどは、そんな声は聞いてないと言ったんですか?」

「いや、ですから……知られたくなかったんです。そもそも鳴き声で警察に苦情とかあったんですか?」

「いえ、そういうわけではないです。近隣の方からそういう情報は得たんですけど、苦情ではありません。それほど大きな声ではない、とのことですし、そもそも僕はそれを、別の悲鳴として受け取っておりました」

 失踪した佐藤なんちゃらが拷問されている声だとでも思ったんだろうか。まったく、人騒がせな佐藤なんちゃらのおかげでとんだ迷惑を被っている。

「この子たちを探しに来たのではないのですよね?」

「はいその通りです」

「失踪事件は、この子たちと関係ありますか?」

「一つだけ聞いていいですか?」

 切り返した彼はじーさんを見た。

「このイキモノは、何を食べるんですか?」

「パンです」

「パン……?」

「それも、焼く前でこねただけの、いわゆる種の状態が好きです」

「肉とかは食べないですか?」

「肉……?」

「たとえば……人肉とか……」

「食べるはずないでしょう。もしこの子たちが人肉を食べるなら、わたしなんてとっくに食べられてると思いません?」

「まぁ確かに……」

「疑うのでしたら、近づいてみればいいんじゃないですか?」

「え……」

 刑事の顔が、再びひきつった。

「まさかあなた、そうやって人をこの怪物の前に誘い込んで……」

「ええ!? そういう疑われ方をするとは思いませんでした!!」

 では……と、わたしが近づいてみる。毛むくじゃらの、頬っぺたの辺りを撫でてやった。

「食べませんよね?」

「あなたには慣れているとか!!」

「……」

 さすがに呆れる。

「どう言ったら信じてもらえますか。……ああ、じゃあ、わたしの隣にいらっしゃたらいかがです? さすがに刑事さんだけを捕まえて食べるようなことはできないと思いますけど」

「ちょっと怖いな……」

「手を繋いであげましょうか?」

「……」

 おそるおそる、刑事はわたしの隣にやってくる。が、じーさんのころころした目はまったく彼に興味を示さない。

「どうですか?」

「信じます」

「引き取った時に言われた通りにしてますので、焼く前のパンしか食べさせてないです」

「そうですか……」

 刑事はやや思案して、

「一応、他の部屋も見せていただいてもよろしいですか?」

「ばーさんにも会いたいんですか?」

「……」

 ここが攻め時な気がしたわたしは、答えに窮している刑事を連れて向かいのドアを開けた。中にはやはり、超巨大なクッキーモンスターみたいなのがいる。ただし、じーさんの青に対して、ばーさんは赤の毛むくじゃらだ。

 ここでもわたしは半ば強引に手を引いて、彼をばーさんの前に立たせた。ばーさんは目をくりくりさせているだけでやはり興味を示さない。わたしはすかさず攻勢に入った。

「いかがですか。ごらんの通り無害なんです。パンの種を食べていれば幸せな、温厚な子たちですし、わたしにとっては唯一……孤独を紛らわせてくれる、かけがえのないお友達なんです。……だから約束してください刑事さん。誰にも言わないと……」

 すがりつくようにして刑事の服の裾をつかむ。刑事は少し困った顔をして、言葉も発せずにいた。さらに押すしかない。

「この子たちが連れていかれたら生きるよすがを失います。……ううん、もう生きていこうとも思わない。……わたしにとっては、それほどに大事な……お友達なんです」

 見つめるわたしは瞬きもしない。刑事は、……最後にはうなずいてくれた。

「……わかりました。どうやら、僕たちの追っている事件とも無関係のようですし、この動物が何かの条約違反とかでない限り、違法性はないです」

「それを調べたりするんですか? 駄目なら咎められたりするんですか……?」

「……本来ならそうするべきですが……まぁいいですよ。あなたのささやかな希望を奪おうとは思いません」

「ありがとうございます!!」

「ただ、このイキモノが原因と思われるなにがしかのことが起きたら、またお邪魔してもよろしいですか?」

「わかりました」

「じゃあ僕はそろそろ戻りますね」

「はい、お仕事頑張ってください!」

 階段を下りる刑事の足には、もう重苦しさはない。わたしへの疑いを解いたのだろう。

 ちょろいものだ。


 わたしはキッチンに戻ってパンをもう一度作り直す。

 ボールの中で強力粉を混ぜ、塩に佐藤、ドライイーストを入れて水を足す。

 この時にドライイーストと佐藤が始めに混ざるようにすると、佐藤がドライイーストの発酵を促してくれるので吉。

 なお、佐藤はDNAが取れれば家で培養が可能なので、何の違法性もないだろう。さっきの刑事も佐藤といった。紅茶を供したマグカップからDNAはとれると思われる。

 そのために、パンを食べてもらったのだ。別に彼の寿命が縮まるものでもなし、モノのついでにこれくらいはいいだろう。

 ともかく、粉でぼそぼそしたパンの種をこねる、こねる、こねる!!

 途中で塩を混ぜながら、さらにこねる、こねる、こねる!!!

 こねてこねて、丸くて柔らかくなったら今度は台に向かって叩きつける、叩きつける、叩きつける!!

 そして、いくつかにちぎって皿に盛り、引きこもってるウチのじーさんの部屋に行って、おもむろにドアを開け、じーさんに向かって投げる、投げる、投げつける!!

「うぉーーーー!!」

 じーさん叫んでる。よほどうれしいらしい。こちらも最高に気持ちいい。


 ……ちなみにじーさんこと『G-3』はれっきとした兵器である。いや、容器と言った方がいいか。

 体内はブラックホールのような無の空間が作り出されており、その中央に反物質数十グラムが保管されている。反物質についてはもうウィキペディアかなんかで調べてほしいけど、とにかく〝反物質数十グラム〟というのは驚異的な量であり、これが通常の物質と衝突すると、計算上はそれだけで地球が壊滅して、なお余りあるエネルギーとなる。……それがB-3と合わせて、わたしの家に二基。

 これがなぜ生物なのか、と言われたら、細かいことを説明しだすと広辞苑何冊分のレポートになるかは分からないくらいの規模になる。簡単に言えば通称〝ブラックホール〟を維持し、反物質を保管する手段として、この排泄も生殖も行わない人工生物が必要なのだ。

 まぁ生物……厳密には機械なんだろうけども、彼らの維持を任されてるわたしにとっては、これはイキモノなのだ。

 なお、この筐体は十体つまり『J-3』まで存在しているようだが、少なくともA,C,E,Fは反物質を保管する前に死んでしまったようなので他の筐体が今も活動中かは分からない。

 文字通り、世界をも壊滅させる脅威ではある。でもわたしにとっては、この子たちが兵器であることなどはどうでもいい。

 ちなみに、この子たちに物を食べさせる際は、近づいてはいけない。吸い込む勢いに引っ張られて口の中に落ちてしまったら二度と這い上がってこれないし、まかり間違って反物質保管庫に接触しようものなら世界が無くなってしまうから。

 だからわたしは投げている。引きこもってるばーさんの部屋に行っておもむろにドアを開け、こねてこねて叩いて叩いたパンの種を、ばーさんに向かって投げる、投げる、投げつける!!

「うぁーーーーん!!」

 ……それがわたしにとって、最高にすがすがしい瞬間だ。


 この子たちの正体は、なんとしても隠し通さなければならない。

 そうすればこの平穏で、穏やかで、慎ましいスローライフを、いつまでも送り続けることができるのだ。

 この、誰にも侵されることのないスロー(投げる)ライフを……。

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