苦い猪古令糖
そっと包み紙を剥がして口に入れる。
苦みが広がる。美味しいとは思えなかった。砂糖が全然入っていないからだ。
今は美味しいだとか美味しくないだとかそういうことは考える必要のない無駄なことだ。こんな状況では味の良し悪しなど妥当な判断を遮る雑音でしかない。
雨がざーざーと降っている。濡れないように瓦礫の下で雨宿りをする。雨に濡れて体温が下がったらこれこそ一大事である。雨が止むまで此処に居るしかないかと、そう思い良い感じの所に背をもたれかけた。
包み紙をみる。『猪古令糖』。分かりやすくそれだけ書いてあった。
さっき道で倒れていた・・・もうぐったりとしていてきっと死んでしまっていた、背広・・・これももうぼろぼろになっていた・・・を着ていた四十代後半ぐらいの男の持っていた腰に掛ける様式の鞄に一つだけ大事に巾着袋に入れられたものだった。
どうしてこの菓子だけを巾着袋に入れられていたのかが分からない。
もしかしたら、妻や子供たちに渡す予定だったのかもしれない。けれどきっともうあの男は息絶えてしまってこれから聞き出すこともできないであろう。
虚しくて切ないことだ。もしも男が生きていたら男の妻も子供も男も幸せだったのかもしれない。だが、もう男は死んでしまったから男の妻も子供も男も幸せになれなかった。たったひとりの男の死が、数人の幸せを消した。
そこに通りかかった一人の子供が無慈悲なことにその男から菓子を奪った。しようがない事なのだ。その子供も腹を空かして倒れそうだったのだから。男は死んだが、生きられた。残酷だ。幸せはもう近くにはないのに。
もし、もしも甘くて美味しい猪古令糖をみんなが食べられるような世界だったら男の運命も違ったのだろうか。男も男の妻と子供も、そして自分もみんな幸せになれたのだろうか。もしも男が猪古令糖を手渡すことができたなら、それができる世界だったら。
未来はそんな世界になっているのかもしれない。
雨はもう止んでいた。




