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第2話 異世界について

 累は目を覚ますと、まるで溺れているような感覚に襲われた。

 水中のような、おぼろげな視界。定かならぬ物音。周囲が判然としない状況では、自分自身の認識さえ曖昧になっていく。

 しかしある瞬間、ぱちんとピースがはまった感覚がして。

 その瞬間、累は鮮明に世界を認識した。


 赤い絨毯と、鏡のようにピカピカの白亜の床。

 見上げるだけで頭が痛くなりそうな高天井に吊るされているのは、まるで現実感のない黄金のシャンデリア。

 大広間のような空間の左右には、遠近感が狂うほど大きな大理石の柱が並んでいて、金の格子に区切られた巨大な窓からは、眩しい陽光が差し込んでいる。

 そして、古臭いヨーロッパ風の格好をした大勢の人が自分を囲んでいる。

 そんな場所に、累は座り込んでいた。

 

 これは一体、どういう状況の夢だろうか。

 いまだぼんやりした頭の累に、不意に声がかけられた。


「……聖女様!」


 聖女? 疑問とともに累は顔を上げた。

 果たして、左右の大勢を脇役のようにして赤い絨毯を踏みながら、その少女は累の目の前に立っていた。

 それは、一人のお姫様だった。


 正確には、お姫様みたいな恰好の少女だった。銀色の長い髪は左右に巻かれ、薄い前髪の下には深い青色の瞳。

 人形のように整い過ぎた顔立ちは、小さな桜色の唇を横に結んでいる。

 服装は薄紫のドレス。コルセットで締められたウエストは折れそうなほど細く、左右に膨らんだフリルたっぷりのロングスカート。七分袖からのぞく細い手はシルクのような手袋。そして頭上には宝石の着いた小さな金のティアラ。

 これ。着るのに何時間かかるのだろう。と累はぼんやり思った。


「ええと、あの……ご気分は、いかがでしょうか?」


 累の耳に入った言葉は外国語のようだったが、どうしてか何を言われたのかを理解することができた。

 累は聞き返した。


「ここは……どこですか」


 日本語だったが、それ以外喋れないのだから仕方がない。

 しかしやはり不思議なことに、少女には通じたようだった。


「ここはヴァイエル公国……あなたがいらっしゃったのとは別の世界です」


 何言ってんだこいつ。

 累は、反射的に別の質問を投げかけた。


「ええと……じゃあ、あなたは、どなたですか」

「私はアナスターチャ=ヴァイエル。この国の第一公女です」


 「私」の部分はわたくしだった。今時、そんな一人称使う奴がいるのか。

 しかし少女はいたって生真面目な顔で、続けてこう告げた。


「急にお召喚(よび)立てして申し訳ありません……。ですが、どうか私たちの国を救ってくださいませ。聖女様!」


 ――それから数分、アナスターチャと名乗る少女によって、累は事情を説明された。

 ここはヴァイエル公国という、異世界の国。

 西を海に面しつつ、内陸には豊かな森と山々をいただく、牧畜の盛んな平和な国、だった。

 しかし現在、東方のハプストリア帝国という巨大な軍事国家に侵略され、存亡の危機にあるという。

 だから、累の目の前にいる少女――アナスターチャ=ヴァイエル第一公女は、帝国の侵略とほぼ同時に運悪く病没してしまった父、つまり先代の公王に代わって、国の全権を預かる者として行動に出たという。

 それが聖女召喚の儀式であり、その結果。どういうわけかただの会社員だった四宮累は、聖女としてこの世界に召喚されたという事らしい。

 そしてここは公国の首都にあたる、ミーフェンという都市にある宮殿、ヴァンシュタイン城の君主の間であるという。

 いや、本当にどういうわけだ。


「――という次第です。ええと、その、重ね重ね私たちの都合によりこのようにお呼び立てをしてしまい、申し訳ありません。

 ですが、どうか、どうか……私の祖国をお救い下さいませ! そのためなら、私は何でも協力させていただきます!」


 そう言って頭を下げる。少女の唇は赤くなって震えていた。真剣な瞳には涙まで浮かんでいた。

 一方で、累は直面した情報量に頭がパンクしそうだった。


「ええと、その、ヴァイエル……殿下」

「私の事は、どうぞターチャとお呼びください」

「では、ターチャさん。その、失礼ながら、いくつか質問を許していただけますか?」

「もちろん、なんなりとお答えいたします!」


 累は深呼吸をした。舌先に触れる空気の感触が、あまりにもリアルで夢とは思えない。

 どうやら自分は、いわゆる異世界に来てしまったようだ。

 そして、これからの身の振り方を考えなければいけないようだった。

 頭痛がする。

 累は改めて自分の格好を眺めた。服装は着の身着のままワイシャツとスカートで、スマホすらない。とはいえネットも電気もない世界では大して役に立つとは思えないが。

 少しだけ気分を落ち着けて、累は質問を切り出した。


「私以外に……ええと、召喚された聖女はいるのですか」

「いいえ。聖女様の召喚は、一度きりの儀式なのです」


 ターチャ曰く、聖女召喚儀式とは聖女の血を引く一族が、先代の死後から百年後に一度のみ行える、というものらしかった。


 それを聞いて、累はひとまず安心した。

 立場を同じくする人間、つまり他の聖女がいないのは好都合だ。替えの利かない人間であるなら、少なくともそれなりに大事にされるだろう。

 累は次の質問を投げかけた。


「では、私は何をすればいいのでしょう。聖女といいましたが、どうすれば私はあなた達を助けられるのですか?」


 帝国から侵略されている、だから聖女の力で助けてほしいと言われても、戦争とは個人の力でひっくり返せるものではないはずだ。

 聖女とやらになった自分が、究極皆殺しビームとか撃てるなら話は別だが。


「申し訳ありません。お伝え忘れていました。それはですね……私のようなヴァイエル公家の血筋が召喚した聖女様には、奇跡の力が宿るのです。あらゆる傷や病気を回復させる、治癒の力が」


 念じながら祈りを捧げてみてください、と累は言われた。

 その通りにしてみると、累の右手のひらに淡い緑色の光が灯った。


「そうです! そのお力で、戦で傷を負った兵士たちを癒してほしいのです!」


 累の手の光を見つめながら、ターチャは控えめながらも抑えきれないように興奮しながらまくしたてた。


「私たちヴァイエル公国は、聖女様を信仰する国家です。貴女様にその奇跡の力を振るっていただければ、きっと兵士たちの士気は最高潮になり、戦況も盛り返すでしょう!」


 ずいぶん楽観的な見通しだな、と累は思った。

 そんな累の耳に、左右に控えた廷臣たち(だろうか? とりあえず高貴そうな身なりをした方々)から、ひそひそとささやく声が入ってきた。


「……なにが治癒の奇跡だ。所詮気休めだろう」

「その通り。怪我人を治すだけでは戦況は変わらん」

「貴き血脈があきれるわ。もっとましな力の聖女を引けなかったのか?」

「しっ、公女様に聞かれるぞ……」

「構わん、所詮は兄君のお飾りだ」


 なんか色々と言われている。

 それはターチャにもしっかりと聞こえていたようで、少女は気丈に微笑んでいたが、小さな拳はスカートをぎゅっと握って刻みに震えていた。

 どうやらこのお姫様の立場はあまり強くないらしい。

 

 しかしながら、言われていることはその通りだな、と累は思った。

 普通に考えて、味方をいくら回復させようが、敵の戦力を削らなければ勝利にはつながらないはずだ。

 累もまた、己の手のひらに淡く光る緑色を見つめながら「回復能力か、地味だなあ……」と思った。

 その直後。


「あ」


 稲妻のような衝撃が、累の頭から背筋を叩き割らんばかりに走り抜けた。

 それは閃きであると同時に、ナポレオンだった。

 ナポレオンの事が好きすぎて、その活躍を夢中で読み耽る中で、累自身が心の中に再現した、理想のナポレオン=ボナパルトからのささやきだったのだ。


 累は震えた。まてよ。まてよ。もし、この能力がこんな感じで使えるなら――いや待てまだだ。

 まだ、この世界の時代水準が分からない。

 いわゆる剣と魔法の世界なのか、それとも銃火器が発達した現実よりの世界なのか。

 要はこの異世界が、中世ファンタジーなのか近世ファンタジーなのか。

 その事実がこれからの運命を分けることを自覚しながら、累は恐る恐る訊ねた。


「あの……戦争中と聞きましたが。この世界の人々はどうやって、ええと、どういう武器を使って戦っているのですか」

「えと、主に銃ですが……ご存じですか? 銃というのは長い筒状の武器で――」

「大丈夫です。分かります」


 長い筒状、つまりライフルだろう。

 もしやもしや――抑えきれない期待に、累の下腹部がぞくぞくと痺れる。

 これは、これは、ワンチャン。

 ボナパルトチャンスではなかろうか。


「私の世界にも銃はあります。比べてみたいので、どうか実物を見せてくれませんか」

「か、かしこまりました。では少々お待ち下さい」


 ターチャは振り返り、背後に指示を出した。

 すると少し経ってから、侍従らしき一人がターチャの側に歩きより、恭しくそれを献上した。

 ターチャはそっと受け取ると、流れるように累に差し出した。


「どうぞ、弾は入っていません」

「どうも」


 それは累の想像通りの長銃だった。見た目はお祭りの射的の銃に似ている。

 火縄銃ではない。なぜなら火縄の代わりに、引き金の上に火打石を挟むための大きなクリップがあるからだ。

 マスケット銃に酷似というか、そのものだった。以前、博物館で展示されていたのとほぼ同じ。フリントロック式の単発前装銃。


 累は「ハアハア……」と、一部の人種に特有の荒い息を吐きながら、銃口をのぞきこんだ。

 ためらいなく指を入れて、ライフリングの無いことを確認。次に銃先を見て、銃剣留めの擦れた痕を確認。肩に担ぎ、ストックと銃身のバランスを確認。ストックの木材を確認――クルミじゃない。代用品か? そもそもくるみ割り人形とかも存在しない世界なのか? まあ、それぐらいはどうでもいいや。


 呆気にとられるターチャと周囲の廷臣たちをよそに、累は鼻息荒く、舐めまわすように渡された銃を確認していく。


 どくんどくんと、心臓が早鐘を打ったまま止まらなかった。

 よかった。心からよかった。この世界は、剣と魔法の中世ファンタジーじゃなかった。

 銃剣と戦列歩兵の、近世だった。

 運命に打ち勝った感動のあまり、累は涙が出そうになった。というか出た。


「あの、大変申し訳ありません。聖女様」


 累の涙の意味を誤解したのか、ターチャは深刻そうに謝ってきた。


「その、今更ですが……急にご家族やご友人と引き離してしまって、本当に申し訳ありません。ですが、どうか私たちに力を貸してくださいませんか。もちろん最大限の報酬と、快適に過ごせるようにあらゆるものをご用意させていただきますので――」

「大丈夫です。気にしてません」

「え? ……そ、そうなのですか?」


 累はもう、この世界がたとえ夢だとしても、覚めるつもりなどさらさらなかった。

 この異世界は、18世紀、近世ヨーロッパ、ナポレオンの時代に近いものだと確定したのだから。

 さらに治癒能力まで使えるとなれば、目指すべきは一つ。

 

 この世界で、ナポレオンをやる。

 小さな頃。将来の夢はなんでも自由に決めていいんだよ、と言われた。

 けれど現実は、立派な社会人になることしか私に許してくれなかったから。

 そして何より、この異世界にはナポレオンがいないのだ。

 彼の歴史も伝説も足跡も、何一つとして存在しないのだ。

 推しの痕跡すらない世界の存在など、一人のオタクとして許せるわけがないだろう。――だから。


「やる気が出てきました。満ち溢れてきました。こちらこそよろしくお願いしてもいいですか、ターチャさん」

「あ……ありがとうございます! 聖女様」

るいです」

「え?」

「私の名前は四宮累しのみやるいです。姓が四宮、名前が累。呼びやすい方で呼んでください」

「は、はい! では……ルイ様とお呼びしてもよいでしょうか?」


 頷くと、ターチャは赤くなった頬を嬉しそうにほころばせた。

 累は無視して、ぎゅっとマスケット銃を握りしめた。

 嬉しさと興奮と使命感でほとんど平衡感覚を喪失していた。腰から下が無くなったように抜けて、必死でこらえるけれど足が震えて上手く立っていられない。

 でもそんな事は関係ない。さあ頑張ろう。本気で頑張ろう。死ぬ気で頑張ろう。

 そしてどこまでも頑張って、私はこの世界を――。


革命(ボナパルト)してやる」


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― 新着の感想 ―
主人公がナポレオンバカ(褒め言葉)すぎて面白いw
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