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百夜一夜物語(短編百篇企画)  作者: 矢久 勝基


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002暗殺〝からの〟

四題

人外、運命の相手、高額賞金、ヤンデレ

 俺の名はレイジィマウス。

 裏稼業とか自分で言い始めたら笑っちまうが、ドロドロのドブ沼の底を蠢く闇組織の一員として、〝死のネズミ〟なんて通り名がついちまってる。……まぁ、〝死のネズミ〟だよ。俺に睨まれて次の朝を迎えられる奴はいねぇ。

 そんな俺は今、まさに仕事中であり……ターゲットの行動に深淵から目を光らせているところだ。

「時間だ。少し休め」

「はい」

 仮眠から覚め、俺は双眼鏡に視線を預けている相棒に声をかけた。

「動きはあったか」

 彼女は双眼鏡を覗き見たまま呟く。

「二時間前にデュウリトルが現地入りしています」

「来たか」

 組織では三神と呼ばれている幹部クラスで、〝炎虎〟と呼ばれる火器のスペシャリストである。

「やはりでかい動きがあるみてぇだな」

「しかけますか」

 ちなみに彼女は俺の忠実な番犬、ティーツリー。もうずっと前にひょんなことから命を救い、その後俺の制止を振り切って戦闘訓練を重ね、今では俺についてこられる唯一のパートナーとなっている。

 そんな相棒に俺は小さく首を振った。

「せっかくだ。もう一人が来るまで待て。おめぇも面拝んだことねぇだろ」

 雪豹のアンバーはすでに現地入りしている。加えて炎虎のデュウリトルが現れたのだ。今回打ちあがる花火は相当でかいものに違いない。

「必ず来る」

「では、私も寝ていられません」

「いいから寝てろよ。動きがあれば起こす」

 俺は半ばひったくるように双眼鏡を手の元へ。ティーツリーは観念したように、同じ部屋の隅でタオルケットにくるまった。

 育ちの悪さこそ、どうしても人相に出てしまっているのだが、かわいい奴だ。そして俺のために本気で命を賭けてくれる。

 以前、二人で追い詰められた時、この女は俺に銃口を向けた男の手首に、文字通り噛み付いた。おかげで俺はその男から銃を奪い、九死に一生を得たわけだが……。

 驚いたよ、あの時……。

 ティーツリーはその際、何かを吐き出した。それが何かを知った俺は自然、男の右手に目がいったんだが、その男の手首は、ティーツリーの歯形に欠損していた。えぐれてたんだよ。完全に。吐き出したのは肉片だった。なんなら骨すら噛み千切っていた。

 それが伝説となり、彼女は番犬と名がついたのだ。〝死のネズミ〟に〝番犬〟……裏社会じゃそれなりに名が通ってる。自分で言うのもナンだがね。


 さて。

 世の中には、ドンドレスデンという賞金首がいる。

 闇社会の一角を束ねる首領の一人だが、ちと不義理を重ね過ぎた。今では孤立し、その命には高額の懸賞金がかけられている。その額は小国であれば国一つ買えてしまう程なのだから驚く。

 だから俺に限らず、闇に潜んで奴の動向を窺ってる同業者も多数存在している。それらを時に利用し、時に潰しながら、俺たちはドレスデンへの包囲網を狭めているわけだ。

 三神というのは、その賞金首のボディガードである。それぞれに同じ人間とは思えない超人的な身体能力を備え、これまでも数々の暗殺者から首領を護ってきた。奴らを何とかしない限り、仕事の成功はない。

 だが俺は一つ、大胆な作戦を思いついていた。奴らが強ければ強い程、逆に墓穴を掘ることになる逆転の発想だ。あまりに綱渡りで危険なのでティーツリーにはまだ明かしていないが、うまくいけば確実に三神を一掃できる。もしあの場にドレスデン本人も現れるなら、なお好都合だった。

 だから待ちたい。この分なら、少なくとも三神が揃う可能性は大いにある。


「交代です。動きはありますか」

 ティーツリーはきっかり三時間後に起きてきた。湯だけは沸かせるよう、カセットコンロを持参しているのだが、彼女はそれで火を焚いて、カップラーメンを作って俺に差し出した。飯の時間らしい。俺と違って彼女はこの抑揚のない潜伏状態の中でも時間感覚がはっきりしている。正直、彼女がいないといつ飯を食ったらいいかも分からない。

 無言でラーメンを受け取り、彼女に双眼鏡を渡して、しばし、スチロール製のカップの温かさを両手に感じた。それがまるで、裏社会の俺が表社会とつながる唯一の接点であるように感じて愛おしい。俺はすでに双眼鏡ではるか遠くに目を向けているティーツリーを見た。

「こんな仕事はやめてほしい」

 と、その昔、彼女は俺に叫んだ。だけど俺は彼女に背を向け、あくまで表社会を拒んだ。今さら足など洗えない。

 俺の番犬となって裏社会で立ち回ることは、決して本意ではなかったはずだ。分かっていながら、俺は結局、彼女をこの世界に引き込んでしまった。

 もし……あの時、彼女の涙にほだされて、俺の方がこのドブ沼から這い出していたら……今、この手の中にある温かさは、あるいは彼女の手料理のそれだったかもしれない。

 それほどに、彼女はもともと、太陽をいっぱいに浴びて生きてきただけの娘だった。

「レイジィ」

 そんな彼女の、闇に埋もれた声がした。すすり始めたラーメンから視線をあげる。双眼鏡を彼方へと向けたままの彼女は言った。

「場違いな女が現れました」

「場違いな女?」

「まるでアイドルというか……なんというか、1980年代の魔女っ娘を思わせる姿です」

「ふんふん」

 ラーメンをまた一すすり。「特徴を聞かせてくれ」と告げる。

「マゼンダ色を基調としたミニスカートに同色のチョッキ、白いブラウスに同色のカチューシャをつけた髪はブラウンのおかっぱです」

 確かに場違いだ。奴ら、コンパニオンでも招いて宴会でも始めるつもりか。

「若いのか?」

「気持ち、二十歳前後。あの格好は年齢的にもギリギリだと思います」

 いやまさかパーティとは思えない。ここは敵組織の前哨地点ともいえる危険地帯だ。奴らも奴らで息を潜めなければならないはず。

「興味ありますか。若い女と聞いて」

 双眼鏡から目を外したティーツリーの視線が怖い。

「いやいや、若い女だからってわけじゃねぇ。気になることがあるんだ」

 三神の中でも一番謎の多い人物とされる三人目。滅多に姿を現さない最悪の実力者が、実は女だとも言われている。

「ひょっとするとそいつこそ、〝風の谷のマトリョーシカ〟かもしれん」

「あれが……?」

 彼女は再び双眼鏡へと目を配す。

「言われてみれば、取り巻きの態度は、やたら腰が低いように思えます」

「俺も現物は見たことねぇからな。相当レアだぞ」

 いいながらも、俺はラーメンから手を離さない。顔も知らんのだから、双眼鏡をひったくっても確かめようがないのだ。

「他に何か特徴はあるか。照合してみるよ」

「角が生えてます」

「は……?」

「ドリル型といいましょうか。いわゆる鬼の角みたいなのが頭に一つ」

「帽子じゃないのか」

「あるいはそうかもしれません」

「他は?」

「羽が生えました」

「は……?」

「たった今。まるで白鳥のような羽が背中から大きく広がりました」

「なにをいってやがる」

「服を着てるのに無理だろ……とおっしゃりたいのですね」

 違うだろ。

「チョッキとブラウスだと思われていた服装の襟元は非常に大きく開かれていました。羽は肩甲骨の内側辺りから……」

「ちょっと待て。それは人間か」

「あ、尻尾も飛び出しました。ふかふかの太い尻尾が一、二、三……八か九程……」

「貸せ」

 さすがの俺もラーメンどころじゃない。

 再びティーツリーから双眼鏡をひったくり、自分の両眼へと押し付けた。そして唖然とする。

 確かに、望遠の先には額の上にドリル状の角をはやす、白い翼を広げた1980年代の魔女っ娘が、九本のキツネの尻尾を翻して、いなせに笑っていたのだ。


 加えて、驚くほどの美人だ。しかし、美人とかそういう尺度で語っていいものか。

 いやもちろん、あれがコスプレの一種だと考えることはたやすい。しかし作り物とするにはあまりに質感がリアルすぎる。

「あれが……風の谷のマトリョーシカ……」

 なぜ〝風の谷〟などという涼やかな通名なのかずっと謎だったが、確かにアレが風の吹く谷で翼を広げて滑空していたら、これほど絵になる光景もあるまい。ティーツリーは鬼の角と言っていたが、広げられた翼の壮麗さを思えば、鬼というよりは一角獣ユニコーンのもののように思える。

 ともあれ彼女は人間ではない。にわかに信じがたいが、これを信じないとすれば双眼鏡の方に変なフィルターがかかってるとしか言いようがない状態にある。

「まさかマトリョーシカが人外の存在だったとは……」

「そうであればドンドレスデンが今まで奇跡的に生きながらえてきた理由も分かりますね」

 まったくだ。あの娘がどんな力を秘めているのかは知らないが、ボディガードが人外となると、どんな奇跡も妖術という説明で片づけられそうだ。

 これは……作戦を根本から練り直さなければならないかもしれない。そう思いつつ、俺はマトリョーシカの身体的特徴を目に焼き付けようと躍起になった。

「胸も大きいですよね」

「あ? ……ああ、大きいな」

「そんなに気になりますか? あの娘が」

「え……?」

「マトリョーシカを捕捉してから、彼女からずっと目が離せなくなっていますよね」

「いや、そりゃそうだろ。角だぞ?」

 羽だぞ? 尻尾だぞ??

 それがなくたって、魔女っ娘だぞ???(1980年代の)

 こんな天然記念物。これが仕事じゃなくても、これから何をしだすのか、三昼夜でも観察できそうだ。

「本当にそれだけですか」

「どういう意味だ」

「いえ……」

 よく分からないが、ティーツリーはここで一歩引いた。とりあえず彼女に関わってる場合ではない。俺は再び気持ちを入れて、双眼鏡を覗き込む。

 そこでまた、唖然となった。

「どうしました?」

 動揺をいち早く拾うティーツリー。彼女には分かるまい。見てないんだから。

 マトリョーシカが、鈍く光を放ち始めたのだ。

 断っておくが、ここはファンタジーの世界でも何でもない。れっきとした地球での出来事であり、俺たちも人並みの能力を持って事に臨んでいる。ネズミだの犬だのとコードネームはいろいろでも、人間であることには変わりない。どんなに空に憧れても翼も広げられないし、光を纏うなどできるはずもないのだ。

 さっきは軽々しく人外みたいなことを言ってはみたが、そんな奴本当にいるのか。そして、それを抵抗なく受け入れてるドレスデン一家とはいったい……。

「私に言えないことですか」

「そんなわけないだろ。説明がつかないだけだ」

「何が起きてるんですか」

「マトリョーシカが、光を放ってるんだよ」

 俺は言いながら双眼鏡を手渡した。見てもらう方が早い。

「……」

 さすがのティーツリーも絶句のようだ。いや実際、双眼鏡越しでも、あれが何かのトリックであるようには思えない。ピンスポットの光を浴びて、受動的に輝いているのではないのだ。電球を見るのと、その電球の光に照らされてる物体を見るのとでは明らかに違うのと同じである。

 間違いなく、彼女は彼女自身が光っていた。

 黙って双眼鏡を返してくるティーツリー。彼女は、俺を見ている。不自然なほどにじっとこちらを見ている。

「どうした」

「光る女は好きですか?」

「は……?」

「光る女は好きですか?」

「え、ど、どういう意味だ」

「だって……あなたは今、すっごく見とれてました」

「いや、呆然としてただけだよ。だって光るか? 普通」

「でも、光る女が実際にいた。ここが大事です。光る女に惹かれるとすれば、これは大いに困ったことになります」

「何が困るんだ」

「そりゃぁ……」

 口ごもる。俺は目を細めて、微々鼻から息を吐いた。

「心配するな。奴はあくまでターゲットの一人でしかない。如何な人外とて、鉛の弾を貫通させることしか考えてねぇよ」

 コイツはつまり、俺が奴を撃つことをためらうんじゃないかと心配し始めたのだろう。だが俺はプロだ。今さら相手が女だ人外だ、などといった理由で仕事をためらったりはしない。

 というか、アイツに本当に鉛の弾が通用するんだろうか。そっちの方が心配といえば心配ではある。


 思えばラーメンはすっかりのびてしまった。それほど腹が減っているわけでもない。もういいだろう。

 そう思い、俺は双眼鏡を覗き見た。

「仮眠を終えたので私が代わります」

「もう寝むかねぇよ。大丈夫だ。お前は飯でも食え。まだ食ってないだろ」

 当たり前だが潜伏して監視する間、どちらかは必ず寝てなければいけないわけではない。互いに仮眠を終えたので、しばらく監視は任意交代となる。

 が、ティーツリーは釈然としないらしい。

「やはりマトリョーシカが気になっていませんか?」

「気になってるよ」

 気にならないわけねぇだろ。あれがメガフレアとか撃つようならどうしろってんだ。

 だから、できる限りの情報が必要なのだ。あの光は何を意味するのか。知りえることはすべて知っておかないといけない。

 それにしても神々しい。全貌は窺い知れないが、少し浮いているようにすら見える彼女の身体から発せられる光に、温かさすら感じてしまう。文字通り羽を伸ばしているその姿はまるで天女のようで、見ているだけで引きこまれそうだ。

 なぜあのような存在がドレスデンの身辺を護っているのか。まさかドレスデン自体も人外のナニカなのか。いや……

 考え難いが、あるところでいずれかの異世界と何かの契約をしたのかもしれない。あるいはそれ以降、何らかの理由で裏社会の関係を絶たなければならない事情があったのかもしれない。

 だからとて、ドレスデンが赦されるわけではないのだが、さすがに奴を取り巻く背景も気になろうものだ。

「一度話してみたいな……」

 ドレスデンと。普段はターゲットの心情などは知らない方がいい。情にほだされる危険もあるからだ。しかし、今回はあまりに事情が特殊であり、いろんな意味で興味が湧く。

 俺はこぼした独り言をそのままに、さらに観察を続けた。長い九本の尻尾が光りを受けてオレンジ色に輝いている。


 背中で鼻をすする音がした。

「寒いか?」

 双眼鏡から目が離せないまま、相棒に問いかける。しかし返答はない。気にせず天女の観察を続ける俺。だが、鼻をすする音も止まらない。

「タオルケットでも掛けとけよ」

 まさかここの音があの場所まで届くはずもないのだが、徐々にそのノイズが気になりだし、振り向く。そして仰天した。

「どうした?」

 泣いていたのだ。唇をかみしめて、泣かないように堪えながら堪えながら……それでも滲む涙をそのままに、微々下を向いている。

「どうしたんだ……」

 さすがの俺も双眼鏡には戻れない。背中を向けたままではあるが首だけ回してティーツリーの涙の原因を探す。

「なんでもありません」

「なんでもねぇのに泣くかよ。どうした」

「……そんなに、話したいですか……?」

「え……?」

 ティーツリーは一度指で涙丘をなぞるようにすると、意味不明なことを呟いた。

「……私の世界は……どこに行っちゃうのかな……」

「は……?」

「私の世界……今はここにある、私の世界……。でも、無くなってしまうかもしれない……私の世界……」

 言うまでもなく、様子がおかしい。どこかのお花畑に行ってしまったかのような彼女の恍惚な様子に、さすがの俺も、背中を向けたままではいられない。

 対面したティーツリーは一度しゃくりあげると、「私ね……」と言った。

「もう数年前にもなるけど……運命の相手を見つけたの……。その人は命がけで私を護ってくれた……この人になら、一生をささげられる。この人のためなら私……どんな仕打ちにだって耐えられる……」

 意識が混濁しているようにすら思える。なんだろう。彼女も今まで明かしてこなかったが、てんかんのような発作を持っていたりするのだろうか。

「私……いっぱい練習したよ……? 人を殺す技術。……いっぱい殺したよ? すべてはあなたのため。……あなたの世界を……護るため……」

「おい! 大丈夫か!」

 俺は思わず、彼女の両肩に手を置き、小さく揺さぶった。それで、はっと顔を上げ、我に返ったようになるティーツリー。

「ああ、レイジィ」

「大丈夫か。調子悪かったら休んでいてくれ。今は医者に連れていく余裕はねぇけど、休んでていいから」

「駄目!!」

 彼女の身体が、急に密着する。胸元に彼女の頬が触れ、しがみつかれたことを知った。

「駄目……です」

「無理をするな」

 よく分からないが、とにかく彼女の気持ちを静めなければならない。俺はティーツリーの背中をとんとんとなだめるように叩き、もう一度「休め」と告げる。

 半ば肩で息をしていた彼女の険は徐々に解かれていったようだが、次に呟かれた言葉は相変わらず意味不明だった。

「あんな奴……あなたにはふさわしくない」

「あんな奴……?」

「考えてもみてください。1980年代ですよ? せんきゅうひゃく、はちじゅうねんだい、ですよ!?」

「なんだそれ」

「その頃のセンスが、あなたのようなアーバンな人の心に響くはずがないです!」

「何を言ってるんだよ」

「それに、顔はちょっとかわいいかもしれないけど、角ですよ!?」

「マトリョーシカのことか」

「キスした後にうつむかれたりしたら、あの角、目に入ってきます!! 危険です!!」

「キスなんかしねぇ!」

「キスなしでもっとすごいことしたいってことですか!?」

「いやまて、ちょっと落ち着け」

「確かに胸は大きいです! でもね、女は胸の大きさでは測れない奥深さがあるんですよ!」

「何の話をしてるんだ!」

「あんな女。テクニックなんてないに決まってます! わたし、うまいですよ!? ……ううん、今はぜんぜんまだ……知識ないけど……大丈夫です、絶対!!」

「何が大丈夫なんだ!」

「人殺す方法を習得したくらいのモチベーションで、私、バリバリ勉強します! 人殺せるくらいのテクニックを身につけます!!」

 なにを言ってるのかよくわからない。……といいつつ、彼女がなぜか俄然猛烈に自己アピールを始めたことは分かる。

「お前の気持ちはうれしいよ。だが今は仕事中なんだ。俺とお前は今、ずっと一つ屋根の下にいる。今変な感情を抱いたら仕事に支障が出るだろうが」

「そんなこと言って、マトリョーシカに関わりたいだけなんじゃないんですか!?」

「関わりたいんじゃなくて関わらなきゃならねぇんだよ!」

「ほらやっぱり!!」

「いや、そういう意味じゃなく……」

「尻尾ですか!? あの尻尾がいいんですか!? 確かに九本もあったらお得な感じがしますよ!? 『ジャパネットだがだ』で紹介されたら猛烈アピールされるポイント間違いないと思います! でも多ければいいってものじゃないです!!」

「一本でもいらねぇわ!」

「触手ぷれいとかされたいくせに!!」

「思いつきもしねぇよ!!」

 俺は頭を掻いて彼女から目を離した。相手にしていたらきりがない。


 部屋は静かになった。こんな感情的になったティーツリーは見たこともなかったが、まぁ、俺に対する感情が平坦でないことも、ずっと感じてはいた。てか、でなきゃ俺を追って暗殺者になるなんてマネができるはずもない。

 ただ、俺の方はずっと気づかないふりをしていた。こんな仕事だ。平穏な幸せなど求めてはいけない。すべてが不幸になる。

 だから、関わらない。コイツがどんなに心を震わせても、俺はコイツと一緒にはならない。それで、彼女がいつか目を覚ますことができれば、その時はそっと、元の世界に戻してやろうと思っている。

 ……俺が双眼鏡、ティーツリーが待機という初めの構図に戻ってしばらく、ティーツリーのあまりの静かさが気になった俺はふと後ろを向いてみた。

「お、おい、なにやってんだ」

 彼女は音もなく、外出する支度を整えていたのだ。

「ちょっとマトリョーシカ殺してきます」

「ちょっ、ちょっと待て!!」

 支度を終えたのか、軽やかに立ち上がった彼女に、思わず俺は手を伸ばす。

「コンビニに弁当買いに行くような軽さで言うな。無理に決まってんだろ」

 俺も再び立ち上がり、彼女を引き戻そうと躍起になった。その小さな肩をつかめば、ティーツリーは小さく振り向く。

 しかし視線をあわせて息をのんだ。その目の質感は、錆びた鉄屑のように、濁りを帯びていたのだ。

「あんな女はレイジィにふさわしくない……から」

 雰囲気が、まるでさっきまでのティーツリーではない。

「私が排除してきてあげます。レイジィの心を惑わせる存在は……すべて……」

 その声の沈み方に、この俺が思わず身震いをした。数多くを殺し、数多くの殺人鬼を目の当たりにしてきた俺も、この種の闇を見たことがない。

「安心してください。レイジィのしあわせは……私が護る……から」

 まるで艶消しの塗料を塗ったかのように、その瞳には一切の輝きがなかった。それが逆に恐怖を煽り、この世から切り離されたような錯覚すらある。

「レイジィ」

 彼女は仕込まれたナイフを手品みたいに手の中に納め、

「レイジィは、私が護ると決めた……から」

「そんな貧弱なナイフじゃ無理だって。とりあえず座れ」

「大丈夫です。シンディよりは簡単でしょう?」

「え……!?」

 思わず目を見開いて息を詰める。

「まさか……シンディって……あのシンディバール……か?」

 合衆国大統領の上級職員であったシンディバールの失踪事件は、闇に生きる者にとって、伝説の一つとなっている。襲撃者は合衆国の威信をかけた鉄壁の防御網を片っ端から破壊して彼女を〝消し〟た。

 この件は合衆国のプライドから表沙汰になってはいないが、裏では無数の捜査員が真相を追っている。が、直で護衛していた四名のボディガードがすべて殺されているため、手がかりがつかめていないというところまでは、裏社会にも情報が知れていた。

 いや、それよりも……

 ティーツリーは曇ったままの眼下を細め、小さく笑う。

「あの女は、あなたの害になる……から」

 シンディバールには裏の顔があり、俺の人生に深くかかわっていた人物だった。

「お前が……?」

「ドロシーマグワイヤ。チェリーミントス。アンジェラモンテ……」

 次々に挙げられていく名前に俺の頬が凍り付く。いずれも俺に関わったことがある女性で、かつ惨殺された女たちの名前だった。

 その後も次々……知り合いから、駅で落とした財布を拾ってくれたエキストラまで、俺と関わった女性の名が次々に列挙されていく様は、生存確認とか以前に恐怖が募る。

「あなたにはふさわしくない……」

「お前が…………?」

「あなたにふさわしくない女は、この世界から全部消してあげます。あなたに幸せになってほしい……から」

 ティーツリーはナイフをさらに握りしめ、鏡のように研ぎ澄まされた刀身に僕を映すように持ち上げた。

「ねぇ……あなたにふさわしいのは……だれ?」

「……」

「だれ……?」

「……」

「分からない……? ここまで聞いても、それに気づけない……?」

 彼女から三度の涙があふれてくる。しかし何が恐ろしいって、その表情は、口角を上げた……いわゆる笑顔のままなのだ。

 笑顔のまま、まぶたは錆び付いてしまったかのように瞬きもせず、ただ一点、曇った瞳孔をこちらに向けている。涙を流しながら。

「な、なぁ、落ち着けよ……」

「ホントは……分かってますよね……? 運命の相手が誰だか」

 怖い。怖すぎる。

「それとも、マトリョーシカ殺す……?」

 い、いや、殺さなければいけないんだが、そういう理由で殺してはいけない気がする。

「それとも、あなたが死ぬ? 私と死んで、愛を永遠のものにする……?」

 そしてティーツリーはおもむろにベルサイユのばらのエンディングテーマを歌い出した。


 愛が苦しみなら いつまでも苦しもう。

 それがキミの 心に いつか届くまで……。


 もう怖い。コイツが歌うとベルばらの名曲がヤンデレの歌にしか聞こえない。

 その後彼女は『苦しめば苦しむほど愛は深まりゅ~』とか歌いきってから、「だから……」と、意味不明の接続詞を用い、再び俺の胸に飛び込んで上目遣いに見上げてきた。

「光らなくても、いいですか……?」

 その目は光を帯びてうるんではいるが、しかしもう、目の光とか接続詞とかどうでもいい。この番犬には怖さしか感じない。

「いいですか……!!?」

「は、はい!」

「角と尻尾と羽がなくても……?」

「はい!」

「胸大きくなくても?」

「はい!!」

「じゃあ、ここで結婚してください」

「はい!!!」

「誓いましょう? 病める時も、健やかなる時も……」


 …………

 ……

 ……俺の名はレイジィマウス。

 ……如何な〝死のネズミ〟でも、所詮犬の前では、ただの袋のネズミだった……。

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