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第4話 奇跡について

 まず何よりも優先して、累は実験したかった。

 この手に宿ったらしい、治癒の力とやらを。


 というのも、ターチャの説明が曖昧あいまい過ぎて役に立たないためだ。

 たとえば、一体どこまでの怪我なら治せるのだろうか?

 失った手足は生えてくるのか? 流してしまった血液は戻るのか? 完治にかかる時間はどれぐらい? 怪我の程度と相関する? 

 副作用はあるのか? あるとしたらどれぐらい? 使用制限は? 一日にどれぐらい使える? 一度に何人まで治療できる? 

 怪我ではない、病気や先天性のものは治療できるのか? 古傷にも効果があるのか? 栄養不足や寝不足、過労の場合は? 

 他にも他にもまだまだあるが……何より、果たして自分の想定する使い方はできるのか? 

 それが分からなければ、話にならない。

 

 だから負傷兵たちの運ばれる野戦病院があると聞いた時から、累は決めていた。

 そこで生きた人間を相手に、力を試そうと。

 

 よろよろと歩いてくる、あるいは看護婦たちに運ばれてくる負傷兵たちへ、次々と手をかざして累は癒していった。

 十人、二十人、三十人……さらに続けても累はさしたる疲労を感じなかった。どうやら力の反動はほとんどないらしい。


「あ、ありがとうございます……ありがとうございます!」

「し、信じられねえ……奇跡だ」

「あなた様はまさか、ほ、本物の聖女様……?」


 どうやら、聖女という存在は一般の人々にも認知はされているらしかった。

 口々に向けられる感謝やその他の声に、累は生返事で応答した。


「私は、ええと、そうです。聖女な感じの者です。この国のお姫様、アナスターチャ殿下に呼ばれてやってきました。この力は、まあ奇跡みたいなものでいいと思いますよ。私もよく分かりませんし」


 ところで、と累はいつの間にか用意された椅子に座りながら、近くの看護師に声をかけた

 すると立派な体型の中年女性看護師は、かしこまったように答えた。


「な、なんでしょう。聖女様」

「負傷兵の皆さんを怪我の重い順に並ばせてくれますか。もちろん誰も見捨てませんが、こうも取り囲まれてしまってはいささか効率が悪いので」

「は、はい! すぐにやります! ――あんたたち!」


 累の目論見通り、まとめ役らしい中年女性はすぐに他の看護師に指示を出し、負傷兵たちを行儀よく一列に並べてくれた。

 しかしざっと見て負傷兵の待機列は数百人以上。かなりのキツイ仕事になるだろう。握手会のアイドルだって手が疲労骨折するらしいし。

 だが構わない。解明したいことはまだまだあるのだから。


「はい。次の方どうぞー。ああ、右腕が砲弾で吹っ飛ばされてしまったのですね。それに銃弾も何発か体にめり込んでいる? あと高熱と下痢が止まらなくて死にそう? ご心配なく、すぐ治しますよ」


 そうして一時間ほど経過した時。ふと、新たに累の前にやって来た兵士が言った。


「あ、あの、聖女様……」

「はいはい。何でしょう」


 累は癒しの光を当てながら返事をした。

 兵士は、ぽつぽつと遠慮がちに言った。


「お、俺、怪我が治ったら、どうなるんですか」

「原隊に復帰して、もう一度戦場に出るんじゃないでしょうか」

「い、嫌です……」


 ぽろぽろと、三十代前半ぐらいの男の目から涙があふれ出す。


「お、俺、もう戦いたくありません。友達は、俺の横で死にました。

 砲弾に頭を吹っ飛ばされて。ま、また戦場に言ったら俺も同じ目に合うんじゃないかって思うと怖くて……」


 まあそりゃそうだろと累は思った。

 怪我が治っても、いや、治ったからこそもう二度と戦場になんて行きたくないと思うのは自然なことだ。


 しかし泣きじゃくるその兵士に、周囲の反応は冷淡だった。野次馬たちはあざけるようにどっと笑い、「臆病者」というヤジまで聞こえてくる。


 そこで累は、昔に何かの本で読んだことを思い出した。そうか、この国というか時代は、こういう空気なんだ。

 近世のヨーロッパは男性中心の社会だった。つまりは「男らしさ」が何よりも重視され、そうでない男性は仲間からも社会からも軽んじられ、冷遇された。だから「臆病者」という言葉は、現代人からすれば考えられないぐらい強い侮辱であり、恐ろしいレッテルだったという。


 では、自分はどうすべきだろう。

 この極めて人間的に自然な兵士に対して「なんて情けない奴でしょう。ああ! いっそ代わりにあなたが死ねばよかったのに。お前みたいなやつの友人のまま死んでいった人がいるなんて哀れでなりませんよこのクズが、っぺ!」と唾を吐いてビンタしてやるべきか。

 とまで考えて、累は出かかった言葉と唾を飲み込んだ。


 いや、違う。私がどうするべきか、ではない。


(ナポレオンなら、どうする?)


 史実のナポレオンは他人に異常に厳しい人間だったらしい。ミスった部下にキレて怒鳴り散らし、銃殺刑を命じることもしばしばあった。しかしながらそれは、管理職である他の将軍たちに対しての話。

 末端の兵卒には気さくで優しく、敬意を払って対等に接し、実際に兵隊たちからは父親のように慕われたという。

 ――ならば、私もまた。

 すうっと、累は深呼吸した。

 自らの心に、理想のボナパルトをインストールする。


(私がナポレオンになるためには……私が自由に動かせる、私の命令に忠実な、私の軍隊を作らなければいけません)


 それには、まず何よりも、下っ端の兵士たちから慕われなければならない。

 累は可能な限り優しく微笑みながら、そっと泣き続ける兵士の手を取った。


「大丈夫です。あなたの気持ちは分かります。また怪我をするのは嫌ですよね、死ぬのは普通に怖いですよね。

それは臆病なんかじゃありません、当たり前のことです。あなたは何も間違っていません。臆病者ではありません」


 でも。


「勇気もありません」


 その一言に、泣いていた兵士ははっと息を飲んだ。


「ここであなたが逃げたら、もっと多くの人々が傷つくことになります。何故ならあなたが逃げれば、軍隊はその分弱くなるからです。そして弱った軍隊は敗北します。

 そうなると、あなたを世話してくれたここの看護婦さんや、その家族、友人、たくさんの人が侵略者に殺されることになります」


 我ながら無茶苦茶な理屈だな。と累は思った。

 しかし内心では、まあ大丈夫だろうと楽観する気持ちの方が大きかった。

 なぜなら傷を治した恩、聖女という肩書、この場の雰囲気とか色々込みで、今の自分に逆らえる者はいないはずだから。


「で、でも、お、俺やっぱ怖くて……」


 相手を直視できないように、顔を伏せてぽろぽろと泣き続ける男の頭を、累はそっと撫でた。男ははっとして、戸惑ったように顔を上げる。累はもう一度目を合わせて、言った。


「大丈夫です。怖くても、恐ろしくても勇気が出せるように、私がついています」

「え」

「私の力があれば、どんな怪我でも治せます。撃たれても刺されても燃やされても、私がいればあなたは絶対に死にません。そして私は絶対に、誰も見捨てません」

「せ、聖女様……」

「だからお願いです。どうか、もう少しだけ勇気を出してみませんか」


 生まれて初めて異性の手をぎゅっと両手で包みながら、累は思いついた。

 あーそうだ、ここでもうそういう空気を作ってしまおうか、と。

 後先は知らない。ただ何となくチャンスだと思ったから。

 累は唐突に立ち上がり、そして高らかに、その場の兵士たちへ向けて叫んだ。


「皆さん! 私は決めました!」


 その一声に、教会にあふれる負傷兵の全員が注目した。その視線を感じながら、累は精一杯に作った声で叫んだ。


「私も、皆さんと一緒に戦場に行きます! そして誰一人見捨てません、どんな傷も病気も治します。私がいれば、皆さんは絶対に死にません! 負けません! ですからどうか、私に力を貸してください! 私と一緒に……戦って下さい!」


 そして。


「おお、聖女様……! お、おおっ!」

「勿論です。やるぞ……やるぞっ!」

「聖女様とともに、戦うぞっ!」


 口々に叫ぶ兵士たちの声は、すぐに教会を揺るがす大歓声に変わった。年季の入った黒いはりで支えられた高天井が、白漆喰しろしっくいの壁ごと崩れそうな勢いでビリビリと震える。

 累は思わず「うわっ! うるさ!」と思って耳を塞いだ。学生時代に一か月でバイトを辞めたパチンコ店内よりもうるさかった。

 その最中だった。


「ルイ様!」


 教会には裏口があったのだろうか。パイプオルガンの陰から、侍従たちと一緒に現れたターチャが累に駆け寄る。そんな公女の登場にもかかわらず、兵士たちの熱狂が静まる気配はなかった。


「いつまでも経ってもお戻りにならないと思ったら……こ、これは一体何事ですか⁉」


 かくかくしかじか。累はターチャに事情を説明した。すると。


「る、ルイ様……! な、なんてことを言ってしまわれたのですか……! 戦場に出られるなんて危険です! あくまで後方支援だけをしていただくつもりだったのに……」

「ああ、すみません。ついノリで」

「ノリで⁉」


 ですが。

 

「戦場に出たいというのは紛れもなく本心です。この力についても色々と分かりましたし、多分後方にいるより活躍できるでしょう」


 その時だった。一発の甲高い銃声が、負傷兵たちの熱狂を終わらせた。

 累が、ターチャが、その他大勢が教会の入口へ振り返ると。

 そこには硝煙をくゆらす短銃を天井に向けて構えた、水色の軍服の女性が立っていた。

 そしてその横から現れた、一人の男性が教会に踏み入る。


「これは一体、何の騒ぎだい?」


 それは黒いマントに金の飾緒をかけた、水色の軍服の青年だった。その姿を見た途端、ついさっきまでの喧騒を忘れたように、兵士たちは直立不動で凍り付いていく。


「……ま、まさか」

「さ、最高、司令官……」


 つかつかと、将校らしき軍服を着た青年が累の前まで歩み寄る。

 それから青年は視線を横に外して、穏やかな声で尋ねた。


「どういう状況? ターチャ」


 名前を呼び捨てにされたターチャは、しかし申し訳なさそうに言った。


「す、すみません。――お兄様」


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