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百夜一夜物語(短編百篇企画)  作者: 矢久 勝基


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001ハンターに誘われた理由:危ないビキニが40%

四題

レベル上げ厨、無課金、中卒、お姉さん

 家のキンコンが鳴ったのは、わたしが新体操の部活から帰ってきて、さぁシャワーでも浴びるかと思った時だった。だから制服ね。白いブラウスがしっとりと汗ばんでうっとうしいので服も身体も総とっかえしたい。そんな矢先だ。麦茶を飲んで下着をタンスから出し……たのをひとまずリビングのテーブルに置いて、インターホンのところへ向かうことになった。

 時は九月。夏休みは明けたけど、まだまだ暑さは本気でニホンジンを殺しに来ている。残暑が酷暑過ぎて、こんなのは〝残った暑さ〟とは言えない。

 額ににじむ汗を指で払いながら、インターホンに応答はせず、画像を覗き込むわたし。パパもママも働きに行っていない、オンナ一人の牙城なので警戒度はマックスである。

「すいませーん」

 でも眉の緊張は一瞬で解けた。声の主はわたしにとっては幼馴染ともいえる存在だったのだ。

 男の子。一つ年下。同じマンションに住んでるから、小学校とか一緒に登校していた時期もあった。同じマンションに住んでるから、オートロックも完全スルーのムホウモノである。

「お姉さーん。もう帰ってきてますよねー?」

 ちなみにコイツ、わたしのことをお姉さんと呼びやがる。そんなの言われたら、とりあえず玄関に出てやるしかないじゃないか。

「なに、今からシャワー浴びるんだけど」

 ドアを開けると、昔はこんなにちっちゃかったのに、やけに大きくなった〝弟〟が立っていた。ナニゲに久しぶり。ウチの新体操部は練習が鬼だから。

 わたしは顎をやや上げて、改めて「なに? ユーチ」と聞く。

 ユーチは、ホントは祐二ゆうじなんだけど、小さい頃は自分のことを「ゆーちはねぇ、ゆーちはねぇ」と連呼してたので、わたしにとってコイツはユーチ。ちなみにゆーちとひらがなで書きたいところだけど、読みにくいからあえてのユーチ。

 ちなみにわたしは観月みづき羽菜観月はなみづき。美しい花の名前から掛けてるけど、ハナミズって呼ぶヤツには容赦なくあっぱーしょーりゅーけんをお見舞いする人生を送っている。

 ともあれ、そのユーチはどことなくもじもじとしながら、わたしの目を見たり見なかったりの不審者ぶりを発揮していた。

「言っとくけど、愛の告白ならお金稼いでからにしてね」

「そう。そのこと」

「え……?」

 吐きかけた空気を吸い込んでしまう。心持ち後ずさって、上目遣いにヤツを見た。

「なに、引きこもって脳みそ腐った?」

「腐ってないって。ボク、金を稼ごうと思う」

 あ、そっちね。という安堵が声のトーンに出た。

「なんで?」

「いや、なんでって、物価高だし、政情不安だし、てかボク、やっぱこのままじゃいけないと思うし……」

「ウン」

 わかる。

「でも、ボク中卒だから、いい仕事がなかなかないし、資格取ろうにも頭悪いし、何か始めたくてもお金ないし」

 終わってんじゃん。言いかけたけどさすがに言わない。

 というか、そんなことを言いに来たのか。さてはわたしに何かを甘えに来たか。

 生まれてこの方今までのパターンに照らし合わせそう思ったわたしはふっと一度息を吐いた。そんな用事なら、じっとりと汗をかいた女子高生としては、シャワーに勝てるはずもない。

「がんばってね。無事仕事が見つかったら初任給で何かおごって」

 おざなりな応援と共にドアを引く。が、そのドアはヤツの靴の先で止められた。

「なに」

「だから、一緒に戦ってほしいんです」

「ハァ?」

「一緒にモンスター倒してほしいってことです」

「モンスター?」

「お金も儲かるし、レアアイテムとか手に入れたら人生ワンチャンありじゃないですか」

「待て待て」

 わたしは思わず、一つしか離れてないコイツの頭を小突きたくなった。

「ハンターのこと?」

「当たりです!」

 うなだれるしかない。十代が夢見やすい職業で、特に三大疾病と呼ばれるものの一つだ。

「やめときなよ。ハンターで成功するとか、ユーチューバーで成功するのと同じくらい難しいんだよ?」

「あ、ボク、ユーチューバーみたいにこまごましたことできないんで、ハンターの方が簡単だと思います」

「ヤバかったら死ぬんだよ?」

「分かってます」

「分かってないじゃん。蚊より大きいものやっつけたことあんの?」

「ありますとも」

「スマホ見せて」

 最近はスマホアプリで倒した物の履歴が見られる。それ以前までは完全にアナログでふわりとした認識しかできなかったレベルという概念が、画面で数値化されたのだ。ちなみにわたしも面白半分でそのアプリを入れてはみてるが、モンスターを倒したことがあるわけじゃないので当然レベルは1。ていうか普通、女子高生はみんな1だ。男子は女子よりは冒険ゲーム好きだからやりたがるけど、多くの中学高校ではモンスターハントは校則違反なので、普通、男子も1だ。

 だから、顔認証で開かれた画面を差し出すユーチの手元に、わたしの目は釘付けになった。

「す……スライム、12万8432匹……?」

「最近レベ上げがボクの天職のように思ってます!」

 そうかコイツ。中学校卒業後一応社会人だから校則ないんだ……。

「てかスライムばっか、そんなによく見つけたね……」

 言っておくけどここは神奈川県の北の方である。そんなにごろごろごろごろスライムが歩いてるわけじゃない。

 ユーチは笑った。

「どうもボク、スライムを見つける才能はあるみたいなんです」

「そぅなの?」

 まぁ誰もが一つくらい才能を持ってる。コイツがスライムを見つける天才だというのなら、あるいはそういうこともあるのだろう。まぁ一つしか持てない天才がそれだったら、わたしは三か月くらい落ち込むけど。

「だからボク、今ならお姉さんを守りながら戦えると思います!」

「わたし、それ見つかったら停学とかになるんだけど」

「あーーー」

 分かってるのか分かってないのかよく分からない相槌を打つユーチ。

「てか、スライム12万匹も倒したら、もう結構金持ちなんじゃないの?」

「スライムですよ?」

「え、ダメなの?」

「一匹平均、0.02円くらいです。半年で2,500円くらいは貯まりましたけど……」

 それはポイ活よりひどいな……。

「じゃあ半年間レベル上げし続けたの?」

「何の技能も才能も金もないすからね。レベルに頼るしか」

 それだけ努力できるなら普通に他のことした方が効率いい気がするけどね。

「分かった」

 その上で、わたしは一度うなずいた。

「ユーチがそんなにハンターやりたいのは分かったよ。……でもなんでわたしなの?」

「え?」

「確かに新体操やってるから攻撃魔法使えるよ。だけどわたしは共学普通科県立の平々凡々な女子高生なわけよ。それをマックに誘うでもなくミスドに誘うでもなく、ハンターに誘うってどういう神経してんの?」

「お姉さんしかいないからです」

「違う違う。そういうのは普通素人は誘わない。タウンニューズに広告出すとか、ハローワークに募集出すとかがセオリーなんでしょ?」

 なんならギルドとか酒場でもいい。普通の女子高生を誘うとか、茶道がやりたい子を火星に連れて行くようなものだ。よね? あってるよね。わたしの認識。

 が、ユーチは馬鹿だからあくまで納得しない。

「広告とか募集とか、課金要素じゃないですか……」

「ハァ?」

「ボクは無課金プレイヤーを貫こうと思ってます。そもそも、金ないですしね!」

「そりゃそうか」

 中学卒業して半年。就活すれども結局バイトも見つけてないんだから、お金なんてあるはずもない。

 待て。金ないんかい。

「そうすると、わたしのアバターも全然色気がないまま?」

 アバターというのは特殊な装飾品のことで、たとえ鋼鉄のフルプレートアーマーを着込んだとしても、ドレスのアバターを上から着こむとあら不思議。フルプレートの装甲値そのままにドレスの姿に変わるのだ。しかも重さはアバター依存なので、重さはドレスの重さになると。

 そんな夢のアイテム〝アバター〟だが、もちろんかわいいものはすべて課金要素となっている。パンダ柄の全身タイツとか、ペヤンヌ醤油焼きそばの着ぐるみとかはイベントでもらえたりするが、かわいいのはすべて課金要素だ。大事なことだから二度言った。

 確かにアバターの存在はやや憧れる。華やかなのだ。しかも、アバターですって理由がつくと何となくその華やかさが許される傾向がある。

 いや別に、アバターを買えばいいのだが、ハンターでもないのに華やかなアバターを身に着けてるというのは、つまりレーサーでもないのにレーシングスーツを身に着けてるようなものだ。ついでに値段も高く、どうしても同じものが着たかったらアバターではないものを買った方がはるかに安いので、〝鎧を着てるのにドレス〟みたいなシチュエーションでもない限りはいらない。

 しかしそれ以前に……。

 ハンターのルールとしては、パーティを組む場合、リーダーしか課金権限がないのだ。つまりこのバカチンが無課金を決め込むとしたら、わたしに課金アバターが回ってくることはない。

 ……わけだけど……。ほんとに、コイツわたしに鎧着させてそのままってこと?

「ですね!!」

 誇らしげに完全肯定したバカユーチンに、わたしは叫んだ。

「なら無理に決まってんじゃん! なにが悲しゅーて今が満開の女子高生が鉄の塊にならなきゃなんないのよ!」

 っていうか、さっき校則違反だから無理って言ったのはすでに忘れられてる。そんな鳥頭のユーチは「ふっふっふ」と喉の中で笑うと、得意げな表情を浮かべた。

「そうおっしゃると思って調べといたんですよ。今始めれば周年記念イベントで豪華なアバターがもらえます!」

「え、どんなやつ?」

「イベントページ出しますね」

 一瞬胸の高鳴るわたしに向けて、ユーチは再び自分のスマホを操作して、画面を翻した。わたしは悲鳴。同時にユーチの声が重なる。

「女子はあぶないビキニもらえます!!」「うあーーーん!!」

 それは真っ赤なビキニだった。しかも海に行ってもなかなかこれ着れる勇気ある女の子はいないんじゃないかってくらいきわどいヤツ……。

「街歩けるかっ!!」

 いくら世間がアバターには寛容といったって、これはわたしの方がいたたまれない。

「えー、でもお姉さん、新体操ではレオタードですよね。同じようなものでしょ」

「体操協会からクレーム来そうなことを言わないで!!」

 マジで、スタイリッシュなコスチュームを性的な意味で見られるのは困る。見てほしいのは演技や競技であり、身体ではないのだ。

 全国の新体操選手のためにも、そのようにユーチを説教すると、彼は素直に謝った。しかし懲りない。「確かに競技のレオタードとは全然違うものです」と前置きして、

「でも、だとしたら新境地じゃないですか。お姉さんってすっごい体形いいから、こんなの着たら、ひょっとしたらモデル事務所とかからオファーがくるかもしれませんよ」

「……」

 モデル事務所……憧れないわけではない。

「お姉さんがこれ着てる姿を想像するだけで、ボク、なんかいろんなものに感謝ができます」

 しかしこれはもはやただのセクハラガキの主張だ。

「ね。だから一緒にモンスターハントしにいきましょ? レベルが上がるの、爽快ですよ」

「ねぇ。これをわたしに着せることが目的になってない?」

「気のせいです!!」

 わたしは呼吸を整えて、改めて思春期真っただ中のエロガキを見上げた。

「わたしは、部活でへとへとなの。アンタの冗談に付き合ってるヒマっていうか気力はないんだって」

「お姉さん」

 改まって、一つ下のエロガキがわたしを見下ろしてくる。

「お姉さんは自分を卑下しすぎです」

「え」

 いきなり出てきた言葉の意味が分からず、思わず目を見開いて彼を見つめてしまう。ユーチはかわいらしく笑った。

「お姉さんは、自分で思ってるよりもすごく魅力的な人なんですよ。すごく優しいし、面倒見いいし、ものすごいエロい身体しています」

「おい……」

「ボクのこといつも気にかけてくれて、いろんな相談に乗ってくれます。目も大きいし、髪の毛もサラサラだし、いつもボクを明るい気持ちにさせてくれるんです」

「……」

 コイツはこうやって、いつもさりげなくわたしをよいしょしてくれる。わたしだって本当は、コイツのこういうところに支えられて、なんとか自分というものを保って生きてきた。

 ユーチはスマホの赤いビキニを指し示して続ける。

「その魅力を最大限引き出きだして世間に問うていくことは、お姉さんみたいな素敵な人には、もはや義務なんですよ。だって、それによって救われる人たちも絶対出てくるわけですから」

「わたしが水着になると誰がどう救われんのさ」

「少なくとも、ボクがオカズに困りません」


 ハナミヅキ 腹をえぐった しょーりゅーけん (読み人、羽菜観月)


「ぐはぁぁぁーーーー!!」

「次は殺す」

 それでも懲りないユーチ。よじれた腹をそのままにわたしを説得にかかる。

「い、いや、でもですね! お姉さんみたいなのがアイドルになったら、推しもいっぱい増えると思うんです! 知ってますか。推し活って心のリフレッシュや仕事や学業へのモチベーション向上に効果があることが実証されてるんですよ。それって間接的に、お姉さんが人を救ってることになるじゃないですか!」

「……」

 モデルにはほのかに憧れるだけに、わたしはその言葉を斬り捨てられない。それをいいことに(?)、ユーチはさらに踏み込んだ。

「こういう格好だって、お姉さんだから着こなせると思うんですよ。お姉さん、赤似合うから!」

「そーかな……」

「だから、ビキニだって自信をもって着ればいいんです。絶対きれいですよ。だってボク、他の女子がこれ着てても見たいって思いませんもん。お姉さんだから、見たいんです!」

「それで?」

 わたしは少し恥ずかしくなって身体を一歩引いた。ちょっと手で合図して、玄関に入ってって促す。だっていくらなんでも下着みたいな水着の話題を、玄関のドアあけっぴろげで話したくない。

「何をしたらいいの、わたし」

 ばたんとドアを閉めて、狭い玄関に二人で立つ。男女としては距離が近すぎるけど、言うて弟みたいな存在だ。ユーチもその距離を意識せず、真顔のまま、意志の強い目を見せた。

「このアバターをボクの前で着てください。……じゃなかった。ボクとパーティを組んでください!」

「さっき校則違反だって言ったよね」

「バレない場所で戦えばバレません」

 そうじゃないのよ。

「なんで校則違反になってるか分かってる? 死んじゃうかもしれないからなんだよ?」

「大丈夫です。スライム12万匹ですでにレベル21です。守りながら戦えます」

「21なの!?」

 よく分からないが、校則なんのそのだった中学時代のやんちゃな子が、それでもやっとレベル6だった。

「スライム楽勝でしょそれ」

「はい。スライムは楽勝ですが、始めて半年やって2,500円ですからね。キリがないことを、うすうす気づき始めました」

 半年やる前に気づけよ……。

「だから、もう少し強いモンスターを探そうと思うんですが、これはもう、パーティ組まないと危ないなと」

「だから、タダで連れていけると思ったわたしのところに来たってこと?」

「友達いないんですよ。よろしくお願いします」

 同じだけの時間、レンタル彼女した方がよほど効率よさそうなんですが。

「レベル21なら一人でも大丈夫な気がする……」

「それじゃ、ビキニキャンペーンが無駄になるじゃないですか!」

「やっぱりそれが目的なんじゃん!」

「一石二鳥ってことですよ!!」

「その石をわたしの方に投げるな!!」

「いや、だから、そこはお姉さんを露出させて、プロデュースしていきたい気持ちもあるんです!」

「……」

「それに、お姉さんならボクのことを本当に心配して助けてくれそうだから……」

「いや、心配だよ。心配だけど、心配だからむしろ別のことでお金稼いでほしいって言ってんの」

「それじゃ、お金が足りなくて……」

「贅沢するから」

「してないっすよ。見てください。この格好」

 何の変哲もないストライプシャツとデニム。たしかに総額五千円入ってるかも怪しい。

「ゲームの課金?」

「ハンターを無課金って言ってるのにゲームで課金なんかしないです」

「じゃあなんで必要なの? カツアゲでもされてる?」

「いや、だから、ちゃんと将来を見据えてって言ったじゃないですか。お姉さんって鳥頭ですね」

「アンタに言われたくないわぁぁ!!」

 わたしが言いたいのはそういうことじゃない。選ぶ仕事のリスクの話だ。

「……なにも今、そんな一攫千金目指さなくてもいいじゃん」

「ほしいものがあるんです」

「ほしいもの?」

 またもじもじを始めるユーチ。かわいいけど幼い。その、どこか幼げな口は私から目を泳がして、小さな声で言った。

「三カラットのライジングサン」

「ライジングサン?」

 宝石である。ムーンストーンと対の石として名を馳せており、白濁した透明の石の中にレモンイエローの光が様々な強弱を帯びて輝いている。その光が温度や湿度の都合でオレンジ色にも赤色にも移り変わるのが特徴で、三カラットともなれば数百万円にもなる。

「なんでそんなものがほしいの」

 ユーチは相変わらずもじもじしながら、

「好きな人に、贈るんです」

 えーーーーー

 っていう心の動揺を、わたしは極力見せないようにして、何度か瞬きをした。

 だって数百万だよ? コイツまだ十五歳だよ?

 それ以前に、コイツの口から『好きな人』というワードが出てきたことに驚きというか戦慄というか……。

「なに、そいつに弱みでも握られてるの?」

「好きな人って言ってるじゃないですか……」

「うーむ……」

 唸ってしまうわたし。

「なんでライジングサン?」

 彼はその問いに、ユーチは目を細める。

「……ボクが小学一年の頃、ライジングサンがテレビで話題になってたのを覚えてますか?」

 覚えてる。二年のわたしの中でも大ニュースだった。

「カルメチアの王女が来日したのを、二人でテレビ観ましたよね」

 …………

 ……

 アレはユーチのママが友達の結婚式とかで、ユーチをウチに預かった時の話だ。

 当時カルメチア共和国の王女が来日した際につけていた大粒のライジングサンのペンダントが茶の間を沸かしていた。

 ま、そもそもカルメチア共和国の王女のきれいなこときれいなこと。白い肌に華奢な体つきの美女は、羽が生えたらホントに飛んでいけるんじゃないかとも評される妖精だった。

 その細い首から下がっていたライジングサンがまた見事で、当時番組の視聴率を押し上げていた女子たちに、憧れなかった子なんていたんだろうか。

 当時舌足らずだったわたしも例外ではなかった。テレビの向こうの王女の胸元を指さして、

「ゆーちがあれをくれたら、あたし妖精になって何でもお願いかなえてあげる!!」

「やったー。お願いはいくつ?」

「いくつでも!!」

「なんでも?」

「なんでも!!」

 …………

 ……


「……よく覚えてるよね。そんなの……」

 呆れるわたし。調子づくユーチ。

「忘れるはずがないです。どんな願いでもかなえてくれるんですよね!?」

「待て。わたしにくれるつもりでいる?」

「やっぱり分かっちゃいましたか」

「……」

 誰だって分かるよっていう言葉を飲み込んだ。ユーチの吐息すらかかる距離で、わたしは返答に困る。

 そんな会話はもう時効でしょ、と叫ぶのはたやすい。けど、コイツ……ライジングサンをくれようとしてるわけで……。

 それ以前にコイツ、さっきなんて言った?

 いくつもの考えが交錯して、容易に声が上げられないでいるわたしに、ヤツは言った。

「ボクもあの頃から成長して、ずいぶん大人になりました。お姉さんにかなえてほしいお願いも増えたし、ガッコも行ってないし仕事もしてないんで、『よし、ハンターになって人生逆転するくらい稼いで、ライジングサンを手に入れよう!』と……」

「……」


 しあわせは ウツボカズラの 口の中 (読み人、羽菜観月)


 なんか……人生最大の幸運と、人生最大のワナがわたしの胸を同時に押し寄せてくる。これは慎重に事を運ばないと、わたしの人生、食虫植物の胃液に溶かされる。

「……お願いって、例えばどういうお願い……?」

「そりゃぁもう、ボクもいろいろ大人になったんで!」

「大人になったから、なによ……」

 ユーチは激しく顔を赤らめる。待て。赤らめるのはオマエじゃない。

 わたしはこのエロガキに何を言われるか戦々恐々としながらも、無碍にできないのは、やはりライジングサンの存在だった。

 憧れた。いや、今だって……。

 三つ子の魂百倍返しってやつで、その欲しさは百万倍にもなってる。あれさえ持っていれば世の中の幸せのほとんどは手に入るんじゃないかと思うくらい憧れている。もはや本能の部分で欲しい。

 なら稼げるようになったら買えばいいじゃないかって感じだが、いくら憧れてるからって、宝くじで億でも当てない限りは自分で数百万出す気にはなれない。そういうもの、ありません?

 ともあれ、だ。そんないわくつき(?)のタカラモノをくれる可能性があるってだけで、罠と分かっていながらも、本能が会話の打ち切りをためらってしまっている。

 ぐらぐらぐらぐらとわたしの心の天秤が揺れ、まるで今まさにプロポーズでもされるんじゃないかってくらい、胸の鼓動が激しくなった。

 そんな……心が繁忙期に入ってわちゃわちゃしているわたしの傍らで、対面しているユーチがにわかに改まる。

「お姉さん」

「はい」

「ボクが無事、ライジングサンをお姉さんにプレゼントできたら」

「はい……」

「結婚してください」

「はい……えっ?」

「結婚してください」

「ええーーーーーーー!!」

 まさかコイツ、ホントにプロポーズしてきたよ!!

「もしお姉さんが一緒に戦ってくれなくても、スライムを狩って狩って狩って、一人で魔王を倒せるようになってきます! レベル二十一で足りなければレベル六十にでも八十にでもしてきますから!」

「レベルの問題じゃない!」

「レベ上げが唯一の取り柄なんで!!」

 繁忙期の心にさらに上乗せして、三年分の英語のテキストがのしかかったようになる。とても処理しきれない。……のに、ユーチは止まらない。

「だって、ずっと好きでした! もう手を繋いで小学校に連れてってくれた頃から。いやその前から!!」

 さっきまでもじもじしてたユーチは一変。強固な意志を見せる一人の男として、わたしを視界に捉えている。

 わたしはひどく動揺しながら、ともかく顔を赤らめた。

「大声で叫ぶな馬鹿。恥ずかしいよ」

「ごめんなさい……だけど……」

 なに……コイツ。わたしのこと、好きだったの……?

「ひょっとしてアレ? 小鳥は初めて見た物を親と勘違いする、アレ?」

「お姉さんは自分のことを卑下しすぎです! だって、まさかボクに恋心を抱かれてることを思いもよらないほど、自分に自信がないってことじゃないですか!」

「ちがうよ!!」

 射程範囲外だっただけだ。

「とにかく、大好きなお姉さんにあの赤ビキニでいろんなことしてもらうために!! ボクはライジングサンを手に入れるんです!!」

「本音ダダ洩れすぎ!!!」

 ウツボカズラの口の大きさに、わたしは唖然とするしかない。


 それにしても……

「なんで今なの?」

「え……?」

「百歩譲ってわたしにそれをどうしてもあげたいって思ったとして……」

 って、ユーチじゃなかったら言えないような厚かましいことをわたしは言った。ユーチだから言える。

「……言うて数百万でしょ。大人になって、ちゃんと稼げるようになったら、普通に働いても何とかなる額だと思う……けど」

「何ともなりません! だってボク中卒ですから!」

「全国の中卒に謝れ!!」

「冗談です!!!」

 つばぜり合いから、一瞬分かれる二人。次の声は私の方が早い。

「そんなに急ぐのはどうして? 思春期になって性欲が堪えられなくなった?」

「失礼な! ボクはお姉さんのことをそんな風には見てません!!」

「見まくっとるやん!!」

 オカズにするのだけはやめて!と叫びたいけど、さすがにユーチでもそんなのは言うのさえ恥ずかしい。

〝弟〟にそんな風に見られてるかと思うと多大にショックだったけど、ここにきてようやくわたしに少しの理性が戻ってきた。

「とにかく、気持ちはありがたく受け取っておくから。だからハンターとか、無理しなくていいよ」

 まかり間違えば死すら覚悟しなければいけない職業だ。もしわたしのためとかで死なれたら寝覚めが悪いにもほどがある。

「だってそれじゃ、間に合いませんから」

「なにに」

「お姉さんの成人式」

「え……?」

「お姉さんが大人になる瞬間を、絶対忘れられない思い出にするのに、ボクにはそれしか思いつかない」

 わたしはまた、無言で瞬きを二度三度。

 成人式……?

 そういえば、最近は十八歳で成人と認められるようになったんだっけ。そんなの本人ですら忘れてた。

 忘れてたのに、コイツ、そんなことを気にかけてた……。

 再びの動揺が、目の動きになって表れる。

「別に……成人になったってお酒飲めるわけじゃなし。何も変わんないし……」

「ボクが忘れられない日にするんです。だって、一生に一度の記念日なんですよ?」

「……」

 その迫力に、わたしは思わず固唾を飲み込んだ。

 不覚にも一瞬、目の前の男にときめいてしまったのだ。なぜか『今はパパもママも帰ってこないで』って気持ちがよぎる。

「だから……急ぎたいんです。お姉さんの誕生日まであと数か月しかない……」

「……」

 ……確かにユーチはちょっとかわいいと思うよ。放っておけない存在ではあるけど……。

 でも、とにかく、このままウツボカズラに飛び込むのはさすがに危険だ。人生が狂う気しかしない。

「だから……ボクはハンターになります。お姉さんも手伝ってくれたらうれしい」

 わたしはここが玄関であることに、複雑な感情を抱かなければならなかった。逃げるに逃げられない。この密着した距離が、いろいろ考える時間さえ与えてくれない。

「あのさ……」それでも口を開く。

「ライジングサンを買うためにハンターになるユーチを手伝うってことは、わたしが結婚の申し出を受けるってことにならない?」

「それに気づきましたか!」

 そういうことなのだ。

「それって、要するに自分の結婚指輪を自分で稼ぐことにもならない?」

「結果、そういうことになっちゃいますけど、でも、そういうつもりで誘ってるんじゃないんです」

「ビキニ着てほしいから?」

 そうはぐらかしながら、たぶんそういうことではない……もとい、それも結構な比率でありつつも、そういうことばかりではないことに気づき始めている。

 ……わたしは何度目になるか……ユーチの顔を見上げた。

「とりあえず、一回どっかに遊びに行こ。言うてわたしたち、この歳になって一緒に出掛けたことないよね」

「マジですか!?」

「とりあえずマジ」

「ライジングサンなしで結婚してくれると!?」

「そんなことは一言も言ってない!!」

 と叫んでみたものの、揺れ動く打算とときめきっぽい何かに揺れるオトメのわたしはちょっと視線をそらしながらぼそぼそと呟いた。

「とりあえず、アンタが男としてありなのか……見極めさせてよ。お金ないなら公園とかでいいからさ」

「合点です! じゃあ麻溝公園とかどうですか!?」

 地元の公園だ。

「いいよ。じゃあ今度の日曜ね」

 そこがギリギリの折衝点だった。


 ただこの後、結局ビキニ着ることになったんだけどなっ!

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