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第6話 着任について

 市庁舎内部の一室に、小鳥のさえずりと朝日が差し込む。


「ふんふんふーん♪ ふんふんふーん♪ ふんふんふんふーん♪」


 累はベッドから起き上がり、鼻歌を歌いながら寝間着を脱いで下着になった。

 街の大教会で負傷兵を治療し、連隊長へ抜擢されてから一週間後。

 今日は生まれて初めて、昨夜届けられた本物の軍服に袖を通す日だ。


 下着の上に高襟のシャツを着て羊毛ウールのベストを重ねる。乗馬用だろうか、少々ピチっとした灰色のズボンに脚を通し、革製のベルトを締める。長い靴下をはいてピカピカに磨かれた黒革のブーツに足を入れる。

 次いで、将校用の水色スカイブルー上着ジャケットを着る。白いマントを羽織り、蒼銀の飾緒エギュエットを右肩から右の襟に、苦労しながら取りつける。両肩には金糸に縁どられた大佐階級の肩章が縫い付けられていた。


 それから寝癖を整えて、香水をうっすらと振ってから軍帽を被る。

 それは少々小ぶりだが、ナポレオンの時代に軍人将校たちが身に着けたバイコーン帽子によく似ていた。黒く分厚い布製で、餃子を上下逆にしたみたいな形だ。


 最後に、姿見に映った自分を眺めてみる。女性の着用は想定されていないのか、全体的にサイズは少々大きめだ。上着の両袖もやや余っているし、子どもが大人の服を着たような不格好さがぬぐがたい。

 でも、嬉しい。成人式で嫌々着た振袖の五百億倍はテンション上がる。

 飛び跳ねる累の背中にノックの音が響いた。ドアを開けるとターチャがいた。


「おはようございます。ルイ様……わ、軍服、すごくお似合いです!」

「おはようございます。ターチャさん。……ええと、ありがとうございます」


 ターチャは今日も動きやすいような平服だった。

 白いブラウスと緑のスカート。黒いタイツに鹿毛かげ色のブーツ。深い藍のショールにすっぽりと覆われた首元に座る、あどけない笑顔が憎たらしいほどに可愛らしい。

 そんな予想外の来客に、累は率直な言葉をぶつけた。


「ターチャさん、暇なんですか?」

「ひ、暇ではありませんよっ⁉」


 首都のミーフェンだったか、そこのお城に戻らないでいいのですか、と累が訊ねると、ターチャは頬を膨らませて言った。


「兵士や将軍の皆さん、そして何よりお兄様やルイ様が前線にいらっしゃるのに、私だけ後方でのうのうとなんてしていられませんもの!」

「そうですか」


 累は呆れた。大して役に立たない上に、むしろ下手に身分があるせいで周囲が気を遣うだけではないだろうか。社長が現場に冷やかしに来るようなものだ。邪魔でしかない。……と、正直に言うのは流石にはばかられた。

 累が言葉を選びあぐねていると、ターチャは先に明るい声で用件を切り出した。


「それでですね、今日はぜひ、ルイ様と朝食をご一緒しようと思いまして!」


 そうして、二人は累の部屋で一緒に朝食を食べる運びになった。


「ルイ様は今日、部隊の方々と顔合わせするのですよね」

「ええ、そうらしいです」


 累はマントと飾緒エギュエットを肩から外して椅子の背もたれに預け、朝食の黒パンにハーブ入りのバターを塗りながら答えた。

 ターチャの言った通り、累は今日はじめて、自分の指揮下に入る第十六独立歩兵連隊の兵士たちと顔を合わせる予定だった。


「すごい人気ですよ。ルイ様は」


 パンにりんごのジャムを塗り、その上から蜂蜜をかけながらターチャが言った。


「ルイ様の指揮下になる新しい連隊として定員1000名の志願を募ったのですが、すぐに定員を超えて集まってしまったんです。志願したのはほとんど、あの野戦病院でルイ様が治療した負傷兵の皆さんだったみたいで、士気もとても高いそうです」

「そうですか。……ふふ、ふふ」


 会社にいた時では考えられないほど、累は自分の口角が強い力で持ち上がるのを感じた。

 自分の部下になる軍隊が待っている。そう考えると、まるで恋人に会いに行くような気持ちになった。そんな経験は一度もないが。

 ジャガイモとニンジの入った田舎風のポタージュに、累は黒パンをほとんど沈没船のように浸して食べた。スプーンで上品に食べていたターチャが、ぎょっとした顔をする。


「ルイ様……何だか、楽しそうですね」

「顔に出てましたか?」

「ピクニックに行く子どもみたいです。なんだか、ソワソワされていますし」


 そうですか、と累は適当な相槌を打ち、よく燻製されたソーセージを齧った。朝からビールが欲しくなる味だった。


「……私は嫌です」


 ぽつりと、ターチャは呟いた。

 何が、と思いながら、累はコーヒーを飲んだ。異世界にもカフェイン補給手段があって助かった。


「ルイ様が戦場に出るのは……私は嫌です」

「そう言われましても。あなたのお兄様から直々に任務を頂きましたから」


 さりげなくマクシミリアに責任を負わせると、ターチャは言い返せないように、不満げに頬を膨らませた。それから、懐から何かを取り出す。


「あ、あの、ルイ様。これ……お守りです」


 累が渡されたのは、白いハンカチだった。複雑な花模様の見事な刺繍ステッチがなされている。もしかして、彼女が自分で縫ったのだろうか。


「リリーの花は、この国では幸運を意味します。どうか、ご無事に帰ってきてくださいね」


 そう言って、ターチャは累の手にハンカチをそっと握らせた。

 少女の細い指が、ささやかな体温が累の指を包む。

 累は数秒、時が止まったように彼女を見つめてから、我に返ったように礼を述べた。


「どうも。ありがとうございます。ターチャさん」


 いけない娘ですね。不意打ちなんて。

 たぎる下腹部のうずきを抑え込みながら、累はナプキンで口元を拭き、朝食を終えた。


 朝食の後、午前九時。

 累は案内役の兵士に先導されて、市内から外れた野外を訪れていた。

 街はずれの野原の一画は、綺麗に草を刈られて砂を巻かれグラウンドになっていた。その隅には野営用の天幕テントも設置されている。どうやら兵士たちの兵営兼訓練場として利用されているようだった。


 軍靴の音が響き、砂埃が舞い上がる。累は目を輝かせた。

 兵士たちは訓練の真っ最中だった。軍曹の怒鳴り声とラッパの音に合わせて、縦列から横列へ、横から縦へ、また横へ……と、マスケット銃を両手に抱えたまま、素早く何回も整列を繰り返す。隊形の変更が一秒でも遅れれば命取りになるからだ。

 すると大佐服の累に気付いたらしい軍曹が、兵士たちに整列集合をかけた。


「全体‼ 集合!」


 その声とともに、兵士たちが累の前に素早く並ぶ。そして。


「担え銃‼ 聖女様に! 敬礼っ‼」


 兵士たちは一斉に銃口を空に向けてから左肩に担ぎ、右手で敬礼を捧げた。

 それから軍曹が、代表して累に宣誓した。


「聖女様! 我らヴァイエル公国第16独立歩兵連隊! 選りすぐりの命知らずたちが、これより貴女様の指揮下に入ります!」


 兵士たちの視線が一斉に、累を見つめる。

 尊敬と感謝と、そして希望が、一斉に累の胸に突き刺さった。

 累は兵士たちの中に、多くの見知った顔を見つけた。皆、あの教会で治療した兵士たちだった。

 ぞくぞくと、甘美な震えが累の背筋を支配した。自分を尊敬してくれる兵士たち。そんな彼らがこれから何割か戦場で死んでいく。

 とても残念で、悲しいことだ。

 だから累は心からの笑顔で、教わったばかりの敬礼を返した。


「はい。どうぞこれから、よろしくお願いします!」


 累は兵士たちに訓練の続きを指示してから、案内されて指揮所らしき大きな天幕に入った。

 薄暗い天幕の内側は、ロウソクの明かりでぼんやりと照らされていた。インクと木とタバコの匂いがする。地図の広げられた長机と、まばらな椅子。隅に積まれた木箱にマスケット銃が立てかけられている。


 累が現れると同時、中にいた数人の男たちが敬礼する。

 彼らは累の部下となった下士官たちである。彼らは兵士たちとは違い、累の命令を受けてその通りに各部隊を動かす前線指揮官だ。つまり連隊のトップである累と、末端である兵卒たちとの間で仕事をする中間管理職である。

 累はさっそく敬礼を返した。


「どうも皆さん。本日からこの連隊の指揮官になりました、四宮累大佐です。姓は四宮、名前は累。別の世界から召喚された聖女です」


 士官たちは累の言葉に一礼すると、それから示し合わせたように、階級順に自己紹介をはじめた。まず累の前に進み出たのは、赤い髪をした長身の男だった。

 騎兵用だろうか、水色の上着ジャケットの裾はやや短い。サイドに赤い装飾ラインを入れたグレーのズボン。そして首元にはブドウ色のシルクスカーフを巻いている。

 荒っぽい野生味と紳士然とした清潔感が同居した顔でにやりと笑いながら、男は言った。


「ヴラド=パイク騎兵大尉です。お会いできて光栄です。聖女様――」


 すると彼、ヴラド大尉は隠すように後ろに回していた左手を、膝を折って跪きながら累の前に取り出した。そこには真っ赤なバラの花束があった。


「どうです? 今度、俺と二人きりでお食事でも」

「…………」


 累は一瞬、言葉を失って固まった。まじか。そういう方向の奴が来るとは思わなかった。

 ひそひそと、小声で状況を見守る他の士官たちの声が聞こえる。


「あ、あいつ、本気でやりやがった……!」

「勇者だな。やっぱ騎兵って頭おかしいぜ」

「どうなる……? い、いけるのか……?」


 突然の生涯初めてのナンパを前に、累はようやく動き出した。

 花束を受け取り、一輪だけそっと抜き取る。


「きれいですね」


 累は微笑んだ。

 ヴラド大尉もまた、しめたと言わんばかりに微笑んだ。その瞬間。


「えい」


 累は跪いたままの大尉の鼻の穴に、一切の容赦なくバラの花をねじ込んだ。


「ぶごぉっ!?」


 ぐりぐりと奥へ奥へ、累は容赦なく、鼻の奥に無残に潰れた花体をねじ込んでいく。たまらず、ヴラド大尉は情けない声を上げて後ろに尻もちをついた。

 そして鼻の孔から涙目でバラを取り出す男の胸元に、累は残りの花束を雑に放り投げた。

 その拍子に、赤い花弁が空中にひらひらと舞い散る。

 累は言った。


「私を誘うなら、お花なんかよりも、もっといいものをくれませんか」


 言葉の続きに、全員が注目する。それを感じながら、累は言った。


「たとえば、勝利とか」


 ヴラド大尉は一瞬、呆気にとられた顔をして、それから観念したようにふっと笑った。


「かしこまりました。仰せのままに、勝利の暁には今度こそ夕食に誘わせてもらいますよ、聖女……いえ、大佐」


 そう言って、周囲から拍手を浴びながらヴラド大尉は立ち上がった。

 変な男だな、と累は思った。まあ騎兵はそういうのが多いらしい。

 ヴラド大尉以降は、滞りなく自己紹介は終わった。

 累は手を叩いた。それから机上に広げられた戦略地図を眺める。

 自己紹介は済んだ。じゃあ解散。するはずがない。


「さてそれでは、これから私たちの任務について、説明をしましょうか」


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