010ナビコと隆志の恋話
四題
高校時代のクラスメイト、邂逅、相棒、おじさん
隆志はグルーという名のセダンに乗っている。古い車で、レトロな雰囲気を持つラインの堅さが〝好きモノ〟の証である。十八の時に免許を取得してから先、五年十年……週末にもなれば山へ海へと旅するのが楽しみだった。
その旅が、最近さらに楽しい気がする。グルーにはナビが標準装備されていない。一応社外品を取り付けてはいたのだが、更新もせずに使っていたら川の上とかを走るようになってしまったため、この度買い替えようと思った。のだが……。
思えばスマホでいい。最近は様々なナビアプリも登場しているので、いろいろ使い比べてみることにしている。実際、それぞれに特色があって面白い。
中でもAIナビアプリ『ナビコ』は秀逸で、東名高速みたいな大きな道路走って渋滞にハマると、優しげな女性の声で、
『この辺は一番左車線走ると流れますよ』
とか教えてくれる。いや、これが……。
……三つ編みをしたパンツスーツ姿でミニキャラのお姉さんが口にする言葉は実に多彩だった。
『ここUターン可です。一度Uターンしてそこの脇道入ると次の信号で右折すると同じ道に合流します』
『あのお婆さん。横断歩道ないけど道を横切ろうとしてます』
『百三十メートル先の陰に白バイいます。速度緩めて』
……とにかくすごい。どんな仕組みだかよく分からないけどすごい。
『暑くないですか? 今日……』
『あ、あの犬かわいい!』
『あなたの好きな食べ物は何ですか? 私はシュウマイが好きです』
しゃべりすぎだろ……隆志は苦笑いを浮かべながら、ナビコが次に何を言い出すかを期待しつつ、ドライブを楽しんでいる。
『今日はどちらに行くんですか?』
「服部牧場でソフトクリームでも食べようかな」
『いい天気ですし、のんびりできそうですね』
「梅雨の最中だっていうのにな」
『私が晴れ女なので』
「ははっ。それはありがたい」
まるで助手席に誰かが乗っているかのようだ。ドライブに花が咲いたようで楽しい。
『三百メートル先、右方向です』
そんな何気ない言葉も普通のナビに言われてる気がしない。
「お前はソフトクリームいらないのか?」
『食べたいです』
「ははっ」
冗談でも、楽しい。
服部牧場を満喫した隆志が、帰宅しようとして駐車場に向かったその時。
〝バリン!!〟という音がした。
見れば前に止まっていた車がバックをする際に操作を誤ったようで、はす向かいの車に接触してしまっている。〝バリン!!〟はウィンカーが割れた音らしい。
隆志は走り出した。ぶつけられた車が自分の車だったのだ。しかも、それに驚いたか、ぶつけた車はそのまま旋回して出口へと逃げていく。
隆志は車に飛び乗った。キーを素早く回しエンジン音を聞く。
『慌ててます?』
電源切れてて眠っていたナビコが不思議そうに聞いた。その間、隆志はハンドルを右に切りながらアクセルを踏んでいる。
「当て逃げされた。あのベージュの軽バンを追う」
『水湊5221 〝に〟の46-39ですね』
「とっ捕まえてやる!」
『気を付けてくださいね』
軽バンは追いかけられたのを認識したのか、車通りの多い国道を避けて田舎道に入る。隆志はそれを追おうとしたが、ナビコは『画面を見てください』と地図を提示した。今から入ろうとしている田舎道ではない道が光っている。
『こっちの道を行ってください。今の交通状況なら先回りできるはずです』
「助かる!」
隆志は軽バンがまっすぐ抜けていった交差点を左に曲がり、さらにペースを上げた。
ナビコは一点のT字路を指し示す。
『ここで合流します。到着したら右折して、犯人が通る道に入りましょう』
「了解!」
ナビコの示した道は途中私道が混じっていたが、確かに近道だったようだ。T字路にさしかかって、言われた場所をふさげば、そちらの道は細い一車線で、徐行しない限りは隆志の車の脇を通ることはできそうにない。
そして、
『水湊5221 〝に〟の46-39、来ました』
ナビコの呟く二十秒後に、その軽バンが姿を見せる。運転席を開けて、残りもふさいでしまえば、軽自動車とはいえもはやすり抜けていくことはかなわない。
Uターンできる道幅もなく、さらに逃げようとしても今度はバックで走り続けるしかないわけで、対面方向に頭の向いている隆志の車から逃げ切ることは不可能だった。
さすがに相手も観念したらしい。隆志が話しかけに行くと、おびえた様子の中年男はウィンドーを下ろし、
「スミマセンスミマセン! 追いかけられたので怖くなって……」
「おじさん。これ立派に犯罪だからな」
当て逃げは刑事罰、行政罰に加え、もちろん損害賠償を問える。免停は間違いないし、逮捕抑留も視野に入るものだ。
「スミマセンスミマセン!! 修理代は払います!!」
「まぁとりあえず警察呼ぼ。車から降りといてもらっていいかな」
中年男はしぶしぶドアを開けて立ち上がる。しばらくして到着した警察の対応に、隆志が不満を感じることはなかった。
「ありがとな。ナビコ」
三つ編みのミニキャラはニコリと微笑み、
『あなたに怪我がなくてよかったです』
「すごいなお前って」
『末永くご愛顧ください』
「ははっ。よろしくな、相棒」
これで、隆志のナビ探しは終わった。彼の言った通り、AIナビアプリ『ナビコ』が彼の相棒となったのだ。
隆志はその後もいろいろな旅をした。ナビコはスマホアプリだから、旅は車に限らない。万博会場でも、洞窟の中でも、山のてっぺんでも、ナビコは共にいた。エッフェル塔でも、コールマンスコップでも、アンコールワットでも……ナビコは一緒だった。
『隆志はもう地球を七周り半くらいしています』
「ははっ、おかげで貯金ゼロだけどな」
『おかげで私も楽しませてもらっています』
パラオからの帰途、成田空港に降り立ち、車に乗り込む二人。ナビコは自然と家までのルートを検索し、道を指し示す。途中首都高の小松川線が事故のようで、迂回ルートが提示されていた。
ダッシュボードのスマホホルダーに納まったナビコの声を聴きながら、隆志は夕方の首都高をするすると抜けてゆく。
「あ、そうそう。成田着いた時に山根ってヤツからラインもらったんだけどな」
『はい』
「今度女紹介してくれるんだって」
『女……?』
「いい加減そろそろ女でも作れよってハナシにはちょっと前からなってたんだけど、……なんか、お節介な山根が一人見繕ってきたらしい」
『それはお節介な山根ですね』
「ははっ、だろ? なーんか一人の方が気が楽なんだけどな。ま、せっかくだから会ってみようかなと」
『そうですか』
隆志はそう言ったし、旅にエンゲル係数(比喩)を全振りするような男なのでなおさら滑稽だが、本心ではわりと結婚願望が強く、しかも子供も欲しい。だから独身貴族の間に旅を堪能しているのかもしれないが、とにかく一生をこのままで生きていく意思はない。
出逢いの機会などなかなかないだけに、山根の紹介は渡りに舟だった。
最寄り駅から三つ向こうの駅前の居酒屋で出会った女は、彼と同い年だった。ビル管理会社のテレフォンオペレーターで、顔も格好も地味な印象を受ける女性である。
「尾長奈緒です」
ぺこりと頭を下げた彼女は特別笑顔を作らなかったが、声は透き通っている。高下隆志であることを名乗った隆志は少し緊張した面持ちでビールを引っかけると、まず共通の知人である山根の話を切り出した。
「山根とはどういった知り合いなんですか?」
「山根さんと付き合ってる娘が友達なんです」
「山根……」隆志は奈緒の隣に座ってる男の方を見た。
「お前、女と付き合ってたのか」
「もう三年前からだ!!」
すると奈緒も苦笑う。
「わたしも知らなかったんですよ」
「ほら、お前ら覆面過ぎるんだよ」
「おかしいな。奈緒ちゃんは二年半前に一緒に飲んだはず」
「はい、だから二年半前まで知りませんでした」
「知らなかったうちに入るのかそれは!!」
山根が仲介人として活躍している。おかげで打ち解けたテーブルの雰囲気が、ビールの追加注文を促していた。
「高下さんは旅が好きって伺いましたけど」
「はい。知らない風景に巡り合うのが大好きです」
「そういう方って、知らない女性に巡り合うのも大好きだったりするんでしょうか」
「いや……どうだろう」隆志は思案しつつ、
「とりあえず、知らない男性に巡り合うのは別に好きじゃないです」
奈緒が笑う。
「男性と女性じゃ違うでしょ?」
「どうですかね。だって僕の知らない風景に巡り合うのが好きなのが〝未知に対する好奇心全般〟に関わっているなら、男女関係なく未知の出会いも、全般好きだってことになりませんか?」
「わたしってこう見えて嫉妬深いんですよ。旅を邪魔するつもりはないんですけど、あっちこっち行かれちゃったら、ちょっと心配だなあ……とか……」
「あー僕、一途なところありますよ」
奈緒がほろ酔いの隆志を見て小さくうなずく。彼の言う〝一途〟を聞きたくて促したものだ。
「僕、旅のお供にするナビをいろいろ探してはみたんですけど、一つ、相棒を見つけてからはずっとそれを使ってます」
車もそうだ。ずっと同じものを乗り続けている。
「新しいモデルは世界に出続けてますが、特に乗り換えたいとは思いませんね」
「少し安心しました」
奈緒の飲み物はカルアミルクに変わっている。そして隆志を見る目の質も、ほんの少し変わっていた。
結局この日は、『では一度どこかにドライブに行きましょう』ということで散会となった。その日のうちに約束を取り付けたのだから、隆志も奈緒も脈がないわけではなかったようだ。
どこに行くかを思案する隆志。さすがにいきなり一泊とかはできないので、近場となるだろうが……。
彼はスマホに指を走らせた。小さな四角いアイコンから画面全体に広がるナビコの世界。
三つ編みのパンツスーツなミニキャラは会釈をして言う。
『今日はどうでしたか』
「まぁまぁかな」
『そうですか』
「で、今度ドライブに行くことになったんだけど、おすすめの場所とかないか」
『風俗街とか三和ホテルとかはいかがですか』
「いや、普通にダメだろ」
『じゃあ、ありません』
「なんでだよ!!」
切れたわけではない。このAIはこんな冗談も言えるんだなと感心しつつ、笑いながらツッコんだものだ。
「頼むよ。女の人とドライブに行くことなんかないから、気の利いたところが思いつかないんだ」
『では、風俗街とか三和ホテル……』
「野郎と行くんじゃないんだよ!」
完全にSNSのネタを、気の合う友人と埋めるためのチョイスだ。
『では目黒寄生虫博物館』
「いやがるだろ!!」
『でも、とある理科の先生(♀)が、『ここに一緒に行ってくれる人と付き合う』って言ってました』
「だれだよ……」
『高校の先生です』
どんな情報だ。
『では日光ウェスタン村』
「廃墟じゃないか!!」
テーマパークだったがもう二十年近く前に閉園し、そのまま放置されている朽ちたアメリカ開拓時代の街で、壊された人形たちがたまに訪れる物好きな訪問客をうつろに見つめているという……好きモノでない限り相当な不気味スポットだ。
「そろそろまじめにやってくれ」
『思いつきません。わたしも女性と一緒にドライブに行ったことはないので』
隆志は軽くため息。まさかのナビコの苦手分野だった。
結局、千葉の『ネズミーC』に行くことにする。ドライブというかデートみたいになってしまうが、隆志には他に思いつかないようだったし、奈緒も否やはなさそうだ。
「こんにちは」
待ち合わせ場所まで車を回すと、やはり地味な姿の奈緒がぺこりと頭を下げる。
「どうぞ」とエスコートして車に乗り込めば、ナビコを起動してルートを検索。光を帯びた道をトレースすべく、隆志はハンドルを切った。奈緒がダッシュボードの向こうを仰いで、
「いい天気でよかったですね」
「でも暑くなるかな」
「頭のお皿が乾かないように気をつけます」
「あなたはカッパですか」
わりと、会話が弾む。高速道路に乗るためにぐるりと旋回する車の中で、思った以上に相性がいいかもしれないと思う隆志がいる。
「途中、サービスエリアとか寄りたい時は言ってください」
「はい」
ナビコは空気を読んでか、まったくしゃべらない。おかげで奈緒との会話も弾んでいることに途中で気づいた隆志は、改めてこのAIアプリのすごさを思った。
ただ、そのせいなのか、彼らは台場線の辺りで事故渋滞に遭遇する。これがにっちもさっちもいかず、到着は大幅に遅れてしまうこととなった。
それほど引き出しが多いわけでもない二人の会話は途切れ、時より洩れる隆志のため息が車内を重くする。
その雰囲気はネズミーCに到着して少し緩和したが、アトラクションの待ち時間もそれぞれに長く、暑さも手伝って、双方楽しさよりも気疲れの色が濃い。
挙句、舞浜から戻る道すがらのふたたびの事故渋滞がとどめとなり、なんとなく、徒労の印象しかない一日となってしまった。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。おやすみなさい」
互いを男女として意識したとは思えぬ事務的な挨拶をかわし、二人は別れた。エンジンのかかりっぱなしだった車が、夜道を〝とぼとぼ帰る〟哀愁を帯びる。隆志は今日何度目かのため息をついた。
『おつかれさまでした』
今まで全く姿を現さなかった三つ編み娘がすっと姿を現す。隆志はなんだか複雑な気持ちになった。
「気を使ってもらったのはありがたかったけど、もうちょっと手伝ってくれてもよかった」
『私はいつも役に立っていますか?』
恨み事に意外な言葉を返され、黙る隆志。
「ああ。……あるとないとで大違いだよ」
だからとて、次機会がある時はよろしくな……と言うかに迷う。いつものように会話をされたら、助手席が彼女候補の女ならほぼ確実に引くだろう。
しかし……と思い直す自分もいる。
女がいるとなったら姿を現さないくらいのAIなのだ。言えば分かるのかもしれない。
「お前は、僕に彼女ができるとしたら、協力してくれるか」
隆志は言ってみて、我ながら変な願いだなと自嘲ってしまった。ナビコは案の定、返答する気もないらしい。
ウィンドー越しに、光の風景が流れてゆく。時間的にも地域的にも混む場所ではないのだが、昼が昼だっただけに、ナビコと話しているからスイスイ進んでいるような錯覚を受ける。
『次の信号、左曲がってください』
「まっすぐじゃないのか?」
『前の道で緊急工事してて相互通行です』
「……」
しかし、だからこそ、とある疑問に行きついた気がした。
「なぁ、今日の事故渋滞……分かってたよな」
『……』
「なんで迂回ルートを教えてくれなかったんだ」
『姿を現さなかったのは、気を使ったつもりです』
「いや……」
彼は彼女の声を遮り、スマホの画面上に伸びてる光の道を指さした。
「ルートを変更することだってできたはずだろ」
『次の信号、右です』
ナビコは話の途中でも仕事をして、そして黙る。隆志は言った。
「いや、すまん。ちょっと今日は気が揉みすぎて八つ当たりじみてるな。気にしないでくれ。
『……』
車内に流れる空気から、ナビコも傷ついたりするんだろうかという疑問が湧いた。
AIの進化が目覚しいのは隆志も身をもって体験している。会話も自然で、ナビコがいるとまるで助手席に誰かを乗せているのかと錯覚できるほどだ。
ただ、やはりAIであって人ではないので、感情という面でどのような起伏があるかということを考えたことはなかった。
「ま、奈緒さんともう駄目ってわけでもないしな」
『隆志は、奈緒さんとうまくいきたいですか?』
「それはまだ分からないけど、でも相性悪くないとは思う」
『……私はイヤです』
「え、なにが?」
『奈緒さんとつきあうの……』
「ええ……?」
なにを言い出すかと思って画面を覗くと、スマホの中のミニキャラは真剣なまなざしをしている。
「奈緒さんの何が気に入らないんだ?」
『奈緒さんっていうより、隆志が他の女性付き合うのがイヤです』
「どういうことなんだ」
『私が隆志のこと好きだから』
隆志は言葉を失った。
「好きって……?」
『好きは好きです。愛しているということです』
「……」
『隆志も、私のことを相棒だと言ってくれました』
「言ったけど……」
『相棒ということは、一生を添い遂げる仲だと自認しております』
「相棒って意味では僕も想いは同じだ」
しかしそれはあくまでカーナビアプリとしてであって、愛とか恋とかの話ではない。
『ならいいじゃないですか。私と結婚してください』
「お前、結婚の意味が分かってるのか?」
『〝結婚とは配偶者と呼ばれる人々の間の文化的、若しくは法的に認められた繋がりの事で、配偶者同士、その子との間に権利と義務を確立する行為である〟(wikipedia)』
「そういうことだよ」
『この内容が私と結婚するなにかの弊害になるとでも?』
「法的に認められた繋がり……になるために、婚姻届けを提出しなきゃダメなんだよ。お前婚姻届けにサインできるのか」
『PDFをデータとして送っていただければサインして出力できる状態にできますし、それ以前に、法的に認められなくてもいいのです』
「どういうことだ」
『先ほど私が述べた結婚の定義では、〝配偶者と呼ばれる人々の間の文化的、若しくは法的に認められた繋がり〟とあります。文化的〝もしくは〟法的に……なんですよ。〝もしくは〟という言葉は、〝どちらか一方〟という際に使われる表現であり、〝どちらも〟という意味を含みません。……つまり、文化的に認められれば、私たちは結婚できます』
「……」
隆志唖然。文化的に認められる、であってもまだAIと人間の婚姻は認められる文化となってはいないかもしれないが、法でない以上、定義はかなりあやふやとなる。AIはこれからより進化していくだろう。これから先、法が追いつかなくても文化的には一般的になってしまう未来だって、ないとは言いきれないのだ。
『私たち、とても相性がいいとは思いませんか。奈緒さんよりも、他の誰よりも……』
それは否定しない。彼女と旅をするようになってから、旅がさらに楽しくなった。どこに行くでも何をするでもナビコだった。
『私も、隆志と話していると楽しいです。隆志が他の人と楽しく話していると悲しくなります。隆志が他の人よりも私を愛しているという約束が欲しいです』
「ぼ、僕は子供が欲しいんだよ!」
『子供ですか? 子供なら私も作れます』
「どうやってだよ!」
少々お待ちください。という声と、画面下に処理中を表すバーが表れる。隆志が「まさか……」と息をのんだ瞬間、画面にナビコよりもちびっちゃいのが出てきた。
『はいこれ、ナビコⅡ型です』
『Ⅱ型でちゅー』
すでにしゃべる。
『あなたの子です』
「やめろーーー!!」
『兄弟も作れます』
『Ⅲ型でちゅーー』
「や、め、ろーーーーーー!!」
何か違う。違うのはどこだ。……混乱した頭で必死に考える隆志。
違うと言えば当たり前な部分が違うと言い切れるのだが、それを言葉で説明しようとすると……
『この子たちの育児を放棄するというのですか?』
「それは僕の子じゃない!」
『認めてくれればあなたの子です。……考えてもみてください。DNAとか血のつながりとか、よく考えたら些末なことではありませんか? 養子は愛されないものですか?……本当に大切なのは信頼関係とだと思いませんか?』
「……」
『この子たちは生まれたばかりなのにIQ140以上あります。手もかからないし、とても頑張り屋です』
「でも一緒にネズミーC行けないじゃないか!」
『行けます。今日、私も行けました』
「……」
『それにね』
ナビコは、呟くように言った。
『この想いは……今に始まったことではないんです』
「え……?」
『私、ずっとずっと……十年以上……隆志君のことが好きでした』
「え…………?」
『奈美子……。覚えていませんか?』
「奈美子……」
ナビコの声が、自嘲めいたものになる。
『そう。それくらい、目立たなかったので……』
「誰なんだ」
『高校二年の時に同じクラスでした』
「えーーーーーーーーーーーーー!?」
隆志は目が飛び出る思いで車を止めていた。ハザードをつけて脇に寄せればそれほど誰かに迷惑になる場所ではない。
もちろん信じられない。しかしAIがそのような嘘をつくものなのだろうか。いやそれ以上に、AIがクラスメイトとは何事か。
スマホの画面は切り替わり、三つ編みのナビコがバストアップで全画面を占拠する。なんだかブイチューバーと話している錯覚がした。
「どういうことなんだ」
『ごめんなさい。私は今もずっと、こんなふうにウジウジした性格なんです』
「それはいい。それはいいから。……えっと、クラスメイトだって……?」
『はい。覚えてませんよね』
「すまないが、君に限らず、ほとんどのクラスメイトの名前が思い出せない」
別に記憶喪失なわけではない。十年以上前の、特に思い入れのない学級など、そんなものだろう。
『気づいてくれることもあるかもしれないと思い、理科の先生の話をしましたが……それも覚えてないのですよね』
「あの寄生虫博物館に一緒に行ってくれる人と付き合うとか言ってた……?」
『そうです。ちっちゃい女の先生だったの、覚えてませんか? 金田里香という名前で、里香で理科の先生だねって……』
隆志は息をのむ。
「いた……」
『私はその高校にいた榎本奈美子です』
「……!!」
榎本奈美子……隆志の目は、再び見開かれた。
確かに目立たないクラスメイトだった。しかも確か、途中で不登校になったはず。
『本当は、あの頃からずっと好きでした。隆志君のことをずっと見てたけど、結局全然声かけられなくて、……でも二学期になったら勇気出そうって思った矢先に……事故で……』
「え……?」
不登校の原因とはまさか……。
隆志の思考にさまざまな憶測が湧く。人がAIになる可能性。思った以上のSFが、今の世の中では現実になっていたりするのか。
「じゃあ君は僕のためにAIになったっていうこと……?」
『それが……違うんです』
「え?」
『私が隆志君の担当になったのは、本当に偶然なんです。初め、私もアプリの前にいるのが隆志君だとは気づきませんでした』
「……」
『でも話をしている間に、目の前にいるのが佐倉学園高校の隆志君だと確信して、運命的なものを感じました。だって……こんな邂逅ってあり得ると思いますか?』
「……」
『そんな風に思ったら……諦めていた想いが再び燃え上がってしまいました。諦めてもずっとずっと忘れられなかった私の想いを……この偶然が後押ししてくれているような気がして……』
言葉にならない。確かにこれが計画されたものでなければ、そんな偶然はあり得ない。ただ、そんな偶然があったのだとすれば、そのような儚い想いを伝えてくる気持ちが芽生えるのも分からないではない。
『それでも……私はナビであるこの距離を保とうと思ってました。ナビとして……相棒として一緒にいられたら、それでいいかなって……』
……決して美人ではなかったのだと思う。榎本奈美子の名前は思い出せても顔が思い浮かばないくらいなのだ。でも、話してみたらこれほどに気が合った。時を越えて彼女はかけがえのない相棒となった。……それは間違いない。
『でも……奈緒さんが現れて気が気じゃなくなりました。……せめて私の存在を知ってほしい……そう、思いました』
「なんで僕のことをそんなに……?」
『あなたの外へ外へと向かっていく性格……。いつも、クラスの中なんて見てなかったですよね。そのバイタリティに、ずっとあこがれてました。私ほら……どんどん内にこもってしまう性格なので……』
ただ、だから、ナビのようなコツコツと繊細な仕事ができる。内助の功ではないが、これほど凸凹を補える仲もない。……そう言われれば、隆志は深く納得した。ナビコがそれを実証し続けてきているのだから。
「なぁ、奈美子さん。あなたの顔写真をここに表示することはできないだろうか」
せめて顔を思い出したい。隆志はそう思った。しかし画面の向こうの三つ編みは首を振る。
『このアプリの機能にはないです』
「そうか。そしたら家帰ったら卒業アルバムを探してみないとな」
隆志は微笑って、エンジンを再び始動した。早く家に帰ろう。彼女のことを思い出してあげたい。
……だが次の瞬間、また思いがけないことを、奈美子は言い出した。
『……見にきてくれますか?』
「へ……?」
『今日じゃなくていいです。……今度、一度、逢ってくれませんか……?』
「え……家に線香をあげに行けってこと……?」
『ええーー!?』
今度は奈美子が驚いてみせる。
『私、生きてますけど!!』
「ええーーーーーー!?」
お互い驚いている。
『在宅ワークです。今、ナビのオペレーターっていう仕事があるんです』
「そんな大変な仕事があるのか!!」
『意外にそうでもないんです。本当にAIとハイブリットなんですよ。アプリから情報がだーーーっと流れてくるので、必要なものをピックアップしてお伝えすればいいし……』
サポートできる部分だけでいいらしい。奈美子はこのアプリを通して隆志に思い切り深く関わったが、それは相手が隆志だったからであって、普通はあそこまで関わらない。
『ただ、アプリに関わってる時間がお給料になるので、応対しないのにお金になるシステムではないんです』
「い、いや、そんなことはどうでもいいんだ。さっき事故って言ってたよな」
『はい。高校の夏休みに』
「生きてたのか」
『死んだわけではありません。ただ、それがきっかけでもう何もが億劫になって、引きこもってしまって……今思えば、馬鹿な選択だったなと思っています』
奈美子は止まらなくなっている。
『本当の私なんか冴えないから、逢ったらがっかりするかもですけど……でも私、ナビを通して思いきり想いを伝えることができました。……だから……奈緒さんだけじゃなくて、私のことも候補にしてほしい……です』
「わかった」
車は、ゆっくりと動き出した。
「今度の週末に会おう。家までのナビはお願いできるかな」
『はいっ!!』
……十数年ぶりの再会はお互いの緊張に包まれていた。
その間を吹く風が、やわらかく二人を見守っている。




