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百夜一夜物語(短編百篇企画)  作者: 矢久 勝基


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003冒険の書が消去されました

四題

不手際、酷すぎる!、家内安全、冒険者

『お気の毒ですが……』

 という文言が通達書の冒頭に記されているのを、輝彦は瞬きをしながら見入っていた。

『冒険の書1は消えてしまいました。2は消えてしまいました。3は消えてしまいました。以上。』

「……」

 二の句が継げない。開いた口が塞がらない。いやそもそも意味が分からない。二十四年生きてきて、こんな怪文書は初めてだった。

 いやもう昨今、何でもかんでも詐欺につながっている時代である。ここからどのような手口で金銭を要求する連絡が来るか分かったものではない。

 輝彦は半ば破いてちゃぶ台に投げておいた封書を拾った。まごうことない市役所からの封書ではある。特に、〝市民課冒険者情報管理係〟は輝彦にとってはなじみの深い部署ではあるが……。


 彼は冒険者である。

 冒険者とは様々な依頼を受けたり、時には自らの意志で秘境へと向かい、クエストをこなしては知名度を上げていくことを生業としている職人で、特に彼は一年前の今頃、魔人ヴェノンを討伐し勇者の称号を与えられていた。

 年齢が十八以上であれば基本的に誰でもなれる職業ではあるが、危険を伴う仕事なので市町村への届け出が必要となっている。その部署が市民課であり、冒険者情報管理係であった。

 通達書には電話番号も記載されていたが、輝彦は直接窓口へと向かうことにした。なじみが深い部署だということもあるが、フリーダイヤルではないので、電話代が輝彦持ちとなる。自身のスマホが格安プランで通話三十秒につき六十円であることを考えると、電話口で待たされるのはかなりストレスであるためだ。

「どこか行くの?」

 支度を始めた彼を見止めた和子が聞く。

「うん。ちょっと市役所行ってくる」

 嫁である。『魔人ヴェノンを倒したら結婚してください』という逆プロポーズがかなった結果だった。

「次のクエストいつだっけ?」

「明日」

「……大丈夫? ちょっとハイペース過ぎない……?」

 彼は昨日帰ってきたばかりだ。勇者の称号を得てるとはいえ、危険を伴う仕事をろくに身体も休めずに続けたら、いつか身体を壊すのではないだろうか。

 そんな、どこか物欲しそうな目を輝彦は笑い飛ばす。

「大丈夫大丈夫。冒険は俺の生きがいだからね。それに、俺がバリバリ働かないとお前らメシ食えないよ?」

 ついでにホームセンターで明日のクエストに必要な消耗品を買っておこう。思い立った輝彦は『必勝祈願』のお守りを下げた財布に多めの銭を入れた。このお守りは地元の神社で授かったもので、もちろん冒険の成就を願うもの。特に輝彦は採掘や探索よりも駆除や討伐に身を置いているので、選ぶお守りは常に『必勝』であった。

「いってらっちーい」

「おう」

 手を振って見送ったのは輝彦の娘である。数か月前に生まれたばかりなのにすでにこんなことができるのは、和子がエルフだからなのか。

 その辺あまり頓着せず、輝彦は馬にまたがり、颯爽と市役所へと向かった。途中、一時停止無視で切符は切られたものの、無事市役所脇の馬舎に到達する。冒険者情報管理係は第二庁舎の四階にあった。

 白い階段を上がって自動券売機で整理券を引き出し、三十分待たされて輝彦の番が来る。窓口は見知った顔だった。スクエア型の黒眼鏡が似合う彼の名前を田浦誠という。輝彦よりもかなり年上だが、互いに気さくに話し合う仲であった。

 だから、「こんにちは。田浦さん」という軽い声には、当然、

「ああ、輝彦さん。久しぶり」

 のような返答があるものだと思っていた。が、実際の田浦の反応の鈍さに驚く。

「なぜ僕の名前を知ってるんですか?」

「え?」

「えっと……明石さん……かな。以前いらしたことありましたっけ」

「あったよ!!」

 ありありだ。十八で登録してから早六年。更新やら確認やらで何度来たと思ってるんだと目で訴える輝彦。しかし一向に田浦が気づく様子はない。

「田浦さん、俺のこと、覚えてないの?」

「えーっと……」

「俺だよ俺。テ・ル・ヒ・コ」

「俺俺詐欺ですか?」

「違うわ!」

「テルヒコ詐欺ですか?」

「もっと違うわ!!」

 輝彦、焦る。

「ちょっと、マジで言ってる? 俺だよ? 勇者の称号登録もされてるよねぇ? てか敬語キモいよ。普通でいいよ」

「……」

 田浦のきょとんな表情。輝彦もだんだん、誰かに背中を下に引っ張られたような錯覚に陥ってゆく。

「え、マジで……?」

「とりあえず、ご用件をお伺いいたします。今日はどういったご用件でしょうか」

 この反応、本当に冗談ではないのか。うすら寒いものを感じながら輝彦はバッグの中をまさぐる。そしてペラ一枚を田浦の鼻先に突き出した。

「こんなのが届いたんだけど」

 田浦はメガネの淵に手をやり、短い文言に目を通す。何度読んでも変わらない。

『お気の毒ですが、冒険の書1は消えてしまいました。2は消えてしまいました。3は消えてしまいました。以上。』

「あーー」

 平坦な声をあげる田浦。

「ご愁傷様です」

「どういう意味だ!!」

「冒険の書がすべて消えてしまったようですね」

「冒険の書ってなんなの!!」

「ああ。明石さんは冒険の書をご存じない?」

「知らないよ」

「昭和生まれの冒険者にはなじみの深い言葉なんですけどね~」

 昭和生まれの田浦が眉を掻く。平成生まれだから知らないということもないかもしれないが、とりあえず輝彦にはなじみの薄い言葉だった。

「なんなの?」

「冒険の書というのはですね」

 突きつけられていた通告書を受け取った田浦は再び、アクリルボード越しに輝彦を見上げた。

「要するに今までの冒険の記録です。今も、どこかの領域にデータをセーブしておかないと直前の状態から冒険を再開できませんよね」

「そうなの……?」

「まぁまぁ、今は基本的にオートセーブなので、ひょっとするとセーブしているという認識は薄いかもしれません」

 その記憶領域を、〝冒険の書〟というらしい。

「冒険者の皆様方がその名前を知らなくても仕方ないと思います。昔はホント手間だったんですよ。記録するたびに王に会いに行ったり教会で祈りを捧げなければいけませんでしたからね。冒険の書はだれもが知っている言葉でした」

「王って?」

「まぁ、この国でいえば天皇陛下です」

「会えるの!?」

「だから、大変だったんですよ。江戸くらいまでは三百藩の諸侯もその権利を持っていたみたいですが……」

 帝国を名乗っていた頃は神格化された唯一の王である天皇に接見することが非常に困難であったため、明治、大正、昭和……戦後復興期辺りまでは、冒険者の氷河期と言われていたそうだ。

「でも今はオートセーブですからね。冒険者は登録さえしていただければ気軽に直近の状態から冒険を続けることができるんです」

「知らなかった」

「まぁ、公共サービスなんてそんなものです。市民の皆さんの知らないところで、皆さんが快適に生きるためのお手伝いをする……。みんな文句ばっかで、感謝なんかされませんけどね」

 田浦の口から愚痴がこぼれ、輝彦は一瞬何をしに来たのか忘れる。が、すぐに我に返り、

「それで? この冒険の書が消えてしまったっていうのは?」

「ですから、そのままの意味です」

「どういうこと……?」

「明石さんは、いつ冒険者として登録されました?」

「そりゃ、十八の頃だよ。日にちまでは忘れた」

「では、その日の状態に戻ったということです」

「は……?」

「いうなれば、今日、あなたはここに冒険者の登録をしに来たのと同じ状態だと。当然僕とも初対面ということになります」

「はぁ!?」

「いや~だから僕が見覚えないんですね~。たまにそういったケースでここを訪れる方がいらっしゃったりして、申し訳なく思います」

「ちょ、ちょ、ちょっと、待ってほしいんだけど」

 輝彦は動揺のあまり、なにから聞いていいのか分からない。

「えっと……どういうこと……?」

 すると、田浦は形だけ申し訳なさそうにした。

「つまり、ゲーム風に言えば、あなたはレベル1に戻ったってことです」

「……」

 沈黙。数瞬の沈黙の後、かろうじて「……え?」と声を絞り出す元勇者。その上に塩を塗りたくるような容赦ない言葉を浴びせかける田浦。

「しかも、バックアップ領域である冒険の2と3も消えたので、復旧は不可能です」

「あ、あのさ、俺、魔人ヴェノンを倒して、市で表彰されたよね?」

「おお、ヴェノンを倒したのは明石さんだったんですか」

「田浦さん、表彰式の時に一緒に乾杯したよね!!?」

「あー、そういう記録も全部消えちゃうんですよ。冒険の書が消えると」

「え、え、俺、勇者の称号持ってるよ!?」

「……お気の毒ですが、それも消えましたね。誰も明石さんを勇者とは呼ばないと思います」

「……でも、そういう記録は残ってるよね? だってヴェノンだって生きてたんだ。俺の冒険の書が消えたとかなんとかで生き返れるなら、この世の中の法則っていろいろ変えられる気がするし……」

 田浦は「少々お待ちください」と一度奥へ引っ込む。奥へといっても見える場所で、端末のデータを照合しているようだ。程なく戻ってきた。

「確かに魔人ヴェノンは勇者輝彦によって討伐されています。その輝彦はあるいはあなたなのかもしれない。しかし、明石さん自体の冒険の書が消えてしまっている以上、これを同一人物と断定する手段がないし、世間の目もそうは見てくれません。……明石さん、フラグというものは御存じですか?」

「フラグ?」

「例えば、今日はその通達書が届いた〝から〟、この冒険者情報管理係にいらしたんですよね? 行動を紐づけるキーになるのを、フラグと言います」

「それがどうしたんだ」

「冒険者のフラグ情報というのは、冒険の書に記録されてるんですよ。あなたは魔人ヴェノンを討伐した〝から〟、皆に勇者と呼ばれるようになりましたよね」

「……」

 背筋が凍り付く輝彦。

「そのフラグが消滅したんですから、その先もないんです」

「そんなのデータを打ち直せばいいよね!?」

「一度消えた冒険の書は復旧できないですね~」

「俺が力を示せばいい!? 魔人ヴェノンを倒した実力を!!」

「あ~」

 田浦は気の毒そうなため息をつき、

「ちょっとその辺の郊外に行って、ミミズとかと戦ってみてもらえば分かるかと」

「……」

「カメムシとかでもいいですよ」

「……」

「まさか今の俺……カメムシにも勝てない……?」

「それが初期の冒険者というものです」

「仲間は? 俺の仲間は……?」

「同じように冒険の書が消えていれば、同じようにカメムシには勝てず、全身に悪臭をすりこまれて街の嫌われ者になってしまうでしょう。しかし冒険の書が消えることは滅多にないので、たぶん明石さんが仲間面しても向こうは覚えていないばかりか、足引っ張りすぎて嫌われるでしょうね」

「……」

 酷い。あまりに酷すぎる!

 輝彦は、思わずその場で崩れ落ちた。崩れ落ちるしかない。


 それからしばし……輝彦はしおれたまま動かなくなっていて、危うくフロアを掃除している巨大ルンバに吸い込まれそうになっていたが、やがてもがくようにして、再び窓口にせっついた。

「原因はなんだ」

「え?」

「冒険の書が消えた原因だよ! まさかアンタらの不手際じゃないの!?」

「冒険の書が消える原因は、だいたい冒険者さん側にあります」

「俺はなにもやってないっ!!」

「本人はわりと覚えていないことも多いんですよ。変なメールの添付ファイルを開けてしまったとか、本物そっくりのフィッシングサイトで個人情報を記入してしまったとか……覚えはありませんか?」

「ない!!」

 その辺は用心深いほうだという頭が、輝彦の中にはある。

「悪意のあるサイトの通知をオンにすることで、巡り巡って個人情報を抜き取られることもあります。それか、えっちなサイトでえっちな何かをダウンロードしてしまったとか」

「う……」

「そういうところから情報が洩れることもあります。あと、違法マンガダウンロードサイトも注意ですね」

「まさか……」

「あとはまぁ……セーブ中に電源を切ってしまったとか、電源を切る際リセットボタンを押しながら電源を切らなかったとか、そういう乱暴な行為はデータにダメージを与えやすいです」

「と……とにかく、だ。ここは冒険者情報管理係なんよな? なんで消えたのかを調べることはできないの?」

「できません。我々はあくまで管理をするだけの部署なので」

「管理できてないだろ!!」

「情報を管理して、データが消えたりしたら、それを報告するのが我々の仕事です」

 というかそのデータを集積しているサーバーが市役所にあるんなら、やはり原因は役所側にあるのではないだろうか。

 輝彦は必死に訴えたが、やらないと言ったことはテコでもやらないのは、お役所の常識だった。


 数日後。輝彦の姿は喫茶店のテラス席にあった。

 いろいろ試したが、たしかにミミズにも苦戦する。ネズミには耳を噛み千切られそうになった。マダニには全身の血を吸われかけて死にかけたところを、たまたまマツタケ狩りに来ていた老人に発見されて救急車を呼ばれ、九死に一生を得た。確かに田浦が言った通りだった。

 ただ、馬には乗れる。小学生の頃乗馬クラブにいたからなのだが、ということは冒険者として習得した事だけ、ごっそり世界から消え去ったということなのか。

 ともあれ喫茶店で、輝彦は人を待っている。その間、どんくさそうな店員にコーヒーをこぼされ、ズボンに黒いシミを作ってしまったが、さすがに家に戻ってズボンをはき替えている時間はない。

「お待たせいたしました」

 男は、まもなく現れた。上品なスーツに身を固め、仕事のできそうな黒いバッグを抱えた長身の男。

「初めまして。LLLの鈴木です」

 LLL探偵事務所の鈴木さんである。輝彦は会釈をして、アイスコーヒーの載ったトレーをテーブルに置いた。

「よろしくお願いします。明石輝彦です」

「どういった浮気調査のご依頼でしょうか」

「浮気調査って決めつけないでください」

「失礼しました。そういう顔をされていた気がして」

「どんな顔ですか」

「すみませんでした。それで?」

「俺、冒険者なんですが」

「はぁはぁ」

 鈴木は妙に得心したようにうなずく。

「そういう顔をされていた気がしました」

 嘘こけ。輝彦は心の中で思わず毒づき、怪訝な表情を浮かべた。

「鈴木さんって、ちゃんと仕事できますか?」

「失礼ですね。浮気調査から素行調査、潜伏から市役所データベースへのハッキングまで、思いのままですよ」

「マジっすか!」

 クリーンヒットなワードに色めき立つ。

「何がお望みですか?」

「市役所データベースへのハッキング」

「そういう顔をされていた気がしました」

 輝彦、この男の実力が一気に分からなくなる。ともあれ、事情を話すだけなら何も問題ないと思い、口を開いた。

「実は冒険の書が消えちゃったみたいなんですよ」

「3つともですか?」

「3つともです」

「3つともですか!?」

「おかげでリアルに虫も殺せない身体になっちゃいました」

「それはお可哀想に……」

「え、そんなですか……?」

「冒険者の冒険の書が消えるということが、どういうことだかわかってますか?」

「……え?」

 輝彦はとりあえず目を泳がし、今まで何が起こったかを反芻する。

「勇者の称号は剥奪されて……魔人ヴェノンを討伐したことも忘れられて……」

 この時点ですでに十分かわいそうなことだと思うが、鈴木の表情はそんなことでは済まないことを示唆していた。

「魔人ヴェノンを倒した勇者があなただったとは」

「でも、誰も認めてくれないらしいです」

「そうですね。現にそんな伝説の勇者と対面していても、サインしてほしい気も湧きません。転売できれば儲かったのに……」

「心の声までダダ洩れてますよ」

 そういえば彼のサインがメルカシで高値で取引されていたが、今日突然、それはただの紙っぺらとなったということだろう。リーマンショック並みの大暴落だ。

「……しかしですね。そんなことは大したことじゃない」

「もっと深刻なことがあるんですか……?」

「いいですか?」鈴木はメモを取るために開いていた手帳をいったん閉じ、輝彦を見据えた。

「失礼ですが、ご結婚は?」

「してます」

「そういう顔をされている気がしました。冒険の書が失われるとですね……」

「はい」

「もし離婚したくなった時、離婚調停で百パーセント負けます」

「え……?」

「民法七七〇条第三項に明記されてます。『冒険者として市区町村に届け出をした者で、かつ冒険の書を紛失した者は、いかなる事由が生じた場合においても離婚を申し立てることはできない』」

「なんですかそれ!」

「冒険の書を失うような冒険者は社会のゴミですから、人権はないということですね」

「民法以前に憲法違反だろそれ!!」

 基本的人権を主張する国民。しかし必死の訴えは鈴木が指をパタパタと否定的に振るだけでかき消された。

「それだけじゃないですよ。不倫をすれば死刑です」

「なんでだ!!」

「民法七〇九条、『故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う』」

「関係ないじゃないか」

「その第二項。『冒険者として市区町村に届け出をした者で、かつ冒険の書を紛失した者が第一項に掲げる不法行為を行った場合、とりあえず死刑』」

「なんだそれーー!!」

「不倫は配偶者の権利を侵害する行為ですから、つまり不倫は死刑と……」

「てか不倫に限らないよねそれ!」

「はいその通りです。これからの人生、あなたは一切他人に迷惑をかけられません。なにせ冒険の書を失うような冒険者は社会のゴミですから」

 それだけじゃありませんよ、とヒートアップする鈴木。

「刑法二六五条、『冒険者として市区町村に届け出をした者で、かつ冒険の書を紛失した者がいずれかの刑罰を受ける場合、量刑の重さを三割増しとする。……特に輝彦」

「なんでだーーー!!」

 さすがに悪意を感じて店内で叫ぶ輝彦を、鈴木は「シッ!」と鋭くたしなめる。

「あまり騒ぐと民法七〇九条に抵触しますよ!」

 輝彦はその場でしおれ、すがるように言った。

「何とかしてもらえませんか……」

「残念ながら、冒険の書の復旧はできません」

「俺思うんですよ……」

 うなだれたまま、ぼそぼそと言葉を吐き連ねる。

「俺、別に何にもしてないんですよ。だから、いきなり冒険の書が消えたとなったら、それはどこかの不手際に違いないと思うんです」

「ははぁ。その相手を訴えたいということですね」

「なので調べてほしいんです。市役所じゃ原因を絶対に公開しなさそうですし」

「そういう顔をしていると思いました。お任せください」

 伝票を救い上げ、颯爽と立ち上がった鈴木だが、その背中を追ってレジに向かうことすらできない無気力な輝彦であった。


 そしてまた十数日後。

 喫茶店の同じ席で対面した男二人が、ひとまずコーヒーをすする。輝彦はアイスコーヒー、鈴木はエスプレッソである。

「調子はどうですか?」鈴木の挨拶に、「最悪です」と答える輝彦。それはそうだ。今までデーモンと対峙して一歩も引かない戦いができていたのに、今ではナメクジに殺されそうになっている。

 加えて、ここに向かう途中、馬の二段階右折違反で切符を切られてしまった。その紙面をよく見てみたら、確かに反則金が三割増しだった。

「で、何か分かったんですか?」

「分かりました」

「はぁ、ありがとうございます」

 これで市を相手取って損害賠償を請求できる。現状を考えれば相当の高額賠償になることは間違いない。数千万……いや、億単位か。なににせよ一生分もらわなければ気が済まない。

「結論を言う前に、一つ、伺いたいことがあります」

「はい、なんでしょう」

「あなたは、冒険者を辞めるつもりはありませんか?」

「え……?」

「普通の生活に戻れば、冒険の書などはないのと同じになります。死の危険を冒して冒険に出なくてもいい」

「なんて残酷なことを!!」

「冒険者でなければ、法律があなたに理不尽を強いることもないです」

「理不尽だってわかってるじゃないか!」

「そう言われても、法律作ってるのは私ではありませんしね」

 エスプレッソ用の小さなカップをつまむ鈴木は、鼻から息を吐き出した。

「……力も失ったことです。すっぱり諦めて、別の仕事を検討してもいいんじゃないかと思いましてね」

「何をいってんすか! 冒険は俺の生きがいなんですよ!!」

 煌めく時は儚いとしても、いい。長く生きられなくたって、完全燃焼できる生き方ができれば。

 鈴木は、そんな輝彦の威勢をじっ……と見据えていた。

「実はね。あなたの奥さんと、少し話をしたんですよ」

「え……?」

「あの奥さん。和子さんでしたっけ? ……エルフですよね」

「まぁ、そうです」

「あなたよりも、はるかに長い寿命を生きます」

「はい」

「でも、知ってますか。エルフと長く肌を合わせていると、人の寿命もかなり延びるそうです」

「ああ……」

 和子がそう言っていた。エルフの持つ分泌液が細胞を活性化させるらしい。が……。

「実際、あり得ると思いますか? だとしたら世の中のエルフはみんな商売道具に扱われるようになってると思いません?」

 人間が三百年五百年と生きた例を聞いたことがない。和子の見栄かなんかなのだと高をくくって、彼はそのたぐいの話を気にしなかった。

 鈴木は言う。

「本当かどうかは分からないです。でも、和子さんはそれを信じてるし、そういう祝福をあなたに授けたいと思っている。……しかしそれが思うようにかなわないと、嘆いてました」

「まぁ、話半分でいいと思いますよ。俺、そんなに長生きしたいとも思ってないし」

「だからですよ」

 鈴木の目は半ば睨むようだ。

「え……?」

「あなたの冒険の書を消したのは、とあるハッカーです。……でも、そのハッカーは依頼を受けてやったんです。……誰に依頼を受けたか、分かりますか……?」

 輝彦は話をかみ砕くように思考の中で文言を繰り返す。そして、

「まさか……」

 今の話の流れ。なぜ結論までに、関係ない話が盛り込まれていたのか。

「和子……ですか……?」

 それはもちろん、関係ない話ではなかったからだ。

「あなたは、家庭を顧みなすぎた。自分だけが死に急ぎ、家で待つ彼女たちの憂う姿にまったく目を向けようとしなかった」

「だからって!」

「和子さんはあなたのことを本気で愛しています。だからできる限りあなたに長生きしてほしい。あなたにエルフの祝福を施し、共に時代を乗り越えて、生きていたいと思っています」

「……」

「あなたが冒険者でなくなれば、ひょっとしたらもっと自分の言うことに耳を傾けてくれるんじゃないか。もっと平穏で、もっとありきたりな生活ができるんじゃないか……って」

「……」

 確かに、家庭のことはすべて和子に任せていたし、輝彦は確実に、和子と家庭を築くことよりも未知の刺激に心を委ねていた。

 あるいは結婚などすべきではなかったのかもしれない。それでも……勝手かもしれないけど、彼の、和子を想う気持ちも、偽りではなかった。

 幸せにしたいことも確かなのだ。ただ、その気持ちが独りよがりとしか言えないくらい、冒険しか見えてなかっただけ……。

 輝彦の脳裏に娘の顔が思い浮かぶ。なぜ和子が早く子供を欲しがったのか……。これもあるいは、そうすれば家庭に目を向けてくれると思ったからではないか……。

「そういうことですか……」

 今までとは別の意味で、輝彦はうなだれた。溜息一つ。

「そのハッカーって、誰ですか?」

 鈴木はやや首を傾げ、無言で微笑った。

「さぁ……分かりません」

 輝彦は頭を掻く。

「ま、いっか。……今日はおごりますよ」

 怒るべき場面なのかもしれない。嫁を訴え、この男を糾弾すべきなのかもしれない。しかし……不思議とそういう気は起きなかった。確かに今まで、和子の気持ちを考えたことはなかった。

 伝票を拾い、ぺこりと一揖し、立ち上がって背を向ける。この話、どうやらかなり前から繋がっているようだった。会計のため財布を取り出した時、必勝祈願のお守りが目に入る。

(神社にでも寄るかな……)

 店を出た輝彦は馬を引き神社に向かうことにした。

 これから新しい生活が待っているのだ。お守りの一つでも買っていかなければ不安でしょうがない。

 必勝祈願の人生を捨て、家内安全を祈る……そんな人生が、輝彦のすぐそばの未来に佇んでいた。

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