第3話 聖女について
異世界ヴァイエル公国に召喚されてから三日後。
累は特に説明もなく馬車に乗せられ、首都ミーフェンを出発し、道中で宿泊しながらどこかへ移動させられていた。
「到着しました。ルイ様」
「あ、はい」
弾む声のターチャに手を引かれて、累は馬車の乗降階段ステップから地面に降りる。しかし慣れない服装のせいで苦労する。
「よくお似合いですよ! ルイ様」
「……それはどうも」
聖女に相応しい恰好を、というターチャの一声により、累は毎朝、侍従のメイドたちによって着替えと化粧をされていた。
今の累は、金の刺繍が施された白いケープマントに修道女みたいなロングスカート、さらにやたら高めのヒールまで装備させられていた。正直言って、肩が凝るし動きにくい。
一方でターチャは、白いブラウスに薄手のケープショール。膝丈のスカートに黒いタイツと革靴という、累に比べればそこそこ歩きやすそうな服装だった。
「私も、そういう感じの服がいいんですが……」
「申し訳ありません。ルイ様は聖女様なので、やはりそれ相応の格好をしていただかなくては」
いやアンタだってお姫様だろ。という言葉を、累は頑張って飲み込んだ。
二人を乗せた馬車が止まったのは、大きな噴水のある石畳の広場だった。
どうやらこの世界も二十四時間制らしく、時刻はまだ七時といったところ。累は、朝の陽射しに目を細めながら欠伸をこらえた。元来夜型の人間なのだ。
「ではルイ様、私の隣へどうぞ」
累の隣にターチャが立ち、その周囲を侍従と護衛の武官がびっしり固める。
「この街の名前はクラウスブルク市。前線の戦場から数キロの後方に位置する都市で、現在は軍の指令本部のほかに、負傷した兵士を受け入れる野戦病院や、軍需物資の補給倉庫が置かれています」
「はあ」
生返事をしながら、累は周囲を観察した。
季節は日本でいう秋だろうか。黒ずんだ石畳には落ち葉の雲がかかり、やや肌寒い。オレンジの屋根をした家々の煙突からは、晴れた空に向かってまばらに煙が上がっている。
そして街中には、多くの兵士たちがうろついていた。
彼らは全体的に薄汚れていた。水色のダブルボタン上着、ゲートルを巻いたブーツに、小さめのバケツをひっくり返したようなシャコー帽子という出で立ち。
それを見て、累はまるで博物館を見学しているような気分になった。
(わあ……! ガチのマジで18世紀ポイント高いですねこの世界……! 最高か?)
さらによく見ると。道端に座り込む兵士たちは木のコップを(酒だろうか)赤い顔で飲んでいたり、煙管でタバコをふかして寝転がっていたり、クレヨンで壁に何かを書いていたり、まるで小学生の休み時間のようだった。そこから遠巻きに、ひそひそと会話する住人達。
そこでターチャが、累の視線の先に気付いたように言った。
「おっしゃりたいことは分かります。ルイ様。申し訳ありません。兵士たちの士気はその、お世辞にも高いとは言えなくて……」
(あ、いや別にそこ気にしてたわけではないんですけど)
とは言わず、曖昧に頷いた累にターチャは続けた。
「一か月前、私たちヴァイエル公国は、東の強国、ハプストリア帝国に宣戦を布告されました。
そこから領土内に侵攻してきた帝国軍に負け続け、現在は領土の東側を占領されています。
この街の東に、辛うじて要塞を中心に防衛線を構築して敵を食い止めてはいますが、それもいつまで続けられるかは分からない状況で……」
言い終えてから、ターチャは累の反応が無いことに首を傾げた。
そして、今の自分の発言に原因があったのではないかと思ったように、すぐにまた口を開いた。
「……あ! す、すみません!
確かに我が国は危険な状況ですが、ルイ様には主に治癒の力を使って後方支援をしていただく予定ですので前線には出しませんし、この私の名に懸けて、危険な目には絶対に合わせません! だからどうか、ご安心下さ――」
「ぷ」
「……ルイ様?」
「いえ、すみません。なんでもありませんよ」
どうでもいいことを真剣に心配するターチャの剣幕に、累は思わず笑ってしまったのを誤魔化した。
「ところで、ターチャさん」
「はい。ルイ様」
「私たちは今、一体どこへ向かっているのでしょうか」
「はい。この街の市庁舎に置かれている軍の司令本部です。建物の前まで馬車で乗りつけられれば良かったのですが……現在は軍事行動に直接関わる馬車以外の駐車は禁止されていまして、ご不便をおかけして申し訳ありません」
ターチャはしずしずと謝った。王族、いや公国だから公族か――なのに律儀にルールに従うあたり、真面目ないい子なのだろうと累は思った。
「その本部にて、ぜひルイ様には私たちヴァイエル公国軍の総司令官へ、聖女としてご挨拶をしていただきたいのです」
「お断りします」
「はい! それではこれからご案内いたしま――え?」
ターチャは言葉の途中で、つまずいたように声を止めた。
「あ、あの、ルイ様。失礼ながら今、何とおっしゃい――」
「だって、こっちから挨拶に行ったら、まるで私が下みたいじゃないですか」
「………………え?」
ターチャの表情筋が、今度こそ完全に動きを停止した。
うろたえる少女へ、累はずいっと詰め寄りこう言った。
「それよりも、私はやりたいことがあるのです。ターチャさん、一つ訊ねてもいいですか」
「な、何でしょうか……?」
「先ほど、この街に負傷兵が運び込まれていると聞きましたが――野戦病院はどこですか?」
※ ※ ※ ※ ※
ヴァイエル公国東部、クラウスブルク市。
街で最も大きな教会は、前線から絶え間なく送られてくる負傷兵たちのために、臨時の野戦病院にされていた。
礼拝者用ベンチは撤去され、冷たく固い石灰岩の床には、荒布一枚をベッドに大量の負傷兵たちが横たわっている。
彼らのうめき声と看護婦たちの足音を、高天井の空間が一層悲痛に響かせていた。
今や久しく沈黙するパイプオルガンの前、重傷者用の区画にて、一人の兵士が濁った瞳で天井を見上げていた。
一週間前に砲弾にえぐり取られた彼のこめかみは酷く化膿し、顔面は通常の倍以上に腫れあがっていた。高熱にうなされ、もはや自力で立ち上がることすらできない。
「俺……このまま、死ぬのか」
沈んだ呟きに、男の包帯を取り換えていた中年の看護婦が応えた。
「そうだよ。兵隊なんかになるからさ」
それを聞いて、炎症に圧迫された男の目尻から涙がこぼれる。
看護婦は淡々と包帯を変える。その顔に同情は浮かんでいなかった。
男は生まれてこの方、真面目に働いたことがなかった。
無職のまま酒に浸り、喧嘩ばかりしていたある日、兵隊になればタダ酒が飲めるという噂につられて志願兵になった。
そして前線で重傷を負い、今ここにいる。
彼の隣も、その隣で横たわる兵士も、皆似たようなものだった。
この時代の公国において、軍人とは「まともな」仕事ではなかった。
歯に衣着せぬ物言いをすれば、ごろつきや犯罪者など……まともな仕事に就けないような底辺の人間が兵士になるものだというのが、社会の常識だった。
「泣くなよ。アンタだって分かってただろ。世間様に居場所のない奴は、真っ先に戦場に行くしかないんだって」
「で、でも……おれ、まだ、し、死にたくねえよ」
「しょうがないじゃないか。アンタは救いようがなかったんだよ。そもそもの人生からね。せめて祈りな。次に産まれるときは、兵隊になんかならなくてすむように」
その時だった。
「お邪魔しまーす」
換気のために解放されていた正面扉から、いやに気軽な声が響き渡った。
かつ、かつ、と床を踏みしめて、純白のケープマントをまとった黒髪の女性が、血臭の立ち込める教会を平然と歩く。
負傷兵たちの間を通り抜け、看護婦たちとすれ違い、その誰もが振り返る視線を意に介さず、彼女は重傷者たちの横たわる最奥の区画までたどり着くと、先ほどまで看護婦と会話していた兵士の前にしゃがみこんだ。
男は顔に巻かれた包帯の隙間から、彼女を――四宮累を、呆然と見上げた。
「あ、あんた、誰……?」
その言葉に、累はわざとらしく微笑んだ。かざした手のひらに緑色の淡い光が灯る。
緑光を宿した細い指が、男の顔にそっと触れた。すると、見る見るうちに腫れあがった顔が縮み、肌が生気を取り戻していく。
数秒後、男はよろよろと立ち上がった。
ぱさりと、包帯が地面に落ちる。
男の顔にあるはずのおぞましい傷は、嘘のように消えていた。
本人を含めたその場の誰もが言葉を失い、瞬く間に、教会にざわめきが広がる。
「な、なんだ……? 一体何が……」
「き、奇跡だ……」
「ま、まさかあのお方は……あの、お方がっ!」
「聖女様っ……!?」
累は笑顔で頷きながら、告げた。
「どうぞこちらへ――全員、私が救います」




