第5話 総司令官について
「これ一体、どういう状況?」
突然に登場したその青年に、累はまず「若っ」と思った。
二十前半から後半ぐらいに見える。銀髪長身の美形の男だった。最高司令官て、大体はいい年のおじさん、もしくは初老のおじいさんぐらいのイメージだったが。まったく違う。
そのすぐ後ろには、どうやら護衛だろうか。先ほど天井に向けて発砲した女性士官がいた。
腿のホルスターに短銃と剣を吊った、かなり長身の女性だ。伏せた目は鋭く、紫苑の混じったミディアムカットの黒髪と相まって、どこか猟犬のような印象があった。
ターチャがぽつりと、相手の登場を確認するように言った。
「……マクシミリアお兄様」
聞いて、累は内心で手を叩いた。どうやらターチャの兄らしい、このマクシミリアという男は、この国の君主の一族であることから若くして軍の総司令官という地位にいるようだ。
しかし――累は改めて、銀髪長身の青年を眺めやった。
清潔感のある短髪、ターチャの兄だけあって美形。
汚れ一つない、しかし着こなされた水色の軍服に黒いマントと金の飾緒が嫌味なく権威と高潔さを添えている。
深みのある落ち付いた雰囲気のせいだろうか。とてもお飾りでその地位にあるとは思えない。
有体に言えば、強キャラ感があった。
気付けば負傷兵たちはすっかり大人しくなり、今や遠巻きに累とターチャ、そしてマクシミリアを見守るだけの背景と化していた。
ふと間に立ったターチャが、二人に向けて大きな声で紹介を始めた。
「ええと……ご紹介します、ルイ様! こちらが公国軍最高司令官、マクシミリア=ヴァイエル元帥です。この国の公子であり、私の兄上です。……お兄様。こちらが、私の召喚した聖女様のルイ様です!」
するとマクシミリアは、累に視線を合わせて穏やかに言った。
「ああ。君が今日会いに来る予定だった聖女様か。いつまで経っても来ないと思ってたよ。それで騒ぎを聞きつけてきてみれば、なるほど、負傷兵たちの治療をしてくれてたんだね」
「お初にお目にかかります」
累は、こんな敬語はじめて言ったぞ、と思いながら続けた。
「ええと、召喚された聖女の四宮累です。勝手ながら負傷兵の方々の治療をしていました。……そのついでに私が戦場に出て一緒に戦うと意思を示したところ、予想以上に盛り上がってしまった、というわけです」
マクシミリアは納得したように頷くと、ざっと周囲を見回した。
「改めて聖女様。僕が公国軍最高司令官のマクシミリア=ヴァイエル元帥だ。
この度は負傷兵の治療に感謝する。だが悪いけど、軍の方針として替えの利かない能力を持った君を危険な前線に出すわけにはいかないよ。
どうか理解してくれ……ああ、あとそうだ、動けるようになった負傷者諸君はすぐに原隊復帰を。というわけで以上」
軽々としていたが、淡々とした声だった。
累は前線には出さない。戦争には直接参加させない。というのが、どうやらこの兄妹の共通意見らしい。
しかし、累としてはそれでは困るのだ。
「じゃあ、これで顔合わせも済んだということで。ターチャ、聖女様をよろしくね」
マクシミリアが背を向けて踵を返す。その後に、護衛らしき女性士官が続く。
その背中に、累はほとんど反射的に声を投げていた。
「でも、それじゃ負けますよ」
その瞬間、空気が凍った音がした。
ピタリと立ちどまったマクシミリアが、ゆっくりと振り返る。
「それは、どういう意味だい? 聖女様」
累は「あ、やべえこと言ったかな……」と思いながら、まあいいやと開き直って続けた。特に遠慮も緊張もなかった。
この世界に来た時からずっと、体と理性は現実を認識しながら、常にハイテンションなせいで心だけは夢の中にいた。
つまり累は、現代日本で社会人をやっていたころよりも、数十倍は大胆な性格になっていたのだ。
「あ、すみません。ええと……恐れながら申し上げますと。戦況を鑑みてこのままでは公国軍は負けると思います。でも私を前線に出していただければ、逆転勝利できると思います」
その言葉に目を丸くしたのは、周囲の負傷兵たちだった。
「か、勝てるって……怪我を治す力でどうやって戦うんだ?」
「さ、さあ? 俺に聞くなよ」
「と、というか、最高司令官に直接意見するなんて……聖女様って、すげえ」
ざわざわとする中、累は青い顔のターチャに袖を引っ張られた。
「ル、ルイ様……い、いきなりそんな不躾に!」
「あ、ごめんなさい。つい本音が」
「本音が⁉」
するとマクシミリアは怒るでもなく、小さく笑い出した。しかし、目は笑っていない。
「ははは……面白いな、聖女様は。気が変わったよ」
そう呟いて、どこか底冷えのする視線が累を見た。
「ちょっと一緒にお話をしようか。聖女様」
累は思った。あれ。
もしかして本気でヤバいか? 私。
残りの負傷兵たちの治療を終えた後。
累はターチャとともに、半ば連行されるように司令部へと呼び出されていた。
石造りの市庁舎の内部は結構肌寒かった。床鳴りのする廊下を曲がり、黄土色の壁を横切って、黒く光る階段を上り、市長執務室と銘打たれたドアの前に案内される。
中に入ると、黒檀の執務机に座ったマクシミリアが「やあ」と声だけで出迎えてくる。
「エヴァン、お茶を」
マクシミリアの声に、先ほども彼と一緒にいた護衛の女性士官が一礼し、お茶の支度をする。どうやら秘書みたいな仕事をしているらしい。
並んで椅子に座る累とターチャに、ソーサーと一緒にティーカップが渡される。
「さて、じゃあ君の作戦を教えてくれないか、聖女様」
「ええと、それはですね……」
累は言い淀んだ。さすがに出まかせで勝てると言ったわけではない。ちゃんと考えはある。
けれど、言いにくい。隣にターチャがいるからだ。彼女に聞かれたくなかった。
なぜなら――特に確証がある訳ではないが――彼女なら、絶対に自分の作戦に反対してくる気がするからだ。
かと言って、あれだけ大口叩いてこのまま黙っているわけにもいかない。マジでどうしよう。累の背中を、変な汗がひやりと伝う。
するとマクシミリアは、急に神妙な顔になって。
「ターチャ、今思い出したんだが、君は少し席を外した方が良いよ」
「え……? それは、どうしてでしょうか?」
「ここだけの話、この建物かなり古くてね。この部屋は結構、出るんだ」
「……お兄様。出るって、まさか」
カタカタと、ターチャの手に持った紅茶のカップが震える。マクシミリアはにやりと笑ってこう告げた。
「ネズミさ」
「――すみません! 私はお話が終わるまでちょっと失礼いたします! ……お兄様! くれぐれもルイ様に厳しくしないで下さいね! では!」
言うが早いか、ターチャは部屋の外へ脱兎のごとく走り去った。
ばたんと閉まるドアの音を、累は呆気に取られたまま見送った。
「はは、可愛いだろ。昔ね、飼い猫がベッドに死骸を持ってきたせいで、大のネズミ嫌いなんだよ、あの子。――というわけで、お膳立ては済んだよ」
「……」
「さっきの様子を見るに、ターチャがいると話しにくいんだろう?」
見抜かれていたことに、累は内心で舌を巻いた。このマクシミリアという男やははり、かなり有能な切れ者のようだ。おまけに高身長。もしかして京都出身か?
ため息一つ、累は観念したように言った。
「はい。分かりました。ではご説明いたします――」
そうして、累は考えていた作戦の内容を全て語った。
聞き終えたマクシミリアは、しばらく黙ってから頷いた。
「うん。その、なんていうかすごい作戦だね。ちょっと、というか大分引くけど、まあ、この状況なら仕方ないか……」
どうやらターチャはともかく、マクシミリアは納得してくれたらしい。良かった、と累が胸を撫で下ろした瞬間。
「じゃあ、次の質問だ」
「え?」
「君の真意を教えてくれよ」
ドキリと、累の心臓が飛び跳ねた。
息が詰まる。一瞬で、喉元に踏み込まれたのを感じた。
「え、ええと、それは……聖女として皆さんを助けるため」
「な訳ないだろ? 急に呼び出された縁も所縁もない世界の、見知らぬ国の人間なんかを、助けようなんて普通は思わないさ。君のその妙なやる気には、何か別の思惑があるはずだ」
「……」
「それを聞きたいな。もっと言えば、その理由を聞かないことには、僕は軍の最高司令官として君を信用できないな」
(……どうしよう、これ)
滅茶苦茶信用されてない。
いっそこの際、この男にだけは、はっきりと本心を明かしてしまうべきだろうか。
でも流石に、言ったら引かれるだろうか。変人扱いされて結局、信用されなかったらどうしよう。じゃあ嘘をついて誤魔化すか。いや無理だ。
累は自分を素直で正直な人間だと思っていた。気持ちがすぐ顔に出るからだ。会社ではよく上司から嫌そうな顔で返事をするなと怒られていた。
だから、とにかくこの場は――いや、もういいや、考えるのめんどくさいし、どうなっても知らないや。
全部、ぶっちゃけてしまおう。
「……なりたいんです」
「え?」
累の呟きに、マクシミリアは目尻を上げて聞き返した。
構わず累は続けた。言うと決めた瞬間から、ふつふつと腹の奥から言葉が吹きこぼれてくる。
「私は、憧れの、最推しの、ナポレオンになりたいんです」
「……はい?」
今度こそ、マクシミリアは呆気にとられた顔をした。背後に控えたまま目を伏せている護衛の女性士官にも構わず、累は叫んだ。
「私の世界の偉人です! 小さな島の貧しい生まれの軍人から、フランス皇帝にまで成り上がってヨーロッパの地図を塗り替えまくった、世界史最後にして最強の軍人政治家! 私は彼が大好きだから、憧れているから、彼みたいになりたい、近づきたい……っ! そのために! 軍を率いて、この世界の戦争に参加したいっ……ただ、ただ、それだけなんですよっ‼」
本音をぶちまける。小学生ぶりに大声を出した反動で、累はぜいぜいと息を切らす。
マクシミリアはぽかんとしていた。まるで全く興味のないアイドルについて予想を上回る熱量で語り倒されてしまったような顔だった。
「えーと、一応確認するけどさ、冗談じゃない?」
「ええ。冗談でも嘘でもありません。私は、とにかくさっさと一刻も早く、ボナパルトしたいだけなんです」
「あー……なるほど」
マクシミリアは何かを悟ったように、乾いた笑みをもらした。
「ありがとう。よく分かんないけどよく分かったよ。――君、頭おかしいんだね」
心外だな、と累は思った。しかし冷静に考えると大なり小なりオタクとはそういうものなので、批判は甘んじて受け入れることにする。
さておき、全部ぶっちゃけてしまった上に頭おかしいとまで言われてしまった。これはもう、無理だろうか――するとマクシミリアは困ったように頬をかきながら、言った。
「じゃあ、一個連隊の指揮を君に任せるよ。さっきの作戦、それでやってみて」
「……え?」
「君の階級だけど、まずは大佐からね。必要なものは後で届けるよ。それから部隊の準備が整うまで、この司令部に一室用意するからそこに住んでね」
「あの……信用、してくれるんですか?」
「うん」
なんで? と聞く前に、マクシミリアは言った。
「聖女様、ぶっちゃけるとね、僕は無能な男なんだ」
嘘つけ。佇まい、洞察力、どちらも只者じゃない感じがびんびんするぞ、と止めどなく溢れるツッコミを胸に収める累の前で、マクシミリアは淡々と続ける。
「というのも僕は怠け者の面倒くさがりでね。いつも、面倒な仕事は全部他人任せにしてきた。幸い、この国の君主の息子だから。物心ついた時から周りには言うことを聞いてくれる人が一杯いた。僕は遠慮なく、色んな人に色んな事をお願いして、そうやって他人任せで今まで生きてきた」
そこで言葉を切って、マクシミリアは自虐の中に、確かな自信をのぞかせながら言った。
「だから、誰に何を任せれば一番うまくやれるかは、何となく分かるんだ」
「……」
「君は多分、僕やターチャ、他の将軍よりも戦争を上手くやりそうな気がする。でも同時に、調子に乗らせたら大変なことになりそうな気がする。だからさ。肝に銘じておいてよ」
そして次に告げられたマクシミリアの言葉は、累の鼓膜が一度も経験したことのないほど、冷たく、真剣で、ぞっとする響きだった。
「僕は君に一個連隊の指揮と預け、大佐階級を任じる。その代わり。君がもし僕の信用を裏切って、この国や妹に害をもたらした時は――殺す」




